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Lv123

 科学部での用事を終える頃には、十五分が経っていたのでわたしの意志では手足を動かせない。別にそれは良いのだけれどと思っていると綺歩に「ねえ、遊君」と申し訳なさそうな声をかけられた。


「どうしたんだ?」


「今からの部活なんだけど、ユメちゃんで行って貰っちゃ……駄目?」


 わたしが部活に……部活の途中で、ということは考えたけれど最初からそうするなんて事は考えていなかった。


 言いたいことはあるけれど、敢えて黙って遊馬の意向に従おうと思う。


「別に悪い事はないけど、どうするんだ?」


「ユメちゃんをボーカル志願の子って事で連れて行って、固定観念なしでユメちゃんの実力を見てもらった方が良いと思うの。ユメちゃんなら間違いなく稜子のお墨付きは貰えると思うから」


「稜子が認めれば後出しで俺だと分かっても言いくるめられるとかそういうことか」


「ごめんね。こんなことしか思いつかなくて……」


「まあ、仕方ないんじゃないか。普通こんな状況ないだろうしな」


「あと、それから、もう一個……」


 口を出さずに黙って話を聞いていると、どんどん綺歩が話し難そうになっていく。


 遊馬の反応を見る限りあまり気にしている様子はないけれど、綺歩が言うであろう言葉とそれに対する遊馬の返答が何となく分かるため気が重くなってきた。


「たぶん……と言うか、ほぼ間違いなく稜子は今後ユメちゃんの方が歌えって言うと思うの……」


「ああ、なるほどな」


 遊馬がバンドに居られるのは新しい人が見つかるまでの間と言う約束。


 遊馬自身は地声で歌う事はあまり楽しいものではないと感じている。


「でも、結局裏声使った時点でユメが出て来るわけだし俺はボーカルを続けていけないだろう。本番で入れ替わったりしたらそれだけで大騒動になるだろうからな」


 だからわたしに歌う事を譲る事を躊躇わない。でも、遊馬は気が付いていないだけなのだ。地声で歌っても楽しいと言う事に。


『それでいいの?』


「それでいいと思っているのはお前もよく分かっているんだろう?」


 遊馬が知らない所まで分かっているからこその言葉だけれど、知るはずもない遊馬はそう言ってわたしと入れ替わった。


 自分の事をずるいなと思いながら、こうなってしまったのだから遊馬の分もしっかりと頑張ろうと気持ちを切り替える


「ユメちゃん……えっと、昨日ぶり、昨日は……」


「昨日の事は大丈夫って言ったでしょ?」


 せっかく気持ちを入れ替えたのに、と心の中で呆れたような笑みを浮かべてみる。


 綺歩は少し戸惑いながらも「うん、そうだったよね」と言いながらやっぱり「でも、ごめんね」と謝った。


 仕方がないので今度は呆れを隠すことなく言葉を返す。


「もう、綺歩は相変わらずなんだから」


「そう言えば、ユメちゃんの意見を聞かずに決めちゃったけど……」


「それも大丈夫。基本的に遊馬の意見と同意見だから」


 これは同意見も何もって感じだけれど。わたしだって遊馬だし、男のわたしの人生を奪いたいわけじゃないから遊馬の意志には従いたい。


「そっか、じゃあよろしくね」


「任せて」


 そうして話がまとまったところで音楽室へと向かった。





 着ているものは遊馬の制服なのでどうしてもわたしには大きくなってしまう。


 そう言うわけで袖をまくり、裾をまくり、鼻歌を歌いながら音楽室へと向かっていた。


 別に特別ご機嫌と言うわけではないのだけれど、こうやって歌っておかないと遊馬と入れ替わってしまうかもしれない。まあ、少しくらいは今のわたしを見て皆がどんな反応をするのかが楽しみだとは思ったけれど。


