大学生編(後)
ライブ初日。ちゃんとした設備があるわけでもなく、外での公開練習のような感じがするけれど。
しかし、夏休みに入っても部活やサークル、昼食や成績確認等々で結構人は居るので外で楽器の準備をしている俺達は結構目立っている。
俺がドラム兼ボーカルで、観音寺がギター、琴南がベースのスリーピースバンド。
この前の話し合いでやる曲はすべてななゆめの曲だと決めた。
俺達の方がななゆめよりも上手く演奏できるんだ、という体でいくので敢えて同じ曲を――と言う事になっている。
そんな感じで、このメンバーの初めてのライブがスタートした。
一時間というものは短いもので、結構な人が曲を聞いて行ってくれた。MCで俺が「ななゆめ何かよりも俺達の方が上手い事を証明する」云々と言った瞬間に去って行った人も沢山いたが、逆にその辺の大口が受けたらしくそれなりの人が最後まで残ってくれていた。
だが、一日目の成果はそれだけ。
片づけを終えて――楽器を使うサークルと言う事で、夏休み期間中は空き教室を倉庫代わりにしていいと許可を貰った。演奏はできないが――近くの公園に集まる。
「お疲れ様」
「お疲れ」
「お疲れ様でした」
それぞれに労をねぎらい最初に俺が口を開く。
「何の成果も無かったが、まあ、一日目だしな」
「そうなんだけど……久しぶりに人前で演奏出来て楽しかった」
「そうだね。内容が内容だったから素直には喜べないけど、楽しかったよ。ありがとう、一君」
以外にも好感触だった二人の話を聞いて、気持ちが浮つくのが分かる。
楽しかったのは俺だけじゃなかったと言う事と、二人に喜んでもらえたと言う事が、予想以上に嬉しかったらしい。
とは言え、それを顔に出すのは恥ずかしいので、明日の話をすることにした。
「それで明日も今日と同じ感じで行こうと思う。幸か不幸か俺達の評価は、大口叩いている変な奴って感じだからな」
「逆に言うと、あたし達の評価はその程度って事なのは悔しいけど、それはそれとしてしっかり受け止めないと」
「人に聞いて貰えるチャンス、少しでもプラスになるような経験にしようね」
静かに決意するようにそう言う観音寺と琴南を見て、今日のライブは無意味なものじゃなかったのだと確信できた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
次の日も、その次の日も、ななゆめの関係者は姿を見せなかったけれど、俺達としては充実した練習になっていた。
中には毎日見に来てくれている人もいて、半ばななゆめの関係者とか忘れかけていた木曜日のライブでの事。
最前列どころか、最後列で眺めている人たちに混ざって、冴えない男が呆れたような顔でこちらを見ていた。
今までにもそんな顔をしていた人はいたが、一様に立ち去っていた。
しかし、その男は立ち去る様子もなく、電話をしているのか――電話を持っている様子はないが――独り言を言っているのか、時折口を動かしている。
それが妙に怪しくて、曲が終わったところで観音寺と琴南に合図をしてMCに入る。
「聞いての通り、ななゆめ何てこの程度の曲を六人もいないと演奏できないようなバンドって事だ。俺達ならば三人でこれだけの演奏をできる」
そんな俺の戯言に、恐らく音楽経験のない人たちが、同調して声をあげる。
演奏している時は何とも思わないのだが、こうやってあからさまにななゆめを批判するのは正直心が痛い。
しかし、なりふり構っている場合ではないので、さらに続けた。
「これに文句がある奴は、是非こっちに来てその証拠を見せて欲しいね」
これでどうなるか、男の様子を窺って見ると、大きなため息をついた後で、先ほどと同じように口動かしてから遠回りするようにこちらに向かってくる。
怪しいと思って合図を出したはいいが、考えてみればななゆめの関係者でどこにいるのかわかっていないのはユメさんだけなので、どう考えてもこの男じゃない。
ただのななゆめファンかと、落胆すると同時に気の毒に思う。何せ俺達の都合で恥をかかせることになるのだから。
冴えない男が俺のところまでやって来たので「まさか居るとは思っていなかったが、証拠を見せて貰おうか」と用意していた別のマイクを渡す。
