Lv62
『休憩のために借りに行ったのに逆に疲れちゃったね』
「お疲れさん。今日のライブ大丈夫そうか?」
『これから休めるだろうから大丈夫。それに遊馬が許してくれるんだったら風邪をひいていてもライブは休まないよ』
「じゃあ、俺はユメが多少無理できるように体調には気を付けないとな」
教室での出席確認を終えて、音楽室がある棟の屋上を目指しながらユメと話す。
でも、そう考えると俺自身の生活も気を付けていかないといけないんだなと言う気になってきた。
俺が怪我したらユメも怪我したということになるわけだし、俺が風邪を引けばユメが風邪を引いたことになる。
最終日ということもあって呼び込みの声が一日目の倍くらいあり、人数も同じくらい増えている。
まだ学生服を着た人が多いが、中には普通に洋服を着た人もいていかにも文化祭と言う様相をしていてこちらも楽しくなってきた。
ただ、足を進めるほどに人の数は少なくなっていき、目的のドアに鍵を刺しこむころには周りに誰もいなくなっていた。
屋上へ続くドアを開けると、風が吹き込んできて幸いにも晴れた空の下へと足を進める。
「やっぱり高いところは風が気持ちいいな」
『そうだね。日差しもそんなに強くないし、眠たくなってきそう』
「流石に寝ている余裕はないと思うんだけどな」
ユメと感想を言い合いながら、ちょうど文化祭の様子を見下ろせる位置まで歩く。
「こうやって上から覗いていると、自分だけ別世界にいる気分になるな」
『ちょっと寂しい感じがするよね。でも、遊馬は好きなんでしょこの感じが』
「そういうユメだって嫌いじゃないだろ?」
『もちろん』
「それに、今年は連れて行ってくれるんだろ? あの騒めきに中心に」
『昨日も連れて行ってあげたと思うけど?』
「それもそうだな」
遠く聞こえる喧騒を聞きながら、人形のようにも見える人たちを眺める。
何も考えず、何にも気を遣わず。でも、確かにユメは俺の中にいて。
それに暖かい日差しと気持ちの良い風が加わってどうしようもないほどの安堵を得る。
だからだろう、屋上の鍵をかけ忘れていたし、そこから人がやってきたことにも気が付かなかった。
「あ、やっぱり遊馬君だ」
そう声がした方を向くと、ユメよりも少し大きい女の子が、初めて会った時のブレザー姿で立っていた。
「どうして舞がこんなところにいるんだ?」
「打ち合わせが終わって、文化祭を見てきてもいいって言われてね。
その時に遊馬君らしい人が見えたから追いかけてきたんだよ。
でも、まさか屋上にまで行っちゃうとは思わなかったけど」
そう言って舞が綺麗な顔で笑顔を作る。それに対して少し呆れを覚えて言葉を返すため口を開いた。
「だったら俺を追いかけずに文化祭を回ってきたらよかったんじゃないか?
その為の眼鏡と髪型だろ?」
「そう言われるとそうなんだけど、もう一度遊馬君と回ったし緊張を解すには知っている人と話した方がいいかなってね」
「やっぱり舞でもこんな時緊張するんだな」
「するよー。今までは多少ミスしても撮り直せばよかったけど、今日はそういうわけにはいかないし、わたしが初めて表に出てくるって注目を受けているのも分かっているし。
それに、ちょっと気になっている男の子にお前は負けるなんて言われちゃったしね」
「あんまりそういう冗談は言わない方がいいと思うぞ。
それで勘違いされて困るのは舞だろ?」
舞のような子に気になっているなんて言われたら、それが嘘だとわかっていたとしても勘違いしたくなるに違いない。
実際俺だってユメが生まれる前だったら勘違いしていただろう。
俺としては忠告のつもりだったのだが、舞にはその反応がお気に召さなかったらしく拗ねたような顔で口を開いた。
「遊馬君は騙されてくれないんだね」
「今は見守っていないといけない奴がいてそっちの方が気がかりだからな。
それが今の楽しみだし、これからもきっと変わらないだろう」
「それって、軽音楽部のボーカルの子?」
急にまじめになった舞が核心をついてきたので気圧されつつも「どうしてそうだと?」と返した。それに対して舞は首を傾けて考えるそぶりを見せる。
「美少女コンテストで、わたしがその子を選んだ時遊馬君の様子がおかしかったから、かな?」
「よく見てるんだな」
「あの時はまだ遊馬君が嘘ついている嘘が何かわかっていなかったら半信半疑ではあるんだけどね。
それに気になってるって言うのはあながち嘘じゃないんだよ?
