Lv111
鼓ちゃんからの告白を断って一晩。
クリスマスの今日はあまり部活には行きたくなくて、ベッドの上でゴロゴロと転がっていた。
幸い冬休みには入っているので親にも妹達にも起こされることも無く、そろそろ準備を始めなければ部活には遅刻するだろうから、もう行かないことにしてしまってもいいだろう。
今日は一人こうやって虚無感に沈んでいてもいいかもしれない。
『遊馬、そろそろ準備しないと部活遅れるよ』
頭の中でそんな声がして一人では無い事を思い知らされる。
「ああ、そうだな」
『もしかしてサボるつもり?』
「ユメには悪いが……というよりもユメも行き難いだろ?」
これは舞の時とは違う。
何が……とはっきり言うことは出来ないが、例えば今日鼓ちゃんと会うようなことがあったら俺は鼓ちゃんの顔をちゃんと見ることは出来ないだろう。
鼓ちゃんとどう向き合っていけばいいのかが分からない。
その辺はユメも変わらないと俺は思うのだけれど。
『そうだね。わたしも出来れば行きたくないかな。
気まずいだろうし、どんな顔で居たらいいのかもわからないし』
「だったら」
『でもね。鼓ちゃんは今まで通りで居て欲しいって言っていたよね』
「……」
『ずっと先輩でいるって約束もしたよね』
「……したな」
『それなら行くべきだと思わない?』
ユメの言葉を聞いて勢いをつけて一気に起き上がる。
それが鼓ちゃんを傷つけない為なのか、単に何度も約束を破りたくないだけなのかはわからないけれど、ちょっとだけ前向きに考える事が出来た。
部活に行ったとして表に出るのはユメなんだから、最悪ユメに丸投げすれば良いだけだろうし。
急いで着替えながら時計に目をやると歩いていては間に合わなそうな時間になっていた。
「ユメ、悪いが走っていくからな」
『はいはい、喉だけは気を付けてね。流石に喉痛いと歌えないから』
「善処するよ」
着替え終わってカバンを持って、食事は……まあ、一食くらい食べなくても問題ないだろう。
玄関を出るまでは気持ちで急いで「行ってきます」と家の外に出た所から体に反映させる。
『この道走るのも久しぶりだね。何だかんだで余裕持っていく事が多いし』
ユメがそうやって話しかけてくるが、走っているこちらとしてはそれに答えたくはない。
と、言うか喉がどうこう言っていたのだから話しかけないで欲しい。
まあ、ユメなりに気を遣っての事だと言うことはわかっているのだけれど。
学校に着いた時には肩で息をし始めて久しく、下駄箱からなら歩いても部活に間に合いそうな時間ではあった。
『着替える時間を考えたらもうちょっとだけ頑張らないとね』
とユメに言われてしまったけれど。
ため息を返事にして、早歩きで音楽室を目指す。
ようやく音楽室に着いて中に入ると、殆ど皆揃っていて、それでも鼓ちゃんの姿だけが無かった。
「遅かったじゃない。ギリギリよ」
稜子にそんな事を言われて、他のメンバーにも声を掛けられそうだったけれど「悪い、急いでユメに替わってくる」と準備室に駆け込んだ。
それからユメと入れ替わる。
『鼓ちゃん居なかったな……』
「一週間は会えないって言っていたから何となくそうじゃないかなとは思っていたけど」
『そうだったか?』
「うん。確かに言ってたよ。
たぶん一週間と言うよりも今年はって意味で言ったんじゃないかなって思うんだけどね」
『どうしてそんな風に?』
「ないしょ」
そうしている間に着替えが終わって、俺の言葉を待つことなくユメは音楽室に戻って行く。
「ギリギリになってごめんね。
遊馬がなかなか起きてくれなくて」
『おい』
「本当の事だよ?」
そう言われると確かにそうなのだけれど。
ともかく、ユメが――恐らく装って――いつも通りで居てくれたおかげで特に掘り下げられることも無く稜子の声で練習が始まった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「鼓なんだけど、風邪ひいたらしくて今日は休みよ」
練習が始まってすぐ、鼓ちゃんがいない理由を稜子はこう説明した。
本当に風邪を引いた可能性もあるけれど、十中八九別の理由だろう。
「それも結構ひどいみたいだから、今年の練習はもう休むように言ったわ。
幸い何か急いでやらないといけないこともないものね」