男は全く緊張していないのか、人前だと言うのに分かりやすくため息をつくと話し始めた。
「取りあえず、一曲歌わせてくれれば分かるだろ」
「何を歌うって言うんだ?」
「ななゆめの曲なら何でも。演奏できるよな?」
やる気があるのかないのか分からない声で言う男の要望に応えるために、直前に演奏した曲『Loved girl』を演奏するように観音寺と琴南に指示を出す。
俺と同じく巻き込んだことに申し訳なさがあるのだろう、顔を歪めながらも頷くのを見てスティックを叩いた。
始まる前奏は、三人だけだとは言えななゆめには及ばない。
それでもある程度は演奏出来ている自信があるので、こうやって何人かを騙す事も出来ているのであるが。
「そう 貴方の為ならば
世界に囚われた私を 貴方が守ってくれるならば
どれだけ辛くても この思いを持ち続けよう」
男が歌う出した瞬間、俺はそのレベルの違いを思い知った。
聞いている人もそれを実感しているのだろう、歌いだす前は飛んでいた野次が一気に無くなっている。
「貴方はこんなに近くにいるのに 誰よりも近くにいるのに
これ以上近づけないのは 全部そう わたしのせい
世界のせい そして 貴方のせい」
技術や安定感だけじゃない、一緒に演奏している俺達が引っ張って貰っているような不思議な感覚に俺は本物を感じた。
一曲演奏し終わって、正直俺は放心していた。
目の前の男はななゆめのメンバーではないはず、しかし、その実力は本物で、俺はこの男が何を言うのかを待っているのかもしれない。
さっきまでの俺のように「俺はななゆめよりも凄い」とそう言って欲しいのかもしれない。
「俺よりもななゆめのボーカルのユメの方が歌が上手い。これが証拠って事でいいか?」
しかし、男はそう言うと俺にマイクを返してどこかに行ってしまった。
一時間にはまだ少し時間があったが、そんな事はどうでもよかった。
やっぱり大口叩いていただけか、と呆れて人々が散り散りになっていく中、適当にライブを切り上げて、動きやすい観音寺と琴南に男の追跡を頼んだ。
急いでドラムを片付けて俺も追跡に向かおうと思った所で、携帯にメールが入っている事に気が付く。
メールは琴南からで、観音寺と男を捕まえて今は近くの喫茶店に居るらしい。
すぐに向かうと、確かにさっきの冴えない男と一緒に琴南と観音寺が談笑している。
店に入った俺は店員に「待ち合わせです」という意を伝え三人の席まで行くと、速やかに土下座した。
「今日は俺達の身勝手に巻き込んで申し訳なかった。ライブ中に言った事も全部本心じゃない」
「なるほど、本当に面白い奴なんだな。でも、会話する前に謝られても困るから顔をあげてくれ」
どんな罵声も受け止めようと思っていたのに、そんな事をあっさりと言われてしまって恐る恐る顔をあげる。
そうして見えた男の顔は呆れているようで、でも、怒っている様子は無くてそこでホッとすることが出来た。
「取りあえず綾川。恥ずかしいから席に座れ」
「おう」
観音寺の嫌味も、今は些細なことの様な事に感じられて男の正面に空いていた席に座る。
俺の隣に観音寺、男の隣に琴南と言った位置で話を始めた。
「二人とどこまで話したかは分からないから、重複話もあると思うが色々聞かせて欲しい」
「何が聞きたいんだ?」
「取りあえず、名前を教えて欲しい」
「三原遊馬。学部とか学科とか別に良いだろ?」
「便宜上呼び名が欲しかっただけだから大丈夫だ」
「それなら、便宜上、下の名前を使って呼んでくれると助かる」
何故それが便宜上なのかはわからないが、そう呼べと言うのならそう呼ぶことにしようと思う。
それにしてもこの遊馬という人物、掴めない。普通もっと動揺するなり怒るなりすると思うのだが堂々としている。それも別に自信があるからとか、俺達を面白がってくれているからという感じでもない。
「じゃあ、早速話を……」
「はい、綾川ストップ」
「何だよ、観音寺」
今すぐにでも聞きたいことが山のようにあり、どうやって失礼にならないように聞くかを考えるのに精いっぱいだと言うのに。
しかし、何やら観音寺が怖い顔をしているので、ちゃんと口を閉じる。
「話を聞く前にこっちの話をするのが筋だ」
「そう言う話は二人がすでに……」
