Lv130
買い物に行った休日から数日。わたし……というか遊馬は一度科学部室に向かった。
科学部で分かった事と言うと遺伝的にわたしと遊馬がほとんど同じだったと言う事と、遊馬が疲れたらわたしも疲れると言う事。
遊馬が太ったらわたしも太るだろうと言う事だけれど、お金があれば昼ご飯よりも歌う事を優先していた過去を持つ遊馬にどうやってお肉をつけるかの方が問題になる。
もしかして遊馬が太ったらわたしのが大きくなったりしないだろうか。何がとは言わないけれど。
科学部での用事を終えて、音楽室に向かう。勝手に動く手と足を使って。
音楽室に着くと遊馬は足をとめてわたしと入れ替わった。
戻って来た自由な身体を使ってドアを開けると「ほら、鼓。さっきも同じところ間違えたでしょう」と言う稜子の叱責が聞こえてきた。
何だか入り辛くて、ドア付近で鼓ちゃんに何か声をかけた方が良いんじゃないかと思っていると、稜子がわたしに気が付いたらしく「ユメ、遅かったわね。早く着替えてきてちょうだい」と言われたので音楽準備室に向かう。
その時に綺歩が鼓ちゃんに声をかけてくれているようだったのでだいぶ安心することが出来た。
目を瞑って着替える事にも慣れてきたので無駄話をしないようにしながらサッと着替える。わたしが目を瞑って着替えることが出来ると言う事は、勿論遊馬も出来るようになったと言う事で女子の制服に着替えるのが早い男子ランキングだと最上位に行けるんじゃないかと思う。
そんな競技は聞いたことがないけれど。
音楽室に戻ると、落ち込んでいた鼓ちゃんもいつも通りに戻っていたので安心して練習に入ることが出来た。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
練習が終わって着替えまで済ませると、わたしは遊馬に戻るまでの時間を潰さないといけない。
その時はたいてい遊馬と適当な事を話しておけばよかったのだけれど、今日はいつもと違うらしく音楽室に戻ると「ユメ先輩」と元気のない声をかけられた。
「鼓ちゃん?」
いつもの明るさをどこかに忘れてしまったような鼓ちゃんの様子に驚いてしまう。
「ごめんなさい。ちょっと相談したいことがあって……」
「別に構わないけれど、それはわたしが良い? それとも遊馬?」
わたしはどちらでも構わない、というかどちらでも同じだとは思うのだけれど、周りもそうかと言われたらそうではなさそうだと言う事は流石に理解している。
今は周りからの理解の話よりも鼓ちゃんが深刻そうな顔をしている方が困るのだけれど。
「えっと、あの……ユメ先輩に聞いてほしいです」
「わかった。でも先にちょっとだけ歌わせてね」
鼓ちゃんには悪いが真面目な話の途中で遊馬と入れ替わったら確実に気まずい。
鼓ちゃんの気持ちを逆なでしないように中学の頃歌った合唱曲を選んで歌う事にした。
「やっぱり、ユメ先輩の歌は凄いですね」
「ありがとう。それで、相談って言うのは」
鼓ちゃんの相談というのは何となく分かっている。分かっているからこそ、変に謙遜せずに笑顔でそう返した。
「先輩は、あたしの演奏が下手になったと思いますか?」
「そんな事ないよ」
「本当ですか? あたし先輩達と一緒に演奏していて良いんですか? あたし先輩みたいに捨てられたりしませんか?」
叫ぶように、嘆くように鼓ちゃんから発せられた言葉にわたしはすぐには何も返すことが出来なかった。
そんなわたしの様子の為か鼓ちゃんはすぐにハッとして「ごめんなさい」と慌てて謝ると、逃げるように音楽室から出ていく。
「鼓ちゃんは大丈夫だから」
鼓ちゃんの背中にそう声をかけたけれど、果たしてちゃんと届いたのだろうか。
一人になった音楽室で「捨てられたりしませんか、か」と鼓ちゃんの言葉を繰り返す。
『どうしてユメが思いつめているんだよ』
「だってわたしも遊馬だもん」
むしろなんで遊馬はそんなに平然としていられるのだろうか。
『確かに捨てられたって言うのはクルものがあるよな。そんな風に見られていたと言うか何というか。古傷に塩塗られたと言うか』
「古傷に塩を塗ってどれだけいたいのかなんて分からないけれど、そう思っているのに遊馬は表には出さないんだね」
『今表に出ているのはユメだけどな。それに、俺がどう思っているのかなんて分かるんだろ?』
