Lv39
「じゃあ、定番のスイカ割りでもしましょう」
「スイカなんて持ってきていたのね」
「本当にそう言うのだけ持ってきていたら良かったのに」
「でも、ユメ先輩の水着可愛いですよ?」
「可愛いのはわたしも認めるけどね」
そんな話をしている時に、藍と優希が不思議そうな目で一誠のことを見ていた。
「一誠君。スイカって冷えていた方がいいですよね?」
「その辺はぬかりないよ藍譲ちゃん」
「でも、一誠君の荷物の中にあるんだよね?」
「ところがどっこい、これに入れてきたわけよ」
そう言って一誠が取り出したのはクーラーボックス。何処からそんなものが出てきたのかは考えないものとして、小さめながらその中からスイカが姿を現した。
「一誠……よくそんなもの持ってこられたよね……って言うかよく持ってこようと思ったよね」
「ユメユメ、楽しそうだからの理由がいるかい?」
「ついでに叩く棒は桜担当です。現地調達ですけどね」
そう言った桜ちゃんが蛍光灯のような木の棒を見せる。
「なんだか、二人に気を遣わせすぎちゃったね」
「いいんですよ、綺歩先輩。桜がやりたいことは達成されましたし、皆で楽しみたいのは桜たちだって同じなんですから」
「まあ、そう言う事だ綺歩嬢」
「それで桜ちゃんどうやってやるの?」
「普通のスイカ割りと一緒ですよ。目隠しして十回まわって、周りの人の声を頼りにスイカを割るんです」
「それで順番はどうするのかしら?」
やけにはりきっている稜子が尋ねると、桜ちゃんがその張りきりに水を差す。
「稜子先輩は最後から二番目です。最初はつつみん、次にユメ先輩、それから妹さんたち、桜、綺歩先輩……」
「で、稜子嬢、オレって順番だな」
「準備をして貰った手前文句は言わないわ。早いところ始めましょう」
準備は至って簡単。レジャーシートの上にスイカを置いてタオルでスイカを割る人の目を隠すだけ。
初めは鼓ちゃん。ぐるぐると回っている鼓ちゃんを見ながらユメが桜ちゃんに声をかける。
「こういうのって一番目の人がスイカ割っちゃうって事があるよね」
「今回そう言うのはないはずですよ。そう言う順番にしていますから」
「それってどう言う……」
「まあ、見ていたら分かりますよ」
と言ったところで、鼓ちゃんが回り終え棒を構える。
やや足もとがおぼつかないながらも「右」とか「左」とか中には「上」とか言う人もいる中で鼓ちゃんは着実にスイカとの距離を縮めスイカにピンポイントと言ったところで棒を振り上げ振り降ろす。
それを固唾を飲んで見守っていると、コツッと棒がスイカに辺りはしたけれどそれだけで終わってしまった。
目隠しを取って当たりの様子を確認した鼓ちゃんが不思議そうな顔でこちらを見る。
「えっと、どうでした?」
「さすがつつみんです。真っ直ぐスイカに向かって見事叩くことに成功しましたよ」
「そうなの? 良かった」
「と言うか、ほとんど迷うことなく行ったよな。はるるん」
「初春さんすごかったです」
遅れてきた称賛に照れてしまったのか、ちょこちょこと鼓ちゃんが帰ってきてユメと場所を入れ替わる。
目隠しをされ視界が閉ざされたところでユメが不意に声を掛けてきた。
「この順番って要するに非力そうな人からやっているんだよね」
『鼓ちゃんのあれを見る限りではそうなるだろうな』
「それだと、わたしって藍や優希よりも非力そうってことだよね」
『見た目はそうだろうな。それよりも早く動かないと心配されるぞ?』
「まあ、分かっていたけどね」
ユメが溜息をついて、ぐるぐると回り始める。何をもって一とするのかが分からないだけれど、その判断はこちら側にゆだねられているので出来るだけゆっくり十秒数える事で十回まわったとして――あくまで俺は――ユメが棒を構える。
周りから聞こえる声は結構適当で現段階で聞こえるだけでも「前」「後ろ」「左」「右」の四つがある。
「これってほぼ運じゃないかな?」
『そうだよな』
一つ溜息をついて、とりあえずとユメが一歩足を踏み出す。それでも聞こえてくる声は変わらず、どうする事も出来ないので波の音を探すことにした。
確か海を右手に真っ直ぐ行けばスイカの方には着くはずなので。
それをユメに言いはしないが、たぶん似たような事は考えているだろう。
ユメは何歩か歩くと、足にレジャーシートがクシャっと音を立てたのでそこで棒を振り下ろす。
結果は空を切った。柔らかい砂の感覚と、シートを叩く感覚とがユメの手に伝わる。
目隠しを外してみると、スイカから大分外れたところを叩いていた。
「お姉ちゃん惜しかったね」
「うん。方向があっていてよかったよ」
入れ替わりにやってきた優希にそう言って目隠しのタオルと棒を渡す。
周りで見守っている側に戻ると、ユメが「ふう」と息をはいた。
「ユメちゃんお疲れ様。そろそろ歌わないといけないんじゃないかな?」
「あ、そろそろかな。ありがとう綺歩」
「その格好の遊君はあまり見たくないからね」
「それもそうだよね」
それは俺も同感だと思っていると、ユメがくるくる回る優希を見ながら歌い出した。
優希の後、藍まで終わって結局きちんと当てる事が出来たのは鼓ちゃんだけ。優希はすたすたと迷いなく歩くと、全く違う所を叩いた。
藍は惜しくもスイカ少し右を掠った程度。
今は五人目の桜ちゃんがその場で回っている。
「鼓ちゃんはほとんど迷ってなかったよね」
