古城の魔女
だれもが近寄らぬ森の奥、その古城――グリンピア城はあった。
庶民にはよくわからぬ理由で多額の血税を使い、とんでもない僻地に建設されたこの城は、その挙句、不便だからと見捨てられていた。
その一角――無人であるはずの部屋では呪文が響いている。
好き勝手に生えたツタが外壁をくまなく取り囲んだせいか、窓からはわずかしか光が入らない。日当たりが良いはずの南向きの一室ですら昼間からロウソクが必要だった。
ゆらめく炎に照らされ、部屋に響く呪文が独特の雰囲気をかもし出している。
レースやフリルで飾り立てられたベッドの脇、これまた、やたらと複雑な意匠を凝らした鏡の前に立つ黒装束の女性が呪文の発生源だった。
呪文が先に進むにつれ、風もない室内だというのに朽ちかけのレースがゆれ始めた。
同時に部屋では場違いに新しい鏡が輝き始める。
ユラユラと明らかに自力で虹色の光を放ち始めた鏡を眺めて、満足したように女性は呪文を止めた。
風は収まったものの鏡は安定して輝き続けている。
その鏡に向け、女性は暖めていた質問を問いかけた。
《鏡よ、鏡――我は願い訴える。世界でもっとも美麗なる女性の名を告げよ》
《鏡よ、鏡――われは願い訴えた。魔鏡の真価を今こそ現わせ……》
虹色の揺らめきが明らかに増すと、鏡面にぼんやりとした影が現れ、やがて人の形をとり始めた。その姿は鏡の前に立つ女性と瓜二つ。
鏡なのだから当たり前の現象といえるはず―。
だが、ただ一点、普通の鏡像とは異なり、その姿は左右反転して映っていない。
それは像が鏡に映ったただの影ではないこと。何らかの超自然的な存在であることを示していた。
鏡像は勝手に一礼した。主と同じく、やや鼻にかかったハスキーな声でいう。
『ご主人さま、世界で最も美しいのはあなたさまでございます』
「ウソはやめなさい?」
女は即座に返す。顔はニヤニヤといたずらっ子のように笑っていた。
年増の色気と小悪魔的な雰囲気の相乗効果で実に魅力的な表情を見せる。
対する鏡像は肩をすくめた。
『ええ、そうですよ――だれが最も美しいか、なんて個々人の主観が半分以上も入る質問に答えられるわけがないでしょう? だいたい元ネタが違いますしね、ミランダさま』
そっけない答えにミランダと呼ばれた女性は口をとがらせた。
「つまらない使い魔ね? どうせ鏡の妖精なんてファンタジーな代物なんだから、もっと夢のある答えを返しなさいよ?
そんなミもフタもない現実的なセリフじゃ、私のヒマつぶしになりゃしないじゃない!」
主人の勝手な台詞に鏡の妖精はため息をついた。
『ヒマつぶしで呼び出さないで下さいよ? こちらとしても現実界に出てくるには、それなりに力が必要ですし、あなたに付き合うたび、性格がスレていくんですから……』
だが、主人のほうは、使い魔の嘆きなど気にせずのたまう。
「だって50型のワイド液晶魔鏡を手に入れたんだもの。さっそく試してみたいじゃない?」
その言葉で呼び出された鏡が新調されていることに気がつき、鏡の精は頭を抱えた。
『……ご主人、あれほどムダな買い替えは禁物と申し上げましたでしょうに』
「こんなもん、初ガツオと一緒よ、最初に買って他人に自慢するのが楽しいんじゃない」
『そのあと知り合いが次々と新型に買い換えて、あっという間に後悔するハメになるくせに……』
「―――なんか言った? この使い魔」
『い、いえ。なんでも……』
「いいえ、たしかにこの耳で聞いたわ、口の軽い家具め! どうやらお仕置きが必要なようね」
『ミランダさま、いくら魔女だからってそのネタは……たしかに今、私は家具ですけど……』
「お黙りっ! ああ、いえ、あなたには黙秘権があるわ。あなたの発言は法廷であなたの不利になる可能性があり、またあなたには弁護人を選出し、弁護を受ける権利が……後はなんだっけ?」
『ご主人。いくらお名前がミランダだからってその警告もちょっと……だいたい、そんな権利認める気もないでしょう?』
