ツンデレラという少女
なぜか、その一室には『護摩壇』があった。
いや、仮にもこれは西洋の話だから護摩壇というのはおかしいか?
よし。
ならば描写を変えよう。
部屋の中央には櫓状に組み上げられた木の枝――中では炎が燃え盛っており……、
……まあ、つまるところは護摩壇があった。
さて――。
この護摩壇の前、何か心願の筋でもあるのだろうか、炎熱で大汗をかきながら必死の形相で祈る少女がいた。
「……オン・ベイシラ・マンダヤ・ソワカ、オン・ベイシラ・マンダヤ・ソワカ! ヴィシュラヴァスの御子であられる尊神よ、吉祥を成就させたまえ!」
鞭声粛粛夜川を渡り、敵大将に単騎で切りかかっていきそうな雰囲気を持つ少女は祈祷をささげつつ、香木や香草などをときおり炎の中に放り込む。
生木や水分の多い葉などがはじけ、パチリ、パチリと音を立てて火の粉と灰を少女の上に撒き散らす。
どれほどの時間祈り続けていたのだろう。すでに少女の身体は灰まみれであった。
――たしかに元ネタはタイトルを直訳するなら『灰かぶり』ではあるが……。
ともかく、熱心な祈りが続いてはいたが、時刻の経過とともに徐々に少女の顔に切迫の色が濃くなっていく。
なにやら深く、切実な願いがあるようだが『神頼み』という言葉があるように、祈りだけで何とかなろうはずもない。
と、そのとき――。
ゴウン、ゴーン
刻を告げる鐘の音が部屋の中に響く。
「く……」
腹の底から響く、重く低い音を耳にして、一心不乱に祈っていた少女の顔に失望の色が浮かぶ。
せわしなく香木を投げ込んでいた手が止まり、少女は一つ嘆息すると言った。
「あたしほど不幸な人間はいないわ……」
両手を心臓の前に組み合わせ、いかにも悲しげな表情を浮かべた美少女――彼女こそ、この物語の主人公であるツンデレラだった。
十六歳の彼女はよくできた一枚の絵画のようなポーズを気の済むまで続けていたが、やがて不幸にひたることに飽きたらしい。
先ほどまでは、上目づかいの(少なくとも近所の肉屋の親父は、おまけしてくれる)表情で見つめていた神像を、今度は憎々しげに見つめる。
「なによっ! ぜんぜん役立たずじゃない!」
必死の祈祷から、手のひらを返したように冷たく言う。
「わざわざ東洋のやり方を試してみたのに、結局、お城の舞踏会には行けないことになりそうだわ! どうしてくれるのかしら!」
どうやら、舞踏会に行くことをこの神像に願っていたが、かなわなかったらしい。
少女を失望させた鐘は舞踏会のちょうど一刻前を告げるもの。
今から準備して城に向かったとしても時すでに遅し。城門は閉ざされているだろう。
つまり先ほどの点鐘は、少女が舞踏会に出られるか出られないかを示すタイムリミットだった。
刻限に間に合わなかったウップンを、少女はとりあえず先ほどまで真摯な祈りをささげていた神像にぶつける。
もっとも神像といっても、昔読んだいいかげんな東洋趣味の本を参考にして、彼女自身がそこらにあったアレコレを材料に適当にでっちあげた代物。
しかし、いったいなぜ、舞踏会の出席ということだけで、そんなモノに頼らなければならないのか?
だいたい、この国における城での舞踏会といえば両親から親戚総出で年頃の少女を送り出すものと相場は決まっている。
この舞踏会ばかりは、身分の違い抜きで全ての階層の娘が集まり、貴公子たちの前でその美しさを競い合う。うまくゆけば玉の輿が狙えるからである。
にも関わらず、何ゆえその大事な日に十分に適齢期といえる少女は、このようなところでお手製の神像を崇め奉った挙句、ヤツアタリするような羽目に陥っているのだろうか?
「まったく――あの継母! あたしをこんなところに閉じ込めて……今度は服に矢毒ガエル入れるだけじゃ済ませてやらないわよ」
どうやら、理由の半分はツンデレラ本人にあるようだ。それにしても倉庫に監禁とは穏やかではない。継母と娘とはいえ、いったいどれほど仲が悪いのであろうか?
