凶事
「……では王妃様におかれては、この件について別段の経験があるわけではない――ということですな?」
中年の貴族が高慢さが鼻につく声で言った。
(これで今日、何件目だったかしら?)
ツンデレラは執務机に片肘を突き、うんざりした顔でそれを聞いている。
数日前から、多くの貴族がツンデレラの執務室に押し掛けてきていた。
今までは小娘と侮り、貴族たちはツンデレラには近寄ろうともしなかった。
それがいきなりの盛況である。
(何か企んでいるわね? まあ、あたしを徹底的にうんざりさせることには成功しているけど――)
貴族たちの陳情はすべてツンデレラの政策に対する抗議だった。重箱の隅をつつくように、小さな難点をあげつらって悦に入っている。
おかげで仕事が進まないが、放っておいても騒がしいことこの上ない。
結局、ツンデレラ自身が対応して論破するしかなかった。
「――経験がないということは、お若い王妃さまですから仕方のないことかも知れません。
ですが、しかし、書物で読んだ知識になどお頼りになり、実際に領地を治める経験を積んだ我らをないがしろになさるのは、いささか軽挙というものでございましょう?」
今回の貴族はツンデレラの若さ、そして経験のなさを追求してきた。
経験のない人間は黙っていろ――ということである。
ツンデレラは一つため息をつき、してやったりという顔をした貴族に反論を開始した。
「経験ね? たしかに、それはあたしには無いわ――そして大事なものでもある。
でもね、だからといってあなたの積んだ経験が有意義ということにもならないわね」
ツンデレラは書類の山から一枚の書類を捜し出し、机の上に広げた。
「これは、ここ数年間で起こった水害の報告書――あなたの領地のものよ。
五年前、あなたの領地では大きな洪水があった。それで大きな被害が出ているわ。
だというのに、あなたは一切の水害対策をしていないじゃない。おかげで今年の洪水でも農地は水浸し、家畜は川に流され、領民には犠牲者も出ている」
書類の一文をツンデレラは細い指で差してみせる。
「護岸工事のため国庫から補助も出たというのに、あなたは全く手を打とうとしていない。
洪水があれば大きな被害が出るということは経験していたでしょう?
なのに、あなたはソレを生かせなかった。活用できない経験に価値があるのかしらね?」
ツンデレラの反論に貴族はグウの音も出ない。
切り返しの鮮やかさもさることながら、眼前の貴族の領地に関する書類を、積み上げられた文書の山から即座に探し出した有能さもタダ事ではない。
「だいたい自分自身の経験にしか学べないんじゃ進歩なんて出来ないじゃない。
多くの失敗や成功の経験、思考の筋道、それらを文書に知識として次世代に残すことで人間は進歩してきたのよ。
書物なんか、書物ごとき――なんていう人間は、石器を使って狩りでもしてればいいじゃない」
ツンデレラは鋭い言葉の剣でとどめを刺した。
中年貴族は一言も反論できない。
蒼白な顔で挨拶もできないまま、ツンデレラの執務室を退出していく。
「……我ながら、安い論理だったわね」
ツンデレラは自嘲の笑いを洩らす。余計な闖入者は追い払うことができたが、論争すれば自分が彼らのように下劣なところまで降りて行くような感覚になる。
「ああ、ムシャクシャするっ! 今日の仕事はもう終わりにしようっ!」
今日一日、疲労の割には仕事が進まなかった。このまま滅入った気分で作業を続けても能率が上がらない――ツンデレラは仕事を切り上げることにした。
――――――――
寝室のベッドの上。ツンデレラは王子――今は国王シャルル三世の胸にもたれかかっていた。
「今夜の君は、ずいぶんと甘えん坊だな? ツンデレラ」
シャルルはツンデレラに優しく声をかける。
「べ、別にそんなんじゃないわよ!」
ツンデレラは慌てて否定する。シャルルから身を離そうとしたが、筋肉のしっかり付いた腕は彼女を離さない。あきらめたツンデレラはもう一度、厚い胸板に身を委ねた。
「……ただね、ちょっと疲れただけ。少しシンドいことがあったの」
呟いたツンデレラの髪をシャルルは優しくなでる。温かい手の感触にツンデレラはうっとりと眼をつむった。
