Lv120
お久しぶりです。番外編です。完結作品を一度連載に戻す形になりますがご了承くださいませ。
番外編にあたっていくつか注意点があるので少しお付き合い頂けると幸いです。
今番外編は一章の内容を適当に飛ばしながらユメ視点で繰り返すものになります。新展開等々は期待しないでください。
また、本編最終話(Lv119)まで読んだ事が前提で書いておりますので全部読んでいないと言う方がいらっしゃいましたら読んでいただく事を推奨します。
描写に関して、分かりにくい所もあると思いますが本編一章を読んでいるという前提であるためご了承ください。
追記:台詞等々は基本的に一章の物を流用しています。と言うか、そうせざるを得ないのですが、名前の呼び方等あからさまにおかしい部分に関しては本編一章と変更してある部分がありますのでよろしくお願いいたします。
わたしが生まれて初めて感じたのは驚きよりも何よりも“楽しい”だった。
だって生まれた瞬間わたしは歌っていたから。
考えてみるとその瞬間、わたしは遊馬から歌を奪ってしまったのだけれど。
ともかく、直前に遊馬が感じていた羨望も一瞬のうちに消え去るくらいに楽しかった。
一曲終わって、暗転したテレビの画面で初めてわたしがわたしになったのだと自覚した時は驚いたけれど、歌うために生まれてきたと言っても過言ではないわたしにとってその時にはそんな事は些細な事で、ひたすらに歌い続けた。
無情にもお店の人から残り十分だと告げられて、ようやくわたしはわたしについて考えるに至った。
先ほどまで間違いなく遊馬と言う存在であるはずだったのに、今はその実感がほとんどない。男であったはずなのに自分の事が男だとは思えない。
ぶかぶかの制服を着て会計をする時に、お店の人に怪訝そうな顔をされたので間違いなく今のわたしは女なのだろうなと言う確証さえ持てた。
ただ、この時には遊馬と言う存在がわたしに変わったものだと思っていたので、その点だけは不安だった。家族はわたしを受け入れてくれるのか、明日からどんな風に生活していったらいいのか。
しかし、その不安はすぐに解消された。言うまでもなくわたしとは別の“三原遊馬”と入れ替わったから。
つまり、わたしは何の不安もなくわたしの、遊馬の理想としていた姿になれたのだと嬉しくて遊馬が躓いた痛みを感じながらもおかしくて笑ってしまった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
しかし、次の日には自分がとても大変な状況であることに気が付いた。
気が付いたと言うよりも考えさせられたと言うのが正しいのだけれど。
何せ、男のわたしが学校の授業を受けている間……というか昨日わたしが彼と入れ替わって以来わたしは彼の中で何もすることが無かったから。
そもそもわたしは彼とコンタクトをとることが出来るのだろうか?
取れなかったら色々大変そうだなとも思ったし、会話できたとして何を話していいのかもわからない。
つい昨日まで男をやっていたわたしとしては、今男のわたしに話しかけて仮にそれが上手くいったとしても、彼は幻聴か何かだと取り合ってくれないだろうと言うことが手に取るようにわかる。
話しかけるにしても何かのきっかけが欲しいから今は保留にしておこう。
では、男のわたしがわたしと入れ替わる条件。そもそももう一度入れ替わる事があるのかという事すら分からないのだけれど、もし入れ替わる事が無ければわたしがこうやって存在する意味が分からないので考え無い事にする。
昨日、まだわたしが男だった時の事を思い返すと、普段と違ったのは想像上の女の子を羨ましいと思った事。
そうだとしたら、わたしと入れ替わること自体ほとんどないだろうなと思う。それはとてもとても退屈な人生になると思うのだけれど
、わたしとしてはたまに歌わせて貰えればそれでいいし、彼の人生を奪い取ろうだなんて思わない。
それよりも困るのはタイミング的に見て裏声を使った時。特に根拠はないけれど、きっと前者だろうと自分に言い聞かせて後者の可能性を無かった事にする。
今度は逆にわたしから男に戻る時の条件。カラオケ店にいる時に戻る事は無く、お店を出てしばらくしてからだったことを考えると
、歌っていない時間が関係してくるのだろう。そして、その時間はおそらく十五分。こちらはすんなりと納得することが出来た。
昔、まだわたしが男だった頃、一曲一曲の間何分休憩したら一日中歌い続けられるかという事をして確か結論が十五分だったから。
こんな風にわたしは色々考えているのに、今授業を受けている男のわたしは何を考えているのだろうかなんて考える。
まあ、黒板や教科書に書いてある古文に対して、何でこんな昔の事を学ばないといけないのだろうか、とか考えているのだろう。今わたしがそう思ったし。
そこで改めてわたしと言うものについて考えてみる。
わたしは三原遊馬で間違いない。なぜならその記憶がちゃんとあるから。むしろ三原遊馬じゃなかったらわたしが何なのかわたしが説明できない。
ただ、昨日それが女の子の姿になっただけ。そう思うのだけれど、それだったらどうしてわたしとは違う三原遊馬がこうやって授業を受けているのだろうか?
