Lv98
「それで遊君たちは歌詞の書き方を聞きに来たんだよね?」
「教えてくれるか?」
「う~ん……どうしようかな。それだと桜ちゃんがやりたいことに反する気がするんだけど」
「あと一週間くらい自分で考えてみない?」と綺歩が首を傾げて投げかけてくる。
正直綺歩にそんな風に拒まれる――「私もあんまり書いたことないから」と言うのは想定していたが――想定していなかったのでとっさに返す言葉を思いつかず沈黙してしまった。
俺の反応を綺歩が想定していなかったのか、慌てたように口を開く。
「別にね、意地悪しようとしているわけじゃないんだよ?」
「俺も綺歩がそんな事をするとは思っていないんだが、正直どう取り掛かっていいものかも分からないんだよ」
「そっかー……」
そう言って綺歩が腕を組んで何かを考え始めた。それを見ながら前に来た時の部屋着と今の部屋着とは何かが違うんだろうなと一人想像する。
それと同時に綺歩が桜ちゃんの考えに自分から進んで乗っかると言うのも少し珍しい話だなとも思った。
あわよくば綺歩が書いた歌詞を見せてくれるんじゃないかと心の片隅では思っていたので、どこか当てが外れてしまったような心地。
そこで、そう言えばと気になる事が浮かんだ。
「ところで綺歩はもう書いたのか?」
「書いたって、歌詞の事?」
「ああ」
「私はもう書いて桜ちゃんに渡したよ。あんまり悩み過ぎるとどつぼに嵌っちゃいそうだったから」
「やっぱり綺歩は優秀なんだな」
手元を見ずに書く練習をしていたからと言って未だスタートラインにすら立てていない俺達とは大違い。
俺の言葉に綺歩は困ったような笑顔を向けると、口を開いた。
「取り掛かりも分からないって事は本当に何も浮かんでいないって事だよね?」
「情けない話だが、そういう事だな」
「遊君って替え歌とかやった事ある?」
「まあ、昔はな。一時期周りで流行っていたことがあった覚えもあるし」
小学生の頃絶対に学年に、もしくはクラスに一人はいたのではないだろうか。声高らかに今思い返すと大して面白くもない替え歌を歌っていた人が。
俺もそれに触発されて何かとメロディに合わせて口ずさんでいた記憶はある。当時は歌だったら何でもいいと言う感じだったし。
「だったらそれを思い出しながら作ってみたらいいんじゃないかな?」
「昔やっていたとはいっても正直ほとんど覚えていないからな。
そんなに気合入れて作った替え歌でもなかったし」
俺の言葉を聞いて綺歩がもう一度考えるポーズをとる。
それから、一度頷いてからこちらを真っ直ぐに見た。
「こう言っちゃっていいのかはわからないんだけど、最悪遊君……と言うかユメちゃんが歌えればいいんじゃないかな?」
「ユメが歌えればいい?」
「桜ちゃん言ってたよね、ななゆめの曲にしていいって。と言うことは歌うのはユメちゃんでしょ?」
「言われてみるとそうだな。とは言えどうやったら歌える歌詞になるのかは分からないわけだが」
何だかさっきから綺歩の揚げ足を取っているような、無意味に否定しているような返ししか出来なくて何だか申し訳なくなってしまう。
しかし、綺歩はそれに対して嫌な顔どころか、笑顔を向けて声を出した。
「そこは難しく考えないで、一音一文字くらいの気持ちで書いてみたらいいんじゃないかな。ある程度書いたら頭の中でメロディに乗せてみて上手くいけばそれで十分だと思うよ」
「そう……だな。ありがとう。これで何とかなると思う」
「どういたしまして」
満足そうにそう綺歩が返してくれたところで今日はもう帰ろうかと立ち上がる。
それを見た綺歩が「もう帰るの?」と声をかけてきた。
