Lv42
重厚な扉の前。普段そこは生徒が入れないように鍵がかけられていて、もしもその奥に行くことができれば他の生徒に自慢できるという場所。
会長が連れてきたのはそんな屋上へ続く扉の前だった。
生徒会長はポケットから鍵を取り出すと、躊躇うことなくその屋上への扉を開けてしまう。
その先にあったのは漫画やアニメ何かではよく見るような簡素な場所。ただし、もとより人が入ることを想定していないためかフェンスが無く、代わりに淵の部分が腰くらいの高さまである。
「生徒会長ってこんな事までできるんですね」
「屋上で告白したいって言う男女の為に持っているのよ」
「冗談です……よね?」
「もちろんよ。本当は色々な雑用まで頼まれる生徒会長が一回一回鍵を職員室まで借りに行かなくてもいいように、信頼の名のもとに学校からマスターキーみたいなのを借りているのよ」
「マスターキーですか?」
「みたいなもの……ね。校長室なんかはこれじゃ入れないのよ。
基本的には普段生徒が入ることができるような教室にしか入れなくて、でもためしに屋上の扉に使ってみたら開いちゃったの」
そう言って、生徒会長が一般的な家の鍵の数倍の長さがあるマスターキー(?)を眺める。
「そんな事、俺に教えて良かったんですか?」
「尋ねてきたのは三原君じゃない。それに、こちらから頼んだんだからこれくらいは教えないとフェアじゃないでしょう?」
「それを教えないとフェアじゃない生徒会長が聞きたいことってなんですか?」
なんだか食えない人のような気がして話を進める。
しかし、生徒会長は首を振ってこちらを見た。
「それよりも最初に自己紹介が先ね。いかに私が有名な生徒会長様で、貴方達のファンだったとしても、直接会うのは初めてなのだから当然よね」
「でも、前回はそんな事……」
「あら、前回は三原君いなかったわよね?」
「ああ、えっと、メンバーから聞いたんですよ」
「そうなの。前回は失敗だったわね。ようやく本物のユメさんに会えて……ああ、可愛かったわ本物のユメさん。思い出しただけで……」
そう言う生徒会長の口の端から涎が垂れる。整った顔立ちをしているのに、こうなってしまっては台無し。
普段から掴めない人だけれど、そちらの方が数倍ましではないだろうか。
頭の中に聞こえる『やっぱり怖いよ遊馬』と言う声に全力で同意しつつ、怯えた声の主を文字通り客観的に見る事が出来ない運命をほんの少し呪っておく。
生徒会長は涎をハンカチで拭うと俺にきっちりと向き直る。
「私は三年の千海秋葉。生徒会の会長をやっているわ。
好きな物は軽音楽部。特に好きなのはユメさん。
ただ、勘違いしてほしくないのはユメさんだけを抱きしめたいわけじゃなくて許可さえもらえたら誰にでも抱きつくわ。
一年生の初春さんとかかなり抱き心地良さそうだもの。
稜子さんに嫌がられながらって言うのもまた……」
「一つ質問いいですか?」
これ以上この美人を暴走させてはいけないと思い、手をあげて尋ねる。
幸いこの程度で生徒会長の暴走は止まり「何かしら?」と腕を組んだ。
「さっき、稜子がだいぶ失礼な事をしたと思うんですが、あれでなにかあったりとか……」
「あ、あれね。良いじゃないかしらフレンドリーで。
って言うか、私から頼んだのよ。生徒会長だからって畏まらないでってね」
「ああ、それで稜子は迷走していたんですね」
「もちろん三原君もフレンドリーな感じで構わないのよ?」
「できそうなら、追々ってことでお願いします」
「それじゃあ、自己紹介お願いできるかしら」
何と言うか生徒会長のペースだなと苦笑もしたくなるが、それを溜息のような深呼吸に変えてから口を開いた。
「二年の三原遊馬。少し前までこの学校の軽音楽部のボーカルでした。
好きな……
好きな事は軽音楽部を見守ることです」
自己紹介をしながら正直しまったと思った。
どうして生徒会長につられて好きな物なんて言おうとしてしまったのだろうか。
最も好きな物をユメにあげてしまったのだから、俺の好きな物と言われても自信をもって答えられるものはない。
俺に残っているのはユメがどんな景色を見せてくれるかと言う事だけなのだから。
「なるほどね。お互いに好きなものまで分かったところで本題に入るわね」
「生徒会長は俺と話がしたかったんですよね」
「そうなんだけど、まずその生徒会長って言うのは止めてくれないかしら。あくまで私個人として話をしに来ているのだから」
「それなら何て呼んだら……」
「好きに呼んでくれて構わないわよ。あっきーでも千ちゃんでも」
「じゃあ、秋葉会長と呼びますね」
萩君と同じ呼び方だし、流石に先輩に「あっきー」とか「千ちゃん」とかは本人がよかろうとこちらが使い難い。
秋葉会長は少し不満そうな顔をしていたが、諦めたように「仕方ないわね」と言ってから本題に入った。
「単刀直入に聞くけど、三原君は軽音楽部を無理やり辞めさせられたってわけじゃないわよね?」
「俺は別に軽音楽部は辞めてないですよ」
「まあ、そうよね。じゃないとあそこまで音楽室で馴染んでいないもの」
「話って言うのはそれだけですか?」
「いいえ、もう少し聞かせて貰うわ。例えば何で今貴方が歌っていないのか……とかね」