――――
きっかけは――数年前にツンデレラの実母が流行り病で亡くなったこと。
ツンデレラの父は裕福な貿易商人であったが家を留守にすることが多い。
「母を亡くしたばかりの娘を一人、広い屋敷に置くのはかわいそうだからな」
という口実に独身の切なさを解消する本音を隠して、父親は再婚することにした。
再婚相手はこれまた数年前に伴侶を亡くした、半周りほど年下の子持ちの女性。
この街の有力聖職者の娘で亡くした夫も同様に聖職者であった。
父親にとっては、街の有力者と縁戚関係を結ぶことも商売上必要であり、まことに結構なコト尽くめの縁談に思えたのだ。
が……これが何よりも一番マズかった。
当時の時代背景では嫡出――つまり正式な結婚をした夫婦の間に生まれたということが、公的にも私的にも権利上で大きな意味を持っていた。
正式な結婚をしていない男女間に生まれたということは、社会的身分においても私的財産権においても、たとえば両親の遺産などに対して相続権を主張できない――など不利を多く抱えていたということになる。
また、これもまた当時の社会通念上、もちろん当の昔に形骸化していた戒律であったが――聖職者が少なくともおおっぴらには妻帯してはならなかった。
―――さて、この二つの常識が重なればどうなるか?
ツンデレラの継母は街の有力者の娘に生まれながら日陰者としても扱われるという経験をする。
さらに父と同じ聖職者に嫁ぎ、今度は妻として――少し後には母親として不安定な身分を味わうハメになっていた。
結果として、ようやく彼女は正式な結婚ができた。ようやく自分自身は安定した身分を手に入れたものの、娘たちはいまだ非嫡出子のままである。
生い立ち上、権利というものに神経質にならざるを得なかった継母は生まれながらに財産と権利の全てをもっていたツンデレラに最初から穏やかならざる気分を持っていた。
一方、ツンデレラにとっても十代前半の多感な時期に母の死を経験し、もともと少々難しいところのあった彼女は筋金入りのひねくれものへと変わっていた。
彼女にとって、新たにやってきた権利意識の強い継母になど我慢が出来ようはずがない。
他の生き方もあっただろうに、権利や身分にばかり固執している義母に彼女もイラだっていたのだった。
継母も育児本で読んだ継母嫌忌症などの話を念頭に歩み寄っていく態度を見せたものの、義娘であるツンデレラはあいかわらず不遜な態度のままである。
再婚前から不穏な気分を持っていたこともあり、ついには強烈な家庭内戦争が勃発することになったのだ。
「ならば……戦争よ!」
と、初手にツンデレラ側から……こればかりは国際法を守って宣戦布告とともに繰出された極めて悪質なイタズラに継母方は教育に名を借りた徹底的ないびりで報復する。
かくして復讐は復讐を呼び『眼には両目』『歯には前歯全部』といった感じの仕返しのエスカレートが始まったのだった。
この日も、お互いの何が気に食わなかったのかわからぬまま、しかし苛烈な舌戦を繰り広げた挙句、ツンデレラからの服にカエルを――それも毒矢などに使われることもある有毒ガエルを入れるシャレにならないイタズラに対して、継母がツンデレラに屋敷の巨大な倉庫(おそらく国際救助隊の装備がギリギリ全部入る)の掃除を言いつけたのだった。
さらには、終わるまでは出てこぬようにと入り口に鍵までかけて、継母とその娘たちは着飾って舞踏会に出かけていった。
ちなみに、このよく似た強い気性の(違う出会いをしていれば、極めて親しくなれた)二人の間に内戦の種をまいた父親は年中戦渦に巻き込まれる我が家にウンザリして寄り付かなくなっていた。
風のうわさでは反戦運動に身を投じ「憎悪の連鎖こそが争いを呼ぶ」とかなんとかのたまって支持者を増やしているそうな。
―――と、まあこれが、ツンデレラが年に一度の舞踏会の日に屋敷の部屋の中に閉じ込められていた理由である。
いびつな東洋の神像を自作してまで祈祷したのは継母の出身に対する対抗心から。
複雑な家庭環境はともかく、根性が伸身空中二回転半捻りな感じにねじれた少女は、とりあえずでっち上げた神像に対する八つ当たり(本人にとっては正統な報復)を開始していた。
ゲシッ、ズバシッ――。
神像を足蹴にし、ツンデレラはうっぷんを晴らそうとする。
胴体部分は元がそこらに転がっていた毛布とマットを詰め込んだものだけに、ふかふかとして、ちょうどよい蹴り心地であった。
「このっ! あたしに三時間も祈らせるなんて。役立たずのクセに、いったいナニサマのつもり!」
御無体なイチャモンとともに、ツンデレラはカカシに対する八つ当たり悪夢の三時間コースを開始しようとした。華麗にブラジリアンキックをかますべく蹴り足の太もも部分をまず上げたツンデレラ。
と、その背後からいきなり声がかかる。
『あら、ずいぶん面白そうな女の子じゃない?』