今はそんな上手い話とかは要らないのに。いや、そんな風に茶化すしかないのか。
遊馬は部活から捨てられたことについて何とも思っていない。そもそも捨てられたなんて思っていない。だから別に気にすることもないと思っている。と、思い込むようにしている。たぶん、わたしに気を遣って。
遊馬自身はそんな事意識すらしていないだろうし、本当に気にする事ないと思っていると思っているだろうけれど。
だからわたしはこれ以上この事について何も言えない。
「問題は鼓ちゃん……だね」
『あそこまで追い詰められていたとはな』
今遊馬が気になっている方へと話を持って行ったとは言え、話が変わった事にホッとしている自分が少し嫌になる。
しかし、鼓ちゃんのことの方が遊馬にとっても不安事項であるのは違いないので前向きに考える事にした。
「でも自信がなくなるのは分からなくもないんだよね」
『以前は俺が鼓ちゃんの立場だったからな。俺は結局地声は本領じゃないといくらでもいい訳が出来たけど』
「鼓ちゃんにはそんな言い訳も無かっただろうし、わたしが聞いている限りじゃ鼓ちゃん下手になんかなっていないんだよね」
『俺等の耳を信じれば、って言葉が付くんだけどな』
わたし達は他のメンバーと違って音楽に対してそこまで知識があり、長けているわけではない。
とは言え、いつもと違えば違和感としてそれを感じることが出来る。
「次の部活の時にでも綺歩か稜子に言ってみようか」
『いや、帰ってから綺歩にメールする』
「そっか。確かに遊馬じゃ稜子に相手にされないかもしれないし、わたしじゃ真面目話をし続けるのは難しいから、それが良いかもね」
それにすぐにどうかなるわけじゃないかもしれないけれど、早めに対策を練るに越したことはないだろう。そう思った所で遊馬と入れ替わる。
それから音楽室を出る動きはやはり全く違和感が無い。
鍵穴に鍵を刺した所で「せーんぱい」と遊馬に声がかかる。
「まだ残っていたんだな」
「桜だってアンニュイな気分で廊下から音楽室の中を覗いたりもしますよ」
アンニュイな気分で覗きをするとは果たしてどういう状況だろうか。
そうは思うけれど、単純に鼓ちゃんの事が心配だったのだろう。
「それ自分から言うんだな」
「隠していても話が進まないだけですからね。もしくは桜ではなく先輩が選ばれた事に対する八つ当たりです」
「選ばれたのは俺じゃなくてユメなんだけどな」
選ばれたのがわたしでも遊馬でもそれは根本的には何も変わらないはずなのだけれど。
でも、桜ちゃんが笑ってくれたのでそれでいいのだろう。その顔はすぐに真剣なものに戻る。
「何の話をしていたのかまでは聞こえていなかったのですが、鼓の事悪く思わないでくださいね」
「悪くなんて思っていないからそんな気を遣わなくていいぞ。むしろ今は鼓ちゃんに気を配っていて欲しいな」
「わかりました」
桜ちゃんらしからぬ真面目さに如何に桜ちゃんが鼓ちゃんを心配しているかが分かる。
それでも、すぐにいつもの桜ちゃんに戻ったのはこちらを思っての事か、それとも別の思惑か、何も考えずの事か。
「先輩、一つ聞いておきたいんですけど」
「答えられるものならな」
「先輩がユメ先輩と入れ替わる条件って『裏声を出す』でしたよね」
「実際裏声を出そうとしたらユメの地声になるから出せてはいないけどな」
それが遊馬にとってどれくらいダメージになっているのか、この声色からは分からない。
桜ちゃんにも遊馬が裏声で歌う事の方が好きだったとは言っていないから悟られないように遊馬自身気を遣っている可能性が大いにあるから。
でも、遊馬がその事をすでに吹っ切れているから何気ない感じで言えたのかも知れない可能性も十分にある。
「ありがとうございました」
桜ちゃんがそう言って帰るのを見送ってから、遊馬は鍵を返すために職員室に向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
次の部活の日。鼓ちゃんの事は前日に綺歩にメールはしていたけれど、それでも一足遅かった。
前回の部活の後の事もあってミスが目立っていた鼓ちゃんに稜子が牙をむいたのだ。
要するに鼓ちゃんに「やる気がないなら三原のように誰かと替わって貰うわよ」とそう言ってしまった。
