Lv131
遊馬の足音を聞いてこちらを向いた鼓ちゃんが驚いた顔をする。
「今度は遊馬先輩が来たんですね」
「まあね」
落ち着いているように見えて遊馬がどうしようもなく困っているのが分かる。
それは鼓ちゃんが今にも泣きだしそうな顔をしているから。かける言葉が見つからないのだ。
それでも何かを言おうとしたのだろう、喉まで何か言葉が出かかったところで、先に声を出しのは鼓ちゃんだった。
「先輩にあんなこと言ったから、あたしも捨てられたんですよね」
「鼓ちゃんは捨てられていないよ」
気丈にそう返す遊馬が「鼓ちゃん『は』」と言ったのは鼓ちゃんの認識に合わせてなのか、それとも本当に……。締め付けるような胸の痛みは遊馬がそう思っているからじゃないのだろうか。
「そう……思っていました。でも最近稜子先輩に怒られることが増えて、捨てられるんじゃないかと思っていっぱい練習したのに、やっぱり怒られて、とうとう捨てられちゃいました」
鼓ちゃんは今にも泣きだしそうだけれど、多分遊馬だって泣きたいんだと思う。
決して涙は見せないだろうけれど、だって、わたしが泣きたいから。
「先輩は鼓草って知っていますか?」
「鼓草?」
「あたしの名前の由来になった花です。皆が良く知っている呼び方をしたらタンポポ。桜やチューリップなんかと比べて見向きもされないタンポポ。
どんなに努力してもその努力を見て貰えないあたしにぴったりの名前だと思いませんか?」
「そうだね」
どうしてこのタイミングでそんなに優しい声が出せるのだろうか。わたしも同じ状況で同じことが出来るのだろうけれど――。
ショックを受けたような顔の後「そうですよね」と俯いた鼓ちゃんに遊馬が続けて話しかける。
「確かに目立たないかもしれないけれど、見てくれている人はきっといる。好きな人はとっても好きな花だよな。タンポポって」
遊馬の言葉に鼓ちゃんが顔を上げる。
「鼓ちゃんが此処まで追い詰められていたなんて気がついていなかった俺達には言われたくないかもしれないけれど、鼓ちゃんが頑張っていた事は皆知っていたよ。もちろん稜子も」
「そんなの嘘です。先輩は……先輩はユメ先輩としてとても上手くなったから。先輩だけはあたしと同じだと思っていたのに」
脈絡のない鼓ちゃんの言葉が鼓ちゃんの迷いや痛みを現しているように思う。
わたしと遊馬は同じだから鼓ちゃんの言うことは正しいのだけれど、何だか嫌な予感がしてならない。
「鼓ちゃんと俺は最初から同じじゃないよ。鼓ちゃんはずっと鼓ちゃんとしての音楽を、自分がやりたい音楽をやっていたんだよな」
遊馬の言葉がわたしに針で刺すかのような痛みを与える。
「先輩だってそれは……」
「でも、俺はそうじゃない」
そう遊馬が静かに言った時、わたしはわたしが何か言葉を言うのを堪える事しか出来なかった。だって、遊馬が自分からその事をいうことがどれだけ辛い事か分かっているから。でも、わたしが何を言っても白々しいだけ。
「これは綺歩にも言っていない事なんだけど、俺は地声で歌うのはあまり好きじゃない。それは俺本来の歌い方じゃないんだ」
遊馬の言葉に心の中で首を振る。
遊馬から抜けていく力が遊馬の気持ちを表しているようでわたしはかけるべき言葉が見つからない。
本当は「そんなに自分を傷つけないで」とか思いつくのだけれど、多分遊馬にはそんな自覚はないから言った所で軽く受け流されて終わってしまうに違いない。
「俺が好きな……好きだったのは裏声で歌っている時。その時が他の何よりも楽しい時間だった」
「え……あ……でも、先輩は……」
「もう歌えないよ。歌おうとすればユメと入れ替わるし、ユメの歌はあくまでユメの地声での歌であって裏声じゃない。
だからって言うつもりはないけれど、少なくとも鼓ちゃんにはこんな事で好きな音楽を辞めないで欲しいし、出来れば帰ってきてほしい」
