Lv87
稜子からカードキーを受け取った後、少し経って控室のドアがノックされた。
オートロックでそのカードキーはこちら側にある――予備は幾らかあるとは思うが――ので、ドアに近かった桜ちゃんが、誰に確認することもなくサッとドアに近づきそれを開ける。
ドアの向こうにいたのはやはり絢さんで、笑顔で部屋の中をのぞき込んできた。
「準備は良い?」
「もちろんです」
「じゃあ、ついてきてね」
対応まで桜ちゃんがやってしまったけれど、綺歩が少し苦笑いを浮かべただけで誰も何も言わなかった。
屋台が立ち並び賑わう中、たまに連絡を取っていたと言う一誠が絢さんの一番近くを歩く。
「そう言えば、オレ達はどこに連れていかれるんだい?」
「軽音部の部室にね。そこで、抽選をしてトーナメント表を完成させて、すぐにコンテストが始められるようにするんだよ」
「オレ達が演奏することに反対する人とかは?」
「居なかったかな。と、言うかちょっと数足りないよねってなった時に、助っ人として真っ先に名前が挙がってたよ」
「へぇ……そんなに知名度が高かったとはねえ」
「ほら、ライブハウスで私達の知り合いが結構いるって言ったでしょ?
その時の知り合いって言うのが軽音部のメンバーだったから、皆の事は知っているし実力だって分かっているから。
まあ、中には何のことか分からないって顔した一年生もいたんだけどね」
一誠と絢さんの会話を聞きながら着ぐるみを着て移動販売をしている人を横目に見る。
大学の文化祭ってすごいなと改めて思いながら、賑わっていることを良い事にユメに話しかけた。
「そう言えば、そんな事言ってたな」
『絢さんの話?』
「ああ」
『確かにね。チクバってこの大学一番のバンドだったはずだし、目立っちゃったかもね』
「と、言うか、だとしたら今から行くのは俺じゃなくてユメの方が良いと思うんだけどな」
『まあ、わたしが知られているもんね。でも、流石に今からは変われないよ?』
「それは仕方ないと思うんだけど、何となく桜ちゃんが俺で来いって言ったことが気になってな」
『こうなるなら、わたしで来た方が良かったよね』
ユメの言葉に頷いて返したところで、絢さんが足を止めた。
そこは賑わいから少し離れた所にある建物の中、入り口入ってすぐのところにある重厚な扉の前。
絢さんは躊躇うことなくその扉を開くと「連れてきたよ」と中に居る人たちに声をかけた。
それから、絢さんに続くように中に入る。
中はまず休憩室のような場所があって、その奥が音楽室のような場所になっている。
そこには人が沢山いて一様にこちらを見ていた。
続いて何やら騒めきだす。その様子に気後れしていると、部屋の前方にいた真希さんが「ほら静かに」と大声を出した。
それから絢さんが申し訳なさそうな顔で「皆、君たちが気になっているから、ごめんね」と俺達に謝ったのに稜子が首を振ったところで真希さんが騒めきに負けないように声を張った。
「さて、全員そろった所で毎年恒例コンテスト直前の抽選をするわよ」
静まっていたはずの面々が真希さんの言葉にまた騒めく。
チクバを見ていると絢さんが纏め役っぽかったけれど、こうやって見ると真希さんと稜子が似ているせいもあってか真希さんの進行が妙にしっくりくる。
前に立つ真希さんの隣には手書きのトーナメント表があり、八つある空白にそれぞれ一から八まで番号が振られていた。
その隣には机が置いてあり、その上に丸い穴の開いた如何にも抽選用ですよと言った箱が置いてある。
真希さんは騒めいている場を収める様子は無く、諦めたようにそのざわめきに負けないような声を出した。
「それじゃあ、代表にこの箱から一つボールを取ってもらうわけだけど、せっかくだしわざわざ来てもらった高校生の二チームから取ってもらおうかしら」
今度は場が一瞬静まる。それから、視線がこちらに集まりそれから騒めきが帰って来た。
そんな中桜ちゃんは特に気にした様子もなく稜子を促すように前に歩いていく。
稜子も稜子でこんなに注目されている中特に緊張とかしていないあたり流石と言わざるを得ない。
二人が歩いていく中、ちょっとざわめきの方に耳を傾けてみると聞こえてくるのはおおよそ二通り。
一つは「いきなり優勝候補から選ばせるのか」「どうかつぶし合ってくれますように」みたいな感じの反応。
もう一つは「言ってたゲストって高校生なの?」「ここと当たったら取りあえず上に行けそうね」みたいな反応。
ともかくどちら側からも注目されながら最初に稜子からボールを取り出しそれを真希さんに手渡した。