「そうですか? そうかも知れませんね」
「何かコツとかあるの?」
「あたしは桜ちゃんと御崎先輩の声を無視していただけなので、そこから先は運ですよ」
「ああ、なるほど」
鼓ちゃんの話を聞いて俺も妙に納得してしまった。何でその事に気がつかなかったのだろうか。
桜ちゃんと一誠はいわば仕掛け人なのだからこの企画がすぐに終わらないように画策するのが自然。
『ユメ一ついいか?』
「桜ちゃんに仕返しをってことでしょ?」
『確実に嘘をつく二人のうちの一人が今やっているんだから、桜ちゃんは一誠の声だけ無視すればいいって事になるからな。不公平だよな』
「と、言いつつたまには桜ちゃんに一矢報いたいんだよね。わたしもだけど」
二人の意見がかみ合ったのでユメが大きめの声で適当な方向を言う。
その声が届いたのか順調に進んでいた桜ちゃんの足が止まる。
しかし、それも束の間。ユメの声など届いていないかのように真っ直ぐスイカに向かい始めた。
それから、ベストポジションとも言える位置で木の棒を叩きつける。それなのに何故かやや左にずれた軌道はスイカの真横を通り過ぎて行った。
目隠しと棒を綺歩に渡して戻ってきた桜ちゃんは、とても惜しかったはずなのに悔しそうな事はなくむしろスイカを割ってきましたとばかりに満足そうな顔をしていた。
その桜ちゃんに鼓ちゃんが声をかける。
「桜ちゃん惜しかったね」
「惜しくなんてないですよ。むしろ思ったとおりです」
「やっぱり、当てる気はなかったんだ」
「そうなの桜ちゃん?」
「桜が割ったら桜の後の人ができなくなりますから。
それはともかく、ユメ先輩ちゃんと指示してくれていませんでしたよね。ありがとうございます」
「さすがにわたしもお礼を言われるのは予想外なんだけど」
「先輩のことなので、桜がやる時には仕返しに適当な指示をするんだろなと思っていたらそうしてくれたので妙に満足出来たんですよ」
「何かそれ全然嬉しくないな……」
ユメが肩を落とすと、「わー」っと歓声が上がる。見てみると、稜子がスイカを割ったところだった。
妙に誇らしげな稜子が一誠に向かって「悪いわね」と言っていたが、一誠はあまり気にしてはなさそう。
「じゃあ先輩スイカ食べに行きましょうか」
「そうだね」
諦めたような声を出してユメが桜ちゃんについてく。
それなりに長時間外に置かれていたスイカだったけれど思ったより冷たくて、不格好なそれがスイカ割りの後と言う感じがして思わずユメの頬が緩んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「大好きな夏 その少しだけ寂しい時間 オレンジの空 伸びる影」
夕方、人もだいぶ少なくなってきても俺達はその楽しい時間を長引かせようと海に居続けている。
ユメが歌っている理由は言わずもがな。歌っている場所はオレンジに染まりつつある海、その上に浮かんでいるベッドのような一誠達の頑張り。
「I Love Summer 夏の夜には 花が咲く
空の上で 私の手元で」
『でも今日は流石に咲きそうにないな』
「そうだね」
「先輩止めちゃうんですか?」
いつの間にかやってきていた桜ちゃんがそう声をかけてきた。
ユメは後ろから声のする桜ちゃんの顔を見るために手を後ろについて思いっきり身体をそらす。
「遊馬が水差してきたから」
『俺は歌っているユメの気持ちを代弁しただけなんだけどな』
「遊馬先輩なんてことしてくれるんですか」
「まあ、わたしとしてもちょっと寂しくなってきたから。このまま歌うと泣いちゃうかもしれないよ?」
「でも、先輩は歌うのが楽しいんですよね」
「楽しいよ。だってわたしは歌うためだけに生まれたようなものだし。
だから、たぶん笑いながら泣くかも」
「器用な事しますね、先輩は」
「んー……でも、歌わなくっても今は似たような感覚だよ? 楽しい時間が終わる直前。確かに楽しいはずなのに、どこか物悲しさがあるような」
「そう言われると少し分からないでもないですね」
「だから、桜ちゃん今日はありがとう」
「きゅ、急に何を言い出すんですかっ」
桜ちゃんが鳩が豆鉄砲でも食ったかのような顔をしてから、焦ったようにそんな事を言う。
そんな桜ちゃんは珍しくて、ユメが笑っていると桜ちゃんの表情が不機嫌なものになってしまった。
「何だかんだでわたし達を楽しませようとして頑張ってくれていたんだよね」
「それは一誠先輩も一緒ですけどね」
「一誠にも後で言っておくよ」
「そうですか」と顔をそむけてしまった桜ちゃんにユメが思い出したかのように話しかける。
「そう言えば桜ちゃんが言っていた夢ってもしかしてドリムちゃんに会うとかだよね?」
「先輩は何で桜が今までその話を暈していたのか察してはくれないんですね」
「あ、ごめんね……」
「いつかはわかることなので構いませんが……
そうですね。先輩の予想とは少し違います」
「違うの?」『違うのか』
「もちろんドリムさんに会いたかったと言えば会いたかったんですが、桜は一応作曲家で演奏家ですから桜が作った曲をできれば桜の演奏で歌って欲しいんですよ」
「なるほど。そう言えばそうだよね」
「そんな反応されると桜もちょっと自信無くしますよ?」
「あはは、ごめんね。世間知らずで」
「もう先輩方は世間知らずのままでいいんじゃないですか?