「お前は自己紹介もしてないけど」
確かにそう言えばそうだ。何だか変に舞い上がってしまっているらしい。
自分を落ち着けるために一度深呼吸をしてから、一度謝った。
「俺はサークル『テンレジ』の長、綾川一。好きに呼んでくれて構わない。よろしく」
「よろしく」
握手を求めた手を、遊馬は躊躇うことなく掴む。
観音寺たちは既に自己紹介を済ませていたらしく、特に自己紹介をする様子はない。
代わりに琴南が話を始めた。
「えっと、遊馬君にはさっきもちょっと説明したんだけど、私達がななゆめを悪く言っていたのは、噂でななゆめの関係者が大学にいるって聞いて」
「で、その関係者を探すためだったって事だよな。見事に俺は釣られたわけだ」
遊馬がそう言って息を吐く。俺達に何かを言いたいと言うよりも、自分の浅はかさに呆れかえっていると言った感じだろうか。
そんな遊馬に、観音寺が緊張した様子で声をかける。
「い、いえ。遊馬さんが悪いわけじゃなくて、あたし達が浅はかだったと言うか……」
「事実は事実だから構わないが、何でななゆめの関係者を探していたんだ?」
遊馬の問いかけに、どこまで話が進んでいるのかを理解して俺が答える。
「俺達ななゆめのファンだからな」
「何て言うんだろうな。ありがとう……でいいのか?」
「良いのか悪いのかは分からんが、遊馬はななゆめの関係者なのか?」
ななゆめの関係者でないのなら「ありがとう」で良くないだろう。
でも、観音寺の様子を見ていると、本当に関係者のような気はする。しかし、ななゆめのメンバーに三原遊馬と言う名前が無かったのは間違いないのだ。
「ななゆめのボーカルが昔、男だったと言う噂聞いた事無いか?」
「……確かにそんな噂あった気がする……まさか遊馬が!?」
噂は確かにあった。あったが、それはユメさんがその男を追い出して入ったとそんな噂だったはずだ。仮にそうだとすれば、ななゆめに恨みがあるのは遊馬ではないのだろうか。
「実際は、ななゆめのボーカルじゃないんだけどな。ななゆめの前身のボーカルだったのが俺ってわけだ」
「それが本当だったとして、遊馬はななゆめを恨んでいないのか? 噂では追い出されたって話だったはずだ」
「それはあくまで噂だからな。正確には俺が譲ったんだよ。絶対に勝てない才能にぶつかった時、そいつに夢を託すのは一つの選択肢だろ?」
そういう遊馬は同年代とは思えない。達観していると言うか、何というか。
ともかく、これで嘘だったらそれはそれで尊敬に値できるので、遊馬の言葉を信頼して話を進める事にした。
「分かった。それで遊馬、一つ頼みがあるんだが聞いてくれないか?」
「聞けることならな」
「俺達のバンドのボーカルに……」
「悪いが断る」
「あんなに歌えるのに何で……」
「悪い」
あまりの反応の速さにこちらが驚く。でも、こちらとしても四人目はどうしても欲しい所だから引き下がるわけにもいかない。
というか、こちらの事情を知っておいて、事情……話したっけか?
そう思っていると、琴南が遊馬に話し始めた。
「えっと、私達三人でサークルを作ったんだけど、どうやら教室を貰えるようになるには、四人必要なんだ。
それで、私達も人に教えられるほどじゃないから、やる気があって、出来るだけレベルが高い人を誘いたかったと言うのもライブの目的だったの」
「なるほど、ななゆめのメンバーなら確かに教える必要とかないな。今まで練習はどうしていたんだ?」
「スタジオを借りてやってたかな。でも、流石に何度も借りるようなお金は無くって」
「で、何としても四人目が欲しいと。なるほどな」
遊馬がこちらの事情を理解してくれたのか、そう言って頷く。
これならば大丈夫だろうと、改めて俺が口を開いた。
「そう言う事なんだ。だから、遊馬にボーカルを……」
「それは無理だ」
「で、でも。今日歌ってましたよね?」
観音寺が遊馬に迫る。迫るのは良いとして何で敬語なのだろうか。
「俺が歌うのは、ななゆめの為だけって決めてるからな。今日みたいに、不当にななゆめの評判を下げるような輩がいないとそうそう歌わない」
上手い返しだと思った返しが、逆にこちらの首を絞める結果になってしまった。
