Lv110
気が付けばクリスマスパーティと言うよりも、楽器を教え合う交流会になってしまったままどれくらいになっただろうか。
俺達もたまにボーカルしてくれと呼ばれたので――そのたびにユメに替わってはいたけれど――全く何もしていなかったわけではないが、自由に楽器を触る皆を眺めている時間が長かった。
それはそれで十分に楽しかったので良いとして、もうすぐ十八時と言ったところで桜ちゃんが「それじゃあ、今日は此処でお開きにします」と手を叩いた。
「あら、もうそんな時間かしら?」
「十八時半までしか借りていませんからね。そろそろ片づけをしないといけないです」
「本当に楽しい時間はあっという間だよね」
「わたしも楽しかったよ。今日は呼んでくれてありがとう」
口々にそんな事を言う中、俺は一誠の方を向いて声に出さないように「サンキュー」と口パクする。
ちゃんと通じたのか通じなかったのかは分からないが、その返しに恐らく「ユメユメに言って欲しかった」と口パクしてきたのでたぶん通じたのだろう。
それを見た瞬間、今日はもうユメには替わるまいと心に決めた。
それからはひとまず全員で後片付け。
食べ物に関しては殆ど食べてしまっていたのでお菓子の袋等々をごみ袋に入れて持ち帰られるようにして、飾りももったいないと思いつつすべてはずし大体は捨てる。
クリスマスツリーとキーボード、ドラムはこのスタジオのものらしくそのままでいいとの事なのでそのままにしておいて、最後に自分たちが帰る準備を始めた。
気が付けば桜ちゃんは制服姿に戻っていて、その手には学校に持ってきていたカバンを持ちギターケース三つとベースケースを肩にかけている。
それがどう見ても危なっかしくて、その肩からひょいと二つケースを強奪した。
「遊馬先輩持ってくれるんですか?
やっと桜の魅力に気が付いてくれたんですね」
「気が付いたのは桜ちゃんが大変そうだって事だけだな」
「つれないですね。一人でも大丈夫ですが、助かります。
とは言えですよ、桜の家って先輩の家とはだいぶ方角違いますが大丈夫ですか?」
拒否されても持っていくつもりではあったけれど、あっさり? 折れてくれて正直助かった。
パーティの手配から準備までして貰っておいて何もしないと言うのは少々気後れしてしまいそうだし。
「ここから一時間とかかかるわけじゃないだろ?」
「そうですね。そこまで遠くはないです」
「じゃあ、大丈夫だろ。
そんな訳で綺歩。悪いが妹達を頼む」
「うん、わかった。あんまり寄り道しちゃだめだよ?」
まだ十八時を回って少しと言ったところだが、時期的に外は暗くなっているだろうと言う事で綺歩に妹達の事を頼むと、まるで子供に言いつけるかのようにそんな事を返されてしまった。
「いつの間にか俺の保護者になっていたんだな」
「うーん……保護者かあ……保護者ねえ……」
俺の言葉に綺歩がそうやって何やら考え始めてしまう。
俺としてはもっと軽い感じで冗談めかしく返してくれるんじゃないかと思っていたのだけれど、なかなかどうしてこちらまで困ってしまうので、妹達に助けを求めようと綺歩の後ろに居た二人の方に視線を向ける。
しかし、二人とも首を振るばかりで、しかも諦めたような何か残念なものを見るかのように笑っていた。
それがどうしてなのかは分からなかったけれど、すぐに藍が「それじゃあ、お先に失礼しますね」と綺歩を引っ張って行ってくれたので、良かったと言うことにしておこう。
「遊馬先輩も本当、大概ですよね」
「ああ、大概だねえ」
「何か文句あるのか? 喧嘩なら売ってやるが?」
「そこは買うだと思うんだけどねえ」
「何が嬉しくてお前の喧嘩に金を払わないといけないんだ?」
「で、その定価は?」
「一九八。の所を今日は特別に二万で売ってやろう」
「じゃあ、買うのは止めとくかね」
綺歩と妹達を見送った後、桜ちゃんと一誠が何やらため息をついていたので、金もうけをしようと思ったのだが失敗してしまった。
まあ、最初から喧嘩などするつもりもないので別に良いのだけれど。
「遊馬はともかく、ただみんの荷物まだ重そうだねえ。オレも手伝お……」
「あ、それならあたしが持ちますよ」
一誠が言いかけた所で鼓ちゃんが間に入って桜ちゃんのギターと鞄を持つ。
「いえ、桜はだいじょう……」
「ほら、桜ちゃんは準備とか色々してくれたし、桜ちゃんとあたしの家お隣って程ではないですけど、それなりに近いですし。
遊馬先輩もいてくれるみたいなので安心ですし、御崎先輩は稜子先輩か舞さんを送ってあげてください」