 音楽室に入ると、通いなれた音楽室が一回り大きく感じられて思わず辺りを見回してしまった。その間に綺歩がメンバーに声をかける。


「遅くなってごめんね」


「まあ、たまには仕方がないんじゃないかしら。ただ、三原と用事って言うのが……って綺歩その子誰?」


「その子って誰だい志手原さんよ……本当だ。綺歩嬢誰だその変な格好した美少女」


 稜子と一誠がわたしに気が付いて綺歩に問いかける。


 男だった時の願望で分かれたわけだから、想像通りなら一誠の言うように美少女なのかもしれないけれど、言葉にされるとどんな風に反応していいのかわからなかった。


 幸いその事に反応する必要はないのだけれど。


「えっと、ボーカル志望で入りたいって言う……」


「ユメです。よろしくお願いします」


 綺歩の紹介に合わせて頭を下げる。ボーカルと聞いた瞬間おちゃらけていた一誠が少し真剣な表情になったのはこのバンドのボーカル事情を知っているからだろう。


「気になることは沢山あるけれど、綺歩が連れてきたってことはそれなりのレベルなんでしょうから、取りあえずテストを受けてもらいましょうか。話はそれからって事で。


 でもいいの? この子が合格したら三原はボーカル降りないといけないけれど」


 言い方からして、遊馬を連れてきた綺歩への配慮。でも、それは稜子が特別遊馬を嫌っているからではない事を遊馬自身も分かっているだろう。


「わたしはどうしたらいいんですか?」


 何にせよ、今はテストに合格しないといけないのだ。そうしないと話が進まないから。


 それと、早く歌わせてもらえないと遊馬と入れ替わってまた話が拗れそうなので、早く歌わせてほしい。


「そうね。貴女どんな曲が歌えるかしら」


「このバンドの曲なら一通り歌えます」


 ずっとこのバンドのボーカルをしていたから。


 それにしても、稜子に敬語って何か変な感じがする。その稜子は何やら値踏みをするかのような目でわたしを見ていた。


「そうね。それじゃあ『loved girl』とかどう?」


「うわ~……流石稜子姫こんな美少女に対しても容赦ねえ」


 確かに一誠の言う通り難しい曲には違いない。でも、わたしには懐かしい曲。


 だってこのバンドに入る時のテストで歌った曲だから。あれから何度も練習して今なら問題なく歌える。


 綺歩に「がんばってね」と言われた直後、稜子に「準備はいい?」と聞かれたので「大丈夫ですよ」と返した。


 前奏が始まり、小さく深呼吸をする。それから、いつもと変わらない感じで歌い始めた。






 やっぱり、思いっきり歌えると言うのはとても楽しい。歌っている途中でメンバーがそれぞれ驚いたような顔をしていたけれど、それとは関係なしに歌って最高だなと思う。


 何が最高なのかなんて聞かれても答えられる自信はないけれど。


 それでも、わたしはこの為に生まれてきたんだなとすら思える。


「……完璧ね」


 演奏後の余韻。それを破ったのは稜子の言葉。


「正直驚いたな……」


「すごい人が居たんですね……」


 一誠と鼓ちゃんにもそう言われ、何となく誇らしく思う。これが三原遊馬の本当の実力なんだぞって言いたいほどに。


 ただ、桜ちゃんが「まさか、そんな訳が……」と他のメンバーと違う反応を見せている理由は分からなかった。


「ユメさん……だっけ。是非アタシ達のバンドに入ってくれない……と、言いたいところなんだけど、もう一曲だけいいかしら」


「いいですよ」


 やはり稜子は求めるものが高いなと感心する。それだけ音楽に本気だと言う事で、わたしも見習わないといけない気もするけれど、やっぱりわたしにとって歌は楽しいものだから稜子ほどストイックにはなれそうもない。


