謀略のツンデレラ
翌朝早く、ツンデレラは冷え込む王宮の廊下を歩いていた。
「つ、痛っ!」
下腹部から伝わる鈍痛――しかし、ツンデレラにとっての愛の証ではあった。ほのかな幸福感も与えてくれる。
しかし、それでも痛みは痛みだった。ツンデレラは責め苛まれ、青白い顔になる。
一度、異性を知った体は妙な艶っぽさを発しているようで気恥ずかしい。朝の早い召使たちとすれ違うたび、羞恥に我が身を隠したくなる。
だが、ツンデレラは目的地までの歩みを止めない。
彼女が目指すのは――。
「ええと『文学侍従の間』はココね……」
目当ての場所を見つけたツンデレラは、その一室の扉をたたいた。
「はいはい……どなたさまでしょうか?」
のっそりと顔を出した男はツンデレラの顔を見て驚いた。
「あ、あなたは王子の恋人・ツンデレラさま!?」
王子に迎えられてから一夜明け、すでにツンデレラの顔は王宮で知れわたっていた。
独身の王子が初めて近くに迎えた女性である。本人にその気が有ろうと無かろうと、その存在は王国の行く末にとって大きな影響をもたらす。
そんな女性が、何故こんな部署に来たのか――男は不思議でならないといった顔でいた。
この男の仕事は『文学侍従』。
王国の各種書類・書式に関する研究を行う役人とされているが、それは表向きの話。
本来は情報の収集と分析に当たる――すなわち諜報機関だった。
はるか昔、王権がまだ強かった時代、貴族の反乱防止と締め付けのため作られた部署である。
かつて多くの貴族が文学侍従により訴追や処罰された。その名を聞くだけで貴族たちは震えあがり、泣きやまぬ貴族の子を脅すための材料に使われたこともあるほどである。
だが王権が衰退して飾り物になり、代わって貴族たちの権勢が強くなるにつれ、文学侍従たちも威勢を失い、今では窓際部署と化していたのだった。
「ツンデレラさま? このような場所にいったい何の用ですか?」
驚き慌てる侍従たちの中、一番立場が上らしい冴えない顔の男が訊いた。
「あなたたちに――頼みたいことがあるの」
室内に入ったツンデレラは単刀直入に言うと、後ろ手に持っていた袋を机に置いた。
ズシリと音を立てるほどの重さ――ツンデレラが袋の口を開くと、そこにはまぶしい金色の輝きがあふれる。
「こっ、これは!?」
侍従たちは目を見開いた。金色の光の正体は金貨――それも質の良いものばかりだったのだ。
「先払いの報酬と当座の活動資金よ。モチロン怪しいお金じゃないわ。あたしの相続予定の財産を処分して作ったものよ」
ツンデレラ庶民百人ほどの人生を狂わせることができる金額を前に眉一つ動かさない。絶句している侍従たちを前に、淡々と願いを述べる。
「これを使って、やってもらいたいことがあるのよ」
金貨の放つ光とツンデレラの語り口――思わず魅かれた侍従たちは彼女の周りに集う。
侍従たちに向け、ツンデレラは胸の内で温めていた計画を小さな声で話し始めた。
話が進むにつれ侍従たちの目に強烈な光が浮かび始める。
権勢を亡くすと同時に失っていた誇りが彼らに戻るのに長い時間はいらなかった。
「――という風にしたいの。お願いできるかしら?」
ツンデレラが語り終える頃には部屋中には異様な熱があった。無言のまま侍従たちの全員は精力的に動き始める。
その様子を見たツンデレラの顔には満足げな笑いが浮かぶのだった。
―――――――
数日後――。
突如として数人の貴族が、汚職や領地の不正経営などで断罪されることになった。
告発者は文学侍従たち。
――久方ぶりの強権発動に王国は一時騒然としたが、それはあっという間におさまった。
理由の一つは、その貴族たちが性格的にも倫理的にも敵の多い輩であったこと。
あくどいやり方で私腹を肥やしていたものばかりだったのだ。実際、彼らが処罰されて快哉を叫ぶ貴族は二桁どころではすまなかった。
それに、彼らは玉の輿狙いの娘が王子に振られていた。
腹いせに王子の愛人についてあれやこれの陰口を漏らしたことへ、王子が激怒したせいという噂が流れたからでもある。
自分たちにも理解しやすい私怨が理由と分かっただけで、貴族たちは安堵したのだ。
もっとも彼らは、その噂がツンデレラによって流されたものだと知ることはなかった。
貴族たちは処罰の表向きの理由に納得すると、この騒動を頭の中からきれいに忘れ去っていた。
それゆえ断罪された者たちの資産が、どこの誰に没収されたのか気に留める者はいなかったである。
彼らは知るよしも無かったに違いない。
文学侍従の忠誠を獲得したツンデレラが、没収した資産で新たな計画をもくろんでいるなどということは――。
さらに数日後の未明。
王子が寝入ったことを確認すると、ツンデレラは王子の胸板から身を離し、寝台から滑り降りた。
行為の余韻で足元がふらつく。よろめいた体を無理やり立て直すと、ツンデレラは足音を殺して隣りの部屋に向かった。
一歩ごと、夜着に染みついた王子の体臭が薫る。引き返して王子の隣で眠りにつきたい欲求にツンデレラは駆られた。
だが、そうすることができない理由がツンデレラにはある。
それはツンデレラが毎夜毎夜、王子の若さを受け止め続けているせいだった。
このままの頻度で夜を過ごしていれば、必然的にツンデレラの体内には新たな命が宿ることになる。
経験があるわけではないが、そうなれば今までのように動けなくなってしまうことはツンデレラにも分かっていた。