そもそもわたしは男なのだろうか? 女なのだろうか? 姿は女性のそれだった――女性って程成長していなかったけど――が、記憶の上では男であった事に間違いはない。
とは言え、昨日のように入れ替わった状態で男らしい行為――男子トイレに入るとか、人前で上半身裸になるとか――は絶対に出来ない。服だってどちらかと言えば可愛いものが着たい。
お化粧は……まあ、しても良いかなくらいにしか思わないのは、元々わたしがおしゃれとか気にする人間じゃなかったからだと思う。
その辺の志向は変わっていないのかもしれない。いうなれば三原遊馬を女の子にしたのがわたし。でも、記憶のほとんどは男のそれ。何だか変な感じがする。
結局わたしだってよくわからないのだ。だってこんな経験初めてなんだから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
昨日は練習があったから今日は部活が休み。そんな日には綺歩の家に歌の練習をしに行く。
毎回ってわけではないけれど、気になっている相手からの申し出を断る理由もなく――それ以外にも、理由はあるけれど――良く行くようになった。
高根の花で、気になっていて、でも幼馴染で、楽しいと思っていない地声での歌の練習で、結局あまりいろいろ考えずに幼馴染の家に行くんだくらいの気持ちで綺歩の家に行っていたけれど、今となっては普通に仲のいい幼馴染の家に行く気持ち。
逆に男のわたしは今でもそんな感じなのだろう。自分のことながら大変だと思う。
歌の練習と言う事で、もしかしたらわたしと入れ替わるんじゃないかとも思ったけれど、綺歩との練習は地声で行うから入れ替わると言う事は無いはず。
地声と言えば、一つ気が付いた事がある。たぶん、彼もわたしも地声で歌っていても本当は楽しい。
わたしが昨日歌っていた時、わたしは間違いなく地声で歌っていた。それでも楽しかったのだ。歌の上手さで行くと男の時の裏声以上の上手さはあったし――そうカラオケの点数が示していた――女の子を想像するまでもなく女の子になってしまったけれど。
でも、地声で歌って楽しかったのは確かなのだ。
丸一日以上過ごしてきて、わたしが三原遊馬である事に違いないと言う事は確信出来た。
つまり、男のわたしが楽しいと思う事がわたしも楽しいと感じるように、わたしが楽しいと感じる事は彼だって楽しいと感じるはず。
何と言うか、境遇がガラッと変わらないと分からないことと言うのは存在するらしい。
慣れない場所で落ち着かずにキョロキョロすると言うわけではなく、何かを確かめるように視界が動く。
男のわたしが何を考えているのかという事はわたしには想像するしかないのだけれど、ついこの間までのわたしの行動なのだから何となくは察することが出来る。やっぱり青色が好きなんだなとかそんな事を考えているのだろう。
本当に綺歩は青が好きなんだから。
「それじゃあ、発声も終わったし新曲の練習でもしようか」
そんな綺歩の声の“新曲”と言うのが妙に頭に残った。
新曲と言うのは『VS A』で間違いないと思うのだけれど……確かその曲は……。
嫌な考えが頭をよぎる。
VS Aは男のわたしが裏声を出さざるを得ない曲。もしかするとわたしと入れ替わってしまうかもしれない。
まさか今彼が女の子を羨ましく思うわけがないし、そうなると入れ替わるスイッチは……。
そこまで考えて首を振る。何もそうだと決まったわけじゃない。
でも、偶々入れ替わった時にどうするか考えておくのは悪い事じゃないと思う。
もしもそんな事態になった時、綺歩も男のわたしもきっととても驚くはず。そんな中わたしも慌てたりしたら変に不安を煽ってしまうだろう。
