Lv15
「お待たせしました」
そう言って桜ちゃんが戻ってくる。その手には小さな袋が下げられていて、あの中に買ってきたものが入っているんだなとボケっと見ていた。
「と、言うわけでこれに着替えてください。今度は上だけじゃなくてちゃんと下も履き替えてくださいね。一応着替えてもいい許可は貰いましたから」
「ありがとう桜ちゃん。本当にそんな所はしっかりしているよね」
「桜はいつでもしっかりしています。と、言いたいことはありますが、思いのほかに時間が押しているのでちゃっちゃと着替えてしまいましょう。桜も手伝いますから」
「変な事しないでね?」
「ユメ先輩が黙って着替えてくれたら何もしませんよ」
含み笑顔の桜ちゃんが何故そんな事を言ったのか。それはすぐに分かった。
桜ちゃんに渡された袋。その中に入っていたのはさっきユメと綺歩で選んだ黄色のそれではなく、黒のやや面積が少ないもの。
そう言えば一応試着はしていたけど、ユメと綺歩で「これはないな」みたいなことを言っていたような気がする。
俺から見てもユメには大人っぽ過ぎると思うのだが、桜ちゃんはとてもにこにことユメを見ていた。
「ねえ、桜ちゃんこれ……」
「それは桜からのプレゼントです。ちゃんと先輩が選んだのも買ってはいるので安心してくださいね」
「えっと、何ていうか……これを着るのは……」
「言いましたよね。今日の先輩は桜の着せ替え人形なんですから、うだうだ言っていないで着替えましょう」
そういう桜ちゃんに負け、ユメがするすると服を脱ぎ始める。途中から目をつむり、ブラジャーを桜ちゃんから手渡してもらって、先ほど綺歩に教わった通りに装着した。
そこで目を開けてユメが何と言ったらいいのかわからないと言った様子で、視線を下げる。
何と言うか、中学生が背伸びをしているようなそんな光景が映し出されている中「次は下ですよ」と桜ちゃんがユメを急かす。
渋々と言った様子で、もう一度目をつぶりごそごそとユメが着替えてしまう。
「やっぱり、ユメ先輩が着ると背伸びした感じがして可愛いですよね」
「年下の子にそれを言われると結構悔しいんだけど、実際問題桜ちゃんの方が大人っぽいんだよね……」
ユメが下着姿のままでそう返す。言葉の最後少し溜息は見られるけれど、開き直ってしまったのか、先ほどまで嫌がっていた黒の下着の事に関しては特に何もないらしい。
それはそれでいいのだが、俺としてはそれ以上に問題な事がある。
『ユメ、早く服着てくれないか?』
「あ、ごめんね」
ようやくユメが来た当初の格好に戻り、試着室から出る。
「遅くなってごめんね」
すでに集まっていたメンバーにユメが頭を下げる。
「そうだな。そろそろ腹減ったし……と言いたいが、今回のはほぼ志手原お嬢様のせいだからな」
「何言っているのよ、御崎」
「そんな事言ったって、実際お洒落に興味がないとか言いつつ、「ユメに着せるんだから……」って半分くらい決めていたろ」
「う……」
「しかも楽しそうに」
稜子が一誠の言葉に顔を赤くしてそっぽを向く。
「でも、確かに楽しかったよね。ユメちゃん可愛いから、何でも似合いそうで」
「オレとしては選んだはいいが見られなくて不満だったがな」
「わたしは見せても良かったのに」
「本当にか?」
「一秒二十三万円くらい?」
こういうユメのノリは俺が一誠に対して行うそれと似ていて、ただ男女ってだけでだいぶ印象が変わるんだなと思ってしまう。
何せ、一誠が「二十三万で一秒……でもその一秒で写真を撮れば……」と本気で考え出したし。
「先輩方、そんな冗談は置いておいて次に行きましょう」
そう言った桜ちゃんに先導されてやってきたのはデパートの中にある俺でも知っている衣服店。なぜ知っているかと言えば、よく話に出るような大型店だから。
「ちょっと前のお店で時間を使いすぎたので、今回は時間を決めましょう」
