Lv127
ちょうど一曲歌い終わったところでジャっと言うカーテンが開く音と共に桜ちゃんが顔を覗かせる。
「すいません。少し時間がかかってしまいました」
そう言う桜ちゃんに謝罪の気持ちは殆ど感じられず、代わりににじみ出る楽しさを感じた。と、言うか明らかに桜ちゃんの持ってきた下着の数が可笑しい。
「それは良いんだけど、何かいっぱい持ってない?」
「そりゃ、沢山選びましたから。でも、ユメ先輩はこの中から気に入ったのを一つ選んでくれたらいいですよ」
桜ちゃんの持ってきた色とりどりの布を見ながら着せ替え人形会と言う言葉が頭をよぎった。
「流石にその時に毎回みんなに見せるって事はしなくていいよね」
「そうですね。桜もそこまで鬼ではありませんから。でもどれを選んだかくらいは教えてくださいね」
そう言って桜ちゃんは手に持った下着を置いてカーテンの向こうへと行ってしまった。
試しに一つ手に取ってみるのだけれど、どれが良いのかとか言う以前の問題がある。
「ねえ、遊馬」
『どうした?』
「この付け方とか知っている?」
『知っていたら問題だと思わないか? と言うか、分かって聞いているよな』
「でも遊馬だって聞かずにはいられない状況なのはわかるでしょ?」
『まあな』
何か茶番の様なやり取りの後遊馬と揃ってため息をつく。それから同じ名前を呟いた。
「綺歩に頼もうかな」『綺歩に頼むか』
遊馬とも意見が合致したところでカーテンから顔を出し、綺歩を探した。
「綺歩、ちょっといい?」
「ん? どうしたのユメちゃん」
パステルカラーの下着を見ていた綺歩に声をかけると、綺歩はすぐにやってきてくれた。
「えっと。着替えるの手伝ってくれない?」
「いいけど……ユメちゃん達はいいの?」
綺歩がそう言って首を傾げる。良いのかどうか聞きたかったのはこちらの方なのだけれど。
「むしろ綺歩にしかこんな事頼めないから」
「そっか。わかった」
「それでね……こんな事を頼むのもどうかと思うんだけど……」
「どうしたの? 何でも言ってみて?」
何でもこうやって綺歩に頼ってしまうのは悪いなとは思うのだけれど、そうも言っていられない。とはいっても、問題の先延ばしにしかなっていないのだけれど。
「わたし目を瞑ったままで着替えたいの」
「ん? あ、そっか。遊君に見られちゃうのね」
「いつまでも綺歩に頼むのもいけないと思うんだけど、今日はあまり時間をかけられないから……」
「うん。それじゃあ、とりあえず上は脱いじゃおうか」
綺歩の理解力には本当に頭が下がる。しかし、下着までなら大丈夫だから、いっそ上も下も脱いだ方が着替えやすいと思うのだけれど。
「上だけでいいの?」
「ショーツは試着できないから上だけなんだよ。そこの張り紙にもあるけどね」
綺歩が指差した先には確かに『ショーツのご試着はご遠慮ください』と書いてある。
そう言うものなんだなと、思うと同時に、確かに人が履いた下着を着るのも嫌だなとも思う。考えてみれば男だった時には下着の試着なんてしたことなかったっけ。
そう言う意味だと、ブラだって思う所はあるけれど、まあ、こればっかりは人によって大きさが全然違うから……。
何だか一人落ち込んでしまうけれど、今はそんな場合じゃないと綺歩から借りているカットソーを脱ぐ。
脱ごうとしたのだけれど、上手くいかない。どうやら髪がいけなかったらしく、綺歩に手伝ってもらって脱ぐこと出来た。
上半身が男性用の肌着だけになって、ちょっと自分の身体を見下ろしてみる。
そこには自分の性が女だと思わせる膨らみはあるけれど、やっぱり物足りないと言うか何というか……。
ハッとし目を見開くと綺歩に声をかけた。
「えっと、それじゃあ今から目を閉じるから……よろしくね」
「まかせて」
綺歩の返事を聞いてから、ゆっくりと目を瞑る。
それと同時に緊張もしてきた。相手が綺歩で本当によかったと思う。
「じゃあ、ユメちゃん、ちょっと前かがみになってもらっていい?」
「こう?」
「そうそう。それでこうやってカップを胸に当てて……」
初めてのブラ、なんて言うと子供っぽいけれど、実際そうではあるし何より違和感が凄い。
支えられていると言うか、持ち上げられていると言うか。
