Lv102
少しだけ日にちが過ぎて十七日の夜。つまり、クリスマスソングの歌詞の締め切り前日。
日曜日に俺が桜ちゃんに歌詞を渡してから三日が経ったわけだけれど、桜ちゃんに言われた通り雑談しながら文字を書く練習をしていた。
正直なところ文字を書くだけなら何とかなる。何とかなるが、その文字列に意味を持たせようとするとやはり難しい。
ただ、俺からすると今までと違って歌詞を考える事に追われなくて済むのでこちらに集中できる分幾らかはマシにはなった。
その練習の間ユメはユメで自分の担当している部分の歌詞を必死に考えている様子で、締め切り直前の今日になって入れ替わるように頼まれた。
「そう言えば部屋の中でこうやって入れ替わるのって久しぶりだよね」
『まあ、家の中じゃ入れ替わるタイミングとかそうそうないからな』
「家の中で前に入れ替わったのは優希とお風呂に入った時だったはずだけど、遊馬の部屋で遊馬の机に向かうって言うのは初めてかも」
『俺としては毎日交代して代わりに宿題とかやってくれると嬉しいんだが』
「それは嫌だな。それに結局表に出ていなくても視界には宿題しか映らないから、否応と頭は使うことになるんだよ」
『冗談は置いておいて、やるなら早く始めてくれないと明日学校だからな』
ユメもそれは承知しているだろうが、あえてそう言うとユメの視線が時計がある方を向いた。
時計が丁度机の真後ろにあるのでぐるりと後ろを向く形になるのだけれど、何でこんなところにあるのかはわからない。
それでも不便に思わないのは慣れのせいだろうか。
「今が九時半くらいだから後二時間半くらいにはどんな形でも終わるつもりだよ」
『それは助かる』
「大体十回くらい腕時計が振動するまでって事だから楽だよね」
『数え忘れそうだけどな』
巡先輩からもらった俺達専用の腕時計。入れ替わり三分前に一度振動するのでユメの言う通り振動してから歌ったとして十回歌うまでにユメが歌詞を書き終わることが出来れば日をまたぐことは無い。
余談だがこの腕時計、正直なところ腕時計としての役割は最近あまり果たせていない。
この部屋やリビングのように時計が置いてあれば腕時計よりも先にそちらに目を向けるので、学校なんかでもそちらを見るし休日に出かける時には携帯を開く。
そんなわけで腕時計だったものはただのタイマーと化してしまった。
「正の字を書いていくから大丈夫だよ」
『まあ、俺は無意識を意識することを頑張るよ』
「うん。頑張ってね」
ユメにそんな激励をされて、さて何を考えようかと考え始める。
その間にユメの手が何かを書き始めたのは分かったけれど、それ以上は理解しないように気を付ける。
気を付けると言っても実際問題意識したところでまだまだ全然わからないレベルだけれど。
そう言えば、正の字を書くとか言っていたけれど、書いているその正の字を見ることも難しいのではないのだろうか。それに十二分の間に正の字をどこまで書いたのかを作業しながら覚えていられるとも思えない。
まあ、別の紙に書いておいて例え正の字になっていなくても線が十本あれば十回歌ったって事で良いとは思うのだけれど。
ユメの方は「う~ん……」とか「違うな」とか「あー」とか「わー」とか言うだけで鼻歌すら歌わない。歌えばカウントがリセットされてしまうので仕方がないとも言えるが。
「遊馬曲かけても良い?」
『そっちの方がやり易いなら構わない』
「分かった。ありがとう」
いくらメロディを覚えているからと言ってもやっぱり実際に聞いたり歌ったりすると効率が変わってくるのは実体験済みだし、特にそれを咎めるつもりもないので快く了承する。
ほどなくしてユメが曲を流し始め、目を瞑ってその曲に耳を傾け始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
どれほどの時間が経ったかわからないが、すでにユメが何度も歌ってしまった頃、チラリとユメが机の上に視線を移した。
勿論そこに見えたのはユメの苦戦の足跡ではなくて恐らく「正」の字を書きたかったのだろうなと言う努力の見える紙。
ざっとその線を数えてみたけれど多分八本。おぼろげだがさっきユメが歌ったのはだいぶ前なので。
『後十五分くらいか。大丈夫か?』
「何とか終わりそう……かな。大体は決まったから後は上手くメロディに乗るような言い回しにするだけだから」
