Lv86
十一月最初の日曜日。大学で行われるバンドコンテスト当日。
結局桜ちゃんの新曲が今日と言う日まで完成することは無くて、完成したかどうか、それが今日桜ちゃんに会うまで分からないと言うことになってしまった。
「そう考えると変に緊張するな」
『遊馬はそうかもね。流石にわたしも今日初めて曲聞かされてそれライブでやるからって言われたら困るもん』
「だよな。そう言えば桜ちゃんが今日は俺で来いって言ってたけど、間違いじゃないよな?」
『わたしもそうだったと思うけど、それをわたしに聞いても意味無いと思うな』
「まあ、そうなんだけどな」
言葉とは裏腹に楽しそうなユメの声を聞きながらユメの私服が入ったカバンを持って隣の家のチャイムを押す。
インターホンが付いているドアだけれど、そこから声が聞こえてくることはなく、代わりに玄関がガチャっと音を立てて開かれた。
「おはよう遊君。お待たせ」
「いや、お待たせって綺歩。お前玄関でスタンバってただろ。
チャイム鳴らしてからほぼノータイムで出てきたよな」
「別に待ってたわけじゃないよ? そろそろ来るかなって靴履いていただけで」
「偶々だよ、偶々」と言って綺歩は笑っているけれど、もし俺がこの時間に来なかったら靴履いて待っていたんじゃないだろうか?
それをわざわざ言うつもりはないけれど、代わりに一つ溜息をついて改めて綺歩を見る。
今日は別に制服である必要はないので、ズボンにシャツ、その上に一枚羽織っていると言った感じ。
綺歩にしては珍しい格好だなと思っていると顔の横、何か長いものが顔をのぞかせていたので合点がいった。
「そう言えば綺歩がベース弾くんだったな。だからスカートじゃないのか」
「別にスカートでも良かったと思うんだけどね。
キーボードの時よりも動くかもしれないなって思うとこっちが良いかなって」
「いつもと雰囲気は違うけど、似合っているんじゃないか?」
俺がそう言うと、綺歩がキョトンとした顔で何度か瞬きをして、それから「ありがとう」とお礼を言った。
「それじゃあ、行こうか」
「そうだな」
それから二人で歩き出す。天気は晴れ。そう言えば室外でやるのか室内でやるのか聞いていなかったけれど、これならばどちらでも大丈夫だろう。
一応どちらも経験はあるからどっちだったとしても歌えないこともない。
ただ、結局桜ちゃんや一誠の満足する歌が歌えなかったことが一つ気がかりと言うか、不安材料でもある。
それでも、二人とも特に気にしている様子もなかったのだけど、それはどういう事なのだろうか。
そんな風に考えていると、綺歩がこちらを覗きこんでいることに気が付いた。
「遊君どうしたの? 久しぶりのライブで不安?」
「久しぶりのライブだからってわけじゃないが、不安要素はいくつかあるな……
顔に出てたか?」
「んーん。何となくそんな感じがしたから」
首を振って綺歩が笑う。それを見たユメが『流石綺歩って感じだね』と言うので心の中で頷いた。
「それで、不安要素って言うのは聞いて大丈夫?」
「あー……曲に関することだから難しいな」
一つはそうだけれど、もう一つは違う理由。相手が綺歩だから。楽しく歌えるか分からないなんて言えるはずがない。
綺歩は俺の言葉を気にした様子もなく笑顔を向ける。
「そっか。じゃあ、仕方ないけど遊君なら大丈夫だよ」
「凄い理論だな」
自信たっぷりに言う綺歩に呆れながら俺が返す。
そうしている間に駅に着いた。
以前ユメの服を皆で買いに行った時と同じ待ち合わせ場所。そして、俺達よりも先に来ていたのもその時と同じ二人。
「桜ちゃんも鼓ちゃんも早いね」
「おはようございます」
「あ、先輩方おはようございます。早いと言ってもさっき来ましたからそうでもないですよ」
鼓ちゃんと桜ちゃんがそれぞれそう言って、頭を下げる。
それに俺達も挨拶を返してそれなりに人がいる中四人であと二人を待つことになった。