その数字は二。トーナメント表左から二番目の空欄に「ゆめ」と書かれると、現状何も決まっていないようなものであるのに何故か歓声が上がる。
これが大学のノリなのかなと思いながら、今度は桜ちゃんが箱の中に手を入れるのを眺める。
稜子がすぐに箱から手を出したのに、桜ちゃんはなかなか手を出すことは無くてまるでどれにするかを選んでいるようだったが、やがて一個ボールを取り出しそれを真希さんに見せる。
それを真希さんも見せてくれるのだけれど、そこに書かれていた数字は一。
トーナメント表の一番左に「なな」と言う文字が書かれ、部屋の中が歓声と安堵の声に包まれた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そんな騒がしい抽選会もようやく終わり、当たり前と言えば当たり前だがチクバが反対側のブロックになったこと以外特に気になることもなかった。
三十分後に本番が始まるからと言うことで解散となり、大学の軽音楽部の人たちに囲まれ「今日は来てくれてありがとう」とか「あのボーカルの子はいないの?」とか「新しいメンバー入ったんだね」とか言われながらその場を後にした。
俺としては別に気になることではなかったのだけれど、どうやら最後の一つが綺歩やユメには気に入らなかったらしくちょっとだけ不機嫌になってしまった。
むしろ、俺としては初っ端からユメと当たった事の方が気になって仕方ない。
控室に戻ってまずは俺達が演奏すると言うことで俺と一誠がななチームの方に行って作戦会議をする。
「いや、見事に最初になりましたね」
「俺はそれよりも、一回戦からゆめチームと当たったことの方が驚き何だが……」
大して驚きもせずにいう桜ちゃんに俺がそう返すと、隣から一誠が口を挟んでくる。
「まあ、当たったものはしょうがないんじゃないかい?
こういうのは運なんだからさ」
「まあ、確かにな。確かに普通なら運なんだろうが……」
そう言いながら桜ちゃんに視線を向けると、桜ちゃんが少し意外そうな顔で「あ、気が付きましたか?」と微笑む。
「って、事は一回戦でゆめチームと当たることは決まってたんだな」
「はい、おっしゃる通りです」
鎌をかけてみただけなのだが、どうやら大当たりだったらしく桜ちゃんが特に悪びれもせずに頷いた。
それにため息が出る思いではあるが、一回戦目からユメと当たるなんて考えていなかったので心の準備などまるでできておらず、落ち着かなくなってくる。
せめて落ち着かなければと思い桜ちゃんを問い詰めることにした。
「どうしてそんな事になったんだ?」
「どうしてって言われると色々理由はありますよ。
大学祭なのに大学生が決勝に残らないのは不味いとか、この学校の軽音楽部の顔であるチクバが一回戦から負けたら困るとか言う運営の問題もあります。
でも、とりあえずこの一回戦が終わったらお話ししますね」
桜ちゃんにそう言われて、何か言おうかと思ったが、先にあげられた運営上の問題は流石にこちらでどうにかすることが出来るものでもない。
仮にその条件をのむことが参加条件だったりすれば、それこそ桜ちゃんや一誠を責めるわけにもいかない。それに小細工なしでもこのようになっていた可能性もあるわけなのだから本当に俺がとやかく言えはしない。
ただ、もう少しだけ時間があるだろうと思っていたのに、その可能性が初めからなかったのだと聞かされて勝手に俺が喚いているだけ。何せ、俺はこれで歌を楽しめるようにならないといけないのだだから。
「遊馬先輩。何ごちゃごちゃ考えているんですか?」
「何って……」
「どうせ、歌を楽しめるかどうかって考えているんだろう?」
「まあ……そうだけど……」
急に桜ちゃんと一誠にそう言われて口ごもる。
仕方がないだろう、自信がないのだから。
確かに俺は歌が上手くなった。それは歌っている俺がよくわかっているつもりだ。
それに舞の仕事を見て頑張ろうとも思った。
だが、上手くなったからこそ、もしも俺がユメより上手くなってしまったらと考えてしまう。
いや、ユメよりうまくならなくても、歌っているといつの間にかユメと同じくらい歌えるようになったらと考えてしまう。
そうしたら、俺は……
「遊馬先輩またごちゃごちゃ考えていますね」
「そんな遊馬にオレが、遊馬が百点の歌を歌える方法を教えてやろう」
「百点……?」
桜ちゃんと一誠の言葉に我に返り、首を傾げる。
いきなり点数を言われるので何かと思ったが行きの電車の中で言っていた七十点と言うやつか。