そんな事を考えているうちに、綺歩の手が背中の方に回ってホックを留めた。
「ここから少し大変なんだけど、よかったら見て覚えてくれないかな?」
「そうなの? そしたら目を開けるけど……」
確かにもう遊馬に見られることはないけれど。しっかりと覆われている感じはしているし。それに、綺歩がこんな嫌がらせをするはずはないと恐る恐る目を開ける。
光が戻った世界で、自分の姿を見てみると薄桃色の大人しめなブラジャーをつけていた。
それはそれとして、これからどうするのだろうか。
「それでね」
わたしの心の中の疑問に答えるように綺歩の手が伸びてくる。
要するに脇腹のお肉を持って行くらしい。でも、綺歩の動きが止まってしまった。
「ユメちゃん細いよね……肌もきれいで……」
「わたしは少しくすぐったいかな」
それに綺歩だって細いし手も滑々だし、胸も大きいと思うんだけど……。
わたしの言葉を聞いて綺歩の手が動き出す。形を整えないといけないから、なんて綺歩が言う。ブラはちゃんとつけないと形が崩れると言う話は聞いたことがあるけれど、本当に崩れたりするものなのだろうか。
綺歩がせっせとお肉を胸の方へと持って行くと満足したように頷いてわたしから一歩離れた。
「うん。それじゃあ、ちゃんと立ってみて」
ちゃんとと言われたので背筋を伸ばす。何もつけていない時よりも大きくは見えるが、まるで綺歩には及ばない。
きっと、遊馬だってそう思っているだろうなと口を開いた。
「遊馬、今、胸小さいなって思ったでしょ」
『そんな事より、その姿で恥ずかしくないのか?』
「そんな事って……まあいいけど。恥ずかしくないよ。遊馬相手ならね」
同一人物だし、遊馬だし。それに逆の場合わたしは全部見てしまっているわけだし。
そんな風に話していると、何故か綺歩がわたしの胸と自分の胸とを見比べていた。
「もしかして遊君って小さい胸の女の子の方が好きなの?」
そんな風に恥ずかしそうに聞いてくる。何を思ってそんな事を聞いてくるのか分からないのだけれど、わたしに対する当てつけか何かだろうか。
綺歩がそんな事は考えていないことくらいは分かるけれど、小さい方がよかったみたいに取れる言い方はわたしに失礼ではなかろうか。
それは良いとして、その辺に対する遊馬の考えは分かっている。分かっていると言うよりもついこの間までわたしが考えていた事をそのまま言えばいいのだから簡単な話だ。
「その辺の拘りはあまりないと思うよ。なんて言うか、その人らしさって言うのが大事だと思わない?」
「そっか」
綺歩が安心しつつも短くそう返したと言う事は、わたしが「願望実現マシーン」で分かれたかもしれないから、わたしの体型=遊馬の好みであるのかとか興味でも湧いたのだろう。
そんな事を思っていると、綺歩が涙目になっている。そう言えば胸だってきついような。
ああ、なるほど。遊馬が細くて良かった。そうじゃなければブラを壊していただろうし。
「きゃああああぁぁああ」
ブラ姿の遊馬を見た綺歩の叫びがこだまする。幸い今回は痛みは無かった、とかそう言う場合じゃない。
『遊馬そんな悠長にしている場合じゃないよ。早く入れ替わって』
「お客様どうされました?」
間一髪わたしに入れ替わったところで、店員さんが「失礼します」とカーテンを開けた。
「すみません。ちょっと虫がいまして」
「そうですか、失礼いたしました」
そう言って店員さんは頭を下げ去っていくが、その後ろには一誠を含めたメンバーがいたので一誠だけを睨み付ける。
「一誠は席を外してくれない?」
わたしの声を聞いて、稜子が一誠の耳を引っ張ってどこかに連れていかれたのを確認してから驚いた顔をしていた鼓ちゃんと桜ちゃんに頭を下げた。
「ごめんね。驚かせて」
「びっくりしました。でも、なんともないようで安心です」
そう言って笑顔を見せてくれる鼓ちゃんは本当に癒しだなと、思っていると桜ちゃんが含み笑顔をこちらに向けていた。
「叫んだのってユメ先輩じゃなくて、綺歩先輩ですよね?」
「え、あ、うん。ごめんね。ちょっと気が動転しちゃって」
急に名前を出された綺歩が慌てて謝ると、桜ちゃんの笑みがさらに厭らしくなる。
「見たんですね」
「えっと……見たって、何を?」