どうしてここまで、遊馬の決意が固いのかはわからないが、遊馬程の逸材を逃す手は俺にはない。だから、もう一度、いや、もう何度でも頼もうと声を出そうとしたところで、琴南が俺の肩を掴んで首を振った。
「ごめんね、遊馬君こっちの都合でこんなに付き合わせて」
「どうせ暇だから今日はいいが、悪いが何度頼まれてもボーカルは出来ない」
「うん、遊馬君にも事情があるんだよね。でも、名前だけでも……」
琴南が途中まで話して、俺の方を見る。ようするに遊馬を名前だけでもサークルに入れたいけれど、名前だけ借りるのを嫌っていた俺にそうしていいのか確認という事か。
確かにどこの誰とも分からない人ならば嫌だが、遊馬との縁をこれで切ってしまうのも勿体ない気がしたので、琴南の視線に頷いて返した。
観音寺も同じように視線を送られ、少し考えて頷いている。
「えっと、名前だけ貸して貰えないかなって。遊馬君には何のデメリットもないはずだから」
「それって、メリットもないよな」
「それは……そうなんだけど……」
どうやら万事休すらしい。むしろ、ここまで話に付き合ってくれただけでも十分すぎると言えばそうなのだが。
ななゆめの関係者と、こうやって話せただけでも幸運だったと思うべきなのだろう。
「まあ、名前を貸すだけ、仮に何かで呼び出されても俺はななゆめを優先させる。
それでいいなら構わない」
「本当? ありがとう。それで、名前だけって事なんだけど、偶に遊びに来てほしいな……なんて思うんだけど、駄目かな?」
「ああ、良いよ。普段は暇している事が多いし」
流石は琴南と言ったところか、それとも遊馬のノリが軽いのか、簡単に遊馬が頷く。
後者である事を祈って、そして、遊馬が本当にななゆめ関係者であることを把握するために、一つ頼みごとをしてみる事にした。
「遊馬、無理を承知で一つ頼みがある」
「聞くだけなら聞くが」
「出来ればななゆめのメンバーに直接謝りたい」
「別に誰も気にしないと思うけどな。正直、ありふれた話ではあるし」
「俺が自分を許せないんだ」
頭をテーブルにつけると、頭の上の方で「綾川……」とか「一君……」と観音寺と琴南が引く声が聞こえる。
まあ、俺の本意を理解して、馬鹿な事をやっていると分かっているのだろう。
それでも、それ以上何も言わなければ、お前ら二人とも同罪って事だ。
「取りあえず、頭をあげてくれ」
遊馬に言われて頭をあげると、遊馬は携帯電話を取り出していた。それから、マイク付のイヤホンをつけて話し出す。
「あ、ユメか。いろいろあって、ななゆめに謝りたいって人たちが……うん、まあ歌ったな。
それを、俺が言わないと駄目なのか?」
イヤホンを付けられているので、向こうの声は全く聞こえないが、遊馬の言葉が本当なら、その電話の向こうにはユメさんがいると言うことになる。
それって何だか凄い事のように思える。というか凄い事だ。
こうも話がトントン拍子で進んで行くと、正直恐怖すら覚えるのだけれど。
「それじゃあ、またな」
遊馬がそう言って電話を切る。それから、俺達の方を見た。
横目で観音寺と琴南を見ると、二人ともかなり緊張しているのが分かる。
俺も例にもれず、遊馬が話し出すまでの短い間がとても長く感じられて、こめかみを冷汗が流れた。
「やっぱり、ユメは気にしていないってさ。むしろ「遊馬を歌わせてくれてありがとう」って褒めてたな」
「褒め……え、あ?」
遊馬の言葉が理解できずに、それに対して返そうとする俺の声が意味をなさない。
遊馬はそのまま携帯を弄り始めると、もう一度俺達を見た。
「後何回か電話かけるけど、構わないか?」
「あ、ああ」
反射的にそう返して、残り二人を見ると二人とも唖然としているのか口をパクパクさせた後で琴南の方が何とか口を開いた。
「で、電話って、もしかして……」
「取りあえず、今は桜ちゃんだな……っと、もしもし」
すでに発信ボタンを押していたのか、琴南の質問に答えていた遊馬がジェスチャーで謝る。琴南も理解したのか、首を振って遊馬を見た。
黙っている事しか出来なくなった俺達はただただ、遊馬の電話を聞いているだけの置物になる。
「ああ、それで謝りたいって言うんだけど、鼓ちゃんは一緒だったりしないのか?
……そういうことなら頼む。それはないな。なんで皆それを気にするんだ?