だからこそ今の内に、計画の下準備を進めておく必要がツンデレラにはあったのだった。
扉を静かに閉め、覆いをかけた燭台を灯すとツンデレラは椅子に座る。
そして、机の上にあった羊皮紙に視線を落とした。
しばらく羊皮紙にいくつかの条項を書き足していたツンデレラは、不意に背後に人の気配を感じて振り返る。
「……まさか、あなたがここまでやるとは思わなかったわ」
いつの間にか背後に立っていた魔女――ミランダは言った。
「まだまだよ。やっと始まったばかりのところ」
ツンデレラは平静に答える。
「もう、突然現れたのに全然驚かないのね? なんだかつまらないわ」
ガッカリした様子でいる魔女にツンデレラは笑った。
「あんた魔女なんでしょ? だったら神出鬼没は当たり前じゃない――もう慣れちゃったわよ」
艶やかに微笑むツンデレラに、魔女は口を尖らせる。
「もう、どんどんキレイになっていくのね。あの王子にはもったいないわ」
そういうと魔女はツンデレラを後ろから抱き締める。
「もう……そういうコト、やめなさいよ」
背後から柔らかな膨らみを狙う魔女の手を、ツンデレラは軽く振りはらった。
「ああ、あのウブだったツンデレラを返してほしいわ。少し前まで軽く触っただけで大騒ぎしていたのに――こんなに余裕たっぷりなコに変わっちゃって」
魔女は大げさに天を仰ぐ。
「悪徳貴族とはいえ、別に恨みがあったわけでもない他人を陥れ破滅させた私が、今さら可愛い子ぶっても仕方ないわよ」
苦笑しながら答えたツンデレラに、魔女は首を横に振った。
「いいえ。可愛いコぶれるのは可愛いコだけよ。あなたには資格があるわ。年経た――もとい経験を積んだ魔女であるこの私が断言してあげる」
「あ、あんたに褒められると落ち着かないわね。で、でも……あ、ありがと」
照れて赤面しつつツンデレラは礼を言った。
「まあ、がんばりなさい。じゃあね、私の可愛いツンデレラ」
ツンデレラを後ろから優しく柔らかく抱き締めると、魔女は出てきたときと同様、こつ然と消えさったのだった。
数週間後――王子の愛人としてベッドで息を潜め、猫を被り続けていたツンデレラはついに動き出す。
手始めは道路の建設だった。
王子の寵愛を得られたことを神の恩寵とし、感謝として各地の神殿への街道の整備を、私財で行うと発表したのである。
貴族たちは奇特なことだと半ば感心しつつ、半ばは呆れた。
彼らはいまだツンデレラをタダの小娘と侮っていた。だから無駄なことに金を使うものだと腹の内では嘲笑っていたのである。
うがった見方をするものは出身である商人階級への利益還元か――とまでは考えていたものの、どうせ父親あたりの入れ知恵だろうと推測していた。
(もっともツンデレラを軽んじていたものたちに人を見る目が無かったというわけではない――それだけ彼女の偽装が完璧だったということだった)
こうして王国中に街道網が敷かれることになった。
同時に、まるでついでのように街道の警備部隊の設立が発表される。自領を通る街道の警備に頭を悩ませていた貴族たちも、これには賛成した。
――だが彼らは義務を投げ出せば権利を失うことを知らなかったのだ。
警備部隊の諸費用のためとして、ツンデレラは街道近くの土地を貴族から収用した。
農作物を年貢として取ることしか収入の道を知らなかった貴族たち。
彼らはその程度なら――と快く土地を手放した。
だが間もなく彼らは自分たちが手放した権利の大きさに地団太を踏むことになる。
土地を得たツンデレラは、国内の商人たちから街道近くに建設した宿場町の敷地使用料を取り、商業許可税も徴収することにしたのだった。
整備され人通りと物流が増大した街道の宿場町では商業が飛躍的に発展した。
少々高額な土地使用料だろうと商業許可料だろうと払うものは大勢いた。
いや、むしろもっと高額な料金を払うから場所を開けてくれと頼むものまでいた。
同時に王家の直轄する王都も街道の出発地であり終着地でもある都市として、空前の繁栄を見せることになる。
こうしてツンデレラの手元には多額の金貨が唸りを上げることになったのだ。
ここにいたってようやく、貴族たちは失った利権の大きさを知った。
中には反乱を起こして土地を奪い返そうとしたものもいる。しかし、彼らは軍勢を集めている間に、整備された街道を通って現れた錬度の高い部隊に一蹴されてしまった。
ツンデレラは集めた金銭で優秀な傭兵を雇い、それを警備隊という名目で常備軍とし、手元に置いておいたのだった。
遅まきながらも貴族たちは巨大な罠にかけられたことに気がついた。
しかし、気がついた時には完全に遅かった。すでにツンデレラの刃は彼らの首筋に突き付けられていたのである。
当時では戦のたび、傭兵を雇うことで軍勢を集めていた。
そのため、謀反を企もうとしても、傭兵を集めようとしている間に最初から常備軍として組織されているツンデレラの軍勢が先手を打ってしまう。
いや――そもそも謀反を企んだ時点で、ツンデレラの忠実な猟犬と化した文学侍従たちに嗅ぎつけられ断罪されてしまうのだ。
軍勢を即座に派遣し、大量の情報を素早く伝える街道の存在こそ、ツンデレラから貴族たちに付きつけられた切っ先だったのである。
貴族たちは最早、亀のように首を引っ込め大人しくしているより他ない状態に追い込まれた。
こうしてツンデレラは、わずかの間に王国の実権を握ったのだった。