Lv114
「時間なんてなくても大丈夫ですよ。
考えるまでもなくユメが居なくなる選択をする気はありませんから」
『え、ゆ、遊馬?』
「考える必要もないと言うのは予想外だが、これは君の人生に直接かかわってくる問題だ。
もっと慎重に考えた方がいいのではないかね?」
「俺にはユメを消せない理由がありますから」
ユメの困惑した声を無視して巡先輩と会話を続ける。
巡先輩は珍しく驚いたような顔をしていたけれど、俺が断固として主張を変えることが無いと分かってくれたのか「そうか」と頷いてから真剣な目を向けてきた。
「そこまで言うのなら今日はもう何も言うまい。
ただ、これは一つの予想なのだが、ワタシが君たちに干渉できなくなる期限は三月の頭までだろう」
「卒業式までって事ですね。何時まででも変わりませんがありがとうございます」
そう言って頭を下げると本当に巡先輩は何も言うつもりはないらしく黙り込んでしまった。
さて、これからの事は何となく分かったのだけれど、俺としてはこれまでの事も十分に気になる。
「巡先輩。いくつか聞きたいことがあるんですが良いですか?」
「ワタシが答えられる範囲で構わなければいいだろう」
「俺達の事、いつから分かっていたんですか?」
「少し前……と言うべきか、とても前……と言うべきか。
兆候が見られたのは文化祭の後に君たちが来た時だね。
その時には誤差範囲だとワタシも重要視はしていなかったが」
「確信したのは?」
俺の問いに巡先輩は首を振る。
答えたくないのか答えられないのか。
「答えられないんですか?」
「それにも答えられない」
「巡先輩が引き起こした事ですよね?」
「そのことに関しては許して貰えたと思っていたが?」
「意地悪ってわけじゃないんですね?」
「それだけは約束しよう」
本当は桜ちゃんとの関係について聞きたかったのだけれどこの調子だと教えてくれないだろう。
巡先輩にも考えがあっての事のようだし、ここは一旦引こうかと頭を下げた。
「今日はありがとうございました」
「ああ、また来るといい」
「その時には色々教えてくださいね」
「それは約束できないな」
相変わらず真剣な巡先輩に、本当に教えてくれないんだろうなと思いながら科学部室を後にする。
そのまま下駄箱に向かっていると頭の中で『遊馬』と呼ぶ声がした。
「どうしたんだ?」
『どうして勝手に決めちゃったの?』
「ああ、そうだよな。悪かった。
でもユメも消えたくないだろ?」
『もちろん。だから遊馬が言ってくれたことは嬉しかったよ?
それでも、わたしは遊馬に成り代わりたいなんて思わない。
今回の話だとその可能性だってあるんだよ?』
「巡先輩の話を信じるならその可能性は低いと思うけどな。
最悪半日って所だと俺は見てるが」
『それでも、遊馬の時間が短くなることには変わらないでしょ?
どうして遊馬はそこまでわたしの事を考えてくれるの?』
「約束しただろ?
その約束を守ってもらわないといけないからな」
『それだけ?』
もしもユメと俺が別々に存在していたら、そんな短い言葉と共にどんな仕草を見せてくれるのだろうか。
小首を傾げながら、少し俯いている俺を覗き込むように上目遣いで見てきたりするのだろうか。
そんな雑念を払いながら「それだけだ」と返す。
「だからユメも変に考えないって約束してくれないか?
俺は、俺の時間が減っても今のままが良いと思っているから」
『うん』
ユメは力強くそう答えてくれたけれど、それが俺の問いへの返答のように感じなかったのはいったいどういう事だろうか。
そう思った時にはとっくに学校を出ていて、夕焼けの柔らかな日差しの中歩きなれた通学路をはた目には一人のんびり歩いていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
次の日の部活。
今日一日ユメは特に昨日の事に触れる事は無くいつも通りの調子で一日を過ごしていた。
それは部活の時にも同じで、むしろいつもよりも調子がいいようにも思う。
きっとユメも俺の考えに賛同してくれたのだろうと安心すると同時に、何とか桜ちゃんに話を聞く機会はないかと窺っていた。
科学部室に行くようにけしかけたのは桜ちゃんだし。
しかし上手く二人になれそうなタイミングが無くて部活も終わりに近づいていた。
一応ユメでいる時間が長くなっている事実を今は部員にも伏せている。
徐々にユメでいる時間が長くなっているのでそのうちばれるのは目に見えているけれど、ばれた所でななゆめとして何かしらの不利益があるわけじゃないし、今は卒業ライブの方が重要だと思ったから。
そんな事を昨日の夜にユメと話し合った。
そう言うわけで桜ちゃんに話を聞くときに他に別のメンバーがいてもらうと困るわけだけれど、先も言った通り二人になれそうなタイミングがない。
仕方ないから部活終わりに少しだけ時間を貰えないかユメに聞いて貰おうと『ユメ』と声をかけようとしたところで、ユメが綺歩に声をかけてしまった。
「綺歩、今日一緒に帰らない?」
「そうだね。私も一緒にって思ってたけど、ユメちゃんから言ってくれるのも珍しいね」
「まあ、帰るのはわたしじゃなくて遊馬なんだけど、何となくね」
『初耳なんだが』
「だって今初めて言ったもん。初めて言ったけど、家は隣何だし別に良いでしょ?」
『そう言われるとそうなんだけどな』
「じゃあ、決まり。綺歩ちょっと遅くなっちゃうけどごめんね」
桜ちゃんの方はまた今度でもいいかと諦める事にして、ユメの話を受け入れた所で稜子に「ほら、そこの二人話していないで帰るわよ」と急かされた。
急かされたのは俺ではないけれど。
「じゃあ、ユメちゃん私は此処で待ってるから着替えて来てね」
「りょうかい。すぐに着替えて来るね」
気が付けば他のメンバーは殆ど片付けが終わっていて、桜ちゃんなんか「お先に失礼します」と音楽室を出て行ってしまった。
ユメも急いで準備室に移動すると、簡易カーテンに身を隠して目を閉じる。
『それにしても急にどうしたんだ?』
「綺歩の事?」
『今までそんな事なかっただろ?』
「さっき綺歩にも言ったけど何となくだよ?
