Lv117
次の日の部活は良くも悪くもいつも通りだった。
ユメも綺歩も昨日のことなど無かったかのように練習をこなす。
たぶん今は軽音楽部としてやる事があるからということもあるのだろうけれど。
やっぱりユメでいる時間が伸びていることは卒業ライブが終わってからにしようと言うことにしたので、この数日俺達がどういう気持ちでいたか部員のほとんどは知らない――でも俺とユメを別々と考えると七人中四人、一人と考えても六人中三人関係しているの過半数は知っているのだけけれど――。
しかし、ちゃんと話をしないといけない人がいるなと思ってユメに『桜ちゃんと部活の後、話せないか聞いてくれないか?』と頼む。
ユメも同じ考えだったらしく「言われなくても」と返って来たので今度は大丈夫だろうと思ったのだが、練習が終わってユメが真っ先に向かったのは綺歩の所。
声を掛けられて少し驚いていた綺歩にユメが楽しそうに笑った。
「ねえ綺歩、明日遊びに行っても良い?」
「明日? 別に良いけど、遊君がそう言ってるの?」
「ううん。わたしが綺歩と話がしたいなって思ったから」
「そっか。じゃあ、明日ね」
そんな風に綺歩と約束をした後で今度は桜ちゃんの所に向かう。
今度こそ桜ちゃんに声をかけて待っていてもらうことを約束するとユメは着替えるために準備室に向かった。
準備室に入ってからユメは俺に話しかける。
「急に綺歩と約束しちゃってごめんね」
『別にいいが、何かあるのか?』
「ちょっとね」
ユメはそれだけ言うと、それ以上は何も言わずに着替えを始めてしまった。
それも構わず試しに『ちょっとって何だ?』と尋ねてみると「ちょっとはちょっとだよ」と返ってきたので諦める。
ほどなく着替えが終わったユメが音楽室に戻ると、何だか哀愁を漂わせている桜ちゃんがいた。
「どうしたの桜ちゃん、元気ないよ?」
「まあ、元気出せって方が無理ですよ。これでも責任感じているんですから」
そう言って笑う桜ちゃんはその言葉通り力なくと言う表現が似合う。
練習の時はそうは見えなかったけれど、きっと気を遣って普段通りを演じていたのだろう。
「まさか綺歩が裏で手を引いているなんて思わなかったかな」
「その言葉が出るという事はちゃんと聞きたいことは聞けたんじゃないですか?
その上で桜にどんなお話があるんです?」
「事の顛末を桜ちゃんにはちゃんと話しておかないといけないかなって、多分遊馬も思っているから」
その言葉に頷いて答えても良かったのだけれど、今の状態だと頷くことも出来ないので『ああ』と短く意志表示だけしておく。
桜ちゃんは少し聞きにくそうな顔で「どうなったんですか?」と促してきたので、ユメがそのまま話し出した。
「結局今まで通り……って事で良いのかな。
わたしが消える事は無いよ。邪魔されちゃったから。
だから桜ちゃんこれからもよろしくね」
「……そういう事ならよろしくお願いします」
ユメの言葉の後の微妙な間。桜ちゃんが遠くを見ていたのは、もしかして俺の事を考えていてくれたのだろうか。俺の時間が短くなっていく事を。
でも、よろしくお願いしますとユメの言葉を受け取ってくれたと言う事は、俺達の選択を分かってくれたのだろう。
「本当に、遊馬先輩はお人好しですよね」
「本当にね」
「実はユメ先輩の体が目当てなんじゃないですか?」
「遊馬のエッチ」
『何で俺は謂われもない誹謗を受けているんだ?』
たぶんこうやって乗っておくのが正解なのだろう。
桜ちゃんが元気になるためだから仕方ないと思うのだが、もっと俺に優しく気持ちを切り替えてくれないだろうか。
しかも一度ユメを通さないと俺の言葉は桜ちゃんに届かないのでなおさら効率が悪い。
そう言うわけで俺の言葉をそのまま口にしたユメの言葉に桜ちゃんが呆れた顔を見せる。
「遊馬先輩も相変わらずですね。気にしていた桜が馬鹿みたいじゃないですか。
そう言えばこれから家とかではどうするんですか? ユメ先輩を隠し続けるのは妹さん達の力を借りても隠しきれる時間じゃなくなると思うんですが」