確かにあの時以来だが……
じゃあ、こっちからは後綺歩にかけてみるよ。それじゃあよろしく」
五分かそこらで二人目の電話を終えた遊馬が、再度携帯に手を掛けようとしたところで、今度は観音寺が声をかける。
「もしかして、桜ちゃんって、あのSAKURAさんですか?」
「どの“さくら”さんかは分からないけど、年下に気を遣わなくていいと思うけどな」
「い、いえ。そんなの無理です。だって、あの“ななゆめ”の、あの“桜”さん何ですから」
とても真面目に観音寺が返した所で、遊馬が急に笑い出した。何かおかしなことを言ったのではないか、と不安そうな顔をしている観音寺に、遊馬が焦ったように謝る。
「悪い、ちょっと昔の事を思い出してな」
「昔の事……ですか?」
「ああ、似たような事を桜ちゃんに言って、電話切られた人がいてな。
じゃあ、次が最後になるから」
そう言って遊馬が電話をかけ始めた。
電話が終わって「待たせたな」と遊馬が言うので俺たち全員で首を振る。
「そう言えば、三人は巻き込んだこと悪いとは思っているんだよな?」
「あ、ああ。俺達に出来る事があれば、何でもお詫びするつもりだ」
「言い出したのは一君でも、私も楽しんでいたのは間違いないから。何でも、は出来ないけど」
琴南の言葉に合わせて観音寺も頷く。何だろう、先ほどまでまるで気にした様子は無かったのに。もしや、ななゆめの中には許せないって人がいて……。
「じゃあ、移動費くらいは自分で払って貰うからな」
そう言って遊馬が立ち上がった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
遊馬に連れてこられたのは、近くの駅。近くとは言ってもこの辺だと大きい駅で、遊馬は躊躇うことなく切符を買うと時計を見た。時間は一四時少し前。
「たぶん、帰ってくるのは夜になるけど良いよな?」
「俺達どこに連れていかれるんだ?」
それが分からないと何とも返せない。遊馬はまるで言い忘れていたかのように「ああ」と言うと口を開いた。
「それは秘密だが、まあ悪いようにはしないさ」
「そう言われると、怖くなるんだな。これが」
「まあ、無理に来いとは言わないが……」
遊馬の言葉に裏は無いように思う。でも、遊馬がそう言うのを隠すのが上手くて……などと俺が考えている間に観音寺が口を開いた。
「あたしは行きます」
「心ちゃんが行くなら、私も」
「だから、綾川は来なくていい」
「いや、この流れで行かないとは言えないって」
仮にここで乗せられただけだとしても、行くと言わないといけないだろう。
しかし、本当に観音寺にその気はなかったらしく、嫌そうな顔をしていた。もしかして、観音寺はどこに行くのか分かっているのだろうか。
それから、安くない切符を買い遊馬に連れられて電車に乗る。
勿論、その電車には何処行きなのかくらいは書いているが、その場所に心当たりのない俺にしてみれば分からないも同義。
ボックス席にさっきと同じように四人で座ると、今まで比較的静かだった観音寺が口を開いた。
「遊馬さんに話があるんです」
「何だ?」
「ライブでのあたし達の演奏、どうでしたか?」
観音寺の質問に、俺と琴南が固まる。まさかそれを聞いてしまうのかと。
それを聞いて遊馬は思い出すように「そうだな」と呟くと話し出した。
「上手かったんじゃないか?」
そう言われて、正直ほっとした。なんて言うか、散々にけなされるんじゃないかとすら思ったから。
たった数時間の付き合いだが、遊馬がそんな事をするとも思えないが。
しかし、観音寺は納得いかないと言った感じで遊馬に迫る。
「そう言うお世辞は良いんです。あたしはもっと上手くなりたい、だからその為にちゃんと遊馬さんが思った事を言ってください」
「うん。遊馬君、私からもお願いするよ」
琴南も続いて、遊馬が困ったようにため息をついた。
「正直言って、俺は音楽について殆ど分からないからな? ギターの技術がとかそう言うことはサッパリわからない。
ただ、正直に話していいと言うなら、歌い難かった。と、言うかこういう風に歌った事は無かったが正しいかもな」
「遊馬君、歌い難かった……ってどういう事?」
「バッサリと言ってしまえば、三人の纏まりが今一つだったって事だ」
三人の纏まり……俺と観音寺と琴南の事か。確かに思い当たる節がある。
「だから、今日は遊馬が纏めようと歌っていたって事か」
「それで、結構纏まってくれたから、やっぱり個々は上手いんだろうな」