遊馬は綺歩が嫌いって事はないでしょ?」
『そりゃあ、嫌いって事はないが』
「そうだよね」
そう言ってニヤニヤするユメが何となく癪に障ったけれど、言い返す言葉も思いつかないのでぐっと我慢する。
サッと着替え終わったユメが急いで音楽室に戻ると、綺歩だけじゃなくて帰る直前だったとはいえまだ稜子が居たのでユメは「じゃあね」と声をかけた。
「今日は着替えるの早かったね。でも、いつもユメちゃんになった時にはこれ位な気もするからいつもはゆっくり着替えてたのかな?」
「流石綺歩、そんなことまでわかるんだね」
「流石って程でもないと思うんだけど、これは単なる推理だから」
「まあ、いつもは急いで着替えても遊馬に戻るまで帰れないからね。
今日は綺歩が待ってくれているってわかってたからちょっと本気出して着替えてみたんだよ」
「そっか、ありがとう」
そう言って二人笑いあう。
俺に戻るまで帰れないと言うのは綺歩が居ても変わらないとは思うのだけれど、こんな笑顔が見られるのなら頑張ってみようと言う気になったりするのはわかる。
頑張るのはユメで、頑張ったユメは女の子なのだけれど。
「それで、今日ユメちゃんが一緒に帰ろうって言ったのは、今日のユメちゃんが少しだけ無理していたのと関係しているの?」
「む、無理? 無理なんてしてないよ?」
綺歩の言葉にユメが驚いたような声を出す。
ユメの言う通り少なくとも体力的にはユメは無理していない。すれば俺にもわかるし、わかったら休むように声をかける。
だけれど綺歩は首を振ってユメを見た。
「無理していつもより明るくふるまっているように見えたんだけど、気のせいじゃないよね?」
「……うーん。そう見られちゃったのか。
無理はしてないよ。吹っ切れたって言う方が正しいから」
「大丈夫?」
「うん、大丈夫。心配してくれてありがとう。
それにしても綺歩に隠し事は出来ないね。なんでわかったの?」
冗談と呆れをにじませつつ綺歩にユメが問いかけると綺歩は困ったような笑顔を見せた。
「何となく……かな。やっぱり遊君とユメちゃんって細かいところが似ていたりするから、わかっちゃうんだよね」
「本当に綺歩は遊馬の事見てるよね」
「これでも幼馴染だから」
逆が真ではないその理由は果たして理由足りえるのかはわからないけれど、綺歩がそう言うのならそうなのかもしれない。
あくまで一緒にいる時間が長かったと言う意味での幼馴染ならば、その後の洞察力は個人で違うだろうし。
「それで綺歩を誘った理由だけど、本当に何となくだよ?」
「うん、無理していないなら良かった。
……遊君さっきぶり」
「相変わらずの対応力だな」
目の前で入れ替わったと言うのに。
綺歩はそう言う俺を楽しそうに笑いながら見る。
まあ、綺歩が楽しいのなら良いのだけれど、今は遅くなった分早く帰る事にしよう。
「じゃあ、帰るか」
「うん、帰ろ」
そう言ってニコニコついてくる綺歩を連れて音楽室を後にした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「遊君はいつもと一緒だよね」
「まあ、いつもと違う必要が無いからな」
「でも実は別の用事があったんだよね?」
学校からの暗くなった帰り道、綺歩に言われて一瞬ドキリとする。
しかし、流石に綺歩も用事の内容までは分かるはずもないかと思い落ち着いて口を開いた。
「そうだな、ちょっと……」
「いいよ、内容まで言わなくて。それだったら悪いことしたなって思っただけだから」
首を振ってそう言った綺歩に「いや、別に今日じゃなくてもいいからな」と返すと綺歩が嬉しそうに目を細めた。
『遊馬、用事があったの?』
「ちょっと気になる事が、ユメもそうだと思ったんだがそうでもないみたいだな」
『気になる事って、昨日の事だよね?』
「ああ」
短くそう返すとユメは『気になる事、気になる事……』と何かを考え始めたので、話を綺歩に戻すため綺歩の方を見る。
すると、綺歩は微笑みながらこちらを見ていた。
「悪いな急に」
「んーん。気にしないで。