「今のでも満足しないなんて、志手原にゃんは欲張りですな。もしかして、遊馬の事を気にしていたりするのかの?」


「誰が気にするのよ。とはいっても、あの男にも長所はあるからね。それに負けない何かは欲しいと思わない?」


「まあ、確かに上手いだけじゃ遊馬と即チェンジってわけにはいかないよな。オレら的にも」


 何というか稜子が以前のわたし――遊馬をこんなに評価しているとは何だか意外だった。


 意外だったけれど、嬉しく思う。


「そんなわけだから、これ」


 この光景も懐かしいなと思いながら、渡される音楽プレイヤーを受け取る。


 それからたぶんこんな事を言うのであろう。


「貴女の好きな日でいいからその曲を覚えてきてくれないかしら」


 だからあの日のようにこう返す。


「じゃあ、三十分後で」


 たぶん、この三十分の後、遊馬はボーカルを外される。だから遊馬だけに聞こえるように、最終確認をするように尋ねた。


「遊馬、本当にいいの?」


『そればお前もよく分かっているんだろ?』


「だから聞いたんだけど……」


 わたしが言えたのは此処まで。地声でだって楽しく歌えるとは言えなかった。


 でも、遊馬がやっぱり止めてくれと言えば止めるつもりでいた。何も言われなかったけれど。やっぱり遊馬にとって歌うとは裏声で歌うと言う事なのだろうか。


「じゃあ、三十分だけ貰っていいですか?」


「三十分……ね。面白いこと言ってくれるのね……とは言え、その曲を今弾けるのはアタシくらいだと思うのよね」


「へぇ、稜子嬢新曲なんて作っていたのかい」


「ちょうどこの間できてね。とはいえ、あまりにも女子向けの曲になったから一人で録音してみたところでお蔵入りにしていたのよ。でも丁度よかったわ」


 そう言って稜子が一誠と綺歩に楽譜を手渡す。


「貴方たちなら三十分もあれば十分でしょ? まだ一年生には荷が重いと思うけど」


 稜子の言葉に桜ちゃんはチラリと鼓ちゃんを見て「桜達も大丈夫ですよね」と声をかけていた。鼓ちゃんと桜ちゃん、二人の一年生がどれくらい楽器が上手いのかわたしには分からないけれど、わたしとしては二年生のメンバーとも引けを取らないくらいには上手いと思う。


 そうやって人の事を考えている場合ではないかと、イヤホンを耳にして目を閉じた。


 バラードの様な綺麗な音色。その音を聞いただけでわたしの心の奥底から何かが湧き上がってくる。


 描かれる女の子の寂しさと健気さと、わたしがまるでその女の子になってしまったような心地すらしながら、三十分楽しい時間を過ごした。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「三十分経ったけれど、準備は出来たかしら?」


 時間なんて忘れていたけれど、稜子にそう肩を叩かれて我に返った。


「大丈夫です」


「それが本当だったら、遊馬以来の逸材だよな」


 一誠が遊馬を褒めるのでやっぱり嬉しくて思わず頬が緩む。


「綺歩も御崎も大丈夫よね」


「うん」


「まあな」


 稜子の言葉に自信を持って綺歩も一誠も頷く。さすがだなと思っていると、一誠が「それじゃ、行くぞ」とスティックを鳴らした。


 聞こえてくるのはさっきまでイヤホンから聞こえてきたメロディ。


 すぐにわたしは思い出す。その心地よさを、楽しさを。切なさを、健気さを。


 演奏に乗せる歌声に技術とか何とかは考えない。むしろ何も考えていないかもしれない。


「貴女は今 何をしているの? 何を考えているの?」


 とは言え歌いながら気が付いた事がある。わたしが遊馬よりも歌が上手い理由。


 遊馬の裏声は低音が弱い。でも、わたしは今まで出しにくいと思っていた音を難なく出すことが出来る。出すことが出来るから、その辺を意識しなくて済むからなお歌に集中できる。


 まあ、歌っているわたしにとってそんな事はどうでもいいのだけれど。


「私は貴方を笑わせたくて 馬鹿な事ばかり考えています


 食べれるようになったと嘘をついて 回転寿司に行ってみようか


 河原で平らな意思を見つけ 子供のように遊んでみようか


 それを見て貴方は少し呆れて それでも笑ってくれるだろうか」


 さて今からサビ。音の海に身を預けるように、わたしは声を出すだけ。


 そうして最後まで楽しく歌いきる事が出来た。

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