平行線
今日も笑われた。
好きで音痴なわけじゃないのに。
あたし、宇多木来未は中学校での事を思い出してぷりぷりと、怒りながら帰っている。
いつもは友達と帰るけれど、今日は不機嫌だから一人で学校を出てきた。
この時期はいつも憂鬱だ。中学校の三年間で3回しかないのだけれど、それでも今が終わってもあと1回あると思うと本当に気分が重くなってくる。
音痴と言われるあたしにとって、人前で歌を歌うことは、それほどまでに苦痛なのだ。
実際練習段階で笑われる。一生懸命に歌っているのに。
最初は自分が音痴だとはわからなかった。
小学校の低学年の時には皆似たり寄ったりだったと思うし。
だけれど、中学年になり、高学年になったころ、クラスの男子に言われたのだ。
「宇多木歌へったくそー」
今でも覚えている。クラスの調子に乗っている男子に言われて、そのグループの人たちにも揶揄われて、自分が音痴だと自覚すると同時に歌なんて大っ嫌いになった。
名前に「うた」と付くのに嫌いなんて、と言われることもあるけれど、知ったことじゃない。
とにかく歌うことが嫌いなのだ。
合唱コンクール当日は休んでやろうかと、一人画策しているとどこからか、ふんふんふんと言った感じの鼻歌が聞こえてきた。
誰だ! 歌嫌いのあたしの近くで鼻歌なんて歌って。
しかも、鼻歌なのになんでこんなに綺麗だってわかるんだ。
当てつけか! 当てつけなのか! 一言いってやらないと。言ってやるんだ!
その場の勢いというか、丁度怒っていたからというか、そんな感じだったのであたしは声がする方に向かった。
◇
声の主が居たのは、小さな公園のベンチ。
そこに綺麗な女の人が座っていた。
大人の女性と考えると小柄だけれど、それでも雰囲気がなんだかあたし達とは全然違う。
大学生くらいだろうか?
違う違う。あたしは文句を言いに来たのだ。
あたしの気も知らないで歌なんて歌って。
「誰ですか、こんなところで歌なんて歌って!」
あたしが言うと、お姉さんは驚いたようにこちらを振り向いて、それから「ここ歌っちゃダメだったんだね。ごめんね」と謝った。
なんだかそんな風に謝られてしまうと、こちらが悪いことをしたような気になってくる。
それにここで歌ってはいけないなんてことはない。
たまに近くの高校の合唱部の人とかが歌っていることもあるし。
勘違いされたのもやっぱり、悪いような気がしてくる。
「えっと、ここで歌うのは……大丈夫……です。はい」
思い返してみると、なんでこんな風に声をかけるなんてなんて非常識だったのだろうか。
冷静になるとなんだかもう、駄目だった。
シュンと小さくなったあたしにお姉さんの声が聞こえてきた。
「ふふ、それならよかった。君は中学生くらいかな?」
「は、はい。中学生です」
「もしかして歌は嫌い?」
そう言われてドキッとしたけれど、別に歌が嫌いで悪いわけじゃない。
だけれどさっきの事も考えて「そ、そうです……」と小さい声で返してしまった。
お姉さんは特に少し残念そうに、それでも「そっか」とだけ言って何かを考え始めた。
「そう言えば、機嫌が悪そうだったけれど、何かあったのかな?
話だけなら聞いてあげるよ」
考え終えたのか、お姉さんがそんな風に提案してくれる。
正直なところ、このモヤモヤした気持ちを誰かに言いたかったところもあるので、思い切って言ってみても良いだろうか?
「たぶんもう会わないから、話して何かあるってこともないと思うよ?」
「それなら聞いてください。あたしはお姉さんと違って、音痴なんです!