『それなら大丈夫そうだな』
そう返した所で腕時計が震え、ユメが九本目の線を紙に書きつける。
それから何を考えたのか新しく正の字を一と五分の四個書き直した。
その上に新しい紙を置いて視線を上にあげる。
その間俺は流れ続けている曲のサビに合わせて自分の書いた歌詞がちゃんとメロディに乗るかを頭の中で何度も検証していた。
この検証自体は今日この数時間の間に何度もしたけれど、上手くいったようないっていないような。そんな微妙な感じの結論しか俺にくれない。
作っているときはちゃんとできていた気がするのに、少し言葉のタイミングがずれると変な感じになってしまう。
明日になって桜ちゃんに「流石初めて書いたって感じですね」と言われるんじゃないかと冷や冷やし始めた所で腕時計が振るえた。
それと同時にユメが「終わった」と嬉しそうな声をあげて背伸びをする。
「遊馬ごめん、もう一回だけ歌って良い?」
『別にかまわないがどうしたんだ?』
「片付けくらい自分でしようかと思って」
『それなら任せた』
俺がそう返した所でユメが先ほどまで何度も流れていた曲とは別の曲を口ずさむ。
今日はもう聞くのも嫌になったんだなと内心笑ってしまった。
ユメはいつだが俺がした通りに片づけをはじめ、ほどなくして終える。
それからふと部屋にあった時計に目を向けた。
「あれ? もう十二時半?」
『本当だな』
「片付けにそこまで時間かかってないよね?」
『五分もかかってないだろ』
「そうだよね……数え間違えたかな……ごめんね」
『まあ、ユメも集中していたって事だろ。俺の時には二時までかかったわけだし、三十分くらい誤差の範囲じゃないか』
「うん。ありがとう」
『それよりも、今日はもう寝よう』
「そうだね」
そう言ってユメがベッドに向かって歩き出す。それからごろんとその上に横になった。
『ユメの状態で眠るって言うのも珍しいよな』
「そう言えばそうだね。自分のことながらちょっと違和感があるかも」
そう言ってユメがクスッと笑う。
『ユメで寝ても明日の朝には俺になっているんだよな』
「それも変な感じだよね。
ねえ、今日は遊馬が羊を数えてよ」
『却下』
何となく言われる気がしていたが、即座にそう返す。
するとユメが「わたしはやったのに、遊馬だけズルい」と抗議してきたので一度溜息をついて今からの行動が本意でない事を示してから『羊が……』と数えていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
次の日の昼休み、昼食もそこそこに桜ちゃんの言いつけ通りいそいそ要らない紙を机に取り出している所で桜ちゃんと鼓ちゃんがやって来た。
「こんにちは」
「今日もやってきましたよ」
如何にも来てやったとばかりに桜ちゃんは言うけれど、別に来てくれと頼んだ覚えはない。いや、クラスの他の連中はもしかしたら頼んでいるかもしれないが。
『遊馬、歌詞』
どうでも良い事を考えていると、ユメにそう言われて昨日のユメの努力の結晶を思い出した。
やってきた二人に軽く挨拶をした後で机に入れていたファイルからいそいそとA4サイズの紙を半分に折ったものを取り出す。
「桜ちゃん、ギリギリになったけどユメの分」
「おー、ちゃんとやってきてくれたんですね」
『もしかして、わたし信用されていなかった?』
「信用されてなかったのか?」
「そんな事は無いですが、初めての作詞ですからもしかするかもなくらいには思っていました。でも、どうせその場合一番困るのはユメ先輩になると思いますし、自業自得なんですけどね」
「それってどういう事だ?」
自業自得と言う桜ちゃんの言葉が気になって尋ねてみると、桜ちゃんは何故か一誠と顔を見合わせると「すぐにわかりますよ」と目を細めた。
それから桜ちゃんは視線を俺の手元の方へと移動させて口を開いた。
「それよりも、ちゃんと練習してくれているみたいですね」
「脅されたからな」
「桜ちゃん何かしたの?」
俺の言葉選びが悪かったのか、鼓ちゃんが少し怒ったように桜ちゃんに詰め寄る。
いや、俺の言葉選びは全くもって正しかった自信はあるが、鼓ちゃんと桜ちゃんがこんな事で喧嘩になってしまうのは決してうれしい事ではないので慌ててフォローを入れることにした。
「いや、桜ちゃんも俺のためを思ってこれを続けろって言ってくれているんだろうから、脅しって言ってもお遊びみたいなものだよ」