珍しく必死にそう言う鼓ちゃんに圧倒されたのか桜ちゃんも一誠も思わずうなずく。
それを見計らったように舞が口を開いた。
「わたしは電車で帰るから一人で大丈夫だよ」
「じゃあ、御崎先輩は稜子先輩を送ってあげてください」
「仕方ないねえ。じゃあ、稜子嬢帰ろうかい」
「嫌よ。そんなわけで先に帰るわね」
本気かどうかわからないが間をあける事無く稜子はそう言うと、くるっと後ろを向いて逃げるようにこの場を後にする。
一誠は一度溜息をつくと、桜ちゃんの方を向いて何かアイコンタクトをした。
それから、頷くと「残念ながらそう言うわけにはいかないねい」と稜子を追いかける。
稜子と一誠の声は遠くなってしまったけれど「ああ、もう。わかったわよ」と最後に稜子の声が聞こえたから大丈夫だろう。
「それじゃあ、桜達も帰りましょうか」
「そうだな」
残った四人――ユメを含めるなら五人だが――もそうしてクリスマスパーティ会場を後にする。
スタジオを出てすぐの所で舞と別れ、桜ちゃんと鼓ちゃんの後を追うように歩いていた。
「鼓ちゃん。そう言えば、優希の事ありがとうな」
「あ、え。何のことですか?」
道すがら今日の事を思い出していてふと頭をよぎったので鼓ちゃんに声をかけたのだけれど、鼓ちゃんは合点がいかないらしく慌てたように首を傾げた。
声をかけた時に分かり易く体をピクッと跳ねさせたのが妙に小動物に見えて可愛かったのだけれど、今はそれを口にすべきではないことくらいわかるので鼓ちゃんが望んでいるだろう答えを返す。
「後半ずっと優希にギター教えてただろ?」
「ずっとってわけじゃないですよ。稜子先輩や綺歩先輩もたまに教えていましたし。
それに飲み込みも早かったので教えてて楽しかったです」
「それなら良かった」
まさか優希が迷惑をかけることはないだろうとは思っていたけれど、それを聞いてほっとする。
それから優希のギターについて聞いてみたい所ではあったけれど、それを兄である俺が聞くと変に気を遣わせてしまいそうな気がしたので、話題を変えることにした。
「桜ちゃんと鼓ちゃんって家近いんだな」
「えっと、本当は近くは無いんです」
「遠くないって感じじゃないですか?」
「そうなのか?」
「少なくとも遊馬先輩と綺歩先輩のようには近くないですよ」
「あたしの家から桜ちゃんの家まで歩いて十分とか十五分くらいだと思います」
「小学生だったらちょっと距離があるって感じだな。
そう言えば桜ちゃんの家を見るのって初めてだな」
あの桜ちゃんがどんな家に住んでいるのか何となく興味がある。
以前普通の家だと言っていたような気がするのだけれど、もしかしたら高そうなマンションだったり、俺の家の倍はありそうな家だったりするのではないだろうか。
「どんな予想しているのか何となく分かりますが、ごく普通の一般家庭だと思いますよ?」
「あたしの家と同じくらいだよね」
「鼓ちゃんは行ったことがあるんだな」
「何度か遊びにって感じですけどね。でも、桜ちゃんのへ……」
と鼓ちゃんがそこまで言ったところで桜ちゃんが鼓ちゃんの口をふさぐ。
俺がギターを二つ、鼓ちゃんがギターとカバンを持っているので今桜ちゃんが持っているのがベースだけだから出来た芸当であるが故に俺がギターを二本持ったことを少しだけ後悔した。
「まあ、そんなわけで桜の家は普通の家ですよ」
「そういう事にしておこうか。
それはそうとして、今回は桜ちゃんらしからぬイベントだったな」
「遊馬先輩は楽しくなかったですか?」
「いや、楽しかったよ」
俺の答えに不安そうだった桜ちゃんが表情を明るくする。
しかし、すぐに不満そうに口を尖らせてしまった。
「それなら何が駄目だって言うんですか?」
「別に駄目ってわけじゃないさ。結局今日まで桜ちゃんの思い通りに進んだんだろうなっていっそ清々しささえ覚える」
「クリスマスパーティかと思っていたら違っていて、でも本当はクリスマスパーティでしたもんね。
あたしも桜ちゃん凄いなって思ったよ?」
「まあ、そうなるように色々頑張りましたからね。
面白いように騙されてくれて、やった甲斐があったと思っていたんですが……」
そこまで言って桜ちゃんが納得がいかないような不満げな目で俺の方を見る。
「そんな顔されても困るんだが、今の状況が桜ちゃんらしくないなと思ってな。
いつもの桜ちゃんなら、無理なく楽器を持って帰ることが出来るような方法まで考えていそうなものなんだが」