それは別にいいんですが、学校で歌わないといけないことがあると絶対に揶揄われるんです」
「それは酷いね。からかうことはないと思うよ」
「そうですよね! 特に男子が揶揄ってくるんです!」
「うんうん。わかるわかる」
「そもそもなんで合唱コンクールなんてあるんですか。歌が上手くないといけないんですか?」
お姉さんの相槌もあって、あたしはしばらくお姉さんに愚痴を言い続けていた。
◇
「すっきりしたかな?」
「はい、えっと、付き合ってもらってありがとうございます」
「いいよ。わたしもちょっと行き詰っていたところだったから。いい気分転換になったかな」
「お姉さんがですか?」
結局すべての話を聞いてもらってしまった。
時間も結構経ったのだけれど、お姉さんは嫌な顔一つしないでずっと聞いてくれていた。
それでお礼を言ったのだけれど、お姉さんが行き詰っていると言ったので首をかしげてしまった。
何と言うか綺麗だし、歌もうまいし、大変なことなんてなさそうなのに。
あたしが尋ねてみると、お姉さんは「んー」っと考えるしぐさを見せた。
「次の曲の歌詞をどうしようかなって思っていてね。煮詰まっていたから、気分転換に散歩をしていたらこの公園を見つけたんだよ」
「お姉さんって音楽やっているんですか?」
だとしたら、今までの愚痴はちょっとまずかったんじゃないのだろうか。
というか、歌が上手い人相手に、歌が嫌いという愚痴を聞かせるのはまずかったのではないだろうか。
でも、してしまったことは仕方がない。お姉さんは気にしている様子もないので、大丈夫。きっと大丈夫。
「高校……ううん、中学生の時からかな?
今は高校生から始めたバンドをずっと続けているんだよ」
「そうなんですね」
話を聞き始めてしまったけれど、あたしは曲とか歌とかさっぱり分からない。
ドラマとか見るけれど、オープニング曲やエンディング曲は聞き流していた。
……という話は、さっきの愚痴の中でしたのでお姉さんは知っていると思うけれど。
だから話しにくそうだったのかな。
そうなんだろうな。なんだかとても申し訳ない。
「でも君のお陰で少し方向性が見えたかな」
「あの、来未です。あたしの名前」
「来未ちゃんね、わたしはユメ」
たぶん音楽が好きなら、ここでバンドの名前とか聞いておくべきなんだと思う。
好きか嫌いか分からないという人でも、一応聞くのかもしれない。
だけれど、あたしは聞けなかった。
お姉さんは良い人だとは思うけれど、でも歌はやっぱり嫌いだから。
だからお姉さんが「それじゃあね」と言って、公園を出ていくに「ありがとうございました」と頭を下げることしかできなかった。
たぶんもう会えないんだろうなと思うと寂しいけれど、本来会うこともないような人だったのだと思えば、悪くないようにも思う。
こういうのを何というのだっけ? いちご……いちご……。苺一海老? 美味しくはなさそうだ。
◇
そんなことがあったかなと、思い出に変わったころ――合唱コンクールは休んだ――もうすぐ冬休みに入ろうかといった昼休み。
昼食を食べるこの時間が、あたしは実はそんなに好きではない。
なぜなら放送で曲を流すから。クラシックとかならいい。歌がないから。
でも、週に2度リクエスト曲といって、生徒から流してほしい曲を募集することがあるのだ。
その時ばかりは歌が流れる。
自意識過剰かと思われるかもしれないけれど、合唱コンクールがあった後になるとこの時にクラスメイトから見られているんじゃないかとすら思う。
だからもう周りは気にしないつもりで、一心にご飯を食べていたのだけれど、今日だけはスピーカーから流れてくる声が気になってしまった。
気にならないはずがなかった。
だって、聞いたことがある人の声だったから。
「ユーちゃん。この歌って」
「クーちゃんが歌を気にするって珍しいね。どうしたの?」
一緒に昼ご飯を食べていた友達のユーちゃんに声を掛けたら、逆に驚かれてしまった。
別にそんな深い理由があるわけではないのだけれど。いや、そうでもないのかな?