「ハハハッ、物語とはいえ、貴族たちもやられっぱなしではないさ。
だいたい敵役がヘタレではスト―リーにメリハリが出ないだろう?」
「もう……シャルル、そういうメタ視点なセリフ言わないでよ」
他人ごとのようにいう夫にツンデレラは口を尖らせた。
とはいえ、本当に腹を立てているわけではない。
国王であるシャルルはツンデレラの好きなようにやらせてくれる。
ツンデレラにとっては、それだけで十分だった。下手に政治に関心を持たれ、政務に付いてあれこれと口出しされるより、はるかにやりやすい。
それに国王は良い夫だった。政務で心身共に疲れたツンデレラも彼に抱かれれば安らぎを得ることができる。
今宵もシャルルの腕の中、ツンデレラが安らかな吐息を漏らしていると――。
コンコン……。
扉を叩く音とともに侍従が声をかける。
「失礼いたします、王妃さまはもうおやすみでしょうか?」
「ああ、もうっ! ……ええっ、いるわよ」
夫との甘い一時を邪魔され、ツンデレラは小さく悪態をつく。だが立場上、返答せぬわけにはいかない。
「このような刻限に、いったい何の用かしら?」
王妃としての態度に改め、扉越しにツンデレラは訊いた。
「王妃さま、遅くに申し訳ありません。ですが、王妃さまのお母上がお越しになっておられます。なんでも急な御用があるとかで……」
予想外の名にツンデレラは首をかしげた。
「お母上……? あの女、こんな夜遅くにやってきて、いったいどんな用なのよ!」
「ツンデレラ、もしかして本当に急用があるのかも知れないぞ?」
険悪な顔になったツンデレラをシャルルはたしなめた。
「……まあ、たしかにそうかも知れないわね。それに、いつまでも子供みたいに継母に反抗してもいられないか」
「……そうだな。親は生きているうちに大切にしておくべきだ。それと私も君の母上に会いに行くよ。いろいろと立て込んだせいでロクに挨拶もできなかったからな」
今一つ気の進まない様子のツンデレラのため、シャルルもついていくことにした。
――――――――
夜遅くのことゆえ、面会は急ぎ整えられた王妃用の小さめの謁見室で行われることになった。
「陛下、ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極でございます。
王妃様におかれましても、その……ご機嫌麗しう」
ツンデレラの継母は無理やり絞り出したような声で言う。
かつての継子との距離感の取り方に四苦八苦しているようだった。
「あ……ええ、そちらも……その、機嫌よろしいようね」
ツンデレラの方もぎこちなく答えた。継母と同様、複雑な状況に戸惑っているらしい。
「そうかしこまらず楽にしてくれ。我が妻の義母上なら私にとっても身内だ」
義理の母子のあまりにギクシャクした関係に、放っておけなくなったシャルルは間に入った。
「で? 今日は何の用かしら? こんな時間にやってきたっていうことは急用?」
落ち着きを取りもどし、ツンデレラは面会の理由を聞いた。
「ええ――その、あの……」
だが継母は未だに戸惑っている。いや、何かに脅えているような表情だった。
「声が小さくて聞き取れないわ! もうちょっと近くで話しなさいよ!」
継母の煮え切らない態度にツンデレラは腹を立て、近くに寄らせた。
「あ、すいません王妃様。では、失礼してお近くに」
妙にへりくだった態度で継母はツンデレラに近寄った。自分が王妃の座に着いた途端、ふるまいを変える継母――その姿に苛立ったツンデレラは目をそらす。
それゆえ、彼女は気がつかなかった。
継母の目が奇妙な光を帯びていること。
そして彼女の腰で一瞬何かが光ったことを。
ツンデレラから二、三歩の距離に近づくと継母は一礼した。
「王妃様、実はわが娘――あなたの義理の姉妹たちのため、お願いがあるのです」
「義理の姉妹? お願い?」
ツンデレラはうんざりした声で言った。
夜遅くに何ごとかと思えば、娘たちのことだと継母は言う。
継子が王妃になったのを幸い、おこぼれを欲したのか――ツンデレラはそう思った。
(せいぜい、金持ちだけど見た目の悪い貴族にでも縁づかせてやろうかしら?)
