Lv113
次の日の放課後、昨日桜ちゃんに言ったように久しぶりに科学部室へと足を向けた。
考えてみればこの科学部、俺達の中では誰がいてどんなことをしているのか分かって――とは言い切れないが――いるが、変な笑い声とか、謎の光とか、相変わらず続いているし世間では未だ謎の部活だと言う認識なのだろうか。
そう考えると秘密基地にでも行っているようでワクワクしないこともない。
とは言え、久しぶりに訪れる科学部室。ちょっと緊張しながらノックをしてドアを開け「こんにちは」と声をかける。
科学部室内は前にも増してパソコンの数が増えたような気がするが、後はおおよそ記憶の通り。
願望実現マシーンの残骸も放置されていて、白衣に瓶底メガネ、ぼさぼさ髪を二つに結んだ女子生徒――ではなく女性――がいるのも記憶通りだった。
「ああ、君たちか。ようやく……早くも……何とも形容しがたいが、久しぶりだね」
「すいません、最近やってこなくて」
「ここにあまり来ないこと自体は良い事だろう。
それだけ日常生活に支障なく過ごせていると言う事だろうからだね」
妙に落ち着いた様子で巡先輩が話す。
元からこうだったような気もするのでそこまで気に留めておく必要はないと思うが。
そんな巡先輩の言葉に対して、左手に着けたままになっている腕時計を先輩に向けた。
「これのお蔭でだいぶ助かってます」
「それは良かった。さて、今日君たちはどんなつもりでやって来たのかい?」
「一応定期検査……でしょうか」
今さら定期も何もないと自分でも分かっているので非常に言い難い中答えると、ユメが『どんなつもりで?』と巡先輩の言葉を繰り返した。
確かにちょっと気になる言い回しだけれど、ユメも聞いてくれとは言わないしわざわざ俺が聞くまでもないかなと端に置いておく。
「じゃあ、そこに座っていてくれないかい」
「分かりました」
言われた通り、指さされた椅子に座ると巡先輩はカチャカチャとパソコンを弄り出す。
その画面を見ていても良いのだけれど正直何をやっているのか俺達にはサッパリわからないのでユメに話しかける。
「さっき巡先輩の言葉に引っかかってたな」
『何か変な感じだなとは思ったんだけど、遊馬はそうは思わなかった?』
「思ったが、強いて聞く事でもないかなと」
『桜ちゃんとかもたまにするしね。無意味な遠回しな表現。
桜ちゃんと言えば、今日ここにいるかと思ったんだけどいなかったね』
「意味ありげに言っていたからな。何か仕掛けて来るような気はしてたな」
『もしかしたらこの後に来たりして。
昨日の声が沈んだ気がしたのも昨日の今日だと準備する時間が無かったからとかね』
「どうだろうな」
と言ったところで、巡先輩に「それじゃあ、入れ替わってくれ」と言われたので機械的にユメと入れ替わる。
「まあ、何もないならない方がいいよね」
『そうだな。何か碌な事じゃなさそうだし』
それが俺達を本気で困らせようと思っての事じゃなかったとしても突拍子もない事の可能性は十分ある。
そもそも桜ちゃんが何かをしてくるのかどうかさえ分かっていないのだけれど、その話でユメと盛り上がっていると巡先輩の手が止まったので話を止めた。
巡先輩はパソコンからクルッとこちらに向きを変えて話し始める。
「両者とも健康状態は全く問題はないね。
特にその辺りで変わった事も無いのだろう?」
「そうですね。普通に生活出来ていると思います」
「それならその辺りは問題ないだろう。
さて、君たちに話しておかないといけないことがある」
巡先輩はいつもの調子でそう言うと、一度眼鏡の位置を整える。
ユメがそれに頷くと、巡先輩は「取りあえず順番に話していこう」と言って何処からか時計を取り出した。
その時計が正確かどうかは分からないが、アナログのその時計は五時二十分を指している。