「遊馬先輩のブラ姿」
まあ、そうだろうなとは思ったけれど、桜ちゃんもあえて聞かなくても良いと思う。
綺歩も助けを求めるようにこちらを見なくても……と思っていると遊馬の声が聞こえてきた。
『まあ、今のはユメのミスだろ』
「そうそう、わたしが歌い忘れていたのが……って遊馬?」
確かにわたしの不注意だったけど、でも不可抗力と言えば不可抗力じゃないかな。
「まあいいです。面白いものが見られましたし、あまりカーテン開けっ放しと言うのも良くないでしょうしね」
「ユメ先輩それ似合っていますよ」とわたしを褒めてカーテンを閉めた桜ちゃんに言外に小さいって言われたように感じたのはさすがに深読みし過ぎだろうか。
「えっと、ごめんね」
「ううん。確かにわたしのミスだから」
「こうなると、十五分タイマーみたいなのが欲しくなるね」
「そうだね。で、綺歩に一つお願いがあるんだけど……」
「何?」
そう言って綺歩が首を傾げる。たぶん掘り返すべきではないと思うのだけれど、遊馬の恥はわたしの恥と言う事で。
「さっきの事は忘れてくれない? たぶん遊馬はそう思っているから」
言っておいてだけど、多分無理じゃないかなと思う。
確実に強烈なシーンだったろうし。
それでも綺歩は「努力……します」と言ってくれた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
悪戦苦闘しつつも、今後の為に私一人でも着替えられるようになった頃、ようやくすべてを試着し終えた。
並べられたカラフルな布たちを見ながら綺歩が難しい顔をしている。
「サイズ的にはどれも大丈夫だと思うんだけど、ユメちゃんはどれが良かったとかある?」
「とりあえず、黒とか赤は……ちょっとね」
扇情的というか、わたしの体型が相まって逆に残念に見えると言うか。
何となくわたしには難易度が高い。
「私もそう思う」
「だから、黄色とかピンクとかパステル系の色が良いんだけど、綺歩はどれがいいと思った?」
「私は水色が好きなんだけど、ユメちゃんには黄色とかの方が似合っているかも」
やっぱり綺歩は青が好きなんだなと思うと同時に、この前の綺歩の下着は白かったなとも思う。
でも、好きだからと言って同じ色の服ばかり持っていると言うわけでもないか。
「そっか、じゃあ黄色にしようかな?」
そう返した所でカーテンが開かれた。
「決まったみたいですね」
「桜ちゃん急に顔を出すの止めてくれない?」
「そんな呆れた顔しないで下さいよ。これが桜のアイデンティティー何ですから」
わたしは呆れた顔をしていたのか。でも、この返事にはやはり呆れた顔をするしかない。
「桜ちゃんはそんなアイデンティティーで良いんだね」
悪戯っぽい笑顔だけで桜ちゃんにそう返すと下着を集め始めた。
「決まったのなら他のを返すついでに買ってきますね」
「いいの? そんなことまで頼んで」
「先輩は着せ替え人形なんですから、先輩の仕事は持ってきた衣服を着続ける事ですよ」
「それなら私は手伝っても良いよね」
桜ちゃんがわたしに動くなと言った直後に綺歩がそう言って立ち上がる。
それに対しては桜ちゃんが頷いた。
「助かります綺歩先輩。ユメ先輩は買ってきたものをまた着てもらいますからここで待っていてくださいね」
そう言って桜ちゃんと綺歩が試着室から出ていく。一人残されたわたし――遊馬もいると言えばいるが――は息をつきながら設置されていた椅子に座った。
そんなわたしの様子に疲れを感じたのか、単に話しかけるきっかけなのか遊馬が『お疲れさん』と言ってきた。
「でも、これからが本番みたいなものなのよね」
『なんかもう一日ここにいたような気がするが、半日も経っていないんだよな』
「そうなんだよね」
『疲れている所悪いがそろそろ歌った方が良いんじゃないか?』
さっきの事があったからこその発言、その気遣いは嬉しいけれど遊馬は自分の事を忘れてしまっている。
「そうね。一つ訂正すると疲れているからこそ歌いたいって感じかな」
『本当に好きだな』
「だってわたしは三原遊馬なわけだから」
『それもそうだな』
遊馬に対して笑顔を返すと、疲れを音に溶かしてしまうようにゆったりとした歌を歌う事にした。