Lv52
すべてのリハーサルが終わったのは夕方の五時頃。少なくとも生徒が学校にいないといけない時間のギリギリまで。
リハーサルはセッティングと音量チェック程度。一回一回は短いけれど、流石に数が多いのでこんな時間までかかってしまった。
今は音楽室で一誠が帰ってくるのを待っている。その間にユメが綺歩に声をかけられた。
「ユメどうしたの。そんな思いつめたような顔をして」
「あれ? そんな顔してた?」
「思いつめたってほどではないけど、考え込んでいるってところかしら」
「そうですね。桜は敢えて放置していましたけど」
「ユメ先輩何かあったんですか?」
「ユメちゃん邦楽部の子に声かけられていたもんね」
ユメの言葉に皆思い思いの言葉をかける。
桜ちゃんのは少しひどいような気もするが、それはいいとしてどうして綺歩はユメが考え込んでいる理由が邦楽部の子とのやり取りの中にあると分かったのだろうか?
「別にどうしたってわけじゃないんだけど、そう言えば文化祭何だなって思って」
「単純にユメ先輩は気がついたんですよね。桜達のバンドの演奏を聴きたくても文化祭の都合上二回とも聞きに来ることが出来ない人が居るって事に」
「なんで桜ちゃんにもバレてるの?」
「『にも』って事は私にバレていることには気が付いていたんだね」
「だって綺歩の反応可笑しかったでしょ?」
「それもそうか」
綺歩は笑うが、ユメは笑う気にはなれないのか大きく息をはいた。
鼓ちゃんはユメと同じことを思ったのか寂しそうな顔で口を開く。
「確かにそれはあたし達としても、聞きたい人にしても残念ですよね」
「こればっかりは仕方がないとしか言えないわね。さすがに他部の事にまでアタシ達が口を出せるわけではないもの」
稜子の言う事はもっともであり、そのせいでユメも鼓ちゃんも口ごもってしまう。
文化祭前日で、場所によっては徹夜を覚悟したり、ラストスパートに入ったりとこれからと言った感じの時間なのに、やや重たい空気になってしまった。
その空気が嫌だったのか、それとも何か考えがあるのか、敢えてなのか桜ちゃんが「そう言えば」と普段と変わらない口調で話しだした。
「今日ってどれくらいの人が学校に泊まるんでしょうね」
「たぶん全生徒の半分は泊まるんじゃないかしら。少なくとも去年は夜になっても半分以上の教室に電気が付いていたと思うわ」
「敢えて九時を過ぎるようなペースで作業しているところが多いんだよね」
「そうなんですか?」
鼓ちゃんの疑問に俺も同じことを思う。何でわざわざそんな事をするのだろうか?
「防犯的な意味合いでね、十時を過ぎての帰宅は保護者のお迎が必要なんだよ。だから、九時まで作業したらほぼ泊まりって事になってね。
分かりやすく言うと半卒業式状態って言うのかな?」
「しかも夜遅くまで起きて話していても「文化祭の話し合いです」って言えば無罪放免なのよね」
「わかりやすく半無法地帯ですね」
「まあ、その分校則を破った場合の罰が重すぎるくらいに重いし、警備も厳重なんだけどね」
「でも多くの人は残るんですよね」
桜ちゃんが確かめる様に言うと、綺歩も稜子も頷く。
何でそこまで桜ちゃんは人数にこだわるのだろうか?