「ユメの方が歌が上手いですからね。むしろ何で俺が歌えるんですか?」
「別にボーカルを止める必要はないじゃない? ボーカルが二人いて困るわけでもないでしょうし、私も素人だからはっきりと言えないのだけれど性別が違うのだから特に何の問題もないと思うのだけれど」
「お世辞でも秋葉会長は俺の方が上手いとは言わないんですね」
俺のその一言に秋葉会長がうろたえたように視線を泳がせる。
「秋葉会長ならユメが出た校内ライブに来ていたと思うので分かると思いますが、あのライブの後ユメへの賞賛と同時に俺が何と言われていたか知っていますか?」
「あれに関しては、私も許せなかったの。本当よ?」
「冗談ですよ。秋葉会長が話のペースを持って行くからちょっと意地になってみただけで、今はあの時の事をどうこう言うつもりはありません。
それでさっきの質問の答えですが、俺はユメのサポートに徹したいんです」
「三原君自身は身を引いてユメさんが歌える場を増やしているって事かしら?」
「まあ、そうなりますかね」
「それが出来るくらい、三原君は大人だって事よね」
秋葉先輩の言葉に俺は首を振って返す。
「そんな大層なものじゃないですよ」
大人だったらきっと今日歌っていた。大人じゃないと自分で分かっていたから歌わなかった。
少しの間。もう話はないのかと思ったところで、秋葉会長の声が聞こえてきた。
「三原君。ちょっといいかしら?」
「いいですけど、何でしょう?」
いつの間にか俯いてしまっていたらしく下がっていた視線をあげると、目の前に秋葉先輩が来ていて驚く。
次の瞬間。最初に思ったのは女の人ってやっぱり柔らかいなと言う事。
「あ、秋葉会長何をしているんですか?」
「何って抱きついているのよ」
「それはわかってます」
「三原君は私の話を聞いていなかったのかしら、許可さえ貰えば軽音楽部の部員誰にでも抱きつくって言ったでしょ?」
「言いましたけど、それとこれとは」
それとこれとは何なのだろう? 急な出来事で頭が働かない。
今分かるのは、恐らく綺歩よりは無いと言う事。それでも結構な大きさではある。
幸い顔は見えないのでこちらがどんな顔をしているか見られることはない。間違いなく呆けた顔をしているだろう。
「さすがに私も男の子に抱きつくなんて殆どしないんだけど、今日は特別なのよ」
「特別?」
「元気のない後輩に生徒会長パワーを送らないといけないから」
「初対面の人にもそんなことするんですか」
「私は初対面ではないもの。貴方達をずっと見てきたんだから」
「わかりました、パワーはもう貰いましたから離れてください」
そこでようやく秋葉会長が離れて俺の心に平穏が訪れる。その時に頭の中で鈴を転がしたような笑い声が聞こえてきたけれど無視する。
呼吸を整えて秋葉先輩を見ると、良い玩具を見つけたと言わんばかりのいい笑顔をしていた。
「そもそも、俺に生徒会長パワーなんていらないですよ」
生徒会長パワーって何なのだろうか? 人気が集まるとか、人をまとめるのが上手くなるとかだろうか?
「そんな事無いわよ。「そんな大層なものじゃない」って言った時の三原君、だいぶ寂しそうな顔をしていたもの」
「それは……」
「きっと三原君の中で色々な葛藤があったんでしょうし、下手に踏み込んじゃいけないじゃない。そうなるともう、生徒会長パワーを分けるしかなかったのよ?」
「お気づかいは感謝します」
何だかんだで結局秋葉会長のペースになってしまったなと、深呼吸をするように大きく息を吐くと口を開く。
「ところでユメをステージに上げないようにしているって人は見つかりましたか?」
「残念ながらまだなのよね。できれば八月中には見つけたいのだけれど」
「確か文化祭でステージを使う部活のどこかって話でしたよね」
「そう思ってはいるのだけどね」
秋葉会長がそう言って浮かない顔をする。
「でも、どこの部活もむしろ好意的なのよね。
軽音楽部ってそもそも文化祭におけるステージ使用の時間だけでも十分優遇されているはずなのに、ステージの使用権を譲ってもいいってところもあったし、その優遇に思う所はあっても実力が伴っているのだから仕方ないってところもあったのだけれど……」
「表だって反対してくる所はなかったってことですか?」
「そうなるわね。少なくとも部活単位では反対していないってところかしら。
後は個人で調べてみて駄目だったら振り出し……ね」
「生徒会長様でも大変なんですね」
「これが最後の仕事だもの。多少大変でもやり遂げて空前絶後の文化祭にしないといけないじゃない?」
そう言って笑う秋葉会長は今の大変さなど何でもないと言わんばかりで、だからだろうか。
それとも、曲がりなりにも俺が渦中の人だからだろうか自然と秋葉会長に声を掛けていた。
「俺に何か手伝えることってありませんか?」
「それなら一つだけ。ユメさんが本番最高のパフォーマンスをできるように支えてあげてくれないかしら」
「それは言われなくてもです」
「任せたわ」
秋葉会長はそう言って笑うと扉の方へと歩いて行く。
「それじゃあ、話はこれでおしまい。付き合ってくれてありがとう」
「これで、秋葉会長がユメの力になってくれるなら安いものですよ」
それから会長に促されて屋上を後にした。