「もうお母さんには言ったから気にしなくても大丈夫じゃないかな?」
ユメの言葉を聞いた桜ちゃんが一度なるほどと頷いたけれど、すぐに変な顔をしてユメを見た。
「だとしたら別に着替えなくてもよさそうですよね」
「そういえば……」
「わざわざこうやって最後まで残っている必要もなくなったわけです」
「ほ、ほら。今日は桜ちゃんとお話したかったわけだし」
「今日はそういう事にしておいてあげます」
余裕をありありと見せつける桜ちゃんにユメが何だか悔しそうにしていたが、桜ちゃんが言っている方が正しいので俺もフォローは出来ない。
出来ないが助け舟くらいなら出せるだろうと言う体で、気になっていることをユメに聞いて貰うことにした。
『そう言えば桜ちゃんはどうして巡先輩の所に行くときに綺歩が付いていく事を了解したんだろうな』
「そう言えばそうだね。
どうして桜ちゃんは綺歩を巡先輩の所に連れて行ったの?」
「その事ですか……」
何だか桜ちゃんの旗色が悪くなる。
「今思うとそれが間違いだったような気もするんですが、もしもの時に桜だけ知っていると言うのはそれだけでプレッシャーなんですよ。
先輩方の人生とかそう言うレベルの話になりますからね。
ユメ先輩と遊馬先輩に一番身近な綺歩先輩ならもしもの時に助けになってくれるかなって最終的に折れたんです」
「そっか」
「桜ちゃんにしては珍しいね。とか言わないんですか?」
「遊馬の気持ちわかった?」
「ええ、よく」
不服そうな桜ちゃんに満足そうなユメ。何だか珍しい図に俺は一人心の中でニヤニヤしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ねえ綺歩。早速なんだけど約束果たしてくれる気はない?」
「えっと、ユメちゃん話が見えないんだけど」
綺歩の家、綺歩の部屋。
今日は学校が終わって一度家に帰った俺は何も気にすることなくユメと入れ替わった。
ユメも自分の服を着てバッグの中に紙と筆記具を入れると、堂々と家を歩いて外に出て昨日の約束通り隣の綺歩の家に向かう。
玄関で綺歩に迎えられた時に明らかに女ものの服を着ているユメに疑問を抱いていたようだったので、母さんとの事を説明すると「よかったね」と言ってくれた。
それから綺歩の部屋に通されたユメがバッグの中身をテーブルの上に出した後に言った最初の一言目が早速どうのと言うもの。
正直俺にもサッパリわからない。
「約束したでしょ? 綺歩が作った曲を歌うって」
「約束はしたけど流石にこんなに早くとは思ってなかったよ。
ユメちゃんには何か考えがあるの?」
「折角だから卒業ライブの時に一曲くらい新曲があってもいいんじゃないかと思ってね」
「確かにあったら盛り上がるかもしれないけど……」
と言ったところで、綺歩がテーブルの方を見た。
しかし、ユメはそれを見ようとはしない。
まあ、気が付いていたけれどさっきからユメは話しながら何かを書いていた。
何を書いているのかは分からないけれど、分からないようにしていると言う事は俺には知られたくないと言う事だろう。
結局俺達は手元を見ずに書く事を極めることは出来なかったけれど、何を言うか、何を書くかを明確にして書く方のイメージ練習をしたらなんとかなるレベルにはなった。
そんな桜ちゃんの時間稼ぎがこうも早く――ユメにとって、ではあるが――役に立つとはと感心する。
「うん、そういう事ならやってみよっか。
ちょっと紙貰って良い?」
そう言って綺歩がユメが持ってきた沢山の紙の中から一枚取り上げると、自分のカバンから鉛筆を取り出す。
「ユメちゃんはどういう曲が良い?」
「そうだな。折角の卒業式だから明るい曲って言うのもアリだとは思うんだけど、わたしとしては綺歩らしい可愛い曲が良いかな」
「私の曲のイメージって可愛いなんだね」
「一曲目を聞いてそう思わない人はいないと思うよ?