そう思っていると桜ちゃんがさらに質問を追加する。
「桜達は今日はどうするんですか?」
「別に今年は残る必要はないと思うのよね。御崎が戻ってきて一度通したら解散って感じかしら。
泊まるかもしれないって伝えてきてもらって悪いんだけどね」
「それなんですが、桜達も泊まりませんか?」
「……まあ、桜ならそう言う気がしていたのよ。
でも何をする気かしら。流石に何もしないのに泊まりって言うのは部長として認められないわよ?」
「前夜祭をやりましょう」
「前夜祭って何かしら?」
「今夜ここでライブをするんですよ。できるだけ文化祭で桜達の曲を聞けない人たちを集めて」
活き活きと話す桜ちゃんに、ユメも前のめりになりながら話を聞く。
確かにそれは心踊る。夜の学校、音楽室だけで前夜祭。
もちろん稜子ならこの提案に乗ってくるだろうと思った。
思っていたのだが、意外にも稜子は首を振った。
「それは認められないわ」
「どうしてですか?」
「単純に許可を貰っていないもの。今から貰えるとも思えないし、無理を通せる時間もないと思わない?」
「確かに今日問題を起こしたら明日出られなくなるかもしれないもんね」
稜子の言葉にユメが残念そうにつぶやく。
しかし、救世主は扉の向こうから現れた。
「その許可なんだが既に取っているとしたらどうだい稜子嬢」
「お帰り御崎。それってどう言う事かしら?」
「どうもこうも言葉通りの意味としか……ねえ?」
一誠が言いながら視線を稜子から外す。その視線を追ってみると、桜ちゃんが居て一誠と同様「ねえ?」と首をかしげていた。
「こんなこともあろうかと前々から許可を取っていたんですよ。
もちろん音楽室の中だけでやる、日を跨がないと言う条件はつきますが」
「こんなことって何だいただみん」
この一誠の一言で、こんな事を想定したわけではなくただ泊まりたいから取った許可だと言う事はばればれなのだが、そんな事は些細な事で音楽室の空気が一気に変わる。
重かった空気が一気に活性化して、やる気に満ちて行くイメージ。
「じゃあ、早い所やる曲を決めないといけないわね」
「その事で一つ耳に入れていてほしいんですけど、今回学校側に頼みに行った時に『疲れた生徒の一時の休憩場所』としてやらせてほしいと言って許可をもらったのでゆるい感じでお願いしたいんですけど駄目ですか?」
「それなら一日目にやる曲をアレンジしてみようかしら。綺歩出来るわよね?」
「できなくはないと思うけど、皆はそれで大丈夫なの?」
「むしろ何か柱になるものがあってくれるとやりやすいので、綺歩先輩の好きにやっちゃってください」
「あ、あたしも綺歩先輩に合わせます」
「じゃあやり易そうなのを何曲か適当に弾いてみるから何かあったら言ってね」
そう言って綺歩がキーボードを鳴らし始める。
ゆったりとした曲調ではあるけれど、よく聞けば歌い慣れた曲。
なんとなく首を左右に傾けてリズムを取りたくなるような曲に替わってしまったが、皆何の問題もなくそれに合わせ楽器を鳴らし始めた。
最初が稜子で次に一誠。桜ちゃんと着て、少しの間があって鼓ちゃんが感覚をつかんだらしくギターを鳴らす。
そうなるともうユメのうずうずは止まらない。プレゼントを前にした子供のような期待と衝動の下、頭を左右に揺らしながら歌い出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「さすが綺歩ね。ゆるくって事ならこれで完璧じゃないかしら」
「さすがなのは合わせてくる皆だと思うんだけどね」
「なんにせよ問題なくいけそうですね」
「緊張しました。でも楽しかったです」
一曲終わって、女子組が思い思いに感想を述べる。
「それじゃあ、とりあえず時間を決めるわよ」
「スタートが九時半、終わりが十一時過ぎくらいで出入り自由に一票」
「桜もそれに一票を投じます」
「はあ……貴方達がそう言うならそうするしかないと思うのだけれど、大丈夫かしら?」
一誠と桜ちゃんの合わせ技に稜子が諦めたような口調で話す。
ユメは一度にこにこと笑う綺歩と緊張した鼓ちゃんの顔を見てから頷いた。
「宣伝もしないといけないと思うのだけれど、始まるまで後三時間くらいよね。その辺も桜達が考えているんじゃない?」
「勿論です。本番も大事なので二時間弱文化祭の練習をして残りの一時間はユメ先輩にこれを首にぶら下げて歌いながら校内一周して貰おうと思います」
そう言って桜ちゃんが取り出したのはプラカード。ネタで『えさを与えないでください』と書かれたものをぶら下げている人なら見たことがあるが、代わりに桜ちゃんが取り出したプラカードに書かれているのは『軽音楽部前夜祭。休憩しに音楽室に来てみませんか? 九時半開演。十一時過ぎまで。出入り自由』。
「これ、わたし一人で行かないと駄目なの?」
「桜がついていきますよ。歌うのはユメ先輩だけですけど」
「まあ、それなら」
渋々と言った感じでユメは了承したが、俺には分かる。実はユメが結構楽しみな事が。
それから文化祭の練習が始まった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