腹の内で考え、ツンデレラは冷たく言う。
「ああ、そのことね。私がいい縁談でも探しておいてあげるわ」
だが、継母は首を横に振った。
「いえ、そういうことではないのです。王妃様」
奇妙に感情のない声だった。けげんに思ったツンデレラは問う。
「じゃあ、どういうこと? 私にいったい何をして欲しいの?」
ツンデレラは不思議そうに聞く。
「それは……こういうことですわ……王妃様ッ!」
継母は腰に隠し持っていたナイフを取りだした。
禍々しい光を放つ凶器を手に継母は座った目つきでツンデレラに迫る。
「どっ、どういうことよ! なんのつもり!」
突然のことにツンデレラはあわてた。身内の会見であるため警備の人間は外させてある。
継母との間にどんな罵詈雑言が飛び交うか――という配慮が、完全に裏目に出ていた。
「ツンデレラ……お願いだから死んでちょうだい。あなたが色々と余計な事をしてくれたせいで、家族である私たちがどれほどヒドい目に遭っているか。
……あなたに一つ一つを教えてあげたいわ」
継母の顔は追い詰められた人間特有の濁った決意で満たされていた。
はらわたから絞り出したような声で、継母は継子を責める。
「一番上の娘は縁談を破談にされたわ。魔女の身内など我が家には嫁がせられないってね。
亡くなった父の知り合いの家よ。庶子であってもいい、持参金が少なくてもよい。
そう言ってくれる家だったのに……そうよっ! すべてあなたのせいで!」
蓄積された鬱憤を継母はツンデレラに叩きつけた。
「あなたが王妃になると聞いて私は喜んだわ。王妃の身内ですもの。不祥事などあってはならないと思って、娘たちにも身を慎むよう言い聞かせたわ――なのに、あなたは!」
声を荒らげた継母は、ツンデレラにナイフを突き付ける。
「ねえツンデレラ? どうして大人しくふつうの王妃をやっていてくれなかったの?
そうすれば私たちは、平民から王妃になったあなたを、ただ誇りにだけ思っていられたのに……もっとしっかり、あなたと話し合えたかもしれなかった。
至らぬ継母だった自分を素直に謝れたかもしれなかったのに」
継母は一度うなだれた。そして顔を上げる。
「もうおしまいよツンデレラ。あなたを殺せば娘たちはきっと嫁にいける。
私も魔女の母として、父の知り合いたちから冷たい目で見られることもない」
悲痛な叫びを上げた後、継母はナイフを手にツンデレラに走り寄る。
「あ――!」
継母の迫力に押されツンデレラは一歩も動けずにいた。そこに継母の凶刃が迫る。
ツンデレラは刃の輝きに目を瞑った。
ズ……ブズッ!
鉄の刃が肉を貫く音。
鉄錆の匂い――熱く粘りのある液体が滴る。
だが、当然あるべきもの――痛みが感じられなかった。
不思議に思ったツンデレラは目を開く。
「シャルルっ!」
そこにはツンデレラに覆いかぶさっているシャルルの姿があった。
継母の凶行に気付いた国王は、身を呈して妻をかばったのだった。
「……け、怪我はないか?ツンデレラ」
そういったシャルルの唇から色が失われていく。
「シャルルっ! ……なんでなのよ?」
ツンデレラは震えながら愛する男の体をまさぐった。
シャルルの背中をなぞるツンデレラの手が、噴き出す熱い液体――そして深々と突き刺さった刃に触れる。
「あ、あ!」
その刃の根元、柄を持った継母の手にツンデレラは触れた。
冷え切ったその手に驚いたツンデレラは、継母の顔を覗き込む。
ツンデレラに負けず劣らず継母は驚愕していた。だが継子の視線に気づくと血相を変えてツンデレラを罵る。
「……なんでよ? なんで、あなたが死なないのよ!」
叫んだ継母は国王の体に刺さっていたナイフを引き抜いた。勢いあまって継母は後ろへよろめく。
「陛下! 王妃様! 何事ですか!」
と、そこへ扉を開けて警備兵がなだれ込んだ。室外で不審な物音を聞きつけたらしい。
「……陛下ッ! おのれっ! この凶賊め!」
ナイフを手にした継母を警備兵たちは囲む。
あたりを見回し絶望した顔つきになった継母はナイフを両手に構えた。
「……神の御心のままに! 今、主なるあなたのそばへまいります!」
小さく祈りの言葉を唱え――そして継母はナイフを己の喉首を突き刺す。
「ぐぶっ……!」
口からは血の塊を――より多くの血を細首から吹き出しながら継母は斃れ伏す。
謁見室の赤じゅうたんをより紅に染め、継母はまだ見ぬ神の国へと旅立った。
その様を見守るだけだった警備兵たちは慌てて近寄ったが継母はこと切れている。
「なぜだっ! なぜ身体改めをしなかった!」
「通りがかった僧正さまが、女人の体を触るのは戒律違反だと、おっしゃいましたもので」
「ばかものっ! 陛下をお守りせねばならぬ我ら警備兵が、細かい戒律など気にしていて、どうするのだっ!」
室内には怒号が飛び交う――王が害されたのだから無理もない。
「おいっ! 王妃さまがっ!」
「しっかりなさってください! 王妃さま!」
室内を吹き荒れる殺気立った空気の中――精神的な衝撃が限界を越えたツンデレラは、ゆっくりと意識を失っていった。