「だから、一人で大丈夫だって言ったと思うんですが……まあ、言いたいことはわかりました」
桜ちゃんは諦めたように息を吐くと、そのまま続けて話す。
「単純にここまで気を配っている余裕が無かったんですよ。
実際桜一人で何とかなりますから、妥協案で今回は終わらせたんです。
それに今回は別件でより気を配っていないといけないことがありまして」
「何か悪いな」
本当は別件について聞きたかったけれど、流石にそれを聞く権利は俺にはないしそんな状況でクリスマスパーティを企画してくれたことは嬉しくもあり申し訳なくもある。
『そこは「ありがとう」の方がよかったんじゃないの?』
「そうだな。何かありがとう」
「「何か」ってちょっと引っかかりますが、桜がやりたかったことですからね。
楽しんでいただけたのなら何よりです」
そう言って笑った桜ちゃんの笑顔がいつも通りのようでいて、どこか悲しそうに見えた。
しかし「さて、つきましたよ」と桜ちゃんがすぐに別の方を向いてしまい一瞬しか見えなかったので俺の気のせいかもしれない。
俺の興味もすぐに桜ちゃんの家に向いてしまったし。
「普通だな。うちと同じくらいか」
「だから普通だって言ったじゃないですか」
「桜ちゃんの事だからここでも何かネタを仕込んでいるんじゃないかと」
「それは流石に桜を過信しすぎです。ネタのために引っ越すとかする気有りませんし」
「もう遊馬先輩は……」と言いながら見せた桜ちゃんの呆れ顔に悲しさは見受けられなかったのでやはりさっきのは気のせいだったのだろう。
「それじゃあ、この辺に置いておいてください。遊馬先輩を家の中に入れると両親がきっと面倒くさいので」
「ああ、わかった」
桜ちゃんの家の門の前。そう言われたので開かれた門の少し内側にギターを慎重に置く。
「つつみんも一緒に置いておいてください」
「手伝わなくて大丈夫?」
「ここまでで十分です。それに、遊馬先輩につつみんを送ってもらわないといけませんから」
「うん。じゃあ、桜ちゃんまたね」
「はい、また。遊馬先輩もまた練習で」
「それじゃあな」
手を振る桜ちゃんに背を向けて鼓ちゃんと歩き出す。
「ここから十五分くらいだったよな」
「そうですね。途中にある公園を抜けたすぐ先です。
駅の方に戻る時はその公園のすべり台がある通りをまっすぐ行けばつきますから、帰る時の目印にしてください」
「助かる」
そんなやり取りをして、鼓ちゃんの隣を黙々と歩いて行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ほとんど会話が無いまま十分ほど歩くと鼓ちゃんが言っていた通り公園が見えてきた。
ちょうど俺達がいる方から見て右側にすべり台があって、その近くに砂場があって、左奥に見える小さい建物はトイレなのだろうか。
左手前にはベンチがあってその隣、少し離れた所に自動販売機が置いてある。
公園全体は街灯で照らされ見通しが良く、俺がいる所からでも十分に誰もいないその公園を見渡すことが出来た。
その公園に入って少し歩いたところで鼓ちゃんが足を止める。
「折角のクリスマスイブですし、ちょっと話していきませんか?」
「やっと話してくれたな。ずっと何か話したそうにしてたけど」
「えっと……」
「そこのベンチに座ってからでもいいか? ついでに何か温かいものでも買おう」
「は、はい」
何やらいつもと挙動が違う鼓ちゃんをベンチに座らせ俺は自販機に向かった。
そして以前にもこんなことがあったなとふと思い出す。
その時一緒にいたのは鼓ちゃんではなく舞だったが、何だかある予感がしてしまった。
それに対して首を振り、自販機のレパートリーに目を向ける。
ミルクティーなるモノが目に入り、鼓ちゃんはこれで大丈夫だろうとそれのボタンを押す。
その缶を取り出し続いて自分のが押せないか、と思うより早くおつりが出てきた。
「連続で買うと危ないって言うのは分かるんだけどな」
『と言うか、取り出し口にも書いているのにね』
ユメの言葉に心の中で「だよな」と返しつつ、改めてお金を入れ直し温かいお茶のボタンを押した。
ベンチに戻ろうと踵を返すと、何やら鼓ちゃんがボーっとした顔をしていたので首筋の所にそっとミルクティーを当てる。
それに「ひゃ」と短い悲鳴を上げた鼓ちゃんに笑いながらミルクティーを渡すと「ありがとうございます」と素直に受け取ってくれた。
隣に座って一口お茶を飲んでから鼓ちゃんに声をかける。
「そう言えば桜ちゃんの家について鼓ちゃんが言いかけた事って何だったんだ?」