「これ以上いても邪魔だろうしな」
「お茶くらい出そうかと思ってたのに」
「家でくつろいでいた人にそこまで気を遣わせるわけにはいかないからな」
俺の一言で自分の今の格好を思い出したのか綺歩の頬が朱に染まる。
それでも首を振って、綺歩は言葉を足した。
「ほら、遊君も久しぶりに楽器触ってみない?」
「遊君もってことはやっぱり藍か優希が来てるんだな」
「うん。どちらか、と言うよりもどちらもって感じになって来たけど」
「何か悪いな綺歩も暇じゃないだろうに」
「そんな事ないよ。二人とも受験があるからだろうけど、毎日来ているってわけじゃないし、遊君に教えていた時を思い出してちょっと懐かしいかも」
そう言えば俺もユメが生まれる前には綺歩のところに通っていたんだったと思い出し少し気恥ずかしくなってしまう。
でも、綺歩は本当に妹たちの事を苦には思っていないらしく一安心。
「二人ともどうなんだ?」
もう帰るとは言ったが、可愛い妹が俺やユメの影響で音楽をやり始めたのだと知ったからには尋ねずにはいられない。
「その話をする前にお茶入れてきても良い?」
「そんなに気を遣わなくても……って言うと?」
「話してあげない」
そうやって悪戯っぽく笑う綺歩に負けて俺がしぶしぶ頷いてその場に座り直すと、代わりに綺歩が立ち上がり「ちょっと待っててね」と部屋を出て行った。
『何か、まんまとって感じだね』
「そうは言ってもユメも気になるだろ?」
『確かにわたしだって優希や藍の事は気になるけどね。
でも、最近の綺歩の表情なんかもわたしは気になるかな。遊馬は気が付いていた?』
「気づいたって程でもないが、確かにさっきみたいに桜ちゃんみたいな表情をするようになったよな」
『今までだったら何だかんだで微笑むって感じだったのにね』
「いつだか、綺歩が自分は変わってないみたいなことを言っていた割には結構変わっているよな」
『そうだね』
ユメがそう返した所でちょうど綺歩がお盆を片手に部屋に戻って来たので、会話を此処で中断させる。
扉を開けるためにお盆を持つ手を片手にしたのだろうけれどそれが妙に危なっかしくて立ち上がりヒョイと綺歩からお盆を取り上げた。
「ありがとう」
「言ってくれたらドア開けたんだけどな」
「私がお茶入れるって意気込んで出て行ったのにそこを遊君に頼むのはちょっと格好悪いかなって」
そう言って照れたような顔をする綺歩に背を向けて一足早く元の位置に戻りお茶を置く。
それに続いて綺歩が正面に座ったところで声をかけた。
「それで、二人はどうなんだ?」
「飲み込みは早いよ」
「って事はまだまだって事だな」
俺がそう返すと綺歩は困った笑顔で首を傾げてしまった。
「最初は二人とも音楽の授業しかやってきませんでしたって感じだったのは確かだよ。
それから上達が早いって言うのも本当」
「それならまだまだって事は無いんじゃないか? 俺が言っておいて何だが」
「何て言うんだろう。ななゆめのメンバーと比べるとまだまだって感じなのかな」
「いや、ななゆめと比べちゃ駄目だろ」
「それは分かっているんだけど……稜子に影響されちゃったかな?
でも、二人とも楽しそうにやってくれているから教えている方も楽しいよ?」
「何にせよ助かるよ」
「どうしたの? 急に」
「いや、俺やユメじゃ歌でさえまともに教える事ってできないだろうからな」
俺がそう言うと綺歩が少し頬を膨らませてしまった。何かいけないことでも言ってしまっただろうか?
「それは遊君がちゃんと勉強しないからでしょ?」
『そうだよ、遊馬』
「それをユメに言われたくはないが、昔よりは知識量は増えたと思うぞ?
