戦場
ドッカーノ王国、トアル平原。
古代から多くの戦役の舞台になってきた平原では、新たな戦いの幕が開こうとしていた。
平野を埋め尽くす大軍。色とりどりの軍旗がなびいている。
その多彩さは、軍勢が多くの勢力から成り立っていることを誇示していた。
『対魔女同盟』
それが連合軍の名前だ。兵力はツンデレラの軍勢のおよそ三倍ほどある。
神官たちの扇動で国内の不平貴族が集めた傭兵に神殿付属の騎士団。
それに隣国であるトナリア公国、リンゴク共和国、マワリーノ辺境伯領から集結した軍勢だった。
トナリア、マワリーノは元首の娘を王国の妃に出来なかった恨み――商人の国であるリンゴク共和国は急速に経済力を付けてきた王国に対する警戒心からの出兵だった。
もちろん、内紛の起こった王国から利権なり領土をかすめ取ろうという思惑もある。
「参戦理由はマトモだけど……どんだけテキトーな地名よ!? いや……かといって凝りすぎた中二病なネーミングされても困るんだけどね」
平野を見下ろす小高い丘。設営された天幕の中、指揮卓に腰かけた軍装のツンデレラは、ぶつくさと不平を言った。
「だいたい、この国の名がドッカーノ王国? 物語も終盤になって驚きの真実だわよ!
そりゃ間違いなく権利関係とかは引っかからないだろうけどさ」
メタ的な視点からの不満は戦いの前の緊張をほぐすためのツンデレラの冗談だった――と作者は思いたい。
ちなみに集結した敵の大軍を前にしてツンデレラがノンキな感想を抱いてられるのは、戦が即座に始まるわけではないからだった。
軍を集めても即座に戦いに移れるわけではない。
会議をして作戦を決定しなければならない――作戦に基づいてどう動くかの指示を指揮官に徹底させなければならないし、戦いに備え食事や十分な休息も与えなければならない。
寄せ集めの大軍となれば、なおさら手間がかかるのだ。
「ともかく、セブンスウェルでも起こすしかない物量の差ね?
あれだけの大軍、いったいどうやって兵站を維持しているのかしら?」
「ええ――その点ですが、どうやら地元住民を軍勢で威圧し、地域の穀倉を強引に開かせたとか」
ツンデレラの問いに副官を務める若い幕僚が答えた。
彼はツンデレラが抜擢した平民出身の軍人の一人である。それゆえ王国にというよりはツンデレラ個人に対して敬意と忠誠を持っているところがあった。
とはいえ、もちろん国家のありように対しての想いも強く持っている。
彼の不安げな表情は食料を強引に奪われた住民たちへの同情のせいだった。
「ふうん、ずいぶん強硬策に出たわね? よほどの理由がないかぎり、穀倉に手を付けるなんて出来ないわよ? あれは飢饉のときのため、住民が普段からコツコツ貯めこんでるものなんだから」
「ええ、その点なのですが、その……」
副官は言いづらそうにしている。
「何よ? 聞いても怒らないから早く言いなさい」
ツンデレラは鷹揚に聞いた。
「奴らが言うには……魔女を倒すための協力は正義であり、国民にとっての義務であるという理由だそうです。
その……王妃さまが前国王を暗殺し、くわえて現国王を負傷させ、国政を意のままにしている魔女であるといって……」
グシャリ。
ツンデレラの手の中で、資料の巻物が音を立てて握りしめられた。
「あの……王妃さま?」
恐る恐る聞いた幕僚は、ツンデレラの表情を見て固まる。
「あいつら、よっぽど正義って言葉が大好きみたいね。そんなら正義とやらでお腹一杯になって見せなさいよ」
バキィッ!
