Lv94
部活が終わって俺に戻った時、時期的にこの時間だとあたりもだいぶ暗くなっていて、長い髪を腰で一つにまとめているシルエットが窓から外を眺めているのが見えた。
その影の主は俺が準備室から出てきたことに気が付くと、こちらの方を向いてにこりと笑う。
「遊君お疲れ様」
「綺歩もお疲れ。でも、俺じゃなくてユメに言った方がいいと思うけどな」
『うん……何か疲れたよ。わたしの状態でこんなに文字を書いたのは初めてかも』
「ユメちゃんもお疲れ様」
ふふっと笑いながら綺歩がユメにも俺にかけた言葉と同じ言葉をかける。
勿論、ユメが疲れていると言うことはイコールで俺も疲れていると言う事で、実際問題として右手に疲れと痛みを覚えるが、どうやら慣れないことをするのは精神的に疲れるようでユメは必要以上に疲れた声を出していたのだろう。
とりあえず音楽室の鍵を返さないといけないので綺歩を促し一緒に音楽室を出た後で鍵をかける。
「よく綺歩もやるって言ったよな」
「何の事?」
「桜ちゃんの歌詞作り」
「それね。来年まで特にやる事もなかったから、暇だなって思って」
「何か稜子みたいな理由だな」
「そう言われるとちょっと……」
『そう言ったら稜子に悪いと思うんだけどね』
「そうだな。稜子に悪いな」
ユメが頭の中で笑うので、俺もつられて笑う。
綺歩は最初申し訳なさそうな顔で「そうだけど……」と言ったかと思うと、そもそもの原因が俺にある事に気が付いたのか「遊君が悪いんでしょ」と少し怒ってしまった。
綺歩は気持ちを切り替えるためか一度深呼吸して、照れた様子で口を開いた。
「本当はこの前曲作ったのが楽しくて、またやってみたいなって思ったの」
「今度は曲は作れないけどな」
「そうかもしれないけど、言いたいことはわかるでしょ?」
そう言ってこちらをじっと見つめる綺歩に「そうだな」と返した所で職員室に着いたので、サッと鍵を返してまた綺歩のところに戻ってくる。
「俺とユメの件がどうにかなったとして、七人でバラバラに歌詞を書いたら収拾がつかなくなりそうな気がするんだが、何とかなるモノなのか?」
「どうだろう? 私も歌詞を書いたことがあるのがこの前の一回だけだから。
でも、桜ちゃんが次辺りでどうするか言ってくれるよ」
何気なく綺歩はそう言ったが、ちょっと引っかかる。
そのせいで少し考え込んでしまったのか、綺歩が不思議そうな顔でこちらを見ていた。
これ以上黙っていても仕方がないので聞くが早いかと口を開く。
「何で桜ちゃんが次どうするのか言ってくれるのかを知っているんだ?」
「え、ええっと。別に知っていたってわけじゃなくてね、流石に桜ちゃんもどうしたら上手くいくかくらいは考えているんじゃないかなと思って」
急な問いかけに驚いたのか、それとも動揺したのか、最初口ごもっていた綺歩は、しかしすぐにいつものように落ち着いた話し方で答えてくれた。
「むしろ、バラバラな歌詞のまま「これはこれで面白いですね」とか言ってしまいそうな気もするんだけどな」
「確かに言いそうな気もするけど、最低限形になるようなものには出来る自信があるんじゃないかな?」
それを聞くと確かに桜ちゃんは自分の音楽に対して只ならぬ自信を持っている事を思い出す。
そんな人が遊びかもしれないとは言えあまりにも可笑しい出来のもので満足できるのかと言う話か。
靴を履きかえ校門を出たあたりで、綺歩が「そう言えば」と言わんばかりの調子で声をかけてきた。
「遊君元気になったみたいだね」
「元気も何も最初からだろ?」
「今日はね。でも、最近何か考え事してたよね」
そう言って首を傾げる綺歩に、少し考えて頷いて返した。
「そんなに分かり易いか?」
「ううん。遊君基本的に仏頂面だし」
「悪かったな仏頂面で」
「冗談だよ」
投げやりに返した俺の言葉に綺歩が笑いながらそう言うと「でも」と進行方向を向いた。
「あんまり顔には出さないタイプだよね」
「そうかもな」
『あんまり人と関わりたくなかった時期があるしね』
「でも、鼓ちゃんにも気が付かれたけどな」
「だって遊君親しい人の前だと気が緩むのかちょっと顔に出るようになるもん。
たぶん鼓ちゃん以外にも気付いていた人いるんじゃないかな?」
なぞなぞの答えを答えるように、綺歩にしては子供っぽい表情で笑う。
こんな綺歩も珍しいなとは思うが、それ以上に自分の事を考察されていると言うか、自分でも知らなかった自分について真正面から教えられるこの状況が何だか耐え難く「わかった、もういい」とやや懇願するように綺歩に伝えた。
それでも、綺歩は止めてくれないらしく口を開く。
「昔は遊君もっと分かり易かったんだけどね」
「分かり易いって酷くないか?」
「そんな事ないよ、昔は真っ直ぐだったって事なんだから」
「つまり単純だったと言う事だな」
綺歩は俺の言葉に肯定も否定もせず微笑むと視線を空の方へと動かした。