「そうなんですか?」
「だから、軽く流してくれた方が俺としては助かるな」
「ごめんね、桜ちゃん。疑って」
しゅんとしてしまった鼓ちゃんは桜ちゃんにそう言ったが、桜ちゃんははじめ少しバツの悪そうな顔をしていた。
しかし、すぐにいつもの調子に戻って「全く、つつみんもこういう事になると必死ですね」とからかうように笑った。
こういう事ってどういう事なのだろうかと思っていると、鼓ちゃんが慌てたように「別に必死には……」と抗議をする。
そんな鼓ちゃんを見ていると下手に訊かない方がいいかと思い、話を変える為口を開いた。
「まあ、ともかく。練習はするけど今まで程力を入れて取り組むかと言われたらちょっとわからないな」
「良いですよ。それくらいで」
流石に暇さえあれば練習って言うのに疲れたので話を変えるついでにそう言ってみるだけ言ってみたつもりだったのだけれど、案外桜ちゃんが簡単に折れてくれたので驚いた。
桜ちゃんがそう言うのなら、多少楽をしてやろうかと、そう思った所で軽快な音楽がスピーカーから流れだす。
楽をするのだから別にこの放送を聞くぐらい良いだろうとシャープペンシルを机に置いてから耳を傾ける。
初めは放送が始まった事を知らせるかのように大きめに、やがて小さくなった音楽にかぶせるように赤井さんの声が聞こえてきた。
『皆さんこんにちは、十二月十八日木曜日お昼の放送の時間です。
今日から一週間は不肖赤井白が校内放送を担当させていただきます』
「一週間……って、そう言えばクリスマス特別放送をやるって言ってたっけか」
「よく覚えてましたね」
「まあ、初めて校内放送と言うものを意識した時に言われた事だったからな」
「じゃあ、遊馬は何か曲のリクエストをしたんだろうねえ」
「……いや。忘れてた」
歌詞の事やらなんやらと有ったせいか、そりゃあもう、すっかり忘れてしまっていた。
だから一誠と桜ちゃんに笑われたからと言って反論することも出来ない。
「そう言う一誠はしたんだろうな」
「勿論。桃色の君には色々世話になったからねい」
「桜もしましたよ」
一誠に問いかけたら桜ちゃんからも返ってきて、最後におずおずと鼓ちゃんが「あたしも……」と言い難そうに視線を横に逸らしながらも手をあげてはっきりと意思表示をした。
「どうやら仲間外れは俺達だけらしいな」
『しれっと仲間外れの中にわたしを入れないでほしいんだけど』
「でも、どっちかと言えばこちら側だろ?」
『否定はできないけど……』
赤井さんに悪いなとも思うし、何となく居心地も悪かったのでユメに話を振って俺の中でお茶を濁す。
「まあ、でも遊馬先輩の一票が無かったからと言って何か変わったかと言えばそうでもない数リクエストが来ていたらしいのでそこまで気にしなくていいと思いますけどね」
「それなら良かったんだが……
何で桜ちゃんがそんな事を知っているだ?」
「さあ、どうしてでしょう? それよりもクリスマス特別放送とやらに耳を傾けてあげませんか?」
桜ちゃんがそう言ってスピーカーを指さす。露骨に誤魔化されているのだけれど、問い詰めようと思えば放送が終わった後でも、部活の時でも時間はあると思うので今は誤魔化されて放送に耳を傾けることにした。
『今日の連絡はありません。
さて、今日から来週の終業式の日までクリスマス特別放送となります。
終業式までやるのかよとか思っているそこの貴方。終業式だからこそやるのです。
すでに許可は頂いていますからね。
では、この一週間何をするかと言いますと、この学校で有名な方々にいろいろお話を聞いて行こうかなと思っています。
憧れの先輩、身近なあの人、期待のルーキー、人気のあの先生等々もしかしたら思い当たる節があるかもしれません。
早速今日のゲストに登場してもらいたいところですが、その前に皆さんから頂いたリクエストの中から一曲聞いて貰おうと思います』
『それではどうぞ』と言う赤井さんの声を合図にこの時期になると必ずテレビで聞くようなクリスマスソングが流れ始めた。
歌が入り始めた所で、桜ちゃんから声をかけられる。
「遊馬先輩何か不満でもあるんですか?」
「いや、不満って程じゃないんだが。頑張って探すって言っていた割には毎年聞くようなクリスマスソングが来たなと」
「流石にこの一週間毎回探さないと無いようなマイナーな曲は流さないと思いますよ?