指揮卓が必殺の蹴りを食らい、真っ二つに折れた。続けて二度、三度と鋭い蹴りが飛び、卓は四つ、八つと分かたれていく。
「ひいぃっ!」
おびえる副官の目の前に指揮卓の残骸、木材のカケラが飛来した。
それは徹底的な破壊だった。
慣れない王宮暮らしで溜まっていた鬱憤。
夫が凶刃に倒れた心痛、陰謀に明け暮れた過労――全てをツンデレラは机に叩きつける。
それなりの質量と頑丈さがあったはずの机は、十数秒で細かな破片に成り果てた。存分に衝動を満足させたツンデレラは副官の方を振り返る。
「ひいっ……!」
本物の暴力、真実の恐怖を目の当たりにした副官は悲鳴を上げた。
「とりあえず、向こうもこの戦いに勝つしかなくなったわね。食料を強引に奪っておいて、
これで負ければ市民革命やら農民反乱が確実に起こるわよ。昔から食い物の恨みは怖いんだから」
ショックを受けている副官を尻目に、ツンデレラは何事も無かったかのように言う。
「そ、その通りでありマス。では小官はこれで失礼させていただくでありマス!」
緊張と恐怖で妙な軍人口調になった副官は、あわてて退出していった。
平民出身の王妃を敬愛していた副官はツンデレラに敬意は持ち続けたものの、当分の間、女性不信に陥ることになる。
(彼の女性不信は小柄で眼鏡をかけた性格の良い幼馴染に伝説の大樹の下で告白されるまで続いた)
「もう、あの子……ずいぶんと……怯えていたわよ」
背後から響いたのは、ツンデレラにとっては耳慣れた魔女の声だった。
しかし――なにかがおかしい。
魔女の声の調子に異常を聞き取ったツンデレラは不吉な予感に振り返る。
「あんた……!ボロボロじゃない!? どうしたのよ!?」
魔女の服はところどころが破れていた。唇の端と裂けた服の隙間から出血しているのも見て取れる。
力なく左右に揺れていた魔女はよろめき、近くにあった椅子に体を持たせかけた。
「魔女のあんたが何でこんなケガしているの!?」
ツンデレラは駆け寄ると魔女の体を支えた。魔女はツンデレラの肩を借りて椅子に腰かける。
「アハハ、失敗しちゃったわ。私も焼きが回ったものね。ちょっと、コレを取りに行ってたんだけどね。予想外に警備が厳しくてさ……」
肩をすくめた魔女は、ローブから瓶を取り出しツンデレラに手渡した。
「それはね、ネクターっていうのよ。いわゆる『神々の酒』ね。忙しい神々のための三秒ランチ――ドロリとした口当たりが特徴のおっさんホイホイなジュースよ」
「そうそう、あたしも桃果汁と果肉の一体感が好きだった――って、それは違うネクターでしょ!
『神々の酒』だか何だか知らないけど、何でそんなモンのために、あんたがケガなんかしてるのよ!」
ツンデレラは怒りながら、手近にあった布きれを慣れない手つきで魔女に巻きつけていく。
「ちょっとツンデレラ……巻き過ぎよ、魔女のミイラでも作るつもりなの?
あまり面白い外見にしないでちょうだい――あなたとコレで一杯やりたくてさ」
ツンデレラの手を払いのけ、魔女はローブから一対のゴブレットを出した。
「ねえツンデレラ、あなた、この戦いで命を賭けるつもりでしょ?」
魔女はツンデレラの顔を覗き込む。
ツンデレラは一度そっぽを向く。少し逡巡した後、覚悟を決めたように言った。
「……ええ、そうよ。この兵力差だもの、全力は尽くすけど、正直を言えば勝てるとは思えないわ――ああ、そうか、これは末期の酒のつもりね? それはイイ思いつきだわ!
あんたとは、お茶すらマトモに出来なかったからね」
ツンデレラはゴブレットを受け取るとビンからネクターを注いだ。怪我の魔女にも一杯注いで渡す。
「ふふふ……たしかにお別れの一杯になっちゃうかもしれないわね?」
魔女は寂しげに笑った。ゴブレットを受け取るとツンデレラの杯に接触させる。
「「乾杯」」
二人は一気に飲み干した。
喉元を抜け、胃の腑におさまったネクターはツンデレラの全身に熱を行きわたらせる。
「何なの? このさっぱりとして、それでいてまろやかなコクのある味……まるで、大地の精気を寄せ集め凝結したエキスをさらに濃縮し、ただ一滴の宝石に仕上げたような……これは間違いなく大地のルビーだわ!」
「こら。リアクションで宇宙とか龍とか出現させるの止めなさい。どこの中華料理マンガよ!」
背景で戦い始めた龍と虎を魔女はうっとうしそうに追い払う。
「おいしいものを飲み食いしたときの様式美よ……でも、これすごい」
ツンデレラは言った。
魂までも燃え上がるような勇気と熱意が身の内に湧く。頭も冴えわたり、思考も明晰になっている。
「これがネクターの……力?」
「そうよ。飲んだ者の持つ力を最大限にまで発揮させる神々の酒、それがネクターよ。
もっとも、これはレプリカだから短時間しか持たないんだけどね」
すまなさそうに魔女は肩をすくめた。だがツンデレラは首を振って感謝の言葉を述べる。
「いいえ……これで十分。心まで鋼鉄だかモリブデン鋼だかに武装した乙女の気分よ!
それに思いついたことがある。もうっ! なんであたし、こんな簡単なことで悩んでたんだろ!」
何かをひらめいたらしいツンデレラは、作戦会議を始めるべく立ち上がった。
「ありがとうミランダ。ここまで来れたのは全部あんたのおかげよ」
礼を言いツンデレラは天幕を後にする。颯爽としたその後ろ姿を見送り、魔女は呟いた。
「『対魔女同盟』か。皮肉な名前ね? でも大丈夫よツンデレラ。あなたは死なせないわ」
どこかさびしげな、決意を決めたような一言の後、
魔女の姿はまるで最初からそこに居なかったように消え失せたのだった。