次の言葉は一誠ではなくまず桜ちゃん。
「何と言うか、やっと言えますね」
「そうだなただみん、この一か月我慢し続けてきたからねえ」
「二人とも何を言って……」
「この一回だけで良いですから何も考えずに歌ってください」
「この一回だけ何も考えずに歌えよ」
二人同時にそう言ったけれど、せめてセリフを合わせて欲しいと思わなくもない。それに……
「何も考えずに歌えったって」
「あの、先輩。この一回だけ思いっきり歌う先輩の後ろで演奏したいんです……駄目ですか?」
今まで黙っていた鼓ちゃんが懇願するような声を出す。そう言えば今回は鼓ちゃんも向こう側何だっけか。
鼓ちゃんにまで言われて何も言えなくなる。
期待の視線を三方向から受けて、何も言えないことがとても居心地が悪くなってしまった頃、ふとユメが俺の歌を聞きたいと言ったことを思い出した。
はたして俺は俺の歌を歌っていたのか。それは考えるまでもない。
そう思った時つい「一回だけだからな」と自分に言い訳をするように答えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
目の前には沢山の人だかり。後ろで一誠と桜ちゃんと鼓ちゃんが用意をしている。
その間に司会の人が今回のバンドコンテストのルールの説明等々を行っていた。
俺達の控室からでも見ることが出来るであろう、野外ステージ。
それほど本格的なものではなく手作り感にあふれたステージではあるが作りはしっかりしているらしく、上に乗っても特に違和感はない。
久しぶりに俺として立つステージの上は何だか、今まで俺が見ていたものとも、ユメの中から見ていたものとも違う不思議な空間。
こちらを見ている人もたくさんいるが、それ以上に好き勝手に歩いている人がいる。
司会が説明を終え、楽器の準備もできた後話し出すのはボーカルの俺ではなくてベースの桜ちゃん。
その間俺は無心に歌うんだと言う事だけを考える。無心に歌うんだと考えている時点で無心でない事は明白なのだけれど、他の煩わしい事を考えるよりも何倍もマシ。
「大学祭にお越しの皆様初めまして「なな」と言います。
本来はこの後に登場する「ゆめ」と言う所と一緒に「ななゆめ」と言う名前で活動していますが、今回は諸事情で二つに分かれました。
では、さっそく聞いてください『二兎追うもの』」
桜ちゃんの短いMCの直後曲が始まり、それと同時に心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
やっぱり色々な思考が頭を駆け巡る中、一周回って真っ白になったところで歌い始めなくてはならなくなり慌てて歌いだした。
「二兎を追うものは 一度諦め 目の前の現実に立ち止まり
もう一歩 届かない理由を 考える事無くまた走り出す
もう何度目になるか 疲れ果て 倒れ込み空を仰ぐ
もう一歩 あと十歩 ついには遠ざかる」
俺の声が近くのスピーカーから大学祭が行われている会場へ広がる。
考えることを諦めた頭の中に残ったのは、この一回だけ思いっきり歌ってみようかということだけ。
「二兎追うものは ついに諦め 朽ちる身体を 地面に預けたまま
空に浮かんだ 雲に手を伸ばす 求めるように
伸ばした手は 雲に届かず 空を掴みまた伸ばすを繰り返す
遠すぎる 届かない理由に 気づきまた手を伸ばす」
俺の歌を一心に聞く人が目の前にいて、少し離れた所では俺の歌を聞いて立ち止まりこちらを向く人がいる。
始めは焦って歌っていただけだったがそれに気が付くと何だか嬉しくて自然と俺の声も大きくなる。
「二兎追うものは また立ち上がり 朽ちる身体に むち打ち走り出す
地を走る一兎には 手が届くことを 確信して
二兎追うものは 一兎追いかけ ついにはその手 求めたもの掴む」
間奏に入り、一誠たちの方を見るとこの曲を練習し始めてから初めて見るくらい楽しそうな、満足そうな顔をしていた。
それを見ると沸き起こる知っているけれど、知らない感覚。ユメに教えられた感覚。今まで俺が得られなかった感覚。
「二兎追うものは その名を捨てて 逃げる一兎を 追うことを諦めたままで
叫ぶ 神は二物は与えない そうだろう?
空を見上げ 一つ気が付く 手にあるモノは 俺が手にしたのだ
神はただ 見てただけ でしかいない
二兎追うものは また走り出す いいだろう?」
最後まで歌い終え、後奏が終わり余韻だけが残る中、俺はいつまでもその余韻に浸っていたいような気分だった。