桜ちゃんからの要望は特になし強いて言うなら新曲は歌わないこと。とにかくいつも通り好きに歌ってくださいとのことだったので、ユメが廊下に声を響かせ始める。
廊下にはちらほらと生徒が見られるが宣伝と言う名目がある以上ユメはそれを気にしない。
桜ちゃんは確かに一緒来てくれたけれど、ユメの散歩後ろを歩いてきていてその首にはユメの物とはまた別のプラカードを下げ、看板を持っている。
その用意周到さから本当に着々と準備してきたんだろうなと色々と通り越して感心を覚える自分が居た。
教室の前を通る時、暗くて戸締りもしっかりしてある部屋と明るくて若干作業が廊下にまで及んでいる部屋とあり、またしんと静まり返っているところとまだ活気を失っていないところ、黙々と作業しているところがある。
その何とも言えない、まさに文化祭前夜と言う雰囲気にユメの足も軽くなる。
はたしてこの中の何人に自分の声が聞こえているのか、自分の声など聞こえないほどに集中しているのか。
集中したいけれど自分の歌が聞こえてきてしまったから作業の手を止めてしまったなんて人がいたら、その人には悪いけれどとてもうれしい。たぶんそんな事を考えているのだろう。
何人かがユメの事に気がつきひそひそと話し、何人かが後ろを歩いている桜ちゃんに声をかける。
それでも、ユメの歌を止める人はいなくてなんだか自分だけこの場にいないような感覚なったとき「お前ら」と怒っている中年男性のような声が聞こえてきてユメがビクリと歌うのを止めた。
声がした方を向くと、全校集会などでたまに見たことのある――つまり殆ど接点のない――男性教諭がすごい剣幕でこちらを見ていた。
「こんなところでなにしとるんだ」
「見ての通り宣伝ですよ」
「さ、桜ちゃ……」
「今日文化祭での宣伝行為を行っちゃいけないと知らなかったわけじゃないだろうな。
いや、知らなかったで済まされる問題じゃない。
お前らクラスと名前、後責任者は誰だ」
こちらの話など全く聞く気がないと言った様子で、怒鳴り散らす中年の先生に恐怖すら覚える。
いやユメは怖いのだろう、「あの、えっと……」と上手く声を出せないでいる。
桜ちゃんは気にしていないと言った風なのだけれど。
「先生良く見てください。この子たちは軽音楽部でちゃんと許可も取っているはずですよ?」
俺自身どうしたらいいのだろうかと焦っていると、聞き覚えのある男の人の声が聞こえてきた。
「ん? ああ、本当にそうみたいだな。副会長が居てくれて助かったな」
「先生、その前に言う事があると思いませんか?」
「言う事だと?」
「教育者として間違った行動をした時に謝りもしないと言うのはどうかと思いますが」
「ああ、悪かったな」
そう言って男性教諭が去っていくのを見送った後で、ユメがストンと座り込む。
そこでようやく助けてくれた人の方を見ると新谷副会長が立っていた。
「副会長が助けてくれるとは予想外ですね」
「たまたまそこにいたからね。それに協力はするって約束だったでしょ」
「まあ、助けてもらわなくても桜は問題はなかったですけどね」
そう言いながら桜ちゃんがユメを引っ張って立ち上がらせる。
「桜ちゃんそんな事……えっと、ありがとうございました」
「まあ、あの先生はボクも嫌いだしね」
「桜もユメ先輩を助けてくれた事は感謝します」
「そんな半分睨まれながら言われてもね。じゃあ、ボクは生徒会の仕事があるから」
副会長が去って行った後でユメが桜ちゃんに問いかける。
「桜ちゃんって副会長の事良く思っていないよね」
「そりゃあ、桜が副会長さんがちゃんと罪を償い終わったと思うまでは信用するつもりはないですから。
後ドリムちゃん抗争は話したと思いますが、桜は代表的な初代派ですから」
「そう言えば、桜ちゃんは遊馬のドリムちゃんの方が……って事はわたし達もしかして桜ちゃんが嫌な事頼んじゃった? ごめんね」
「初代さんからの頼みですからいいんですよ」
「桜ちゃんありがとう」
桜ちゃんにそう言ったあと、学校を一回りして音楽室に戻った。
音楽室に戻るとすでに何人か演奏を聴きに来てくれている人が居て、今までのライブでは見た事がないほど寛いだ雰囲気が流れている。
ユメと桜ちゃんが入って挨拶をすると返ってきた後で「俺に挨拶してくれたんだよ」「いや俺に」と言った会話が小さく聞こえた。
「ユメちゃん、桜ちゃんお帰り」
「もう結構人来ているんだね」
教室の前の方に居る皆ところに行って部屋を見回すとクラスの半分くらいの人数が集まっている。
全員が全員座っているので不思議な感じがするけれど。
その中には邦楽部の本田さんが来ていたのでユメが手を振ると恥ずかしそうに俯いてしまった。
「さて、そろそろ始めるわよ。今日は桜とユメで進めて貰うわ」
「はいはい。じゃあ桜ちゃんがいろいろ説明してくれない。
桜ちゃん発案だし」
「まあそうなりますよね。
それでは今から文化祭前夜祭イン音楽室を始めます。ちゃんと桜の話を聞かない人は出て言って貰うので聞いてくださいね。
それじゃあ初めに……」
そんな珍しい桜ちゃん司会の下、前夜祭と呼ぶには落ち着いたライブが始まった。