「何かデジャヴですね」
「確か実際にあったことはデジャヴじゃないじゃなかったか?」
「そうでしたっけ?」
退屈しのぎに桜ちゃんとそんな話をしている時、ふとある事を思ったので尋ねてみることにした。
「桜ちゃん一つ聞いていいか?」
「曲なら出来てませんよ」
「いや、まあ、それも聞きたかったって言うか、あっさり言うんだな」
「出来ていない物を出来ているって言える状況でもないですからね。
まあ、決勝で向こうのチームと当たらない事を祈るばかりです」
あっけらかんと言う桜ちゃんにちょっとどういう反応をしていいのかわからないのだけれど、正直心のどこかでほっとしてしまった。
少なくとも当日に曲聞かされてぶっつけ本番と言う事は無くなったわけだし。
桜ちゃんには悪いが、仮に決勝でゆめチームと当たったとしても、俺は別に困らない。
ひとしきり安心したところで、ともあれ聞きたいことを聞いておこうと口を開いた。
「それで、今日は俺が表に出ててよかったんだよな?」
「ちゃんと覚えていてくれたんですね」
「いや、見ての通り俺で来ただろ?」
「面倒だから遊馬先輩で来たんだと思ってました」
と、桜ちゃんが笑うがその笑いは実に不本意だと言いたい。
が、そう言った所で何か変わるわけでもないので黙っておく。
桜ちゃんはそれからちゃんと俺の方を向いてからもう一度口を開いた。
「そうです。今日は遊馬先輩で来てほしかったんですよ」
「わざわざ言ったって事は何か理由があるのか?」
「理由ですか? 強いていうなら遊馬先輩からユメ先輩に替わる方がユメ先輩から遊馬先輩に替わるよりも自由が利くってだけですよ」
「確かにそうなんだけど……」
それだったら別にわざわざ事前に言わなくても良いような気がするのだが。
こういう場合わざわざユメで来ることもないと思うし。
「ほら、そこの二人何話しているのよ」
「あ、稜子先輩来てたんですね。ついでに御崎先輩も」
「ついでって言うのはお言葉だねい、さくらん」
時計を見ると時刻は八時半。もう少しで集合時間と言ったところで全員そろった。
それはそうとして、以前此処に集まった時とは違い、
「何か荷物が多いな」
「まあ、皆自分の楽器を持っているから。遊君のそれはユメちゃんの服?」
「ああ」
応えてくれた綺歩に生返事をしつつ改めて自分たちの様子を見てみると、女子ばかりが黒くて大きなケースを背負って、二人いる男の片方はほぼ手ぶらと言う状態。
きっと周囲から見たら浮いているのだろうなと思いつつも、稜子が「ほら、早く行くわよ」と歩き出したのでそれについて、ホームまで向かった。
電車が来て中に入ると、今日の荷物と席的に二人を三つのグループに分けなければ座れない状況。
桜ちゃんがチームごとにしましょうと言ったので、桜ちゃんと鼓ちゃん、綺歩と稜子。
そして、俺と一誠が隣り合うように座ることになった。
「遊馬よ、なんで女の子がいっぱいの部活で男の隣に座らないといけないんだと思う?」
「どうしてもこうしても俺とお前だけチームが曖昧だからだろ」
「だとしたらオレの隣はユメユメでも良いと思うんだけどねえ」
『今から替わるのは……』
「目立つしな、こんなところで替わったら」
それを聞いて一誠が分かり易くがっくりと肩を落とす。
それが演技にしろ素にしろムカつく反応ではあったので軽く頭を殴ってやった。
一誠はこれまたオーバーなリアクションで痛がると恨めしそうに俺を見る。
「今ので、数千と言う脳細胞が息絶えたな」
「そうか」
「そうかって……」
平坦な俺の反応にようやく一誠が本気で落ち込んだようなので、話を振る。
「まあ、それにしても俺達の方が荷物少ないんだから一緒に座った方が座り易いんじゃないかと思うんだけどな」
「そうすると、結局一組は大変なままだろう。不公平になるくらいなら今のままが良いんじゃないかねい」
「ああ、なるほど」
