Lv23
「それで、先輩方はテストどうだったんですか?」
所変わって昼休みの学校。テストが終わって数日過ぎたくらいだろうか、相変わらずやってくる桜ちゃんと鼓ちゃんを交えてお昼ご飯を食べている時に桜ちゃんがそんな事を切り出した。
「国語が八十八点。それがいただけなかったよ」
即答するのは一誠。暗に残りの教科は九割を超えたと言いたいのだろう。桜ちゃんが面白くなさそうな表情を見せる。
「遊馬先輩はどうなんですか?」
「最高点が一誠の最低点なのは納得がいかないが、残念ながら全教科平均プラス五点は取れたよ」
「残念って何ですか。桜が先輩方の点数が低い事を望んでいるみたいな」
「でも、桜ちゃん残念そうな顔していたよね?」
「つつみんまでそんな事を言いますか。桜は先輩方が補習にならなくて安心しただけです」
「あー……それなら是非稜子に聞くべきだな」
「そうだな」
稜子の名前を出した途端桜ちゃんも鼓ちゃんも不思議そうな顔をする。
「でも一応赤点は取ったことないんだよな。確か」
「むしろあれは才能の一種だろ」
そう言って顔を見合せる俺達を、一年生の二人はさらによく分からないと言った表情で見ていた。
「それにしても、つつみんもさくらんもここに来るの慣れたよな」
一誠がそう言ったとき、クラスの女子がそそくさとやってきて「はい、初春さん。お菓子食べる?」と言ってお菓子を持ってくる。
鼓ちゃんは遠慮がちにでもしっかりと「ありがとうございます」と言ってからそれを受け取る。そんな鼓ちゃんを撫で始めたかと思うと「それじゃあね」と何処かに去って行った。
「むしろ、このクラスがこの二人がいる状況に慣れたんだろ」
「それもそうだな」
「これもどれも桜の人望のおかげですね」
「明らかに鼓ちゃんのお陰だろ」
「つつみんの手柄は桜の手柄ですから」
そんなよく分からない理屈を並べ誇らしげな顔をする桜ちゃんを見ていると一つ疑問が生まれた。
「二人って昔から一緒なのか?」
「あたしと桜ちゃんですか?」
「ずっとではなく中学生の頃からですね。桜達が中学二年生の時に出会いました」
「出会ったと言うよりも、桜ちゃんがあたしを探しだした感じなんですけどね」
「探しだした?」
「そうですよ。一緒に音楽できる人を桜は探していました。とはいえ中学ではなかなか見つからなくて、人伝につつみんのことを聞いたんです」
そうやって苦労して見つけたから桜ちゃんは鼓ちゃんの事をあんなに気にかけていたのかと納得して二人を眺めていると、鼓ちゃんが困ったような顔をして俯いてしまった。
顔が赤くなっているところを見ると、変に見ていたせいで恥ずかしがらせたりしてしまったのだろうか。反射的に謝ろうとしたところで桜ちゃんに「なんですかその微笑ましいと言った視線は」と言われてしまったので結局そちらの対応をせざるを得なくなってしまった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
放課後、そう言えば最近科学部室に行っていなかったと思い足を運ぶ。前回来た時ユメと盛大に言い争ってしまったためあまり行きたくはないのだけれど、定期的に来いと言われていたし――全然定期的に行っていないが――実際悪い人ではなさそうなので、行ってみようかという流れになった。
それに十五分タイマーの件もあるし。
「こんにちは、巡先輩いますか?」
「おお、君か。何やら久しぶりな気もするが、今日はどうしたのかね?」
生服の上に白衣の巡先輩は相変わらず瓶底眼鏡の向こうから俺を見てくる。
その声は特に不快感を抱いている様子もなく、初対面から今のような感じなら印象もだいぶ変わったのだろうなと思わなくもない。
「どうしたってわけでもないですが、最近来ていなかったので検査か何かがあるのではないかと思いまして」
「なるほど、そう言うわけか。だとしたらすぐにもう一人の君に替わってくれ」
「ユメいいか?」