「稜子嬢にしては寛大な判断だねえ」
「ここでちゃんと治して貰わないと、卒業ライブの時にぶり返して貰っても困るもの。
今が二月ならすぐに治して次の部活には来てもらうわ」
「それにしても、風邪ですか……
桜が昨日無理させ過ぎてしまいましたかね」
「それだけが理由ってわけじゃないんじゃないかしら」
心配している桜ちゃんの言葉にこちらの心が痛む。
たぶん表に出ていたらそれが表情に出ていただろうから、ユメが表に出てくれていて本当によかったと安心した。
「鼓の事も気になるでしょうけど、練習始めるわよ」
そうやっていつも通り練習が始まった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
何とか誰にも疑われた様子も無く練習が終わった。
そう思っていたのだけれど、ユメから俺に替わって音楽室に戻ると桜ちゃんが窓から外を見ていた。
俺が音楽室に入った事に気が付くと、桜ちゃんは俺の方を向いて口を開く。
その表情は何を考えているのか笑っているわけでも怒っているわけでもなく、戸惑ったような感じだった。
「遊馬先輩、お話良いですか?」
「鼓ちゃんについて……だろ?」
何となくそんな予感がして口にすると、桜ちゃんは一瞬キョトンとして、それからいつもの悪戯っぽい笑顔を作った。
「そうです。酷いみたいですから一緒にお見舞いに行きませんか?」
「お、俺は……」
想像していた言葉と違った事、それから違ったが故に答え難くなってしまった事で口ごもってしまう。
それと同時に桜ちゃんから視線をそらしてしまったのだが、桜ちゃんの言葉にもう一度そちらを向いた。
「冗談ですよ。
遊馬先輩、つつみんに告白されたんですね」
「それは……」
「それで断ったんですよね」
桜ちゃんの顔はもう笑っていなくて、その無表情からは何も読み取ることが出来なかった。
ただ、こうやってバシバシと痛い所をついてくるのはとても桜ちゃんらしい気がして、こちらもバシッと返そうと言う気になった。
「ああ、俺は桜ちゃんの友達の鼓ちゃんを振ったよ。
だから桜ちゃんに何を……」
「やっぱりそうでしたか。つつみん、ちょっと焦っている感じでしたからね。
でも、そうしてくれて良かったです」
言われても良い。そう言おうと思ったのに、桜ちゃんは俺の言葉を遮って笑顔を見せた。
それがあまりにも予想外で、一応俺だって並々ならぬ決心をして言葉にしたのにそれが無駄になったような気がしたので思わず口を開く。
「いや、もっとほかに何かあるだろ?」
「「何でつつみん振ったんですか、可哀想じゃないですか」とか言われたいんですか?
度々思っていましたが実は遊馬先輩ってどエムですよね」
「言われたいわけでも、エムなわけでも……」
「エムじゃなくてドエムです。
そんな冗談は置いておいて、言われたかったのは本当じゃないですか?
誰かに責めて貰った方が一人で悩むよりも楽になる場合ってありますから」
諭すような桜ちゃんの言葉に、もしかしたらそうだったのかもしれないと納得する。
無意識のうちにそんな風に思っていたのかもしれないと。
俺が何も言わないままで居ても桜ちゃんは構わず続ける。
「でも、今回の場合遊馬先輩が思い悩む必要はないと思うんですよ。
いえ、もしもつつみんの事を思うのであれば思い悩んじゃ駄目です」
「どういう事なんだ?」
「自分のせいで先輩が悩んでほしくないと思うような子ですから」
「そうだな」
「それに先輩達と音楽は続けていきたいでしょうからね。
一つのタイミングとして、自分の思いを告げるのに良かったんでしょう。
ちょうど年末ですから」
それで、さっきのユメの言葉の意味が分かったような気がした。
気持ちの切り替えをしやすい年末だからこそ、鼓ちゃんも踏み切ったのかもしれない。
「俺が言って良いのかわからないんだが、そうだとすると、鼓ちゃんとしても振られるのを分かったうえで告白したって事にならないか?」
「たぶん、そうでしょうね。桜もつつみんが告白しても振られるだろうなって思っていましたし。
あんなにつつみんがアピールしていても遊馬先輩全く気付く気配が無かったですからね。
だから最初に良かったって言ったんです」
あんなにアピール、の所を聞いて思わずうぐっと言葉を失う。
