余章
勝利を得て王都へと帰ったツンデレラを、国王シャルルが待っていた。
いまだ傷のいえぬシャルルは、戦勝式典で戦塵にまみれたツンデレラを優しく抱きしめ、国民の歓喜の声にこたえたのだった。
それから、およそ一年の後――国王シャルルは死んだ。
シャルルを襲った刃に塗られていた毒のせいだった。
その最期は毒による熱に浮かされながら、しかし顔には笑みが浮かんでいたという――生まれたばかりの我が子と愛する王妃が、彼の安らかな死に顔の原因だった。
国王の早すぎる崩御に伴い、ツンデレラとシャルルの間に生まれた王子アルトゥールが後を継ぐことになった。
といって赤子が国政をどうこうできるわけではない。
国法に従い国王即位はアルトゥールの成人まで持ち越され、実際は母であるツンデレラが摂政として政務を見ることになった。
ツンデレラは配下の助けを受けながら黙々と政務をこなした。
夫である国王の死にも涙一つ見せず、幼き我が子に代わって政務をとるツンデレラを、人々は畏怖半分に「鉄の王妃」と呼んだ。
成長したツンデレラの子アルトゥールは後に大王と呼ばれることになる。
彼の行った各種の大きな変革ゆえだが、それは、この時期ツンデレラの取った王権拡張策による強力な覇権の下、成し遂げられたものだった。
やがて、王子アルトゥールが成人を迎えることになり、ツンデレラは摂政の座を降りることになった。
アルトゥールや周りの人々の制止も聞かず、ツンデレラは故郷へと帰って隠居することになったのである。
いまだ三十半ば「鉄の王妃」の若すぎる隠退に、世間の人は不思議がった。
彼らがツンデレラの真意を知るのは、その後、はるか年月が過ぎ去ってからのことだった。
――――――――
その日、王国議会は新たな議長を迎えていた。
王国議会はツンデレラの設立した機関だった。身分出身を問わず、人品能力が優秀な人間が選ばれている。
といっても王国議会の設立は民主主義の理想というより、もっと現実的な理由からなされていたのだった。
ツンデレラいわく――。
「アルトゥールが優秀な王なら、良い補佐役になってくれる。抵抗する貴族たちとやり合う場合の支持者も必要だしね。ウチの子が優秀じゃない場合は、代わりに国政を担ってもらうことになるわ。バカな絶対君主ほど手に負えないものはないからね。いわば王政の安全装置みたいなものよ」
こうして設立された王国議会は、ツンデレラの思惑通り、国政における国王の良き補佐機関となっていた。
摂政だった時期、ツンデレラ行った各種政策で王に対する反抗勢力は弱まっていたものの、変革を成し遂げようとする王に敵は多かった。
かつての栄華が忘れられぬ貴族たちによる激烈な抵抗の中、王国議会は議長を中心に、国王を支え続けた。
そして今回、新たに議長の座に就くことになったのは、かつての貴族の子弟だった。
没落したとはいえ元は自分たちとは同じ出身である。反攻の予感に貴族たちは色めきたった。
一方で王国議会の議員たちの中には、なぜそんな人間を選ぶのかと後継を指名した先の議長や国王に詰め寄るものもいた。
だが――。
「まことに勝手だが就任演説の前に、少々身の上話をさせていただこう」
鋭い目つきの初老の男――新議長は開口一番そういった。
「知っての通り、私は没落貴族の出身。諸兄らの中には、ある種の危惧を抱いているものがいることも分かっている。
だが私自身には今の政体に恨みなど無いことを、ここに明言しておく」
議場は静まり返っている。静寂は疑惑ゆえだった。
口では何とでもいえると議員たちの視線は語っている。
「いくら恨みはないと言っても簡単には信じられぬだろう。だから身の上話をさせていただく――私は十代半ばまで、王太后ツンデレラさまが設立なさった施設で育った」
議場から降り注ぐ驚きの視線の中、新議長は毅然としていった。
「さまざまな理由で親と暮らせぬ子のための施設。そこには私と同じく没落貴族の子たちがたくさんいた。
生活を年貢に頼り切っていた我が親たちは時世についていけずに困窮した。
子を養うことすらできなくなっていたのだ。
中には親に売られかけたものもいる。そんな子弟たちが施設に集められていた」
議長は静かに続けた。
「正直、施設に入ったばかりの私は王太后さまを恨み申し上げていた。