「ちょっと、このお姉さんの声は気になって。名前はなんていうの?」
「ななゆめのユメさん。有名だけど知らない……のはクーちゃんならわかるかな? あまりテレビに出るような人じゃないから」
やっぱり、ユメお姉さんだ。あの時あった人の、もう会えないと思っていた人の声がスピーカーから聞こえてくるのは何だか変な感じがする。
「凄い人なの?」
「凄いよ。クーちゃんみたいに歌が嫌いって事でもない限り、名前くらいは聞いたことあるんじゃないかな? というか、何度も放送で流れてたよ?」
「そうなんだ。それは知らなかったかな」
「それなのに今日は気になったの?」
ユーちゃんは首をかしげるけれど、ユメさんにあったことは言わないほうが良いような気がする。
言わないほうが良いと、私の直感が言っている。
いや単純に有名人にあった、なんて言ったら囲まれるのが決まっているようなものだ。
どんな人だったのか、と根掘り葉掘り聞かれるに違いない。
だから後からユーちゃんには言うかもしれないけれど、今は誤魔化そう。
「声が好きだなって思って」
「そうなんだ。……だったら、ユメさんってラジオのパーソナリティをやっているから、一度聞いてみない?」
普段の数割増しで楽しそうに言ってくるユーちゃんにちょっとびっくりしたけれど、それだけユメさんのバンド……ななゆめが好きなのかな?
「ユーちゃんはななゆめが好きなの?」
「うん! 大好きだよ!」
「じゃあ、とりあえずそのラジオについて教えて」
「えっとねぇ~」
そうしてあたしはユメさんがパーソナリティをしているラジオを教えてもらった。
◇
ユーちゃんに訊いた次の放送の日。
あたしは何だかソワソワした気持ちで、パソコンの前に座っていた。
ラジオというから、いわゆるラジオを想像していたのだけれど、なんでもネットを使って放送しているらしい。
生放送の映像がないやつだ、ってユーちゃんは言っていた。
さすがにあたしも生放送くらい分かる。
生放送との違いは、映像がないことと時間は決まっているけれど、別にその場でしゃべっているわけじゃない事。
それは生放送なの? と思わなくもないけれど、何となく要領がつかめれば良いので、ツッコまないでおいた。
そうしている間に開始の時間になる。
軽快な音楽の後で『こんばんは』と話し始めたパーソナリティは確かにユメお姉さんで、ユーちゃんが言っていた通り「ななゆめ」というバンドのボーカルをしているらしい。
パーソナリティはもう一人いて、同じく歌を歌っているドリムさんというらしい。
もともとネットアイドルをしていて、そちらの方向に行ったけれど、今は歌とダンスの活動をしているらしい。
これもユーちゃんが言っていた。このラジオについては、必ずしもこの2人がパーソナリティをしているわけではない。
ななゆめの中から何人かとゲストというのが恒例で、ユメさんはたまに休みになるもののほぼ毎回出ていると聞いた。
この2人はとても仲が良いらしく、軽口をたたきながら放送が続いていく。
いままで歌に全く興味がなかったあたしには、内容を半分も理解できていないと思うのだけれど、あの時あったお姉さんがこんなに楽しそうに話しているのは何だかそれだけでうれしくなった。
『そう言えば、ななゆめってまた新曲出すんだよね?』
『そうなんだよね。しかもわたしが歌詞を書くことになって、大変だったんだよ』
『ユメちゃんが歌詞を書くって久しぶりじゃないかな?』
『桜ちゃんがどうしても、わたしに書かせたかったみたいで……。
でも何とか書けたんだよ。散歩しているときに、とある女の子に会ってね』
そこまで聞いて、あたしの心臓がドキリと跳ねた。
確かにユメお姉さんは行き詰っていると言っていた。
そこであたしに会った。
『その子と話をしてから、思い浮かんだのが今回の曲』
『つまり運命の出会いだったんだね。その子が聞いていると良いね』
『聞いてないと思うよ。わたしもそれでいいと思って歌詞を書いたから』
そう言われるのは仕方がない。
だってあたしはユメさんの名前しか知らなかったから。
他の事は何も聞かなかったから。
今はそれをちょっと後悔しているけれど、でもあたしと出会えたから出来た曲というのにはとても興味がある。
あたしが関わったのなんてほんの少しだけだけれど、それでもなんだか関われたというのがものすごいもののような気がして。
『それじゃあ、聞いてください「君と僕の平行線」』
タイトルコールの後、曲が流れる。