さて、そろそろ戻らないといけませんね」
桜ちゃんがそう言うのと同じくらいに陸の方から綺歩の声が聞こえてきた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
帰りの電車の中。行きと同じような分かれ方で二つに分かれて座っているけれど、行きにはあった活気はほとんどない。
それもそのはず、年下組は皆眠ってしまっているみたいでこちら側も稜子が綺歩の肩を借りて眠っている。
「綺歩も一誠も今日はありがとう」
「ユメちゃんどうしたのそんな急に」
「綺歩だって急に言ってきたでしょ? 昼間に」
「そうだけど……」
「いろいろあったけど、やっぱり皆でこうやって海に行って、帰りの電車で寝ちゃう人もいて。
こんな楽しいような切ないような余韻に浸れるのはやっぱり綺歩が誘ってくれたからだし、一誠や桜ちゃんが準備してくれたからだと思うから。
だから、ありがとう」
「そんな風に言われると照れちゃうな」
「まさか遊馬の海パンを脱がせて感謝されるなんて、世の中何があるかわからんのう」
『それに関して俺はまだ許したつもりはない』
「一誠、遊馬がまだ許してないって」
「仕方ない。今日持ってきた海水浴グッズで手を……」
「要らない」『要らん』
そうやって話しているうちに駅に着いて、皆を起こすのに少し手間取ってしまった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
皆で海に行ったのももう一週間以上前になる夏休みの中盤。
あれ以来特に変わった事もなく、週の半分ほどを部活に行って残りは家で宿題を進めたり妹達とちょっと出かけてみたり。
藍と優希がユメの事を知ってくれたおかげでユメもだいぶ俺と入れ替わりやすくなり、二人に連れられてユメの服を何着か買いに行ったりもした。
今日も今日とてセミの鳴き声とさんさんと降り注ぐ日差しの下汗をかきながら学校で部活。
一度音楽室に入ってしまえば冷房が効いているのが救いと言えば救いだが、男子の感覚でいるとユメに変わった時にだいぶ寒く感じてしまう。あまり効かせすぎると喉にもよくないのでその調節も難しい。
「そう言えば今日稜子嬢は生徒会室だったっけ?」
「文化祭の話し合いだったよね。ステージの割り振りとか、学校側にどこまで準備して貰うかとか」
「戻ったわよ」
「稜子お帰り。どうなったの?」
「何ていうか、少し面倒な事になったわね」
「面倒?」
綺歩が首をひねると、稜子が順を追って話し始める。
「とりあえず、アタシ達が確保できたのは一日目と三日目。時間は交渉中ってところね」
「やっぱり二日目は無理なのか」
「そもそも二日目はコンテストでほとんど埋まっているもの」
「でも、二日取れたって事はいいことじゃない?」
「あくまでそこはね。ただ、生徒会から一つ注意と言うか警告を受けてね」
「ユメ先輩ですよね。桜も予想していなかったわけではないですがこうなってしまいますか……」
「え? わたし?」
稜子が「そうなのよ」と言うのと同時に急に名前が出たからかユメが驚いた顔をする。
「ユメ先輩って基本的に此処の生徒ではないですから」
「つまり、人気はあるし演奏はして欲しいけれど、どこの誰とも分からないユメに歌わせるのは認められないって言うのが生徒会の判断らしいわ」
「わたし……歌えないの?」
ショックを受けたユメの声は冷房の作動音にも負けて、誰の耳にも届かなかった。