昨日一緒に文化祭を回りながら、こんな友達がいたら良かったのにって結構本気で思ったんだから」
「でも、できれば……」と舞は何か言いかけて口を閉じてしまった。
何を言いかけたのかはともかく、そういわれてしまったのだから返す言葉は決まっている。
「俺としてはもう友達の気でいたんだけどな。
まあ、舞のファンになるかどうかって言うのはまた別の話ではあるが」
「もう、どうせなら良い話で終わらせてくれたら良かったのに」
「そしたら次は「ユメのこと以上にわたしを応援して……」みたいなことになるんだろ?」
「それはそうなんだけどさ。でも、今の言い方だとわたしのことを一番に応援してくれるって事はなさそうだよね。友達なのに」
「友達として出来る限りは応援したいがな。
ただ、あいつの場合は友達とは括りが違うんだよ」
「もしかして恋人?」
「いいや。強いていうなら夢かな。つまりドリーム」
ユメと夢とを――以前桜ちゃんがやったみたいに――勘違いさせないように俺がそう答えると、舞は真面目な顔でやや俯いた状態で口を噤む。
それから、何か決意を固めた顔で口を開いた。
「今まで悩んでいたけど決めた」
「何をだ?」
「今日のライブは遊馬君のためにやるような気持ちでやろう」
「はい?」
「あ、何言ってんだこいつって思ったでしょ? でも、ちゃんと意味あるんだよ?」
流石に何言ってんだこいつとまでは思っていなかったけれど、驚いたことには驚いたので、その意味を聞こうと「どんな?」と返す。
妙に明るくなった舞はすぐに説明を始めてくれた。
「一昨日遊馬君に言われた事を考えていたんだけど、今回のわたしはちょっと勝負って事を考え過ぎていたのかなって思って。
わたしが初代に勝つためじゃなくて、来てくれた人たちのためのライブにしようって思ったんだよ。
でも、来てくれた人、皆のためってなると色々な人がいて具体性がなくなっちゃうでしょ?」
「まあ、そうだな」
「だから、適当に見つけた人のために歌ったりもするらしいの。
それに遊馬君にはわたしのファンになってもらわないといけないわけだし、一石二鳥でしょ?」
「だから聞きに来てくれるよね」と上目遣いで言う舞は反則なんじゃないかと思う。
顔はもちろん、チラチラと目に入ってくる胸元はその中が見えそうで、見えなくて。恐らく後でユメから何か言われることは覚悟しなくてはなるまい。
「どんな形になるかは判らないけど、聞きに行くよ」
「絶対だからね?」
「ああ、約束だ」
俺がそう返すと舞は安心したような顔をして屋上を後にする。
その姿を見送ったところで案の定ユメから声がかかった。
『舞ちゃんの胸見てたでしょ』
「見てたんじゃなくて見えてたんだ」
『実際そうなのは判っているんだけどね。わたしのじゃ物足りないの?』
「物足りないも何も、いつも目瞑っているだろ?」
『見たいの?』
「見たいって言ったら見せてくれるのか?」
『やっぱり恥ずかしい……かな。自分でも見たことないし』
頭の中で照れたようなユメの声が聞こえる。
このまま話を続けても不毛というか、半ば虚しくなりそうだったので気持ちを入れ替えて話題を変えた。
「舞、どうなるんだろうな」
『少しは伝わってたんじゃないかな? あとは見てみないといけないと思うんだけど……』
「どうしたんだ?」
『わたしが聞くことになっちゃうけどいいの?』
「それは仕方ないだろ。あまり俺とユメを行き来しない方がいいしな。
それに、どんな形になるかわからないってちゃんと言っただろ?」
『遊馬って意地悪だよね』
「お人よしって言われたけどな」
呆れ半分、納得半分くらいの声色でユメが言った言葉に、軽く返した後「音楽室に行くか」と言って屋上を後にした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
音楽室に行くと稜子と綺歩が今日の曲を二人で弾いていた。