バラードというのだろうか? ちょっと切ない感じの曲らしい。
『parallel parallel 交わらぬ想い
君と僕は 平行線
だけどなぜか こんなにも気になるの なるの なるの 気が付いてよ
好きだとか 嫌いだとか そんなことは分かっているのだけど
君が白なら 僕は黒 君が上なら 僕が下
決して引き合うことはない
僕は知っている 君がとても優しいことを 君がとても頑張っていることを
こんなにも 想っているのに 僕の気持ちは伝わらわない
それは わかっていたこと 気づいていたこと
君の嫌いなこの声で 君の嫌いなメロディで 君の耳の届かぬ場所で
僕は君への想いを歌い続ける 僕はそれしか知らないから
parallel parallel 交わらぬ想い
君と僕は 平行線
だけど本当は 期待してしまうの いつか きっと 届くことを』
ここまでで曲が終わる。いわゆるショートバージョンというやつらしい。
小学生以来真面目に聞いた曲は、何も知らずに聞いた時には片思いの子の話かなと思ってしまいそうだ。
どうしても気持ちが伝わらない自分を嫌いな好きな子に、何とか思いが伝わらないかなと期待している歌。
だけれど、これはきっと、ユメさんとあたしの歌。
歌が嫌いなあたしと、歌が好きなのであろうユメさんを描いた歌詞。
そしてあたしに届くはずがないと思って書かれたのであろう歌詞。
たぶんこの歌を別の場で真面目に聞いたとしても、この結論には至らない。
今聞けたからこそ、歌詞の想いに気が付いてしまった。
そう思うと、いてもたってもいられなくなって、生まれて初めてCDを注文した。
CDショップで買えばいいのに、ネットで注文したのは後から思うと間違いだったかなと思うけれど、でもこの時は本当にいてもたってもいられなかったのだ。
そして生まれて初めてファンレターというのを出した。
◆
新曲の発表をラジオでしてから一晩。収録日はもう少し前だったけれど、公式的には昨日が発表日。そして今日もまた収録日。
昨日の収録をしているときには、たまたま行った町で適当に散歩していた時に出会った女の子、来未ちゃんの事を思い出していた。
合唱コンクールが嫌だと言っていた彼女は、合唱コンクールをどうしたのだろうか?
聞き役に徹していたので、結局どうするつもりなのかも聞いていなかった。
「遊馬はどう思う?」
『嫌々出たか、渋々出たか、サボったかだろ』
「それは予想とは言わないと思うんだけど」
でもどう言ったところで、答え合わせができないのは分かっている。
わたしにとって来未ちゃんという存在は、衝撃だった。
歌というものを嫌いだという女の子。歌を歌うために生まれたようなわたしとは、真逆の存在。
ななゆめが嫌いという人はいても、歌を嫌いという人はあったことがなかったから。
でも間違いなく来未ちゃんのような人もいるという事を、気づかされた。
その人たちに向けた歌、なんていうのは大げさだけれど、無理に歌を好きにならなくていいんだよとそんなことが言いたかった。
「ユメちゃん、ユメちゃん。たぶんユメちゃんにファンレターが来てるよ?」
来未ちゃんの事を考えていたら、舞ちゃんがやってきた。
ファンレターと言っても、メールだから昨日の夜に流してもすぐに届く。
読むかどうかは基本自由だけれど、一応いくつかは目を通すようにしている。
「舞ちゃんどうしたの? そんなに急いで」
「これを見てもらおうと思って」
そう言ってタブレットをわたしの方に見せてくる。
こうやって見せられるのは珍しいので、どうしたのだろうと思いながら見てみる。
『届きました。歌を歌うのは嫌いですが、聞くのは好きになれそうです。お姉さん。
p.s.合唱コンクールはサボりました』
決して長くはない文字列だけれど、それだけでなんだか心がポカポカするようだった。
ぽつりぽつりとss的なものをかいてきましたが、この話で最後にしたいと思います。
理由としては、他作品を手広くやり過ぎて、ssを書く暇もなくなって来たからというのと、完結済み作品なのに○○か月更新がありません、というのをつけておくのは嫌かなと思ったからですね。
仮に何かの拍子に両声類のssを書きたいと思えば、短編で出すか、ss用の作品を新たに作ります。
気が向いたら続編を書くかもしれませんし、この作品がどう広がるかは作者もわかりません。
いつかは書きたいと思ってはいるんですけどね。
ひとまずこれで区切りとさせていただきます。
よろしければ、別作品などもみていただけると幸いです。