でも、聞かないわけにはいかないので口を開いた。
「それで、なんで良かったになるんだ?」
「中途半端な気持ちで付き合って貰ってもつつみんが傷つくだけですから。
あげて落とすのが一番ひどいと桜は思いますからね。
もしもつつみんが、今まで通りでいて欲しい、みたいなことを言っていたとするなら遊馬先輩の返答は間違っていなかったって事ですよ」
「本当に遊馬先輩も面倒なんですから」と桜ちゃんはぼやいていたけど、そんな面倒な先輩の面倒を見ている辺り、桜ちゃんは面倒な事が好きなんじゃないかと思わず笑ってしまう。
「何笑っているんですか」
「いや、別に何でもないよ」
「まあ、別にいいですけど、大変なのはこれからですよ?」
「うん。分かってる」
俺がそう言うと桜ちゃんは「それじゃあ、桜はつつみんの所に寄ってから帰りますね」と言って音楽室を出て行った。
『それじゃあ、わたし達も帰ろうか』
「そうだな、帰るか」
桜ちゃんを見送った後、行きよりもさらに前向きな気持ちで帰路に着くことが出来た。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
年を跨いで一月二日夜。
十二月二十五日の練習以降やっぱり鼓ちゃんは部活に来なかったけれど、俺もユメも出来るだけいつものように過ごしていた。
去年最後の部活の後は特に誰とも会うことはなく、そう言えば桜ちゃんに手元を見ずに書くというあれを年末までは続けろと言われていたことを思い出して何枚も紙を無駄にしていた。
それだとどうしてもユメが表に出る時間が無いと言う事でカラオケにも行ってはいたけれど。
そんな事もあっての今日、俺の携帯がヴーヴーと鳴き声を上げていた。
『メール……鼓ちゃんからだね』
「一斉送信で軽音楽部全員に送られているみたいだけどな」
ユメと言葉を交わして本文に目を移す。
それを要約すると、年末に休んでしまった事への謝罪と明日初詣に行かないかと言う事。
特に予定もないし、迷うこともないだろうと行く事を了承するメールを送る。
その時にユメと相談することはなかったのだけれど、ユメも特に何も言わなかった。
そして翌日。寒いのでコートを着込んで、白い息を吐きながら玄関を出る。
指定された神社は駅の近くにある、あまり有名とは言えない所。
それでもこの時期になるとそれなりに人がいるようで、合流できるか少し不安になりながら待ち合わせ場所に向かった。
幸い合流に手間取る事は無く、俺がたどり着いた時にはもう全員が揃っていた。
初めコートやマフラー何かでもこもこになっている鼓ちゃんを見た時、ちくりと胸のあたりに痛みが刺したが「あけましておめでとうございます。これで全員そろいましたね」といつもと変わらない笑顔を鼓ちゃんが見せてくれたので「あけましておめでとう」と普通に返すことが出来た。
それから皆で手を清めてお賽銭を投げて手を合わせて。
定番とばかりにおみくじをひいたら綺歩が大吉で『願い:すぐに叶う』と書いてあったので桜ちゃんが「桜のと変えてくれませんか?」と小吉のおみくじを差し出していた。
それに対して綺歩が「いいよ」と言いかけた後に「やっぱりダメ」と言ったのが変に印象に残った。
それも終わって、鳥居をくぐった先で桜ちゃんが口を開く。
「初詣って意外とやる事ないんですね」
「時間がかからないって意味だとそうかもね」
桜ちゃんの言葉に綺歩が返した所で、おずおずと鼓ちゃんが口を開いた。
「あの、年末にご迷惑をかけてしまったので今日はクッキー作って来たんです。
よかったら貰ってください」
そう言って可愛くラッピングしてあるクッキーを鼓ちゃんが皆に配る。
俺に渡す時には何に対してか「ありがとうございました」とお礼を言われてしまったのだけれど、皆に分け隔てなくクッキーを渡す鼓ちゃんを見ていると、どういうわけか少しだけ寂しくなってしまった。
もちろん、そんな事を言う権利など俺にはないのだけれど、どうやらユメは俺の気持ちに気が付いてしまったらしく『後悔してるの?』と尋ねてくる。
俺は声には出さずに首を横に振ると、クッキー一つ取り出して口に放り込んだ。
「美味しいな」
素直に漏れた声を鼓ちゃんに訊かれていたらしく、嬉しそうに笑う鼓ちゃんを見ながら、やっぱり寂しいなと思ってしまった。