Lv67
最近だと移動中に歌うかどうかで入れ替わるタイミングを調節することが多い。
ただ単純に早く入れ替わりたいときはユメが歌うのを我慢するってだけだけれど、今日はその類の日なので音楽室に戻る時にユメは歌を歌わない。
「最初はもう全部終わってる予定だったよね」
『そうだな。さっきのライブで舞が自分らしく歌うことが楽しい事だ、なんてことに気が付いて、これからは……みたいな感じなのを想像してた』
「でも、途中で色々ありすぎたよね」
すでに日は落ちてしまって薄暗い外の景色を見ながらユメが廊下を歩く。
要するにこれが夜の学校なのかと、無駄にワクワクしながら。
生徒の多くが帰ってしまい静まり返ってしまっている教室に廊下。
そこにユメの足音だけが響いて、少しだけホラーな感じもする。
ただ、まだ電気は消されていないのでホラーと呼ぶには明るすぎるけれど。
『まあ、最初から色々あったけど。
それにしてもさっきまでの熱気が嘘みたいだな』
「ちょっと寒い位だよね。夜の学校っていうのがよりそんな雰囲気にしているのかな?」
『どうだろうな』
間もなく音楽室についてユメが一目散に準備室に向かう。
「暗いね」
『暗いな』
準備室へ続くドアを開いて、真っ暗な準備室の中を見た俺たちはほぼ同時に呟いた。
それから電気をつけて明るくなった部屋の中、入る意味があるのかわからないが簡易更衣室に入りいつものように着替える。
その途中セーラー服を脱ぎ終わったところでユメが何を思ってか、後夜祭前に俺がやったように自分自身を抱きしめた。
ユメの腕にユメの体温が伝わって、何とも言い難い柔らかさが手と体とどちらにも伝わる。すべすべの肌同士が触れ合いとても安心する。
それと同時にユメが緊張しているのを感じる。
『緊張するなら早く着替えたらいいだろ?』
「遊馬がやってくれたからわたしもやってみようかなって思って……
でも、せめて着替えてからやればよかった……かな」
恥ずかしそうにユメは言うと、目を閉じたままでささっと着替えてしまう。
目を開けぶかぶかの学ラン姿になったユメは今まで来ていたセーラー服を丁寧にハンガーにかけると下着だけカバンの中に入れた。
「今日はもうこれでわたしが表に出ているのは最後かな?」
『そうだな。さすが外では替われないし、家に帰ってもたぶん母さん帰ってきているだろうからな』
「そうだよね」
特になんてない様子でユメが言う。
『この後の事心配か?』
「心配……っていうか不安かな。
わたしには舞ちゃんがどう言うつもりであんな風に歌ったのかわからないから」
ちょうどユメがそう言ったところで、俺とユメが入れ替わり俺が表に出る。
桜ちゃんに慣れたとは言ったけれど、急に背が高くなったり低くなったりするこの瞬間だけは今でも不思議な感じがする。
「でもこの寒空の下舞をずっと校門前に立たせているっていうのも気が引けるから、早めに行くしかないだろうな。
ユメがもうちょっと気が利いた場所を言ってくれたらもう少し考える時間があっただろうに」
『そ、それは仕方ないでしょ? 音楽室はもうすぐ皆が来るだろうし、屋上に行くには会長に鍵を借りないといけないし……
他にわかりやすいところが思いつかなかったんだよ』
「わかってるよ」
本当はガチガチに緊張してしまっているはずなのだけれど、こうやってユメと話すことで何とか足を動かすことが出来る。
ユメが今まで空気を読まないかのように努めて明るく話しかけてくれていたのも、俺が緊張していることを知っての事だろう。
桜ちゃん然り本当に女の子に気を遣わせてばかりだなと自分が情けなくなってくるが、でも、気を遣ってくれていること自体は嫌な気はしない。
自分にはこんなにも自分の事を考えてくれる人がいるというのは心強いものである。
「舞囲まれていなければいいけどな」
『囲まれるって?』
「舞もこの学校じゃ下手なアイドルよりも有名人だろう?」
『あー……たぶん大丈夫……だと思うよ?
暗いし、皆急いで帰るよ……きっと』
自信なさそうなユメの声がそのことを全く想定していなかったということを示していた。
ともかく急がないといけないなとは思うのだけれど、黙っていると落ち着かないのでユメに話しかけながら急ぎ足で外へ向かう。
「そう言えば藍や優希は今日来ていたと思うか?」
『わたしは確認できなかったけど、たぶん来てたんじゃないかな?