遊馬のそれがフォローなのか何なのかはわからないが、実力の差をさらに感じてしまう。
「だから、演奏しやすかったんだね」
「じゃあ、遊馬さんはいつもどんな風に歌っているんですか?」
「俺は歌ってないから何とも言えないが、ユメは演奏を引っ張るんじゃなくて、演奏に乗っかるようにして歌っているって言ってたな」
それを簡単に言ってしまえるのが実力者と言うものなのだろうか。俺達が目指す壁と言うのはどこまでも高いらしい。
何せ、この遊馬ですら届いていない所にいるのがななゆめらしいから。でも、一つ目標は決まった。
遊馬が歌いやすい演奏をする。俺が一人そう決意している中、好奇心を抑えられなかったのか観音寺が遊馬に「他に仲が良いミュージシャンって居ないんですか?」と聞いていた。
遊馬がドリムとも仲が良いと言う羨ましいエピソードを聞いたところで、遊馬が立ち上がった。
「と、いうことで降りるぞ」
「は、はい」
遊馬の言葉に観音寺の緊張が今日一番になる。
何をそんなに緊張しているのだろうか。いや、そもそも遊馬に迷惑をかけたから連れてこられた場所だから、何をさせられるのかと緊張はするだろうが、今の遊馬との雑談を見ても遊馬はそこまで酷い事は頼まないと思うのだけれど。
と、言うか本当にここはどこだ。
見ると、琴南も緊張しているらしい。
「遊馬、そろそろここが何処か教えてくれてもいいと思うぞ?」
「俺の地元……だな」
「そうかそうか、遊馬の地も……遊馬の地元だって!?」
「綾川うるさい」
観音寺の弱い方のチョップが飛んでくる。
「何だよ観音寺。お前もさっきまで緊張してただろ、というかこれが興奮せずにはいられないだろ?」
「緊張はしてる……でも、あんたのお蔭で頭が冷えた」
「やっぱり、そうだよね。もしかして遊馬君……」
緊張している観音寺とは違い琴南は期待したようなまなざしできょろきょろと辺りを見回していた。
遊馬の後ろについて三人そわそわしながら歩いていくと、一人の女の子が遊馬に気が付いて手を振っていた。
そのふわふわ髪の小悪魔っ子を俺は知っている。
「桜ちゃん、待たせたな」
「いえいえ、桜も今来た所ですよ、と言った方が良いですか? それとも、だいぶ待ちましたよ、と言った方が良いですか?」
「後者は俺のネタだから前者にしておいてくれ」
俺達そっちのけで遊馬が話すが、目の前で日常そのままの桜を見られたと言うだけで今日の出費がまるで痛くなくなった。
そう思っていたのに、桜は遊馬の影からひょっこり顔を覗かせて俺達に話しかけてくれる。
「この方たちが例の人達ですね。初めまして……ではないかもしれませんが、桜はななゆめでベースを担当している桜です」
「あああ、あの。あたしは観音寺心と言います。桜さんに会えて光栄です」
「心さんですね。でも、桜の方が年下なので敬語とかさん付けとかしないで良いですよ」
「そ、それは無理です」
緊張も最高潮の観音寺を見て、桜は困った顔で遊馬の方を見た。
「何と言うか、舞さんみたいな方ですね」
「俺もそう思った。背丈も似たような感じだしな」
そう言って二人で何やら笑いあった後に、桜が琴南の方を向いた。
「じゃあ、桜ちゃんで良いかな? 私は琴南結葉です。えっと、握手とかして貰っても……」
「良いですよ。結葉さん初めまして」
「お、俺も桜と握手を……」
「桜さんでしょ?」
握手をしてもらっている琴南が羨ましくて思わず、前に出ると観音寺の痛い方のチョップが俺に飛んできた。
そのやり取りを見て桜が楽しそうに笑う。
「心さんはちょっと、舞さんとは違うみたいですね。それと、桜で構いませんよ」
そう言って手を差し出してくる。すぐに手を取ろうと思ったが、一度ズボンで汗を拭ってから差し出された手を取り自己紹介をする。
「俺は綾川一。親しみを込めて……」
「はい、綾川、初めまして」
「あ、あの桜様?」
「冗談ですよ、一さん……はちょっと呼びにくいですし、綾川先輩って事で」
綾川先輩……先輩……なんて甘美な響きだろうか。でも、憧れの存在から先輩と呼ばれるのはちょっとくすぐったいものがある。
「綾川キモイ」
今日何度目かわからない観音寺のチョップで我に返った所で桜さんが話し始めた。
「それで、遊馬先輩が貴方方のサークルに入ったんでしたっけ」
「遊馬君には名前を貸して貰っただけなんだけどね」
琴南の返答を聞いて桜さんが遊馬の方を見る。
「俺は歌う気ないしな」
「はあ……分かっていましたが、せめて歌うときくらい桜を呼んでくれてもいいと思います」