一誠の言葉に納得して頷く。頷いたが、分かっているなら最初からあんなことを言わなければいいのに。
それが一誠たる所以な気がするのだけれど。
「そう言えば、なんでお前ってそんなに変な話し方なんだ? 話し方だけじゃないが」
「うわー……直球で変って言いますか。そうですか。それは何とも傷つくねい。
って言うか遊馬それ気にしてたんだねえ」
「いや別に。それで、どうしてだ?」
俺が一誠の言葉を軽く流して尋ねると、一誠が急に真面目になって話し出した。
「オレにも昔お前と綺歩嬢みたいな感じで幼馴染って言うのが居たんだよ。
その子が結構かわいい子で、最初はその子を楽しませるために態と色々な口調で話すようになってな。
で、その子体が弱くて何度も入院しててな。ある日、学校の先生に言われたわけよ、その子がやばい病気になったって。
それで、その子の最期に隣で真面目に応援していたら力ない笑顔で「いつもみたいに話して」って言ってきた。それから、誰の前でもこうなんだよ」
「一誠……」
「と、言うのは冗談で、楽しさを求めて周りに合わせていたら、わけわからなくなってねえ」
「お前無駄に交友範囲広いからな」
最後の最後、いつもの調子に戻った一誠に、期待外れだと言う意味と、やはりかと言う意味を込めてため息をつく。
「ところで一誠」
「どうした、親友」
「お前の親友になった記憶はないが、俺の歌どう思う?」
「ふざけるか、真面目にするかどっちかにしてくれないかい?」
「お前に言われたくはない」
俺は終始真面目に話しているつもりなんだけどな。
一誠は「違いねい」と笑うと、今度こそ真面目に真面目な顔をした。
「点数で言うと七〇点って所だろうな」
「まあ……そんな感じだろうな。
お前と桜ちゃんの反応を見る限りだと」
「別に歌が下手だって言うつもりはないんだけどな。少なくともオレやさくらんよりは上手い」
「楽しそうじゃない……か」
「まあ、そう言うこった」
一誠はまるで背伸びでもするかのようにそう言うと「でも」と続ける。
「オレもさくらんも大して心配はしてないけどな。
ただみん言ってただろ? 上手くいくって」
「あれって、こういう事だったのか?」
確か舞の仕事について行った直後くらいにそう言う話をしていたような気がする。
桜ちゃんが、部活の事なら勝率がどうのって。
チラリと一誠を見ると肯定をするように頷いていたが、桜ちゃんも何を根拠に上手くいくなんて言ったんだろうか。
「でも、桜ちゃん勝率は半々だとも言ってなかったか?」
「言ってたな確かに」
そう言って一誠は笑ったきり、この話をしてくれなくなってしまった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
電車に揺られること一時間。そこから少し歩いてチクバの面々が通う大学に着いたのは十時を少し回った所だった。
うちの高校の文化祭もそれはそれで大きいと専らの噂だが、大学の文化祭もそれに負けず、むしろそれを凌ぐくらいの活気がある。
そもそも、土地が広いから出店も人も多い。
とは言えまだここは入口。案内の地図を配っている隣で一誠が絢さんに連絡を取っていた。
「ごめんなさい。お待たせ」
「いいえ。今来たところですから」
息を切らせながらやって来た絢さんに稜子が少し不愛想にそう返す。
それを聞いて絢さんが安心したように笑い、俺達を眺めた。
それから不思議そうな目で口を開く。
「あれ? ボーカルの子……ユメさんは今日は来ていないの?」
「ああ、ユメ先輩なら後から来るって言ってましたよ。直前まで学校でやらないといけないことがあるって」
「それで御崎君と忠海さん、あんなこと頼んだのね」
「そうです」
ユメの存在云々でこんな反応をされるのは久しぶりですぐに声が出なかった俺の代わりに桜ちゃんがそう言ってくれた。
気になることも言っているけれど。
あんなことって言うのはどんなことなんだろうか。