到着とほぼ同時に一番前にいた桜ちゃんがこちら側を向きそう話し始める。
「三十分以内に、各自ユメ先輩が八千円以内を払う計算でユメ先輩に着せたい物を持ってくる。もちろん、ユメ先輩にはそのまま次の店に行って貰うのでワンピースもしくは上下セットで持ってきてください」
「それでさくらん、その中からどうやって決めるんだい?」
「ユメ先輩に実際に着て貰って、よさそうなのから籤引きと言う感じでどうでしょう」
「その間わたしは何をしていたら良いの?」
「自由に待っていていいですよ。ただし何を選んでいるのかを見るのはなしです」
ユメの疑問に桜ちゃんがそう返す。
まあ、そんなところだろうとは思っていたけれど三十分って割と長いんだよな。
「それじゃあ、わたしちょっとその辺歩いてくるね」
「わかりました。でも、また歌うのを忘れないように注意してくださいね」
「さすがに二回同じ失敗はしないって」
「と言う事は、一度はしたんですね。確証が持てました」
「う……」
また桜ちゃんにユメがしてやられているなと思ったが、恐らく俺も口を滑らせていただろう。
それから、ユメは皆と離れ一人雑踏の中を歌いながら歩く。
休みの日のデパートは人が多くてユメが一人歌っていてもその声は簡単に掻き消される。
「ねえ、遊馬」
『どうかしたのか?』
ユメが歌うのをやめて話しかけて来たので、そう返した。
こういう時にはなんとなく今の状況は便利だなと思ってしまう。
「皆どんな服を選んで来ると思う?」
『どんなって言われてもな。割と皆自分の私服に近いものを選んで来るんじゃないかと思うんだが』
「そうだよね。だとしたら、綺歩はロングスカートにプリントTシャツ、カーディガンって感じかな」
『稜子はジーパン好きそうだよな』
「桜ちゃんは……ショートパンツに上はシャツにブラウス、ベストだったかな」
『んで、鼓ちゃんはふんわりしたワンピースだったよな。それでユメは誰のを着てみたいんだ?』
尋ねてみると、ユメが呆れたように笑う。
「それは遊馬も分かっているんじゃない?」
『まあ、ユメを客観的に見てどんな風な格好をさせたいかと言ったらありはするが、実際に着てみるとなると話は違うと思ってね』
「そう言われるとそうだね」
そう言うとユメは考える。それからしばらくして口を開いた。
「正直なところ綺歩みたいな格好がいいかな。何と言うか無難な感じで」
『歌で目立つのはいいけど、それ以外ではそうでもないってところか』
「そうだね。誰かの前で歌えるのであれば、目立つ格好でも良いんだけど普段はあまり注目されたくないからね」
『今は目立たなくても歌を歌わないといけないけどな。そろそろ歌うのを止めて十分くらい経つだろ』
「あ、本当だ。本当に十五分タイマー欲しいよね」
『そうだな』
俺が返したところでユメが歌い出す。歌うのは「loved girl」。
「世界のせい そして 貴方のせい」
誰に聞かせるわけでもないユメの歌は、とても力が抜けていてただ声を出しているのが楽しいと言った感じ。
「でもね これだけは 気づいて欲しい」
しかし、こんな雑踏の中小さな歌声だとしてももしかしたら自分の歌に気が付いているかもしれない。
その人に向けて歌っているような、そう思うとまた違った楽しさが生まれてくるような。
「世界を敵にまわしても 貴方を選びたかったから」
少なくともこの歌に合う歌い方ではないけれど、ユメの気持ちはよく分かる。
「だから私は 世界を守った 貴方を守った
何て 言えるわけがないのにね」
ただ、歌う事が好きで、歌を聞いて貰うのが好きなのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