遊馬の言葉は鼓ちゃんに向けてのものだけれど、どうしようもないほどにわたしを苦しめる。それは遊馬がどんな気持ちでこの言葉を言っているのかが分かるから、そして遊馬の楽しい時間を半ば奪ってしまったのがわたしだから。
しかし、遊馬は気丈に言葉を続ける。
「どうしても戻りたくなかったら、そうだな……桜ちゃんでも誘って鼓ちゃんと桜ちゃんとユメとで新しいバンドを組もう」
遊馬の言葉に鼓ちゃんの目が泳ぐ。
「先輩達は本当にあたしを見ていてくれたんですか?」
「ああ、ここに来る直前に確かに「鼓ちゃんは上手くなった」って言っていたよ。鼓ちゃんが今後そう感じなければさっき言った通り桜ちゃん誘って新しくバンド始めよう」
「……飛び出してきて、どんな顔をして戻ったらいいんでしょうか?」
「いつものように笑顔でいてくれたらそれでいいさ」
「そう……ですか。だったら、少しだけ時間をくれませんか? きっと、泣き……終わったら、いつ……も通りに、なります……から」
次々に鼓ちゃんの目からあふれる涙が、いかに今まで不安に思っていたのかを物語っていた。ダムのように不安や辛さを溜めて、溜めてそれがいま崩壊したみたいに。
そんな鼓ちゃんを見て遊馬が困った顔をする。慰めたいけれど、男である自分には何とも出来ない、そんな感じだろうか。
だから、わたしは遊馬と入れ替わっても遊馬と同じように気丈に、でも優しくふるまおうと決めた。
「ユメ、頼んでいいか?」
『うん。遊馬お疲れ様』
本当に辛かったと思う。だって、わたしも辛いから。それに遊馬は声に出して鼓ちゃんに伝えないといけなかったのだ。遊馬の強さが垣間見える。
でも今は鼓ちゃんの事。鼓ちゃんをそっと抱きしめると、黙って頭を撫で続けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「もう大丈夫です。ありがとうございました」
鼓ちゃんがそう言ったので鼓ちゃんから離れる。その顔はだいぶ晴々していて安心することが出来た。でも、申し訳なさも生まれてくる。
「ごめんね。遊馬に感覚が伝わっているのは分かっていたんだけど、どうしても放っておけなくて」
「そんな事ないです。だいぶ甘えちゃいました。でも、あたしは……」
「鼓ちゃん?」
最後小さくて聞こえなかったので尋ね返すと、鼓ちゃんは焦ったように「何でもないです」と返した。すっかり元気になったようでそれならそれでもいいかと話を変える。
「今日はもう帰った方が良いかもね。鼓ちゃんも疲れたでしょ?」
「そうですね。泣き疲れちゃいました」
冗談めかしく鼓ちゃんは言うけれど、その目の赤さが事実だと物語っている。
「お先に失礼します」
そう言って鼓ちゃんが出て行ったあとで、桜ちゃんがこっそり入って来た。
「さっきの話本当なんですか?」
「さっきのって」
恐らくは鼓ちゃんとの話のどれかなんだろうけれど、どれに当たるのかはさっぱり見当がつかない。
「桜を道連れにして部活を辞める話です」
若干拗ねたように言う桜ちゃんの言葉を聞いて、その話かと納得する。
「鼓ちゃん次第だし、桜ちゃん次第だよ。でも可能性として桜ちゃんならついてきてくれるかなって……遊馬は考えたんじゃないのかな?」
少なくともわたしは遊馬がそう考えただろうと確信できる。
「まあ、つつみんもユメ先輩も抜けるなら桜が抜けるのはやぶさかでじゃないですが、勝手に決め過ぎじゃないですか?」
どの口が言うのだか。引き続き拗ねたように言う桜ちゃんは、しかし、「でも」とすぐに機嫌を直した。
「つつみんの事ありがとうございました」
「わたし達に責任が無かったわけじゃないし、多分わたしは稜子と同じくらい鼓ちゃんを追い詰めたんじゃないかな?」