そう思っていると、絢さんが俺の方をじっと見ていることに気が付いた。
「君とは初めまして……だよね? この大学の軽音楽部、チクバって言うバンドでドラムをしています。絢です」
「えっと、ななゆめで、一応ボーカルの三原です」
いきなりの対応に驚いてしまったが、そう言えば俺が会うのは初めてか。
ユメが頭の中で『びっくりした』なんて言うけれど、本当にその通り。
おかげでどう答えていいのか分からず今みたいな答え方になってしまったけれど、絢さんは俺の事よりもななゆめと言う言葉の方に反応したらしく嬉しそうな顔をして誰にでも無く話しかけてきた。
「そう言えばバンド名決まったんだよね。初めて会った時は軽音楽部だったのに」
「それはそうと、あやや。オレ達はどこに行けばいいんだい?」
「ごめんね、楽器持ったままだときついよね。今から案内するからついてきて」
『何だろう。あややでいいんだね』
「良いみたいだな」
何事もなく話す一誠と絢さんを見ながら、ユメとそんな言葉を漏らす。
そうして連れていかれたのは大学の校舎内の一室。普段授業では使われていないのか閑散としていて、窓にはブラインドがしてあった。
「ここが君たちの控室って事になるから好きに使って。
オートロックでこのカードキーで開くようになっているから無くさないようにしてね」
そう言って絢さんが稜子にカードキーを渡す。
それを見ながら綺歩が心配そうな声を出した。
「良いんですか? 使っても」
「ここは一応軽音楽の第二練習場って事になっていてね。本当は他の部活も使っていいんだけど、使うところが無くて。
モノがないのは基本的には部室の方に皆置いているからなの。
で、貸していいかって言われたらよくないんだけど、黙っていたらバレないよ」
絢さんが悪戯っぽい笑顔でそう言う。まあ、確かにバレないのかもしれないが……
「それに、条件に合う場所が此処しかなかったんだよね」
「それは、何だか無理を言ってしまったみたいですね」
「ううん。ギブアンドテイクって事だから。
むしろ、来てもらっただけでも感謝しないとね」
条件とは何だろうと思いながらも、話が進んでしまったので口を挟むことはせず、絢さんと桜ちゃんの会話に耳を傾けていた。
それからすぐに絢さんは「それじゃあ、この後十分くらいしたら抽選があるから、それまでゆっくりしてて。抽選には一応来てもらうから迎えに来るね」と言い残して部屋を後にした。
出て行ったのを見届けてから桜ちゃんが口を開く。
「分かっていましたが、コンテストが終わるまでゆっくり見て回ることは出来そうにないですね」
「と、言うか桜。条件って何の事かしら?」
「ほら、桜達は遊馬先輩とユメ先輩の入れ替わりがあるじゃないですか。
それをスムーズに行うために、会場の近く誰も入らないようなところに控え室が欲しいって頼んだんです」
「なるほどね。確かにあった方が楽だわ」
「桜達の楽器もありますし、「何とかしてみる」と言って貰えたわけですよ」
「絢さんがユメの事聞いて反応していたのも、ユメが着替える事を考えて控室を頼んだと思われたわけか」
桜ちゃんと稜子の話を聞いて納得したようにそう言うと、桜ちゃんが「恐らくそうだと思います」と返す。
用意周到と言うか、何とかいうか。最近はもうユメと俺の入れ替わりに違和感がなくなって来たから、桜ちゃんが手配してくれていなかったらどうしたらよかったのかまるで考えていなかった。
桜ちゃんに心の中で感謝していると、稜子が俺の方に近づいてくるので首を捻る。
稜子は俺の前で足を止めると、持っていたカードキーを俺の方に差し出してきた。
「そういう事なら、これは遊馬が持っておくべきね」
「良いのか?」
「良いも何も、貴方とユメのためにあるようなものでしょ? ここは」
「助かる」
稜子がいう事も最もなのでそう言って受け取った後、絢さんが来るのを待った。