二人とも楽しみにしてくれていたし、わたしとしても今日のライブは二人に見て欲しかったから願望入ってるかもしれないけど』
「自慢のお姉ちゃんのライブだからな」
『自慢のお兄ちゃんの歌を聴けるからね』
「もうユメの歌はユメのもので良い気もするんだけど」
『歌は貰ったんだからわたしもそう思うんだけど、もともと遊馬のものなんだって思っていないといけない気がするんだよ。
調子に乗っちゃいそうというか、いつか歌を大事にしなくしちゃいそう……みたいに』
「ユメに限ってそれはないと思うんだが」
ユメの答えにそう返すと、ユメが『う~ん……』と困ったような唸り声を出した。
『遊馬が人間なようにわたしも人間だからどうなるかわからないから。
確かに今はそんな事ないと思うし、今後もないとは思うんだけどね』
最初ユメが揶揄するような声を出したが、すぐに真面目になる。
それからそのまま優しい雰囲気で俺に話しかけた。
『でも、一番は遊馬の歌だって思うことで遊馬と一緒に歌っている気持ちになれるからかな。遊馬には迷惑かもしれないけれど』
「いや、嬉しいよ」
素直にそう返したところで靴をはきかえて外に出る。
学校から帰る時によく見る風景。特に冬なんかは日が暮れてから帰ることも珍しくないので全く見たことがないわけではないはずなのだが、どうにも雰囲気が違うように思う。
校門へ歩きながら、それは人がいないからかと気が付いた。
校門に近づいたところで、寄りかかるように待っている人影を見つけた。
その影の主もこちらに気が付いてこちらに駆け寄ってくる。
「悪いなこんな寒い中待たせて」
「ううん。わたしも今来たところだから」
そうは言いつつも舞は少し寒そうにしている。
外灯に照らされたその姿は、アイドルのドリムとしての印象とはまた違った、普段を向日葵とするならば散り行く桜のようなそんな儚さを感じた。
「今来たって言うなら今まで何処で何していたんだ?
生徒会室か?」
「遊馬君に気を遣わせないように言ったのに、なんでそんな風に言うのかな?
いつ来るか教えられていない人を待つんだから出来るだけ早く来て待ってたよ」
少し頬を膨らませてそんな事を言う舞の方がやっぱり舞っぽくて軽く笑うと、思い切って切り出すことにした。
「それでどうして舞はドリムの歌い方のままで歌ったんだ?」
「その前に、一つか二つ聞いていいかな?」
「それがさっきの舞の歌に関係するなら」
「直接……は関係しないかな。でも直接って言ったら直接かも」
困ったように舞が言うが、何だかまどろっこしくて「言ってみてくれ」と返す。
舞は上目づかいでこちらを見ると不安そうに口を開いた。
「さっきのライブ、遊馬君見に来てくれていたんだよね?」
「聞いてはいたな。ユメが舞のパートを歌おうとしてた」
「そしたら、遊馬君はわたしの歌どう思った?」
「どうって……ドリムの時の歌い方のままだったなと」
「そう……なんだ。本当にそれだけ?
どんなことでもいいから聞かせて欲しいな」
グイッと一歩体を寄せて舞が縋るかのような目で見てくる。
そこまで言われたら何か返さないといけないような気になって、かなりふわふわした感想になるが話すことにした。
「いつもとは何か違うなって感じはしたな。歌っている時に考えていることを変えたのか何なのか」
結構頑張って言葉にすると、舞が嬉しそうに頷いてそれから一歩離れてまっすぐな視線をこちらに向ける。
「正直に言うとね、遊馬君の言う通りわたしは歌い方を変えなかったんだ。
変えなかったというよりも、変えられなかったって言った方が正しいんだけど」
「変えられなかった?」
「うん。遊馬君言ったよね、ドリムじゃなくて舞としてのわたしの歌で歌って欲しいって。
それでずっと考えていたんだけど、遊馬君が思うようなわたしの歌ってないんだと思う」
舞の言っていること、言葉としてはわかりはするけれど、どうにも意味として俺の中に綺麗に収まってくれない。
それで黙っている俺を舞がどう捉えたのかはわからないけれど、続けて話し出した。
「わたしがドリムに出会ったのは何年も前の話。
出会ってからはずっとドリムみたいになろうと何度も歌を聞いて、真似て、少しでも近づけるように追い抜けるように頑張ってきたんだよ」
「その中で舞自身の歌を忘れてしまった?」
「ううん。たぶん忘れたっていうわけじゃないんだとは思うんだけど、むしろドリムとしての歌がわたしの歌だって思っちゃっているみたい。