「よくわかったじゃない、では正解したホウビに、ご主人様から愛のお仕置きをあげるわ」
『ご、ご主人! その主従関係は間違った方向に進んでいるのでは――っていうかごそのムチ、
いったいどこから取り出したのですか? わっ! ヒイッ!』
尋常ならざる速度でピシピシと振り回されるムチに思わず悲鳴をあげてしゃがみこんだ鏡の精。
依代である鏡が破壊されれば妖精もタダではすまない。小指の先ほども距離のないところを、鋭い風切り音を立てて通り過ぎるムチに妖精は恐怖する。
「あはははははははははははははは!」
だが主人のほうはそんなことはお構いなしだった。高笑いを上げながら、思う存分ムチを振り回す。
ようやく主人が暴挙に満足したころには、鏡の精は元が主人と同じ顔であったとは思えぬほど崩れた顔で泣きふしていた。
『グズッ、グズッ、いっだいどうじで、わだじがごんなめに……』
涙を垂れ流しながら言う鏡の妖精に、主のほうは妙に満ち足りた顔でいった。
「タイクツなのよ。なにか面白いヒマつぶしを提供なさい」
『く……』
あっけらかんと言われた台詞の口調と内容に怒りが込み上げた。
ケツをまくってやろうかと考えた鏡の精ではあったが、たとえ買ったばかりの新型鏡に入っていようと、主の後先考えない性格をよく知るだけに安心できない。
むしろ自分で破壊して、あげく八つ当たりしてきそうな気配が濃厚だったので、ここは従順にして見せるのが得策かと考えた。
『グズッ……では苦難を経て、最後には幸福を掴み取った人間の波乱万丈の人生を短くまとめたものなどいかがでずか。ごちらの鏡に今すぐ、投影いたじまず』
プロジェクトだったりエックスだったりするようなコンテンツを鏡の精は推薦した。
だが、主は露骨に渋面を浮かべた。
「つまらないわ、他人が気分よく生きてるところなんか、見せられて何が楽しいのよ? その後没落するさままで見られるってんなら、いざ知らず」
ルサンチマン丸出しの発言である。
どん底の状況下でも他人を信じ、家族や友人と手を取り合い、助け合い、成功をつかみ取っていく人間の姿。麗しい姿勢を見せれば、主のきつい性格も少しは丸くなろうかと考えた鏡の精だったが、
……その思惑は離陸前に墜落した。
「だけど、思いつきは悪くないわ。少し発想を転換して、不幸な人間を見てみることにしましょ」
『え……』
少し――どころか百八十度発想を転換した悪趣味な要求に、鏡の精は頭を抱えた。
「どこぞの作家さんも言ってたじゃない。幸福には一つの形しかないけれど、不幸にはさまざまな種類があるみたいなこと。
……バラエティに富んでいて蜜の味! 人の不幸ってホントひまつぶしにはもってこいね!」
『いや、しかし……』
鏡の精は抗議の声を上げようとしたが、輝き出した主の瞳に説得の無駄を悟った。
「ほらっ、早く映し出してちょうだい!」
ベッドにポンと飛んで横になり、どこから出したのか菓子などをほおばりながら、ワクワクとした目を鏡に向ける。
期待に満ちた眼線を受け、いつものコトとあきらめたのか、鏡の精は一つため息をつくと一礼し、姿を消した。
妖精が姿を消した鏡面を見つめていた女主人は、七色にゆらぐ背景の中、現れては消える文字列をぼんやり眺める。
〈MIRROR GATE ver2・7を起動しています〉
〈約二百万件のデータの中から条件に合うものを検索しています〉
〈一件のデータが該当しました〉
〈魔法動画ファイルはご使用中の魔導機器での最適なパフォーマンスが可能な形式を自動選択します〉
(むむ……進歩しすぎた科学が魔術に似てくるのは分かるけれど……魔術が科学と似てくると、どうにもロマンがないのよねえ)
などと、能天気なことを考えつつ、幻滅していたミランダだったが、続けて表示された文字列に期待感が戻ってくる。
〈……リアルタイム魔法動画の再生を開始します〉
魔鏡が映し始めたものを、ミランダは食い入るように見つめた。