「いつからだっけなー。遊君が変わったの」
「夏祭りの時変わらないって言ってただろ?」
「それはそれ、これはこれ。根本的なところは変わっていないけど、それでも変わったところくらい自分でも思いつくよね?」
「ユメが生まれたりな」
「確かに、遊君そこでも変わったよね。そこでも、と言うかそこからって言った方が正しいかもしれないけど。
何て言うのかな……大人っぽくなったかな」
言葉を選びながらゆっくりと綺歩が言った言葉を自分では理解しきる事が出来ない。
自分では大人っぽくなったなんて思えないし。
だから「気のせいだろ」と返すと、綺歩は悪戯っぽい笑顔で「そうかもね」と応えた。
それから綺歩は軽く首を横に振ると「でもね」と言葉を続ける。
「私が言いたいのはそこじゃなくて、中学生の頃の話。
ある日から急に一人になる事が多くなったよね」
「話してなかったのに、よくわかったな。ストーカー?」
その時期の事を綺歩に疑問視されていると言うことが分かり内心動揺してしまったので、それを表に出さないように軽口でそう返すと綺歩が「もう、そうじゃなくて」と怒った声を出す。
それと同じくらいにユメが『綺歩もなんでか分かっていないみたいだし、大丈夫だよ』と言ってくれたので、そんな綺歩の反応に軽く笑って返すことが出来た。
綺歩は頬に空気をためていつになく子供っぽい怒り方をすると口を開く。
「それまでずっと幼馴染していたんだからちょっと気になっただけだよ」
「悪い悪い。正直よくは覚えていないんだが、多分小説とか漫画の影響で孤高と言うものに憧れていたんじゃないか?」
勿論、そんなわけはない。だが、その辺はもう俺の中では綺麗に清算することが出来たので下手に心配させるよりは笑い話にでも持っていければと思ってそう答えた。
その思惑通り綺歩は「なんだか心配して損した」と言いながら笑ってくれたけれど、逆に「それはそれで心配かも」と要らぬ心配はさせっ放しのままになってしまう。
ともかく一難去ったなと思った所で家の近くまで来ていることに気が付いた。
これで、変に追及されることもないだろうと思っていると綺歩が何気ない様子で彼女の家の前で足を止め尋ねてくる。
「そう言えば、前にユメちゃんがなんで遊君をバンドに誘ったのかって質問してきたよね」
「ちょうどボーカルを探していたからだろ?」
「うん。それはそれで間違いないんだけど……ううん。ごめんね、やっぱり何でもない」
「そうか?」
「うん。本当にごめんね引き止めちゃって、またね」
綺歩は早口にそう言うと自分の家に入って行った。
それを見届けた所で頭の中で声が響く。
『良かったの? 何か聞かなくて』
「たぶん何も答えてくれないだろ」
『そうだとは思うけど、綺歩何を言おうとしたんだろうね?』
「何だろうな」
一つ心当たりがない事もないんだけれど。そう思いつつ自分の家の玄関のドアを開けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
家に帰って、夕飯を食べて部屋で適当にくつろいでいると遠慮気味に部屋のドアがノックされた。
「どうぞ」
扉の向こうにいるのか誰なのか考えるよりも先に声をかけると、ゆっくりとドアが開いて、その向こうには優希がバツの悪い顔で立っていた。
「優希、どうしたんだ」
「えっと、兄ちゃんまだお風呂入ってないよね?」
「ああ、そうだな。それが……」
「今日はあたしと一緒にお風呂入らない?」
優希の思いがけない一言に一度思考が停止する。
それでポカンとしている俺を見て何を思ったのか優希が慌てたように言葉を紡ぎ始めた。
「ち、違うの。兄ちゃんと入りたいんじゃなくて、お姉ちゃんと入りたいなって。
この前は藍と入ってたでしょ?」
「そう言えばズルいって言ってたな。でも、今日って確か母さんいるよな?」
「その辺は藍に頼んで何とかして貰うようにしたから。それに、夏にお姉ちゃんが着ていた水着も持ってきたし」
そう言って優希がフリフリのセパレートの水着を見せてくる。
そう言えば藍が水着を着て入ったらとか言っていたなと思いつつ、ユメに問いかける。
「ユメどうする?」
『わたしは久しぶりにお風呂に入れてうれしいけど、遊馬はいいの?』
「俺の事を忘れないんだったら構わない……って事で良いってさ」
「やった」
優希が短く分かり易く喜びの声をあげた所で、持っていた水着を手渡された。
それをもって首を傾げていると「兄ちゃん……と言うか、お姉ちゃんが先に入ってて」と言われて手渡された意味を理解した。
それじゃあ、と一度部屋を出ていく優希を見送ってからタオルと着替え、そして外からは分からないように水着を隠すと脱衣所へと向かう。
その時に母さんに見つからないように一応注意しながら脱衣所に入ったところでユメと入れ替わった。
『後はよろしく』