「そんな無茶な」
「とは言え、遊馬先輩はななゆめの大切な一員ですからね。裏方ですが」
遊馬はそう言う立ち位置だったのかと、何となく分かったところで、桜の言葉がちょっと引っかかった。もしかして、遊馬がサークルに名前だけでも貸すのは不味いのだろうか。
緊張に思わずつばを飲み込んだ。
「その先輩を借りると言うからには、遊馬先輩に楽器を教えてあげて下さい」
「遊馬に……」
「楽器を……ですか?」
「桜ちゃん、どういう……」
桜の言葉に遊馬自身も驚いたのか、抗議の声をあげた遊馬を桜が少し遠くに連れていく。
それから何やら話したかと思うと、遊馬が考えるようなそぶりを見せた後で戻って来た。
「暇なときで良いから頼めないか?」
「えっと、私は構わないんだけど、どうして?」
「遊馬先輩楽器の一つも出来ないからですよ。裏方でも使う楽器くらい理解してくれていた方が何かと助かりますし。
その代わりと言っては何ですが、今日は皆さんを特別にご招待しますよ」
「ご招待……ってどこにですか?」
観音寺の問いかけに、桜は小悪魔っぽい笑顔を見せて短く「お楽しみ、ですよ」と返した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
桜と遊馬に連れられてやってきたのは、貸しスタジオ。
当然のように入っていく二人だが、貸しスタジオがいくらかかるかを知っている俺としてはビクビクしてしまう。
いくつもある部屋をスルーして、ようやく一つの扉の前で止まると桜が「それではこちらですよ」とその扉を開けた。
開けた先は集会所の様な場所。しかし、前方にはステージのように一段高くなっている所があって、その上には楽器がきれいに並んでいる。
それから、この空間に八人の人間がいた。そのうち五人を俺は知っている。知ってはいるが、これは夢なんじゃないかとすら思える。
あのななゆめのメンバーの殆どが此処に会しているのだ。
しかも、普通のライブではありえない程の近距離に。
驚きと感動で言葉が出ないでいると、一人女の人が遊馬に近づいてきた。
「遊君久しぶり」
「久しぶりって程でもないだろ。ゴールデンウィークにもあったし。
俺としては此処に稜子がいる事の方が驚きなんだが」
「何よいちゃわるい?」
「悪くはないが、よく都合ついたな」
「偶々この辺に来ていたもの。それで皆集まると言われたら、来ないわけにはいかないじゃない?」
ステージから聞こえる稜子さんの声を聞いてなのか、遊馬が嬉しそうに口元を緩める。
何と言うか、本当にどうなっているのだろう。
ななゆめの関係者を捕まえようとして、期待とは違う人――技術的には十分すぎたが、ユメさんだと思っていたので――が釣れたと思ったら、その日のうちにななゆめの殆どとこうやって出会うことが出来た。
「なあ、観音寺。一発叩いてくれないか?」
「あたしも目の前の光景が信じられないから、本気で行くけど良い?」
「ああ、構わない」
直後飛んできたビンタはかなり痛いとか、そんなレベルじゃなかったけれど、目の前の夢のような光景が現実だとありありと教えてくれた。
「はい、遊君これ」
「ああ、助かる」
「ねえ、遊君。ちゃんとご飯食べてる? テストちゃんと受けた? 一人暮らしだからって夜更かしとかしてない?」
「ちゃんと食べてるし、テストも受けた。夜更かしに関しては……まあ、そこそこだな」
「駄目ですよ。ちゃんと寝ないと、夜更かしはお肌の大敵です」
「鼓ちゃんも久しぶり」
それにしても、どうしてこうも遊馬の周りには女の子が寄って行くのだろうか。
こう言ってしまうと何だが、ななゆめのメンバーはそれこそ皆レベルが高く、冴えない遊馬を構うとは思えないのだけれど。
「人は見た目じゃないって事だねえ」
「確かに、遊馬は優しいと言うか、お人好しと言うか……って、うわああ」
「そんなに驚かなくても良いんじゃないかい? あんたさんだって女の子二人連れているみたいだしねん」
「あ、あの。一誠さんですよね」
「よくご存じで」
突如やって来たイケメン。ななゆめの黒一点とも言える一誠は、言葉と裏腹に、俺の連れてきた女二人に囲まれる。
やっぱりイケメンは格が違う。それにイケメンと言うだけではなく、ドラムの腕も桁違いなのだ。そりゃあ、音楽好きなら引かれても仕方がない。
この一誠を差し置いてなぜ遊馬が、と思ったが、考えてみれば遊馬は一人遠い所に引っ越したわけだから、なつかしさがあっての事か。
