Lv115
朝起きて学校に行かないといけないのかと思うと何だか妙に体が重かった。
どうやらユメもその事には気が付いたらしく『大丈夫?』と声をかけてくれたけれど『今日は綺歩との約束があるから頑張ろう?』と学校には連れていきたい様子。
俺の体が重い理由のほぼすべてが綺歩とユメにあるのだけれど、綺歩が教えてくれる事と言うのは気になるので休む気はなかった。
いつも通りに家を出て、いつも通りに道を歩いていると結構な確率で綺歩を見るのだけれど今日はその姿は無くて、恐らく綺歩が気を利かせてくれていたのだろう。
そんな道を歩きながらふと、ユメに声をかけた。
「なあ、ユメ」
『遊馬どうしたの?』
「ユメは俺と綺歩が付き合って欲しいのか?」
尋ねた理由は昨日の事があったから。
昨日のユメの様子を見るに、やっぱり屋上で俺が綺歩に告白してほしいと言う事なのだろうけれど、どうしてユメがそんな事を言うかが分からない。
『わたしが付き合って欲しいってわけじゃなくて、遊馬がわたしに遠慮しないでほしいなって思っただけだよ』
「俺が、ユメに?」
『うん。わたしは遊馬が昔から綺歩が好きだった事は知っているし、それでずっと告白してこなかったのも知っている。
でも、わたしのせいでもっと思いを伝え難くなったんじゃないかなって。
だけど、わたしはそう言うのは嫌だから。遊馬が自分に正直になってほしいから、丁度いい機会じゃないかなって思ったんだよ』
「自分に正直に……ね。難しい事言うな」
『でも、隠し続けるのは大変だよ?』
「分かった。その時が来たら素直になるよ」
『約束だよ?』と返したユメが妙に安心した様子で、まるで「ほっ」という言葉が聞こえてくるかのよう。
それに引っ掛かりを覚えながらも、ユメとの約束のお蔭で俺もだいぶ気が楽になったように感じた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その日の昼休み、いつものように鼓ちゃんと桜ちゃんがやってくるのだけれど、どうしても上手く桜ちゃんだけと話せるようなタイミングが無くて待てをしている犬のような心地だった。
あとどれくらい待ち続ければ桜ちゃんと話せるだろうか、これ以上エサを与えられなければ餓死するんじゃないかなんて益体のない事を考えていると、それを悟ってくれたのかどうなのか桜ちゃんが「遊馬先輩にちょっとお話があるのでお二方とも遊馬先輩借りて言って良いですか?」と声を出した。
今一つ釈然としないので「そう言うのって俺に聞くもんじゃないのか?」と言うと、桜ちゃんはいつもの悪戯っぽい笑顔を浮かべて「じゃあ、遊馬先輩、遊馬先輩を貸してくれませんか?」と返って来た。
何だか色々と間違えているような気もするけれど、ここでそれを言及しても時間を浪費するだけなのでため息だけついて桜ちゃんの後を追う。
そこそこ賑わっている廊下を抜けて階段の踊り場までやってきたところで桜ちゃんが足を止めたので、それに倣って俺も立ち止まった。
そこは人は少ないけれど、全くいないと言うわけでもない。
「ここで良いのか?」
「別に知らない人に聞かれて困る話をするわけではないですから」
「知っている人に聞かれたら困る話なんだな」
「その通りです」
まあ、考えてみれば全く関係のない――ここは学校なのでこの中に居る人だれであっても全く関係が無いなんてことはないのだろうけれど――人に通帳の暗証番号とか聞かれたとしても多くの場合特に何も起こらないだろう。
今から桜ちゃんが何を話すのかは分からないが、通帳の暗証番号ほど大切な話でもないだろうし。
俺が聞きたいこともたぶん周りの人には聞き流されるだろうから、今すぐにでも聞きたいのだけれど、そこはぐっと我慢して桜ちゃんの言葉を待つ。
「話って言っても一言だけ伝えたい事があるだけなんですが」
「一言?」
もう少し長い話かと思っていた為に首を傾げると、桜ちゃんが一度言い辛そうに目を伏せてから俺の方を真っ直ぐに向いた。
「今日の放課後、ちゃんと屋上に行ってくださいね」
「……何で桜ちゃんがそれを知っているんだ?」
突拍子が無くて、突拍子もなさ過ぎて逆に大きな声を出すことはなかったけれど、俺としては桜ちゃんを訝しげに見る事しか出来なくなった。
桜ちゃんは変わらずこちらを真っ直ぐに見て口を開く。