三十分経つか経たないかくらいで皆の場所に戻ると全員が全員選び終わっていたようで、戻った時にユメは「遅くなってごめんね」と頭を下げていた。
とはいえ約束の時間に遅れたわけじゃないので、誰も文句は言わなかったけれど。
「さて、主役が戻ってきたところで、綺歩先輩が持ってきたのから着て貰いましょうか」
「え、私のからなの?」
「たぶんユメ先輩もその方が抵抗ないかと思いまして」
「それはつまり桜ちゃんはわたしが抵抗しそうなものを持ってきたってことなの?」
「それはどうでしょうね。では、時間もないですし、この後昼ごはんにしたいので早く着替えてしまいましょう」
桜ちゃんに背中を押され、試着室に詰め込まれた後で綺歩が顔をのぞかせる。
「えっと、これが私が選んだのなんだけど、気にいらなかったら遠慮なく言ってね」
「綺歩が選んだんだから大丈夫」
ユメの返しに綺歩が照れたように笑い「ここに置くね」と言って持ってきた服を置いた後で外に出て行った。
ユメは置いて行かれたそれを眺めると手に取る。
それは先ほど予想していた物とほぼ同じで、ロングスカートに胸の所によく分からない記号のようなものが書かれた半袖のTシャツ。それからカーディガン。
綺歩らしくないところと言えば、それらの色が白と黄色が基調となっているところか。
髪の毛に注意しながら、上を着替えたところでユメの動きが止まる。
『確か横にチャックとか何とかついているんじゃなかったか?』
「あ、そうだっけ」
ユメが思い出したようにそう言うと、そろそろと着替え始める。
何で俺がスカートの仕組みなんて知っているのかと言われると、まあ、妹の影響だろう。今でこそそんな事はないが、小さい頃は妹の着替えの手伝いをしたことはある。
今の今までそんな昔の事忘れてはいたが。
着替えが終わりユメが鏡を見ながら、スカートを軽くつまみひらひらとはためかせる。
『楽しそうだな』
「うん。楽しいよ。こんな服今まで着た事無かったし、なんとなく大人っぽくなった気がしない?」
『確かにこれに帽子があったらいい所のお嬢様に見えなくもない気がするけど、ちょっと背伸びしている感じもあるよな』
「やっぱりそう見えちゃうよね」
『まあ、似合っているよ』
俺が言うと、ユメが照れたように「ありがと」とお礼を言う。そんな事をしなくてもユメ自身似合っているとは思っているだろうし、お礼を言うほどの事じゃないと思うが。
「着替え終わった?」
外から綺歩の声が聞こえて来たので、ユメが「終わったよ」と声を返す。
そろっとカーテンが開き、綺歩だけ中に入ってきてまじまじとユメを見る。
「えっと、綺歩どうしたの?」
「あ、えっとね。最終チェックをしてからって事になっているんだよ。でも大丈夫そう。後帽子とかあったら良かったかなって思うんだけど……」
「言われてみるとそうかもね」
「でも、設定金額内だとこれが限界だったから」
「先輩方もうあけて大丈夫ですか?」
桜ちゃんの痺れを切らしたかのような声が聞こえてきて、綺歩が「ごめんね。もう大丈夫」と返す。
今度は勢いよくシャッと音を立てて開いたカーテンの向こうには当たり前だが残りのメンバーがいて、動物園の動物の気分を味わえる。
「やっぱり綺歩のセンスって感じよね。あまりさっきまでと印象が変わっていない感じ」
「これでも、ユメちゃんにあわせたつもりだよ?」
「主に色を……でしょ?」
「そうだけど……」
上級生女子の二人がそんな会話を繰り広げている中、鼓ちゃんが目をキラキラさせていることに気がついた。
「ユメ先輩やっぱり可愛いです。可愛いだけじゃなくて綺麗で歌もうまくて」
「今は歌は関係ないと思うけど、ありがとね。鼓ちゃんも可愛いよ」
「えへへ」
「はいはい、時間もありませんから次にいきますよ」
桜ちゃんが手をパンパンと叩き場を静める。その声が少し怒っているような感じがしたのは気のせいだろうか?