二人がどんな会話しているのかなって考えるのも楽しいから」
「で、わかったか?」
「全然」
そう言って少し残念そうに綺歩が首を振るのを見て内心安心した。
「そうだ遊君。遊君って体型維持に何かやってたりするの?」
「急にどうしたんだ? 特に何もしてない……強いていうならあまり食べてないってくらいだが」
そんな急な話題転換に驚きながらもほっとする。
内容を聞かれても困るだけだったし。話題がそれてくれたことは嬉しく思う。
でも、綺歩は納得いかないって顔でこちらを見ていた。
「何かズルいな。私も気を付けてるのに」
「いや、綺歩は細いだろ。楽器やっているから全く運動していないってわけじゃないだろうし」
「そうだと良いんだけど、やっぱりユメちゃんを見ていると何か特別な事をやっているのかなって」
『綺歩は細いのに大きいからいいじゃん』
そこでユメに拗ねられても困るのだけれど、ユメにもばれないように心の中でため息をついてから口を開いた。
「綺歩と違うって言ったら歌っているって所と、あの妹達と同じものを食べているって事じゃないか?」
「そっかあ……確か藍ちゃんがご飯作っているんだよね? 今度レシピ聞いてみようかな」
そんな男から見るとくだらないようにも思える会話をしながら、でも、ユメの事を考えると気を付けないといけないのだろうなとも思う。
そうしている間に家の前に着いたので綺歩が足を止めた。
「それじゃあ、またね」
「じゃあ、また学校か部活で」
「あ、遊君」
「なんだ?」
家に入ろうとしていた綺歩が足を止めて俺の方を向いた。
「遊君の今日の用事って桜ちゃん関係だよね」
「な、なんでそれを……」
「だって今日部活に来た時に桜ちゃんの事チラチラ見てたから。
ところで明日の放課後、時間ある?」
そうだっただろうかと今日の自分を思い出すが思い出せない。
とは言え、無意識のうちにそうしているのを綺歩なら気が付いていてもおかしくないとも思う。
万が一にもユメである時間が長くなりつつあることに綺歩が気が付いていたとしても、いずれは教える事ではあるので焦る必要はない。
何とか落ち着いて「部活は休みだからな。何かあるのか?」と綺歩に問いかけた。
「遊君の知りたい事を教えてあげようかなって思って。
もしも聞きたかったら放課後、音楽室がある棟の屋上に来てね」
「それってどういう事……」
言いかけた俺の言葉を聞く事は無く綺歩は家の中に入ってしまった。
俺が知りたい事……と言うと、桜ちゃんと巡先輩の関係だろうがそこにどうして綺歩が出て来るのだろうか。
それとも、他に俺が昔綺歩に何か尋ねた事を俺が忘れているのか、ただ呼び出したいためだけにあんな意味深な言葉を言ったのか。
考えても分からないし、外は寒いので取りあえず家に入ろうと少しだけ歩いて帰宅する。
それから、自分の部屋に引きこもるとカバンを落とすように地面に置き、ベッドにあおむけに倒れるとユメに問いかけた。
「さっきの綺歩の言葉どういう事だと思う?」
『何だか意味深って感じだったけど、呼び出しは屋上だし、秋葉先輩の言葉を借りるなら告白じゃないかな?』
「そう言う冗談じゃなくてな」
『でも、綺歩可愛いでしょ?』
「それは否定しないが……」
『性格だって良いし、気も利くし、話しやすいし』
「何が言いたいんだ?」
『それに遊馬、綺歩の事好きでしょ?』
こちらがしようとしていた話を無理やり変えられた挙句、要領を得ないので少しイラつきながら返すと、ぴしゃりとユメから言葉が飛んできた。
以前も同じことを言われたが、前回はひとりごとの様だったのに対して今回は俺に向けて言っている。
流石にここまではっきり言われるとユメが何を言いたいのか分かった。
『綺歩の誕生日と電話番号をパスワードにするくらいだし、私が生まれた理由を綺歩にだけ正確に伝えないのだって綺歩を大切に思っているからだよね』
そう考えると今日ユメが綺歩と帰りたがった……いや、俺と綺歩を一緒に帰らせようとした理由も分かる。
『屋上なんて絶好の場所だし、きっといい機会なんだよ』
でも、どうしてユメがそんな事を言うのか俺には分からなかった。