『わたしは構わないよ』
一応ユメに断ってから入れ替わる。
巡先輩は「ふむ」と短く言うと、すぐにパソコンの画面に向かってしまった。
それから巡先輩の作業が終わるまで歌を歌っていた。
巡先輩は作業が終わるといつもと同じようにパソコンの画面を見せてくれる。
それ自体は本来嬉しいことなのだろうけれど、見せられたところで理解が出来ないので何を考えているのかわからない巡先輩に――ユメが――尋ねる事になる。
「これってどういうことなんですか?」
「君らはどちらともいたって健康体であるってことだね。まあ、細かい数値まで一致していると言うのは脅威だと言えなくもないが」
「とりあえずは安心していてもいいと言うことですよね」
「そう言う事だな。あともう一つ。ようやく完成したから持って行くと良い」
「完成ですか?」
「いつだか言っていた十五分タイマーという奴だよ。正確には十五分タイマーではないがね」
そう言って巡先輩が白衣のポケットから腕時計のようなもの取り出してユメに渡す。
それを手に取ってユメが見やすいように文字通り目の前まで持ち上げた。
それには文字盤がありバンドがあり、一から十二までの数字が書いてある文字盤には三本の長さの違った針が取り付けられている。
『普通の腕時計だよな』
「普通の腕時計……ですよね?」
「見た目は、だな。だがそれには君が元に戻る時の僅かに現れる変化を感知する機能が付いていてだね。
そもそも君が元に戻る所を分析して分かったのだが、君が元に戻る時、時間にしてみると残り二、三分と言ったところか。に、なると数値に乱れが生じてだね。その乱れを感知するのがそれってわけだよ」
「は、はあ。そうなんですか……」
「あまり分かっていない様子だね。まあ、実際に使ってみるのが簡単だろう。そろそろ十分は経っただろうから、もしかしたらすぐに効果が現れるかもしれん」
巡先輩に言われてユメが腕時計をつける。
細いユメの腕ではどう頑張っても少し大きく作られたそれは、恐らく俺であればぴったりなのだろう。
変化が訪れたのは付けてから三十秒後ほど。一秒ほど携帯のバイブレーションのように腕時計が震えた。
「今のは?」
「今のが君が元に戻る三分ほど前の反応だね。これが一分前になるともう少し長く震えるし、あと十秒ほどになると元に戻るか君が歌うまで震え続ける」
「なるほど」
「本当はアラームでも良かったのだが、人前で音が鳴るのも困るだろう。今は試験段階だからワタシが考えて設定はしたが、ある程度なら変更もできるから何かあれば言えばいい」
「そこまで気を使っていただいて、ありがとうございます」
「言っただろう? これでも悪かったとは思っているんだ。それくらいはするさ。ただ今日は一度もう一人の君に戻るまでここにいて貰うがね」
「また、何かデータでも取るんですか?」
「そう言う事だよ」
そんな会話の途中で腕時計がもう一度震えたので、後一分ほどで元に戻るわけだ。
そこからは特に話す事もなくユメはジッと時計の秒針を目で追い始めた。
最初視線を移したとき秒針は文字盤の「5」を少し回った位置刺していて、腕時計を見始めるまでに二、三秒ほどラグが発生しているため、巡先輩の言葉が正しければ次二十五秒になった時に俺に戻ると言う事になる。
僅か一分かもしれないがこうやって結果を期待して待つ一分というのは長く感じるもので、正直とても焦れったいのだけれどそれはユメも感じているだろうし、こんな時にはただ秒針を追いかけているだけでも気晴らしにはなる。
そして秒針が「3」を刺したとき腕時計が反応を示した。三度目の振動はすぐには止むことはなく、秒針が「4」を過ぎ「5」に到達した所で振動が止まった。
それと同時に着ていた制服が俺にぴったりのサイズになる。
「成功のようだな」
「そうみたいですね。ありがとうございます」
「ワタシも研究できるものが増えて、それはそれで楽しいのだよ」