「あ、えっとですね。桜ちゃんの家って二階建てだったと思うんですけど」
「そうだな」
「その二階全部が桜ちゃんの部屋なんですよ。全部って言っても二階の方が小さい家だったので部屋が二つと収納スペースって感じでしたけど」
「贅沢だな」
『贅沢だね』
「そうですよね。でも、元々は物置にされていた場所を桜ちゃんが使うようになったってだけらしいです」
「桜ちゃんの事だから部屋の一つを防音室にしてそうだけどな」
「よくわかりますね。その時の費用は自分で出したらしいですよ」
「流石は桜ちゃんって所か」
正直思っていたよりもインパクトはなかったけれど、それは俺が勝手にハードルを上げていたせいで、一部屋自分で防音にしたって十分高校生らしからぬことじゃないかと一口お茶を飲んだ。
「あの、先輩」
桜ちゃんの家の話が終わって、しばらく沈黙していた鼓ちゃんが意を決したように真面目な声を出したので、俺も真面目に話を聞く姿勢になる。
ずっと話そうとしていたことを話してくれるのだろう。
「先輩と舞さんってお友達なんですか?」
どうして鼓ちゃんがそんな事を聞くのだろうか? そこで真っ先に思いついたのはやはりドリムとしての確執。
あの日の事もチラついたけど、鼓ちゃんがその事を知っているはずはないし、知っているならなおさらこの質問はおかしい。
「ああ「友達」だな。なんて言うんだろうな、もう敵意と言うかそう言う気持ちは微塵もない」
友達を強調して言うと鼓ちゃんは安心したような表情を見せた後、一瞬俯いてまた俺の方を見た。
「先輩は夏祭りの時の事覚えていますか?」
「俺をモノみたいに一人ずつ連れまわした日の事か」
「そう言うつもりの人はいなかったと思うんですけど……」
「分かってるよ。鼓ちゃんとは最後だったよな」
「綿あめ買ってあたしを子ども扱いしたんですよね」
「そのことについては許して貰えたんじゃなかったのか?」
「そうですね」
そう言って小さな花が咲いたような、その名前の通りタンポポのように明るい笑顔を鼓ちゃんが見せる。
和やかな雰囲気になって心の何処かで安心したのも束の間、鼓ちゃんがまた真剣な表情に戻る。
「それから花火が始まる時間になって慌てて集合場所に向かったんですよね」
「そうだったな。その時……」
鼓ちゃんが何か言いかけて、と言おうと思ったのだけれど、花火と言う言葉が頭の何処かに引っかかった。
その前に鼓ちゃんと花火の事を話していた気がする。どんな話だったのだろう。
「その時に花火に隠れてちゃんと言えなかった事、今日ちゃんと言いますね」
確か定番とも言えるそんなシーンの話。そう、告白の……
「先輩。あたし先輩が、先輩の事が好きです」
気が付けば分かり易い話。思い当たる節だってたくさんある。
言った直後はこちらを見ていた鼓ちゃんが祈るように目を閉じていた。
こんな時何といえばいいのか、何も言わない選択肢はない。待たせすぎる選択肢もない。
でも、鼓ちゃんを傷つけない選択肢も選べない。なぜなら……
「ごめん。他に好きな人がいるんだ」
「やっぱり、そうなんですね」
やっぱりとはどういう事なんだろう。聞きたいけれど声を出せない。
対して鼓ちゃんは笑っていた。泣かれるかと思っていたのに。
「これですっきりしました」
「鼓ちゃん?」
「分かっているつもりでしたけど、でも、泣いちゃいそうですね。
そしたら遊馬先輩が困っちゃうのに」
強がりな笑顔の鼓ちゃんに、泣けばいい、なんて俺からは言えなくて。
鼓ちゃんは涙を抑えるように早口で話す。
「でも今は泣きませんよ。明日から一週間くらいは先輩に会えないと思いますが。
先輩、約束覚えていますか?」
「約束……?」
「ずっと先輩で居てくれるって」
不安そうに鼓ちゃんが言ったところで思い出した。確かに大学祭の前そんな話を鼓ちゃんとした。
俺が引退しても鼓ちゃんが俺を先輩だと思ってくれている限り先輩でいるって。
「ああ、覚えてる」
「じゃあ、先輩はずっとあたしの先輩ですからね。勿論ユメ先輩も。
急によそよそしくなっちゃ嫌ですからね?」
「分かった」
俺がそう返すと、鼓ちゃんは安心したように笑って「それじゃあ、失礼します」と言うと入って来た方向とは逆の出入り口から公園を出て行ってしまった。
その後ろ姿を見送って、見えなくなったところで力が抜けてベンチに全体重を預ける。
色々な事が頭の中を巡っているような、むしろ何も考えられていないような妙な感じで居ると頭の中で『遊馬はやっぱり綺歩の事が』とユメの声が響いた。