それも大体は綺歩に教えてもらったからと言えばそうなんだが……」
「じゃあ、今度藍ちゃんと優希ちゃんが来る時に遊君も一緒に来る?」
楽しそうな顔で綺歩は笑うけれど、流石に妹達と肩を並べて勉強って言うのは兄としての威厳を損なってしまうように感じる。今まで威厳があったかどうかは置いておいて。
旗色が悪くなったと確信したので目の前のお茶を一気に飲み干すと「それじゃあ、お茶も飲んだし帰るな」と立ち上がった。
そんな俺の行動に対して綺歩が「もう」とちょっと怒った声を出したけれど振り返らず、綺歩の部屋のドアを開けた所で改めて今度はいつもの綺歩の声がする。
「今度来るときはちゃんと連絡してね?」
「ああ、わかった」
振り返ってそう返した後で綺歩の家を後にした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
家に帰ってひとまず俺の部屋に引っ込む。
それから椅子に腰かけた所でユメから声をかけられた。
『遊馬もしかして優希と藍と一緒に肩を並べるのが嫌で逃げ出したでしょ?』
「兄の威厳が無くなりそうだったからな」
『でもさ、多分その時表に出ているのってわたしだよね?』
「……」
言われてみればそうかもしれない。
「……ユメも嫌だろ?」
『確かにね。だからちょっと助かったって思っているけど、もしも気が付いていたら遊馬どうするつもりだった?』
「そんなのユメに尋ね……」
るに決まっているだろ、と最後までいう事は無く、ふと今日の綺歩の家での事を思い出した。
綺歩に乗っかるようにユメに勉強不足だと言われたことを。
だから冗談で口にする。
「いや、多分予定を尋ねてたな。すぐにでも勉強できるように」
『うわー、酷い』
「ユメが自分の事を棚に上げて綺歩に合わせたからだろ?」
『それは分かっているんだけどね』
最初から冗談だと分かっていたのであろうユメは笑いながら受け答えをしてくれていたのだけれど、急に声のトーンが真面目になる。
『で、本当は全部ひっくるめても遊馬はわたしに尋ねてくれたんだよね』
「そうだな。ユメの事はユメが決めるべきだろ?」
『ありがと』
クスッと笑ってからそう言ったユメがもしも目の前にいたならばとちょっとだけ考えてしまう。
きっと、綺歩や妹達にも負けないくらいに可愛いのだろうなと。それを俺が真正面から見ることが出来るのかは別として。
そもそも今の状況だからこそユメのこういった一面を見られるのだろうから考えるだけ無駄か。
そんな事を考えているとからかうようなユメの声が聞こえてきた。
『さっきは兄の威厳が何て言ってたけど、実は綺歩に格好悪いところ見せたくなかったんじゃないの?』
俺は敢えてそれには返事をせずに、ユメにその話は終わりだと言わんばかりに「さて、歌詞でも考えるか」と声に出した。
それだけで意図を読み取ってくれたのか『はいはい、わかったよ』と半分不満げな声が返って来る。
ここで根掘り葉掘り聞かれても無視するつもりだったけれど、素直に引いてくれて一安心したところでくるっと机が正面に来るように椅子を回転させた。
『歌詞を考えるって言っても、遊馬は何か思いついたの?』
「いや、全く。でも、ヒントは貰ったから取りあえず曲を流しながら考えてみようかなと。
もしかしたら聞き方が変わるかもしれないしな」
『そうだね。やってみようか』
肯定的なユメの返事を聞いてからこの前机の横に設置したCDプレイヤーに桜ちゃんに貰ったCDを入れて再生する。
あれ以来たまに聞いてはいたけれど――と言うか、そのためにCDプレイヤーを置いたと言っても過言ではない――ただ聞き流すだけだったそれを改めてメロディを気にしながら聞いてみる事数分。
伸ばされた俺の腕によってリピートすることなく止められた。
「何か思い浮かんだか?」
『浮かびそうだなと思った所で先に進んじゃって……』
「そうだよな……せめてサビだけ繰り返し聞けたらいいんだろうけど……」
『パソコンとかなら出来るんだろうけど、リビングで考えるって言うのもね』
「今日はこれで我慢するしかないとして、桜ちゃんや稜子っていつもどうしているんだろうな」
『何かやり方とかあるのかな?』
「それを聞きたくても桜ちゃんが捕まらなかったんだけどな」
『そうだよね』とユメのため息交じりの声が頭の中聞こえるのだけれど、あえて明るい声で返す。
「まあ、作り方が素人でも形になればいいんだろう、何せ俺達は素人だからな」
『そうは思うけど、言い切っちゃうのもどうかと思うよ』
そう言ってユメが呆れ笑いを返してくれたところでCDプレイヤーの再生のボタンを押した。