あのような改革をなさったおかげで、私たち貴族は困窮する羽目になり、こんなところに来なければならなくなったのだ――と」
落ち着いた口調ではあったが、議長の言葉には秘めていた真実の重さがあった。
半信半疑で聞いていた議員たちも思わず引き込まれていく。
「だが、ツンデレラさまの生活を見ているうち恨みの気持は薄れていった。
あの方は王室から渡される生活費の全てを、引き取った子どもたちのために使っていた。
それだけではない。富裕だった父上の遺産すら、施設のため使い果たしていた」
議長の心は過去へと飛んでいるようだった。
遠くを見つめるような視線でぽつぽつと語りつづける。
「ツンデレラさまは、いつも古びた衣服を着ておられた。
私が成人し施設を出て二十年、事業でちょっとした成功をして、再び施設に帰った時も同じ服を着ておられた。
あまりのことに私が新しい衣服を差し上げようとすると、そのお金は自分のために使いなさい、と――言われた」
議長の怜悧な目に柔らかな光が浮かんだ。
「どうして、あの方がそこまでなさるのか、私は不思議に思って聞いたことがある。
あの方は、笑顔でこうおっしゃった。
『あたしのやったことでこうなったんだから、あたしが面倒を見るのは当然でしょ?』
ツンデレラさまは自分のしたことを改革とは言わなかった。あの方はそれを傲慢な所業と考えていたのだ。
あの方はいつも自分のなした功績より、果たさねばならぬ責任を考えていた」
懐旧の表情を議長は浮かべる――亡き人への愛情と敬意にあふれた顔つきだ。
「そのころは私もツンデレラさまが国のため必要な事をしたと分かっていた。
だからツンデレラさまにここまでする義務はなかろう――そう申し上げたのだが、
しかし、あの方は子どもたちの方を眺め、それから首を横に振られた」
議場に響く言葉に痛切な響きが混じり始める。
「『これがあたしの道楽なの。この国の未来が育っていくのを見るのがね。あたしから楽しみを奪わないでちょうだい』
私に笑いかけたツンデレラさまの髪は白くなっていた。
古びた服に包まれた背筋は曲がっていた。
手も顔も深いしわが刻まれ、時折、激しい咳までなさっていた。
長年の苦労があの方の体をむしばんでいたのだ」
彫りの深い顔に二筋、熱い液体が流れる。
「それからわずかしてあの方は亡くなられた。しかし、自らの育てた子に囲まれ、お顔には安らかな笑みが浮かんでいた。その笑顔を見て私は思ったのだ。
『この方の守ったものを私も守りたい』と。
――それから先のことはあなた方もご存じだろう?
私は政治を志し、そして今、ここに在るというわけだ」
議長は全てを語り終え、周囲を見回した。
わずかの沈黙の後、議場からは盛大な拍手が沸き起こる。
そこには先ほどまであった疑惑の念も不信のまなざしも無くなっていた。
ツンデレラの隠退から四十年――王国の歴史の新たな幕開けだった。
――――――――
王都をわずかに離れ、やや緑深くなったあたりにツンデレラの故郷はある。
この町をやや離れたところに、ツンデレラの立てた施設があった。
―――そこでは子どもたちの声がいつもにぎやかに響いている。
幸福とは言えない生い立ちの子どもたちだったが、施設の広い庭を駆け回る彼らの笑顔に曇りはない。
施設のあちこちで元気いっぱいに遊ぶ子どもたち――振り回される大人たちの情けない叫びもこだましていた。
そんなのどかで暖かな風景を見下ろす丘の上――ツンデレラの墓はある。
彼女の墓は一国の王妃の墓所とは思えぬほど質素でそっけないものだ。
しかし不思議と華やかな雰囲気がある。
常に絶やされることのない献花のせいだ。
丘を照らす柔らかな日差しと草花の匂いに包まれ、ツンデレラは静かに眠っている。
ちんまりと小さな墓石には、名と生没年、
そして次の一文だけが刻まれていた――。
「べ、別に――アンタのためにやったんじゃないんだからね!」
《完》
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
拙文にここまで目を通していただいたこと、深く感謝いたします。
よろしければ、他作品
『一年B組 鈴木ファラオ』
『異世界で教祖はじめました』にもお目通しください。