「キーボードとギターだけでも何とかなるもんだな」
「だいぶ寂しくなっちゃうんだけどね」
「そもそもこの場合曲を弾くというよりも、お互いにどんな音を出しているのかを確認しているだけよ」
「ところで遊君。そろそろお昼ご飯を買いに行くついでに休憩しようかって思っていたんだけど一緒に行かない?」
「そういえば、一緒に文化祭するんだったな。稜子はどうするんだ?」
「アタシはいいわ。他の子が来ないと鍵かけないといけないし。何か適当に買ってきて頂戴」
「了解。綺歩、行くか」
そう言って、入ったばかりの音楽室から出る。
綺歩と二人肩を並べながら歩いていると、否応にも視線を感じてしまうが以前ほどでもないのかなと言う感じがした。
「遊君何食べたい?」
心なしか楽しそうに歩いていた綺歩が不意に止まって尋ねてくる。
「そうだな……ここは下手に焼きそばか?」
「それもいいかもね。どこにあるかな?」
「そういう綺歩は何食べたいんだ?」
「私? 私はクレープかな?」
「クレープって昼飯の話だろ?」
「そうなんだけど、中にハムとかレタスとか入っているのとかもあるらしいんだよ」
「そんなのあるんだな。じゃあ、それにするか」
「いいの?」
「ちょっと興味あるからな。甘くないクレープ」
俺がそう返すと、綺歩は楽しそうに俺の間に出て俺の袖を引っ張る。
「えっと、確か水泳部がやってるって話だから行こ」
近年まれにみるハイテンションな綺歩に文字通り手を引かれ、盛り上がる校内を走るように進みだした。
なぜか本当にクレープを作っていた水泳部から、ツナサラダやハムをまいたクレープを買った後それを食べながらいくつもある屋台を冷やかす。
冷やかすだけだったはずが、綺歩が顔を出すと何かとサービスされそうになるのでいくつか買っていくうちに稜子の分の昼ご飯が出来上がってしまった。
「何かいっぱいになっちゃったね」
「流石コンテストのファイナリストってところだな」
「もう、そんなふうに言わなくてもいいでしょ?」
「ああ、悪い悪い」
少し膨れっ面になった綺歩に平謝りすると、すぐに機嫌を直して笑顔になる。
「ねえ遊君」
「どうしたんだ?」
「遊君って演奏中に私のキーボードって聞こえてるの?」
「最近はわかるようになってきたな」
「最近はって?」
「昔は聞き分けられなかったんだよ。
でも、綺歩のキーボードってあるだけで何か安心するよな」
「え? そ、そうかな? 桜ちゃんのベースとかの方が安定感あるんじゃないかな?」
なぜか慌てだした綺歩に俺としては首を傾げるしかないのだけれど、桜ちゃんのベースが安定しているのと綺歩のキーボードを聞いていて安心するのは違うと思う。
『昔ずっと聞いていたからかな? 綺歩の演奏に安心するのって』
「そうかもな」
「遊君どうしたの?」
「綺歩のキーボードで安心するのは、昔聞いていたせいじゃないかって話だ。
そういえば昔は綺歩も今ほど上手くなかったよな」
「昔の話はちょっと恥ずかしいよ。でも、遊君は昔から歌上手かったよね」
「そんな事ないだろ。今のユメに比べたら全然だ」
「年齢の割にはって事だよ。素人にしてみたらユメちゃんは桁違いって感じだけどね。
そういえば、遊君はもう歌わないの?」
「今のところそのつもりはないな。ユメには勝てそうもないし」
そういえば綺歩は俺が歌わない理由は不意に裏声になった時に困るからっていう認識でしかなかったっけか。
改めて歌いたいように歌が歌えない事に思うところが出てきてしまうが、だからと言って綺歩に変な気は使わせたくない。
あまりこの話が広がらないでほしいなと思っていると「出来ればいつかまた遊君の歌のバックで演奏したいんだけどな」と寂しそうに綺歩が言った。
「なあ、綺歩。もしかして昔のやく……」
「あ、そろそろ戻らないと稜子に怒らちゃうかも。遊君早く帰ろ」
俺の言葉半ばで綺歩に遮られ、今度は手首をつかんだ綺歩に引っ張られながら音楽室へ戻った。