瓶底眼鏡の向こうあまり表情を変えることのない巡先輩がその時笑ったような気がして思わず目を丸くする。
そんな俺とは裏腹に巡先輩は「今から部活があるのだろう、早く行くと良い」と俺を外へと促した。
「失礼しました」と言って科学部室を後にする。
『巡先輩って何者なんだろうね』
「何者なんだろうな。科学に全身全霊を掛けている人としか言えないよな……」
『実は学校側の人だったりね』
「そうだったら面白いなと考えなくもないけど、さすがにそれはないだろ」
俺とユメ。この二人が違うのだと明確に区切りを付けてからかユメは俺が考えはしても口にはしない冗談なんかを口にするようになった。
それは何ともくすぐったい思いもあるのだけれど、やはり考え方の根本は同じなので話が思った通りに進んでくれて疲れない。
『ともかく今は部活だよね』
「そうだな」
「じゃあ、遊馬今日もわたしの歌聞いていてね」
『俺の歌だけどな』
「わたしが貰ったからわたしのものだよ。その代わり遊馬が満足するところまで連れて行ってあげる」
音楽室の前に到着したのでユメと入れ替わりながらも会話は続ける。
こんな事が言い合えるようになったのも俺の方の諦めがついたから。変な意地を張らなくなったから、というのが今の正直な感想だ。
横開きの音楽室の戸を開けると流石に全員揃っていて、ユメが中に入ると自然と視線がこちらに集まる。
最初に口を開いたのは、真っ先にこっちを見た稜子。
「ユメ遅かったのね」
「ちょっと科学部室に寄ってきたから」
「そんな気はしていたからいいのよ。何か身体に異常とかはなかった?」
「大丈夫みたいだし、わたし自身異常は感じないから大丈夫」
稜子がこうも気を掛けてくれるのは言わずもがなユメが表に出ているからだろう。
俺の状態で入ったあかつきには「あら、三原遅かったのね。そんな所に突っ立っていないで早くユメに変わってくれないかしら」と言われるのが落ちだ。
それは別にいのだけれど、俺としては全く別の所で非常にどうでもいいけれど非常に気になることが一つある。
「わたしの身体よりも稜子はテストどうだったの?」
「オール三十一よ」
「確かこの学校って赤点三十点じゃなかったですっけ?」
鼓ちゃんが驚いたようにそう言う隣で、桜ちゃんが今にも笑いだしそうな顔をしている。
綺歩と一誠に関してはとても安心したようにホッと息をついた後で、呆れた顔をしていた。
渦中の稜子はまるで気にした様子も見せずに口を開く。
「そう、つまりアタシは何一つ赤点を取っていないと言うわけなのよ」
「もはや才能だよね」
「綺歩嬢それは点数の話かい? それとも志手原様の態度の話かい?」
「どっちも……かな」
「と、言うか綺歩も一誠もこの話していなかったんだね」
「だって聞くのが怖くて……」
そう言って気まずそうに目をそらす綺歩の気持ちも分からなくもない。実際今日ここに来ているとは言え、実は赤点があって部活に来ている余裕も無かったと言う可能性も無きにしも非ずだし。
「ちょっと、綺歩それってどういうことなの?」
「稜子にはもうちょっと勉強してほしいなって事」
「無理ね」
「だと思った」
「さて、話はこんなところでいいかしら。
全員集まったところで話しておきたいことがあるのよ」
そう言えばまだユメ着替えていないなとは思ったけれど、話なら格好は関係ないかと余計な事は口にせず稜子の言葉に耳を傾ける。
「テストも終わって夏休み。八月一日にいつものライブハウスでライブをするわ」
「ラ、ライブハウスですか?」
鼓ちゃんは驚いてそう返していたけれど、綺歩も一誠も特に気にした様子は見せない。
「大丈夫だよ、鼓ちゃん。そんな怖いところじゃないから」
「怖いとかではないんですが、急な事で驚いてしまって……」
「一年生組は初めてだったなあそこで演奏するのは。初めてと言えばユメユメも初めてって事になるんだろうけど」