「昨日から遊馬先輩が桜に何か聞きたいことがある事は知っていました。
でも、その聞きたいことを含めて桜が言える事は放課後に屋上に行ってくださいと言う事だけです」
「ごめんなさい」といつになく殊勝に謝る桜ちゃんにこれ以上強く言うことは出来ず諦めたように口を開く。
「屋上に行ったら分かるんだな?」
「はい。もしも分からなかったら今度はちゃんと答えられると思います。
これが桜の最後のお仕事ですから」
「分かった。それじゃあ、戻るか」
そう桜ちゃんに言って教室に戻る途中、ユメに『良かったの?』と言われたけれど、多分桜ちゃんは可能な限り話してくれたんじゃないかと思う。
何せ最後のお仕事だなんてわざわざ言わなくても良い事だっただろうから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
昼休みが終わって放課後まで、いつも時間以上に長く感じているが今日はいつにも増して長く感じた。
それでも時間は進むものだなと思ったのは帰りのホームルームが終わった時。
屋上にいち早く行ったとしても鍵を持っていない俺が、綺歩より先にたどり着いても待ちぼうけを食うだけだと、ゆっくり荷物を纏める。
さっきまで早く授業が終わらないかなと思っていたのに自分でもなんでこんな事しているのだろうかと思わなくもない。
変にそわそわして、自分でもどうしたいのか分からなくて、気を紛らすためにユメに話しかけることにした。
「綺歩はどうやって屋上に行くんだろうな」
『秋葉先輩に借りるって言うのが有力じゃないかな?』
「でも、秋葉先輩はもう鍵持ってないだろ」
『そう言えばそっか。じゃあ、綺歩が秋葉先輩に頼んで、秋葉先輩が今の会長に鍵を借りてきたとか』
「あー……それならありそうだな」
『秋葉先輩ってわたし達に甘いからたぶん理由も聞かずに貸してくれるんじゃないかな?』
「それは会長としてどうなんだって思うが、もう会長じゃないしな」
何だか秋葉先輩に対する風評被害のような気がするが、実際にありそうなのだから仕方がない。
そうしている間に屋上へと続く重厚な扉の前にたどり着いてしまった。
一度思いっきり息を吸ってから吐き出す。
それから冷たい扉に触れノブを回して体重をかける。
少し開いたところで冷たい風が吹き込んできたが、それも構わず開け放つと、見慣れた顔が俺を捉えて笑顔を見せた。
「遊君来てくれてありがとう」
「桜ちゃんを使いに出しておいてそれはどうかと思うんだが」
「それもそうだよね。でも、ありがとう」
「俺が知りたい事を教えてくれるんだよな」
俺が言うと綺歩は頷いて、それから口を開いた。
「でも、その前に話したい事があるの。聞いてくれる?」
柔らかい表情で言う綺歩だけれど、有無を言わせない意志を感じて言葉も話せずに首を縦に振った。
綺歩はまた「ありがとう」とお礼を言うと手を後ろで組むように回すと何故か困った顔をする。
「実は話したい事があんまり纏まって無くて、分かり難かったら言ってね?」
「分かった」
俺がもう一度頷くと綺歩は俺が此処に入って来た時と同じように深呼吸して話し始めた。
「私ね、遊君がドリムだったって知ってたんだ」
「……いつ知ったんだ?」
思わぬ綺歩の告白に一瞬言葉を失ったけれど、まだそれだけなら大丈夫だと自分に言い聞かせて平静を装い言葉を返す。
これでもユメが生まれてから今まで努めて隠してきたのに、どうして分かってしまったのだろうか。
最近の様子からして桜ちゃん辺りが言ってしまったのではないのかと思っている間に綺歩が答えを話し出す。
「最初から……かな」
「最初から?」
「うん。最初から。遊君がドリムって名前で動画を投稿してから割とすぐに」
「……?」
綺歩の言葉の意味が分からず、言葉を見つけることが出来なくて無言で首を傾げる。
それを見た綺歩が右手を自分の胸にあて、前のめり気味になって楽しそうに続けた。
「遊君の動画を有名にしたのは私だから」
「……桜ちゃんが言っていた俺の歌に曲を付けたって言うのがもしかして……」
「そう、私」
「どうして綺歩が?」
「約束を果たしたかったから……かな。こんなに楽器上達したんだよって遊君に言いたくって。
でも、遊君その頃は小学校の時みたいに堂々とは歌っていなかったでしょ?