でも、もう少し簡単な曲の方が嬉しいかも。他の曲も練習しないといけないし」
そう言うユメの手がまた動く。
たぶんそれに意識を集中したら半分くらいは読めるかもしれないけれど、あえてそれをしようとも思えない。
俺に黙っているのにはそれなりの理由があるはずだから。
「歌詞はどうしようか?」
「曲が出来てからでいいんじゃないかな?
最悪桜ちゃんに頼めば一週間くらいで作ってくれると思うし」
「流石にそれはどうかと思うけど、確かに曲作る方が時間かかりそうだからそっちから取り掛かろうかな」
綺歩も何かを書きながら話しているが恐らくこちらはユメとの話の決定事項をメモしているのだろう。
それから、ユメが何かを考えていたと思うと何かを思いついたらしく意気揚々と口を開いた。
「伴奏は綺歩だけとかどう?」
「出来なくはないだろうけど……ライブだよ?」
「ダメかな?」
「あとで稜子に怒られたらユメちゃんのせいだからね?」
半分諦めたような呆れ顔で綺歩がそう言ったのに対してユメがいっそう明るく「ありがとう」と返した。
「でも、桜ちゃんには言うからね?
私はそんなに作曲してきたわけじゃないから」
「それは仕方ない……って事で大丈夫」
そう言いあった後、ユメと綺歩で目を見合わせて頷く。
何だか俺だけ仲間外れって感じがするが、一誠も鼓ちゃんも稜子も仲間外れなのだから別にいいか。
それから他愛ない話をしているうちに夕飯の時間に近くなったのでその日は解散ということになった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夕飯も食べ終え、ベッドの上に寝転がる。
定期的に日光に晒されている布団は、ふかふかでそれに顔を埋めているとだんだんと眠たくなってくる。
そうして微睡んでいると、ユメもきっと眠たいだろうに声をかけてきた。
『ねえ、遊馬』
「どうしたんだ?」
『聞きたいことがあるんだけど、いいかな?』
「そんなに改まって、聞き難い事なのか?」
『うーん……そうだね』
ユメが困ったような声で言うので本当に言い難いんだろうなと確信して「言うだけ言ってみたらどうだ?」と返す。
暗に言いたくなかったら言わないと言っているものだけれど、どの道ユメが言いたくなかったら言わなくていいよと言うだろうから今は話を進める事にした。
『えっと、どうしてわたしを好きになったのかなって』
「それ聞くのか?」
『出来れば聞きたいかなー……と』
まあ、ユメの方から見ればそうなるか。
答えも貰っていないのにそれを言うのもどうなんだろうか、というか普通に照れるので言い難い。
とは言え聞かれてしまったモノを変にはぐらかすわけにもいかないだろうと、しぶしぶ口を開いた。
「知っての通り見た目はタイプだからな」
『うん知ってる。遊馬の理想がわたしだもんね。
でも、それだけじゃないでしょ?』
「たぶんこれって理由はないと思うんだが、いつも一緒って言うのは大きいよな。
後は一番身近で気を遣わなくていいから……だろうな。
今さらユメ相手に猫被っても仕方ないし、俺の悪いところも嫌と言うほど知っているはずなのに嫌な顔しないしな。
一番居心地が良かったんだよ」
「今はちょっと悪いけどな」と仕返しとばかりに付け加えると、ユメから苦笑気味に『わたしも』と返って来た。
『でも、教えてくれて、ありがとう。
おやすみなさい』
「ああ、おやすみ」
そうして、再びやって来た微睡みに体を預けた。