「話す前に途中で入れ替わられると困るから一度時間をリセットして貰おうか」
「別に大丈夫……だよね?」
『ああ、困る事もないだろうし、巡先輩がユメのままの方が良いと言うのであればそちらの方が良いだろうな』
「うん。じゃあ少し失礼します」
そう言ってユメが軽く歌う。
軽く何て言っても耳に入ればきっと誰もがユメの方を向くような澄んだ歌声。
ワンフレーズだけメロディを奏でたユメは巡先輩の方を向き直って「これで大丈夫です」と口にした。
巡先輩はそれに対して頷くと、時計の分針の所に付箋を貼り付けユメの視界に入らない所に置く。
それからゆっくり話し始めた。
「まず君たちに尋ねたい。
ワタシが作ったその時計、それがどういうものだったか覚えているかね?」
『要するに十五分タイマーだよな?』
「わたしから遊馬になるときの目安を教えてくれるものですよね?」
「そうだ。そうだが、ただの十五分タイマーとでも思っていたのではないかね?」
ユメにしか聞こえていないはずの俺の声が聞こえたのかと一瞬驚いた。
しかし、聞こえていたのなら今の巡先輩のような尋ね方はしないだろう。
つまり、聞こえてはいなかったが考えが読まれていたと言う事になる。
「違うんですか?」
「まあ、そう認識されても仕方がないがワタシがそれを渡した時君たちが入れ替わる三分前、一分前……と知らせるものだと言ったはずだね」
「確かに……そう言っていましたね」
言われて思い出した。ユメから俺になるためにはユメが歌わずに十五分いなければならないので結局十五分タイマーになっていたと言う事だ。
「それから君たちに確認したいんだが、君たちは互いが別の人間だと認識しているのだったね?」
「そうです」
何となく巡先輩の話が要領を得ないなと思っていると巡先輩がパソコンの方を向いてしまった。
「たぶん、昔と今ではその辺の認識にも違いが生まれているだろうから、覚えている限りで構わない今までの君たちの経緯について話してくれないかい?」
「えっと……」
『よくわからないが、俺は変に隠すこともないと思うから、後はユメに任せるよ』
「うん。それじゃあ、話していきますね」
そう前置きをしてユメが今までの俺とユメの関係をイベントに沿いながら話し始めた。
腕時計が一度目の振動をして少ししたくらいで簡単にではあるがユメが話し終わった。
こうやって赤裸々に自分たちの経緯を話すと言うのは何とも恥ずかしいものではあるが、こうやって話してみることで自分の中で整理が出来る。
実際に話したのはユメだけれど。
話を聞きながら、そして聞き終わってもカチャカチャとパソコンを弄っている巡先輩を見ながらユメが口を開いた。
「それで、この話がどうかしたんですか?」
「ふむ。君たちの話のお蔭で一つの仮説がかなりの現実味を帯びてきたよ」
「仮説……ですか?」
「ああ、仮に題をつけるなら『精神と肉体について』と言った所か」
「精神と肉体……?」
話がどんどん明後日の方向に行っているような気がするのは気のせいだろうか。
首を傾げるユメはまるで俺の気持ちを表しているようだった。
「なに、難しい事じゃない。
離れられない二組の精神と肉体の精神の方の乖離が進めば肉体は逆に密接になると言う仮説だ。そう君たちのように」
「それってどういう事ですか?」
ユメの声に不安と恐れが混じる。俺だってなんだか嫌な予感しかしない。
そのせいか巡先輩の雰囲気もいっそう真剣なものになったような気がした。
「君からもう一人に戻るための時間が長くなったと言う事だよ」
ああ、やっぱりそうかと思う気持ちと、そんなわけないと思う気持ちは半々と言った所だろうか。
どうやらユメは後者だけらしく目を見開くと慌てて口を開いた。
気が付けば腕時計が二度目の振動が終わる。
「そんなわけないじゃないですか、腕時計だってちゃんと入れ替わりに合ってましたよ?