だからせめて遊君が歌った歌に自分で曲を当てて自己満足してみたの。
実は練習とか録音に時間がかかって投稿するまでにだいぶ間が空いちゃって今思うとそれでよく上達したって言えるなって思うんだけどね。
後は自慢したかったからかな。私の幼馴染はこんなに凄いんだぞって」
照れたように笑う綺歩を見ながら頭の中を整理する。
確かに最初から知っていたのならこの半年、俺がどれだけ隠そうと意味が無かったと言える。
ドリムの歌につけられたと言う曲が実は生演奏だったと言う事もそれが綺歩がやったと言うのなら納得は出来る。
「じゃあ、綺歩はどうして俺がドリムだってわかったんだ? 綺歩が投稿する前はドリムって無名もいいところだったんだろ?」
「それは遊君のお母さんが言ってたから……かな」
「母さんが?」
首を傾げる俺に綺歩が笑いながら答える。
「遊君って歌っているの隠していたみたいだけど、そうは言っても家でも歌っていたんでしょ?
遊君の部屋って別に防音されているわけじゃないから普通にばれていたみたいだよ」
隠しているから俺に直接言わなかったのは分かるが、母さん、いっそ墓まで持って行ってくれたら良かったのに。
とは言え、確かに綺歩の家とは交流もあるし何かのきっかけでポロリと言ってしまっても不思議じゃない。
本人にしてみればもう三年も前の事だから忘れてしまっているだろうけれど。
「その時にパソコンで何かしているみたいだとも言っていたから、ちょっと調べてみたんだ。
今思うと酷い事しているのは分かるんだけど、その時には歌わなくなった遊君がまだ歌っていたんだって嬉しくって。
それで、遊君がつけそうな名前をいくつか調べてみたら見つかったの。
すぐに遊君だってわかったよ」
こうも黒歴史を掘り返されると穴に潜りたい気分になってくる。
「でも、遊君を軽音楽部に誘ったのは遊君がドリムだったからってわけじゃないよ?
本当に約束を覚えていてくれたら嬉しいって思ったから。また、遊君と一緒に音楽をやりたいって思ったから」
「ああ、わかった。話したい事ってそれだけか?」
綺歩が言いたいことはよくわかったが、これ以上この話でいるのが辛くて、何とか話を変えたくてそう言うと、綺歩は首を振ってから話し出した。
「遊君が私に隠している事、もう一つあるでしょ?」
「な、何の事だ?」
確信めいた口調の綺歩の言葉に意味はない気はしつつも白を切る。
それを見て何故か綺歩は笑った。
「やっぱり遊君は優しいね。
でも……ううん。ごめんね。私、遊君が歌いたくないのに無理やり歌わせてたよね」
「そんな事ない」
無意味と知りつつ口に出た言葉は、綺歩の言葉を逆に肯定するような必死さに溢れていた。
首を振る綺歩の笑顔には申し訳なさが垣間見える。
「私が遊君が楽しそうに歌っていないことに気が付いていないとでも思った?」
夕焼けに赤く照らされる綺歩の顔を見ながら、どうしてその考えに至れなかったのかと、疑問すら覚える。
綺歩は恐らく俺やユメ以上に俺の事を知っていて、そんな場面を何度も見てきた。
その綺歩が気が付いていないはずがないのだ。地声で歌っている時の俺が決して楽しくなかったと言うことに。
「……悪かった」
何に対して謝っているのか俺のことながら俺にもわからなくて。
楽しく歌えていなかった事なのか、それを黙っていた事なのか。
でも、綺歩には分かるらしく、仮面のようにかぶせた笑顔で口を開いた。
「なんで遊君が謝るの? 遊君は約束を守ってくれようとしたんでしょ?
本当に謝るのは私の方。
約束を守ってほしくて、ううん、遊君と一緒に音楽をしたいって、遊君の歌に合わせて楽器を弾きたいって私の我儘の為に遊君を約束で縛りつけていたんだよね」
「本当にごめんね」と綺歩が頭を下げる。そんな風に思って欲しくなくて、綺歩にこんなに申し訳ない顔をさせたくなくて隠してきたことなのに結局させてしまった事実にうまく言葉を話せない。
やがて頭をあげた綺歩は悲しそうな顔をして口を開く。
「ね、遊君そんな顔しないで?」
「そんな顔って……」
「悪いことしたな、って顔」
綺歩はそこまで言うと一度目を閉じてから、混じりけのない笑顔を見せた。
「でもね、私はそんな優しい遊君が好き。
小さい頃から、中学生の時だってずっとずっと好きだったの」
突然の告白に瞬きする事しか出来ない。
それでも、綺歩の告白は止まらない。
「小学生の頃、音楽の楽しさを教えてくれた時から、今までずっと。
ううん、今ではもっと遊君が好きだよ。だから……」
綺歩は最期まで言わずにそこまで言うと何かを――答えを求めるような目線を向けてくる。
その時『自分に正直になって』と言う声が聞こえたような気がした。