それから桜ちゃんは一度全員の顔を見回し、今度は一誠を指名する。
「待っていました」
「わたしはあんまり待っていなかったよ」
「そんな事を言うユメ氏にはこれをプレゼント」
「スポーツウェア?」
渡された服を見てユメが首をかしげる。渡されたのはユメが言ったようにスポーツウェアのような服。
白いタンクトップに、赤のショートパンツ。これにサングラスでも掛けて外を走ればそれはもう本腰を入れてジョギングしている人になる。
何で一誠がこんな服を選んだのかはわからないが――ユメもわかってはいないだろう――ともかく試着室のカーテンを閉めてユメが着替えにはいる。
着替え自体は迅速に行われて、すぐさま一誠が確認と称して入ってくる。
「うむ。さすが元男」
「どうしたの一誠?」
「よく何も気にせずにきてくれたものだと思ったのだよ。ユメ君」
「どういうことなのよ」
「なあに、ユメユメの今日の下着は大人っぽい黒かと思ってね」
一誠にそう言われてユメがハッとしたように自分の身体を見下ろす。
白のタンクトップから透けて、うっすらと黒のブラが見えていることに気がついたユメはそれを隠すように両手で覆った。
「そうだよね。相手が一誠だったよね」
「さすがユメユメ、ここで即座に声を上げたりしないなんてね」
「正直今でも自分が女なのか男なのかよく分からなくなることがあるから……でもね、いろいろ抜きにしても一誠だけ良い思いするのは癪だから、わたしも相応の手段を使わせて貰うね」
「その手段と言うのは?」
「稜子ちょっといい?」
直後一誠の表情が凍りついたように張り付く。ランジェリーショップでの一件の後稜子に何をされたのかは知らないが、その表情を見る限り何かトラウマを植え付けられたのだろう。
笑顔の稜子に連れて行かれる死にそうな表情の一誠を見送った後、今度は鼓ちゃんが選んだ服を着て、稜子が選んだ服を着て、最後に桜ちゃんが選んだ服を着る事になった。
驚いたのは渡された衣類の量。基本はショートパンツに黄色のTシャツなのだろうが、それに加えてパーカーやソックスまであると言った感じ。他の人と比べると一、二点多い感じ。
綺歩の話を聞いた感じ、上下にもう一つほどでいっぱいいっぱいと言った感じがしたのだが、そんな事無かったのだろうか?
ユメも同じことを考えていたのか少し動きが止まっていたかと思うと、着替え始める。
着替えている間は歌唱タイム。故に今まで俺に戻ることはなかったし、俺も歌の方に集中出来たからユメの着替えに心乱されることも無かった。
着替えが終わり鏡に映ったユメを見る。
着替えている時に気が付いていたのだが羽織っているパーカーはだいぶ大きく、ショートパンツを隠してしまうほどの長さがあり、袖も先から指が見えるかどうか。
白と黒のボーダーの入ったソックスは、オーバーニーソックスと言う奴で太ももくらいまでの長さがある。
『似合わないとは言わないが……』
「あざとい感じがするよね」
こういう時に感想がほぼ違わないと確信できるのはいいもので、ポロリと何か言ってしまっても相手を傷つける心配がほとんどない。
「やっぱり先輩が着るとあざといですよね」
「誰が着てもあざといと思うんだけど……」
「身長がもう少し高かったらちゃんとショートパンツも手も見えてあざとくなくなると思いますよ」
確かに今のあざとさの半分くらいはこの大きめのパーカーのせいである気がするので、桜ちゃんの言葉はもっともだが、それならユメにあったサイズを持ってくればよかったのではないだろうか。
ユメも同じことを思っているだろうが口にはしない。しても無意味なのは知っての通りだしな。
「さて、ユメ先輩ちゃんとパーカーの前は締めてくださいね半分くらいでいいので」
「そうすると、パッと見下穿いていないように見えない?」
「それがいいんじゃないですか」
楽しそうに笑う桜ちゃんに逆らえず、渋々ユメがパーカーのジッパーを半分ほどあげたところでカーテンが開かれる。
「ほう、なかなかただみんもいい趣味しているね」
カーテンが開いて最初に声を出したのは一誠。それに対して桜ちゃんが「可愛いと思いませんか?」と同意を求める。
「でも、ちょっと狙い過ぎじゃない?」
「確かにそうですが、ユメ先輩はいつでもお洒落できるってわけじゃないですからこれくらいしてしまっていいかなと思ったんですよ」
「まあ、それなら……」