巡先輩が作ったんじゃないですかっ?」
「それは十五分タイマーじゃないと言ったばかりだと思うがね。
論より証拠だろう。君もさっきワタシがこの時計に付箋を貼ったのは見ていただろう?」
そう言って巡先輩が先ほどユメの視界から外した時計をユメに見せる。
分針は付箋から四つ離れた数字と五つ離れた数字の中間を指していた。
つまり、ユメが歌ってから二十分は経っていると言う事。
「それは」
『何かの間違いです』とユメの必死な声が聞こえたのは俺の中だけ。
俺に戻ってまた時計を見ても、やっぱり分針が戻っていると言う事は無かった。
「時間にして二十五分前後という所だろう。それが、今君に戻るための時間だよ」
「そうみたいですね」
「君は落ち着いているんだね」
「ここで騒いでも話は進みませんからね。
それで、俺達はどうなるんですか?」
俺が尋ねると巡先輩が意外そうな顔で「ふむ」と呟く。
ユメが何も言わないのが気がかりだが、今は巡先輩の話を聞くのが先決だろう。
「ワタシもはっきりとは分からない。
これ以上の変化は起こらないのか、どうなのか」
「巡先輩はどう考えているんですか?」
「そうだね。ワタシがさっき言った話は覚えているかね?」
巡先輩の言葉に今日の巡先輩の話の中で印象的なものを思い出す。
「離れられない二組の肉体と精神の……ってやつですか?」
「そうだ。それを丁度君たちだと思ってくれたらいい。
君たちが二人になった時の関係が最も良いバランスだとして、今の君たちはどうなっている?」
「俺とユメの関係……」
巡先輩の言葉に昔の事を思い出す。昔と言ってもユメが生まれた頃や少し経った頃だが。
最初、ユメは俺と同じだなのだと言っていたし、俺もそうだと思っていたこともあった。
つまり俺とユメが同じ人間だと。だが今は……
「気が付いたようだね。今の君たちは決してバランスが取れているとは言えない。
むしろ積極的にバランスを崩してきたと考えられる」
「そう……ですね」
「そこで崩れたバランスを補うために肉体の方の関係を密接にした」
「だから、ユメから俺に戻る時間が長くなったって事ですか?」
「ワタシの仮説が正しいとするのであればその認識で構わない。
恐らく、一日を通して君でいる時間の方が長いのだろう?」
「はい」
たまにユメが一日表に出ていることもあるが、それを考えても俺が表に出ている時間の方が圧倒的に長い。
巡先輩は依然として変わらぬ態度で話をする。
「それでは君たちの時間は不平等だと言う事になるのだろう。
結果君がさっき言った通り時間が長くなる。
そして、その時間は着実に伸びてきている」
思い当たる節はいくつもある。
すぐに思い出せる限りでも文化祭の美少女コンテストの時やユメが歌詞を書いていた時。
言われてみると何故気が付かなかったのかと思われても仕方がないかもしれないが、俺達は入れ替わるのがユメが歌わずに十五分だと言う事を絶対視し過ぎていて計ろうともしなかったのだ。
大体ユメになった時と言うのは基本的に楽しい事をやっている時なのだからわざわざ時間とか気にしない。
周りの人が誰も気がつかなかったと言うのも変な話のようだが、考えてみると練習の時にはユメが俺になる場面を毎日見ている人はいない――どころか、一誠なんかは見た事ないだろう――し、練習以外だとユメと入れ替わる事も稀なのだ。
だが入れ替わり時間が変わった事は置いておいて、ちゃんと聞いておかないといけないので先ほどした質問を繰り返す。
「それで巡先輩は今後俺達がどうなると考えているんですか?」
「平等になるだろうね。
その平等とは何か……はどうなるか分からないが、単純に考えて入れ替わり時間が十二時間になる」
『十二時間も……!?』
「ただ、可能性だけ上げていけば完全に主導権が入れ替わり、君の方になること自体が不可能になる可能性もあり、そこまで長くならず二時間程度が上限になる可能性もある」
『遊馬が表に出られなく……』
「そして、もう一つ君たちに伝えておかないといけない事がある」
『まだあるの?』
必死なユメの声が聞こえるが、何だろう巡先輩と会話しているみたいで傍から見ていて面白い。
全然傍からではないし、俺自身思う所は言い表せない程にあるのだけれど。
「伝えておかないといけないこと、ですか?」
「この君たちの変化はワタシの願望実現マシーンの効果とはまた別の効果が働いているらしい」
「それはつまりどういうことですか?」
俺の質問に巡先輩は一度息を吐いてから口を開いた。
「いつだか君たちを一人にする装置を見せただろう?」
「そうですね」
「このまま変化が続くようならば間違いなくその装置の効果……いや、それ以外のワタシが作るであろう装置の効果も受け付けなくなるだろう。
もし、ワタシが君たちの存在と言うものを正確に分析し、理解することが出来れば話は別かもしれないが、現状一パーセントも理解できていないと見た方がいいだろう。
要するに、君たちがこの問題について考える十分な時間もワタシには与えられそうにもない」
「すまない」とそう言って目を伏せた巡先輩は相変わらず淡々としているようだったけれど、とても小さくそして申し訳なさそうに見えた。