だったらわたしは終始冷静でいよう。冷静でいられるかはわからないけれど、冷静でいるふりくらいは出来る。何せわたしは三原遊馬なのだから。それに何を聞かれても返せる自信もある。
そんな事を考えていると綺歩が「それじゃあ、行くね」と楽しそうに言って曲の前奏が始まった。
どうやらわたしがどんなに緊張しようとも男のわたしには影響しないらしい。そのお蔭で男のわたしが「どうしたらいいのさ」と歌いだす時にはだいぶ落ち着くことが出来た。
でも、わたしの不安は杞憂で終わってくれない事も、綺歩の驚いた表情から見て取ることが出来る。
「うーん……やっぱりそういう反応になっちゃうよね」
服も大きくなっているし、これは間違いなく入れ替わったなと変に落ち着いた気持ちで声を出す。男の時とは違って自分自身に聞こえてくる声はとても高い。
わたしの意志で声を出すことが出来ると言うのは今日一日暇だったわたしにとって嬉しい事。だけれど今は冷静に、冷静に。今は戸惑ったようにわたしの方を見る綺歩から来る質問に答える事。
「えっと……遊君?」
「そうだよ」
わたしにはそう答えるしかない。でも、綺歩は疑うようにまじまじとわたしを見つめた。
それは仕方のない事だと言う事は分かっている。
「私の名前は?」
「志原綺歩」
「遊君がうちに歌いに来ていたのは高校になる前はいつまで?」
「小学校の六年生だね」
綺歩の質問はわたしが答えるには簡単すぎる。とは言え、わたしがいつまで綺歩の家に来ていたかなんて普通の人には分かるわけもない。
これで少しは話を聞いてくれる気になったかなと思っていると、何やら綺歩が顔を真っ赤にしながら口を開いた。
「じゃ、じゃあ……私と遊君が一緒にお風呂に入ってた……」
「これも小学六年生だったよね」
綺歩の両親はそんな事を気にしていなかったのか、夕方過ぎまで家にいたわたしに夕飯を食べさせ綺歩と一緒にお風呂に入って来いなんて気軽に言っていたっけ。
今思うと小学六年生って結構危ないよなとか思わなくもないけど、今のわたしは女だしまた綺歩とお風呂に入る機会とかあるかもしれない。いや、男のわたしにも見えてしまうはずだからそんなことは出来ないか。
何にせよそんなに恥ずかしいのなら聞かなければいいのに。
そう思っていると、綺歩が上目遣いで尋ねてくる。
「本当に遊君?」
「そうだよ」
わたしにはそう返すしかない。わたしが三原遊馬じゃなかったらいったいなんだと言うのだろうか。
「でも、さっき『わたし』って言ってたよね?」
言われてみればと「うーん……」と唸る。目を閉じ腕を組んで考えてみる事にした。
わたしは何気なく『わたし』を使っていたけれど、考えてみれば三原遊馬の一人称は『俺』なのだ。実際その一人称はわたしもつい昨日までは使っていた。
でも、今では『わたし』の方がしっくりくる。それは何故かと考えた時に出て来るのはわたしが女だと言う事。
そう思って何とか言葉を探す。
「正直わたしもよくはわかっていないんだけど、恐らくわたしは三原遊馬の女の子バージョンって所ね」
言いながら言葉遣いが分からなくなる。それもこれも綺歩が一人称について尋ねてきたからだと理不尽な押し付けを心の中でしていると綺歩が首を傾げながら尋ねてきた。
「そしたら男の子バージョンの遊君は?」
「わたしの中にいるよ?」
中と言うか内と言うか。そもそもわたしもそうだと思うとしか言えないのだけれど、分からないなんて返したら綺歩もきっと今の話を聞いているであろう男のわたしも心配に思ってしまうかもしれない。
「ねえ、遊……君? 昔家でよく歌っていたアニメの曲を歌ってくれない?」
遊君って言い切ってくれていいのに。それになんでそんな事を言うのだろうか。
綺歩の言葉に首を傾げてしまうが、歌えるのなら歌わせてもらおうと声を出した。