それにショックを受けた鼓ちゃんが音楽室から出て行ってしまい、今桜ちゃんが鼓ちゃんを追いかけている。
綺歩と一誠が稜子に言い寄る中、わたしが何も言えないのはそもそもの原因がわたしにあるから。
わたしが遊馬と入れ替わった事で、今まで遊馬に向いていた稜子のイライラが鼓ちゃんに向いてしまったから。
それでも「アタシの何が変わったって言うのよ」と譲らない稜子に思わず声が出てしまう。
「ね、稜子。鼓ちゃんってわたしが入ってから下手になったのかな?」
怒っていいのか、悲しんでいいのか分からないので落ち着いて尋ねてみたのだけれど、稜子からの返答は無し。稜子だって自分が意地を張っているだけだと言う事は分かっているのかもしれない。
たぶんわたしが此処にいてもやる事はない、むしろ別に役目があるのでこの場は綺歩に任せる事にした。
「綺歩、稜子の方は任せるね」
「ユメちゃん……ううん。遊君は鼓ちゃんをよろしくね。それからごめんね。私がもっと早く稜子と話し合っていたら良かったのに」
「それは今は言いっこなし」
そう言って準備室へと向かう。別の役目があるのはわたしじゃなくて遊馬だから。
今の鼓ちゃんは遊馬の話しか聞いてくれないだろう。わたしも同じ遊馬なのだから鼓ちゃんの気持ちが分からなくもないのだけれど、話を聞いてくれるか決めるのはわたしじゃないから。
着替えて音楽室に戻ると綺歩が稜子に言い寄っている所だった。
「鼓ちゃんは下手になんかなっていない。むしろ上手くなっているの稜子も分かっていたでしょ? それなのに鼓ちゃん自分が「捨てられるんじゃないか」って悩んでいたんだよ?」
「そ、そんなこと知らないわよ。そもそも鼓が勝手にそう思い込んでいただけでしょ?」
「だからつつみん今まで耐えてきたんだろうな。でも、志手原さん、さっき自分が何て言ったか覚えていないのかい?」
プライドの高い稜子に自分が悪かったのだと認めさせるのは大変だろうなと思う。
それに、わたしだって稜子に言いたいことはたくさんあるのだけれど、今は鼓ちゃんの方が大事だと音楽室を出た。
大きすぎる制服は歩き難いのだけれど、それ以上に鼓ちゃんが何処に行ったか分からないのが問題か。
仕方がないので携帯電話を取り出して、鼓ちゃんを追ったであろう桜ちゃんに電話を掛ける。
すぐにガチャッとつながる音がしたので声を出した。
「もしもし、桜ちゃん。今鼓ちゃんが何処にいるか知っている?」
『何処と言われると今桜がいる場所から少し離れた教室です』
「教えて貰っても良い?」
『良いですよ。つつみん、桜には「桜ちゃんには分からないよ」って全く相手してくれませんでしたし……』
やはりそうなっていたのか。でも、予想外に桜ちゃんへのダメージが大きかったようで、聞いた事ないほど落ち込んだ声だった。
「それは桜ちゃんが悪いわけじゃないから……ね?」
『桜の事はいいんでつつみんお願いします。今にもギター止めるとか言いそうな雰囲気なので……』
この場で自分の事は良いと言える桜ちゃんは強いなと思う。でも、同時にこの件の原因であるわたしとしては責任を感じずにはいられない。
気丈にふるまう桜ちゃんを見習って、出来るだけ暗い気持ちを見せないように場所を聞くと急いで向かった。
「先輩お疲れ様です」
「桜ちゃん……無理していない?」
教えてもらった教室の少し手前、いつも通りに話しかけてくれた桜ちゃんだったけれどそれが逆に心配で思わずそんな事を聞いてしまう。
それに対して桜ちゃんは自嘲気味に口を開いた。
「無理はしていないつもりですよ。でも、後悔はしていますね」
「桜ちゃんが後悔する事なんてないと思うよ?」
「そんな事はないです。先輩の歌に合わせて楽器を弾けることが楽しくて、ついつつみんに気を配るのを忘れていましたから。だから半分は先輩のせいですよ?」
「それはちょっと酷くないかな? わたしだって責任感じているのにこれ以上責められたら泣いちゃうよ?」
桜ちゃんの強がりに私も乗っかる。
そのかいもあってか桜ちゃんがクスクスと笑って「行かないんですか?」と尋ねてくる。
「わたしじゃ駄目なんだよ」
「だからそんな格好なんですね」
「まあ、そう言うこった。それじゃあ、行ってくる」
桜ちゃんと話している間にちょうど遊馬と入れ替わったのでわたしは此処から先見守る事にした。