「うん。とりあえず着替えちゃってシャワーでも浴びていたらいいのかな?」
ユメはそう呟くと、目を閉じてサッと服を脱ぐ。
慣れていない水着に手間取りながらも着替え終わると目を開ける。
ちょうどそこには鏡があり、いつも以上に露出の多いユメがそこに見えた。
「水着ってちょっと恥ずかしいね」
『ここは別に海でもプールでもないしな』
「確かに、全然関係ないところで水着を着ているって言うのもあると思うんだけど、こうやって見ると本当に下着と大差ないよね」
ユメがそんな事を言うので、昔何度か見たユメの下着姿を思い出してしまう。
それが何だか気恥ずかしくて、それを紛らわすために口を開いた。
『昔は堂々と着替えていたのにな』
「そ、それは……まだ、自分でもよく分かっていなかったからだもん」
予想していた反応とは違う反応、しかも妙に恥じらい斜め下を見るような動作に思わずドキリとしてしまう。
その自分の反応にユメ自身照れてしまったのか「寒いよね、先にシャワー浴びてよっか」と慌てて浴室へと駆け込んだ。
「お姉ちゃん中にいる?」
ユメがシャワーを浴びていると優希のくぐもった声が聞こえてきたのでユメが「居るよ」と返す。
その声を聞いてか今度は浴室のドアが開いておずおずといつかの緑の水着を着た優希が姿を現した。
「いらっしゃい」
「お姉ちゃんってやっぱり小さいよね」
「優希それってどういう意味?」
「言葉通りの意味」
優希がそう言って楽しそうに笑う。
実際ユメの方があっちもこっちも小さいのでユメも特に何も返せないまま、その視線を優希の胸に向けた。
俺がいることを忘れるなと言った気がするのだけれど、まあ、妹だしそうでもないか。
「優希も藍も大きいよね」
「あたし達が大きいと言うよりもやっぱり、お姉ちゃんが小さいんだと思うよ?
むしろ細くてあたしは憧れるな」
「優希も結構細いと思うけどね」
そう言いながら今度は優希の腕の方へと視線が移る。
優希はそれに対して「兄ちゃんが細すぎるんだよね」と言うとユメの肩を掴んで椅子に座らせた。
「えっと、どうしたの?」
「お姉ちゃんを洗おうかと思って。頭の天辺から足の先っぽまで」
「い、いや。大丈夫だよ? 自分で洗えるよ?」
何か嫌な予感を感じたのかユメが不安そうにそう言ったけれど、優希に「問答無用」と全身くまなく洗われてしまった。
洗い終えたユメを優希は浴槽に入れると今度は自分の体を洗い始めた。
ユメは浴槽の淵に顎を乗せながら口を開く。
「優希洗ってあげようか?」
「大丈夫だよ。それに、兄ちゃんにも触られるってなるとちょっと恥ずかしいし」
「それもそっか」
退屈そうにユメが返すと、体を洗っている優希が問いかけてきた。
「ねえ、お姉ちゃん」
「どうしたの?」
「兄ちゃんってもう歌わないの?」
「そう……だね」
「この前のライブであんなにカッコよく歌ってたのに?」
歌わないとは言っても、一応ネットにドリムとしての最後の歌とかあるわけだし、聞けないわけではないのだけれど、きっとそういう事ではないのだろうなと俺は敢えて黙っていた。
俺が黙っているからなのか、ユメは少し困ったように口を開く。
「わたしがその事を答えるわけにはいかないけど、遊馬の分までわたしが歌おうとは思っているよ」
「それを兄ちゃんが望んでいるから?」
「それもあるよ。でも、やっぱりわたしは歌うことが好きだから……かな」
ユメの返答の後、優希は「うん」と言った後、何かを考えたように、洗い終えるまで黙っていた。
それから優希は広くはない湯船にユメと向かい合うような形で入ってくると、一転して明るい声を出してユメに話しかける。
「そう言えば、藍が最近よく歌ってるの知ってる?」
「そうなの?」
「うん。それであたしも何かやってみたいなって思っているんだけど何がいいかな?」
「優希は何がしたいの?」
「お姉ちゃんみたいに歌いたいなとは思うけど、それは藍にとられちゃってるから何か楽器かな?」
「楽器に関してはわたし詳しくないからなあ……」
『歌も大して詳しくはないだろ』
「それはそうなんだけど……でも、別にわたしみたいに歌わなくても良いと思うんだよね」
「それってどういう事?」
優希が言いながら、同じ湯船の中、すでに近い距離からさらに近づくように顔をグイッとこちらに伸ばす。
ユメはその頭上、撫でるように手を置いてから答えた。
「例えばギターを弾きながら歌ってみるとか、ピアノを弾きながら歌ってみるとか」
「楽器を弾きながら?」
「それはわたしにも遊馬にも出来ないからね」
「ふうん……そっか」
考えるように優希は返すと、何かを思いついたように頷いた。
その顔が何処か満足そうな感じだったのでユメも安心したように笑顔を作った。
それからしばらく優希と話した後、お風呂から上がり細心の注意を払いながらユメは俺の部屋に戻った。