自分の事なのにみたいって変かもしれないけど」
そう言って笑う舞に俺は首を振る。俺だって自分の事に気が付いていなかったから。
俺の反応が意外だったのか舞は少し驚いた顔をして、それからまた口を開く。
「だから、今のわたしにとって歌っていうのはずっと追いつこうと頑張ってきたドリムの歌なんだ。
たぶん遊馬君が期待した応えじゃないかもしれないけれど、遊馬君にもう嘘はつきたくなかったから……」
少し舞の声が震えている。
舞の言う通りその応えは俺が期待した応えではない。でも、舞が言うことも分からなくもない。
と言うよりも俺の考えが浅はかだったのか。
何年もドリムとしてやってきて、ドリムだけを追い続けてきて今さら舞の歌を歌えと言われてもそれが自分の歌なのか疑問に思うかもしれない可能性。
俺やユメは少なくとも自分の歌をずっと歌い続けてきたし、歌い続けているから舞の葛藤など微塵にも考えなどしなかった。
「俺は何を偉そうに言っていたんだろうな」
「遊馬君は偉そうになんかじゃないよ。
わたしが悪かったの。自分の勝手で遊馬君を傷つけて、自分勝手な事を言って、挙句の果てにはドリムすら捨てることが出来なかったんだから。
ドリムは遊馬君のものなのにね」
なんで舞がそんなに必死に俺を庇うのだろうか? 分からないけれど少し可笑しくて声を出して笑ってしまう。
「舞は自分がドリムで良かったって思うか?」
「今日改めてそう思ったよ。でも、遊馬君に会って本当に良い事なのかなとも」
「これからもドリムで居たいと思うか?」
「遊馬君はユメさんに名前と歌をあげたんだよね?」
舞が質問を質問で返してくる。
でも、その表情はからかっているということなどは無く、何か決意を秘めているようで俺は正直に「そうだな」と返した。
「わたしにはその意味がちゃんとは分からないよ。
でも、ユメさんが遊馬君の歌を皆に聞かせていて、それが遊馬君のためになっているんだよね?」
「大体はそんな感じ……だな」
「だったら、わたしもそんな風になれないかな?」
舞の言葉に思わず首を捻ってしまう。
「どういうことだ?」
「遊馬君の歌を奪った者として、遊馬君のために歌を歌いたいの。
遊馬君は見たことのない世界を見たいんだよね?
だったらユメさんが見せることのできない世界を遊馬君に見せてあげたいって。
それだったらわたしはこれからもドリムで居続けたい……駄目かな?」
こちらの様子を窺いながら、舞が不安そうに俺に尋ねる。
初めは俺が舞を許すとか許さないとかそんな話だったはずなのに、どうしてこういう話になったのか俺には分からない。
でも、必死になって訴える舞を見ているとどうしてそんな事に拘っていたのだろうかと自分が恥ずかしくなってしまう。
だからこそ気になってしまう。
「俺にそこまでする価値ってあるのか? 舞ならきっと俺のためなんて言わなくても頑張っていけるだろう?」
「たぶんね。でも、色々知っちゃったから。
わたしがこれからもドリムとして活動するためには、ドリムとしてのわたしも舞としてのわたしも一度は認めてくれた遊馬君のためじゃないと駄目かなって。
わたしが遊馬君にしてしまった罪滅ぼしってわけじゃなくて、わたしがそうしたいの」
「だって遊馬君はわたしに色々気づかせてくれたもん」と少し照れたように舞が言う。
それから舞は何かを待つように黙ってしまった。
何かが俺からの返答だということはわかっているけれど、でも、俺に舞に何か言葉を返す資格があるのだろうか?
偉そうに認めてやるだなんて俺は言っていいのだろうか?
「俺には……」
ようやく口にすることが出来た言葉を舞が不安そうな顔で聞いている。
「俺には舞にそう言って貰えるだけの資格があるとは思えない。
何が舞のためなのか碌に考えもせずに俺の考えを押し付けようとしただけじゃなくて、過去の舞に囚われて今の舞の事をしっかり見ようとしなかった俺には」
俺の言葉を聞いて舞は少しきょとんとした顔をする。
それから明るいいつもの表情に戻って口を開いた。
「やっぱり遊馬君は違うよね。普通他人の事そこまで考えないよ?
だから……遊馬君がそんな人だから、わたしはもう一度友達になりたい。
わたしを友達にしてくれますか?」
舞がそう言って片手をこちらに伸ばす。
その細くて長い指を持つ華奢な手を、俺は躊躇いながらも握った。