「でも、一番はつつみん自身だと思うんですけどね。辛かったらもっと早く相談してほしかったです。
それで先輩。さっきの話は本当なんですか?」
何で桜ちゃんは同じ質問をもう一度してくるのだろうか。
きっと「さっき」の中身はさっきとは違うのだろうけれど、わたしには分からない。
「遊馬先輩は裏声の方が云々って話です」
「あー……綺歩たちには内緒にしておいてね」
「勿論です」
この笑顔はたぶん信用していいんだと思う。桜ちゃんは本当に嫌がる事はしないと思うから。
「それでは桜もお先に失礼しますね」
そう言って教室を後にする桜ちゃんを見送ってから、わたしたちも帰る事にした。
遊馬に戻って返ろうとしたところで綺歩と出会った。綺歩はわたし達を待ってくれていたみたいなのだけれど。
稜子の方は稜子が鼓ちゃんと仲直りするようにと言う話になったらしい。
遊馬も鼓ちゃんの方の事情を伝えて一緒に帰る事にした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
稜子が鼓ちゃんと仲直りするために行ったのは新曲を作る事。
そんな回りくどい事をしなくてもいいのにと思わなくもないけれど、稜子らしいと言えば稜子らしい。
でも、こうやって歌で気持ちを伝えるってちょっと憧れる。
そんなわけでライブの日。
他の二年生が案内等で働いている中、わたしは一年生と御留守番。
「どうしてわたしもこっちなんだろう?」
「間違いなくユメ先輩をギリギリまで隠したいからでしょうね」
一応わたしのお披露目ライブだからかと納得したところで、隣から鼓ちゃんが緊張した面持ちで話しかけてきた。
「ふ、二人とも、よく緊張しませんね」
「つつみんが代わりに緊張しているからですね」
「桜ちゃん、それってどういうこと?」
笑いながら話す桜ちゃんの言葉を聞いた鼓ちゃんの表情から緊張の色が消えたのが、可笑しくて微笑ましくて思わず笑みを作ってしまう。
それを鼓ちゃんに見つかってしまったらしく「先輩まで」と鼓ちゃんは可愛らしく頬を膨らませた。
「はじめるわよ」
そんな声と共に稜子が顔を見せたので、立ち上がって鼓ちゃんに声をかける。
「生まれ変わった鼓ちゃんを見せつけなくちゃね」
「勿論です」
自信に満ちた声が返って来たので、安心して舞台に上がることが出来た。
わたしがユメとして初めてライブのステージに立つわけだけれど、ふと、男時代での事を思い出した。
初めてライブのステージに立った時、こんな風に大々的に紹介されなかったせいもあるとは思うのだけれど、反応はかなり薄かった。
でも、今日は違う。わたしが姿を見せてから音楽室のざわめきは一気に増した。
慣れない事態に緊張してしまうけれど、マイクを持った手を口へと近づける。
「こんにちは。休みなのにわたしたちのライブに来てくれてありがとう。音楽室には入れなかった人はごめんなさい。ちゃんとわたし達映っていますか?
早速ですが一曲歌ってみようと思います。聞いてください『Loved girl』」
緊張のMCが終わってようやく歌に入ることが出来る。
いつも通り、いや、鼓ちゃんの自信分精度の増した演奏がわたしの緊張を解してくれた。
「そう 貴方の為ならば」
声もいつも通り。いつもと違うのは会場の反応。
驚いたような唖然としたようなそんな反応に、少し不安を覚えるけれどそのまま歌い続ける。
「世界に囚われた私を 貴方が守ってくれるならば
どれだけ辛くても この思いを持ち続けよう」
間奏に入ったところで先ほどの静けさの意味が分かった気がした。
割れんばかりの歓声が聞こえる。
こんなにもたくさんの人がわたしの歌を聞いてくれていると言う感じがして心のうちから溢れてくる感動が歌に乗る事を止めることが出来なかった。