稜子はそれで納得したようなのだが、何がいいのか俺には分からない。
訂正。もしも客観的にユメを見る事が出来たら今の格好が一番ぐっと来るような気もする。故に着る分には何がいいのかわからない。
あざといくらいが可愛いんじゃないかと言うわけで、男だったらこの気持を分かってくれる人もいるだろう。
「と、言うわけでもう十二時半くらいですし早く決めてお昼にしましょう」
そう言って、桜ちゃんがすでに用意してあったのか、細長い紙を四本持ってユメに見せる。
「この先にそれぞれの名前が書いていますからその人の選んだ服を買いましょう」
「なあ、ただみん。それ一本足りなくないか?」
「そうですか? 一誠先輩を除いた四人で四本。ぴったりじゃないですか」
桜ちゃんが今日一番とも思える笑顔を一誠に向ける。
「そんな、ただみん殺生な」
そういう一誠もまた楽しそうな顔をしていて、それを見た桜ちゃんが逆に少しムッとした表情を見せた。
「ともかく、ユメ先輩早く引いちゃってください」
「それじゃあ、これかな」
そう言ってユメが引いた紙の先には『桜』と綺麗な字で書いていた。それを桜ちゃんに見せる頃には桜ちゃんは店員を呼んでいて、あれよあれよとタグを切られ、桜ちゃんはレジに向かっていた。
そう思っていると今度は鼓ちゃんが隣にやってくる。
「今日の桜ちゃん楽しそうです」
「わたしをおもちゃにできているからじゃないかな?」
「それもあると思いますが……」
「やっぱりそれあるんだね」
「桜ちゃんですから。でも、何と言うかそれだけじゃない感じがします。柄にもなくはしゃいでいると言うか」
「鼓ちゃんは楽しくない?」
ユメが尋ねると、鼓ちゃんぶんぶんと首を振る。
「楽しいですよ。こうやって皆でお出かけすることなんて今までなかったですから」
「そう言えばわたしも……遊馬もそうなんだよね。音楽以外の事で集まるって少なかったかな」
「つつみんと先輩で何話しているんですか?」
会計を終えたのか桜ちゃんがそう言って話に入ってくる。
「桜ちゃんは可愛いねって話だよ」
「そんな事話さなくったって桜は可愛いですよ」
こんなところが桜ちゃんらしいなと思いながら、またも先導する桜ちゃんを追いかける様に歩きだした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「そう言えばデパートで食べたらよかったんじゃないの?」
歩きながら稜子が桜ちゃんに尋ねる。
「デパートのレストランって割と高いんですよ? 幸い制服を扱っているお店の近くにファミレスがあるのでそちらに行った方がいろいろと優しいと思ったんです」
「なるほどね」
稜子が納得した所で、桜ちゃんが何かを思い出したようにユメの元へとやってきた。
「そう言えば先輩、お昼ご飯代とか持っているんですか?」
「持っていないよ。最初に桜ちゃんに渡したお金が全部。だから今日は我慢かななんて思っていたんだけど」
「そうだろうと思ってさっきおつりが出る様に選んだんですよ。ワンコイン五百円ですけど、ファミレスなら何か食べられますよね?」
「本当に? それなら良かったんだけど……」
そんなわけがない。ユメもそう思っているのだろう。
むしろ桜ちゃんが選んだ服は設定されていた金額を超えているんじゃないかとすら思っていたのに、都合よくお釣りなんて言われた方が疑わしい。
「ねえ、桜ちゃん」
「どうしたんですか? ユメ先輩」
「桜ちゃんもしかして自分で言ったルールを破っていたなんてことない?」
「あるわけないじゃないですか。ちゃんとおつりまで返したんですから」
そう言って笑う桜ちゃんは嘘をついている風ではないのだけれど、何かが引っかかる。
「そうですね。今日の桜は少しはしゃいでいるかもしれません。そのせいで多少大盤振る舞いしているかと問われたら否定はできません」
「わたしを玩具にするのがそんなに楽しい?」
「はい、とっても。でもそれだけじゃないです。何年も夢見ていたことが現実になるかもしれない。そんな時にはしゃがずにはいられない。そう思いませんか? 手が届く距離に夢が転がっているのに全力を尽くさないなんて事がありますか?」
「桜ちゃんの夢って?」
「“ユメ”……ですよ」
桜ちゃんはそれ以降何も言ってくれなかったけれど、そんなA=Aみたいな答えで何を理解すればよかったのだろうかと。そう思わずにはいられなかった。