「わたしは遊馬の時に経験あるから初めてに含まれるのか怪しいけどね。それよりも桜ちゃんがあまり驚いていないことが意外」
「桜が驚くと思っていましたか?」
そう言って見せる桜ちゃんの笑みは正しく含み笑いで、無意識のうちにその裏を考えてしまう。しかし、それ自体はあくまでもフリだったらしくコロコロと笑い直し桜ちゃんが口を開く。
「なんて、これでも驚いているんですよ。ですが、稜子先輩ならやりかねないなと思ったのですんなり飲み込めただけで」
「まあ、稜子だもんね」
「そんなわけで、今日からはそれに向けた楽曲の調整をしていくから。何か聞きたいことはある?」
部長らしく脱線した話を元に戻すように声を張る。
聞きたいことと言われて何もないかなと思ったけれど、その時に一つ思い出した。
「ねえ稜子。妹たちがライブに来たいって言っていたんだけど、チケットって貰えないかな?」
「ユメに妹? ああ、そう言えばいつだか綺歩が言っていたわね。
それと説明が足りていなかったわ。現金は受け取れないからチケットは各二枚ずつ貰っているから、部活の後どうしても欲しい人はアタシに言って。余った分は向こうに返すから本当に必要な人だけね」
「じゃあ、後で貰うね」
「ユメ先輩の妹ってことは遊馬先輩の妹なんですよね? どんな子なんですか?」
そう尋ねてきたのは鼓ちゃんで、興味津々と言った様子で大きな目をこちらに向けている。
さらに小首をかしげている仕草は思わずお菓子を口に持っていきたくなるような可愛さがあるのだが、幸か不幸かここにはお菓子がない。
ユメは少し肩を落として残念そうに一つ息を吐くと、「えっとね」と話し始めた。
「双子の妹で藍と優希って言うの。どちらも遊馬とは似ていない、わたしが言うのもなんだけど美人姉妹で、妹の藍は大人しくて優しい子。姉の優希は活発で誰とでも仲良くなれる子……かな」
「先輩は妹さんが好きなんですね」
「どうしてそう思うの?」
「だって、楽しそうに話していましたから。ちょっとだけ羨ましいって思ってしまいました」
「羨ましい?」
鼓ちゃんの言葉の意味が分からずに繰り返すと、鼓ちゃんは慌てた様子で「あ、あたしにはお兄ちゃんとかいませんでしたから」と言いながら首を振る。
そんなものなのかと思っていると、腕時計がタイムリミット三分前を告げた。
「それじゃあ、練習しよう。わたし着替えてくるから」
「それはいいんだけど、どうしたのユメ。急に慌てて」
「あと三分足らずで遊馬に戻っちゃうから急いだ方がいいと思って」
「確かにそれは重大ね。急いで着替えてきてくれない」
稜子にそう言われてユメが準備室へと急ぐ。
別に戻ったところですぐに裏声出して戻れば良いのだろうけれど、戻らなくていい場面で警告されたので変に急いてしまった(のだろう)。
まあ、稜子の言葉には引っかかるところもあるが。
ユメが着替えて戻る頃には全員スタンバイができていて、ユメがいつもの位置に立ったところで稜子に当日演奏するであろう曲が書かれた紙を手渡されざっとそれを眺める。
曲数は九曲。時間にして一時間を予定していると言ったところか。
確か複数のバンドがライブハウスでお金を出し合って行う場合一組三十分くらいだった記憶があるのだが、よくも一時間も確保したものだ。こちらからは一銭もお金を出していない上にチケットまで貰っていると言うのに。
ライブハウスという事もあり全体的に盛り上がるような曲。
確認が終わって稜子にユメが目で合図を送ると、稜子は全員の方を見てから口を開く。
「それじゃあ、感じをつかむために今日は一回全部通してみようと思うんだけど、大丈夫?」
「今さらだねぇ。志手原嬢」
「御崎には聞いていないわ。あんたはいつどんな時であろうともいつも通り、それ以上の演奏をすることが義務なの」
「相変わらず手厳しい」
「それじゃあ、曲の間はほとんど休み無しでいくから覚悟して置いてね」
稜子の最後の声を合図に一誠がスティックをカンカンと鳴らし、練習が始まった。