そんな風に納得したところで、ななゆめとは関係のなさそうな子たちに目が行った。
「そう言えば、あそこにいる子達は?」
「あの子たちは桜達の後輩にあたる子ですよ」
何処から現れたのか、桜がそう説明してくれる。
「折角ななゆめが集まるので、本当の歌と言うものを聞かせてあげようと思いまして」
「本当の歌って言っても……」
その歌う担当だけが居ないように見えるのだが。
俺の呟きにも桜は意味深に笑うだけで、それが何とも魅力的で割と他の事がどうでもよくなる。こうやって見ると、ななゆめってかなり親しみやすい人たちの集まりではないだろうか。
「それじゃあ、俺は帰るから、後はよろしく」
「了解しました」
「ちょっとまて、遊馬帰るのか?」
「折角地元に帰って来たしな、実家に顔出そうと思って」
いや、それは分かるが別に今抜けなくてもいいだろう。そう思っている間にも遊馬は部屋から出て行ってしまった。
「そう言えば皆さん、こんな端っこに立っていないでもっと中に入ってください」
桜にそう促され、自分たちが入口に立っている事に気が付いた。
中に入ると猶の事ななゆめとの距離が近くて感動する。
俺達と同じく招かれた側の高校生たちと目が合ったので、軽く会釈をしているとドアが思いっきり開かれた。
「ごめん、お待たせ」
そんな声が聞こえて目を向けると、観音寺と同じくらいの身長の女の子が立っていた。
「ユメ先輩遅いですよ」
「ごめんごめん。ちょっと抜け出すのに手間取っちゃって」
「まあ、見事に捕まっていましたからね」
桜とそんな風に楽し気の話すのは間違いなくユメさん。彼女の歌声があるからこそ、人はななゆめに惹かれ、惹かれた人間が他のメンバーにも目を向けていく。
そんな雲の上の存在がこんなにも近くにいるとは何とも不思議な事か。
「ユメちゃん久しぶり、所でまだ私にもチャンスってあるよね?」
「何で綺歩はその答え難い質問を会う度にしてくるの?」
「宣戦布告、かな」
「そうです。宣戦布告です」
「鼓ちゃんまで……」
「ユメユメも大変ですな」
「ほら、ユメが来たならそろそろ始めるわよ」
稜子さんの言葉に、ななゆめのメンバーがステージの上に上がる。
ユメさんと話せなかった事は少し残念だけれど、素のユメさんが見られたことは一生の宝物にしても良いように思えた。
「奇妙な縁でお集まりの六人の皆さん、今日はななゆめの極秘ライブにお集まりありがとうございます」
ステージに上がるや否や、ユメさんがマイクを持ってMCを始める。
ユメさんのMC自体は何度も聞いたことがあるけれど、こうやって俺達だけの為にと思うと胸が熱くなってしまう。
「わたし達自身こうやって集まるのは数か月振りと言うことになりますが、皆さんのおかげでこうやってまた集まる事が出来ました。
では、前置きはこれくらいにしておいて、早速演奏を始めていきます。
聞いてください『trick』」
ユメさんがスッと目を閉じる。他のメンバーの演奏を聴くように。
横目で琴南や観音寺を見ると二人とも、ステージにくぎ付けで俺もすぐに視線を戻した。
「会えない夜に嘆くより
会える時間を想い 眠ろう
会えない時間が 不安でも
大きく首を振って 笑おう」
歌うユメさんの声は曲に合わせて、切なげで愛しげで、そして楽しげで。
歌詞の中に描かれている女の子を簡単に想像できてしまう。
「貴方は今何をしてるの? 何を考えてるの?
私は貴女を笑わせたくて 少し馬鹿な事を考えています」
もうこうなってしまっては俺は一心に耳を傾けるだけなのだけれど、そこで遊馬の言っていた纏まりと言うものに気づいてしまった。
学食の前でのライブの時に、三人でこれだけ演奏できるのだと吹聴していたけれど、そんな事は全然なくて、本当はたった三人だったのにあれだけしか纏まっていなかったのだ。
個々のレベルもななゆめには到底及ぶことも無くて、何と追いかけ甲斐のある目標なのだろう。
だが、今は今、このライブを全力で楽しもうと思う。明日からの新しい始まりに向けて。
これで番外編も終わりとなります。
大学生編については、まあ、おまけという事で色々詰め込みすぎてみました。
高校生編含め今の所続ける予定はありませんが、何かがまかり間違ったりしたら続くかもしれません。でも、正直『両声類だった俺が両性類にLvUPした』が書籍化するか、新作ネタが尽きるかしないと続かないと思います。
それでは、ここまでお付き合い頂きありがとうございました。
また別の作品でお逢い出来れば幸いです。