今日は初日でもありますし」
「それもそうか。あと、前にクリスマスまでの一週間って言っていたが、今日から一週間ってクリスマスイブだよな?
終業式も確かその日だったはずだし」
「それは今日を入れて一週間かどうかって言う問題と、クリスマスイブからクリスマスだと認識しているって問題があるんじゃないかい?」
「と言うか、遊馬先輩それって桜に対しても言ってますよね?」
「そんなつもりは無かったんだが、悪い」
話の種ってだけで本当はそこまで興味があるような内容の話でもなかったのだけれど、ちょっと考えなさ過ぎたなと、少しむくれてしまった桜ちゃんを見て反省する。
そう言えば桜ちゃんも歌詞の締切日である今日、十八日を指してクリスマスの一週間前って言っていたっけ。
話は一度そこで途切れ、曲もサビに差し掛かったところで鼓ちゃんが声を出した。
「そう言えば誰が呼ばれるんでしょうね」
「俺達が知っている人だと聞いていてより楽しいと思うんだけどな」
「そうですよね」
同じ学校の例えば全国大会常連の部活の部長とか、そんな人の話は面白いかもしれないけれど、知っている人の声がスピーカーから聞こえてくるとやっぱり俺の中での注目度は増す。
そうしている間に曲のボリュームが小さくなりもう一度赤井さんの声が聞こえてきた。
『では、今からゲストと色々話していきたいと思います。
今日のゲストは元生徒会長、三年生の千海秋葉さんです』
『こんにちは三年の千海秋葉です。今日はよろしくお願いします』
『はい、よろしくお願いします。
それにしても千海さんとこうして話すのは久しぶりですね』
『そうですね。文化祭のステージの上以来かしら』
早速知った人が登場して思わず言葉を失いかける。
だが、考えてみれば去年のコンテスト四位で、生徒会長だった秋葉会長ならば出ていてもおかしくもないか。
今はもう秋葉先輩なのだろうけれど。
『クリスマスゲスト、一番手と言う事でわたくしとしても一度お話したことのある方が良いと言う勝手な理由で選ばせて頂きました』
「そう言えば秋葉先輩、受験じゃなかったか?
センター試験はもう目の前だしここに出ている余裕があるとは思えないんだが……」
「秋ちゃんならとっくに合格していますよ。流石って感じですね」
俺の疑問にいち早く桜ちゃんが答えてくれた。そう言えば推薦で受かる気満々だったと言っていたような気がする。
「って事はわざと受験に関しては触れていないんだな」
「そうでしょうね。「受験は大丈夫ですか?」「もう受かりました」なんてやり取り今の三年生が聞いたらやる気が下がるかもしれませんし」
細かいところに気を配っているんだなと思いつつ、それだったら別に秋葉先輩をゲストに呼ばなくても良かったのではないかと思う。
でも赤井さんが最初は話したことがある人が良かったんだって言っていたか。
『むしろ私をこうやって呼んでくれたことは光栄です。
でも、もっと適任が居ると思うのよね』
『適任と申しますと?』
『元生徒会長様よりも有名な人……と言うか人達って簡単に思い浮かぶと思うのだけれど』
秋葉先輩よりも有名な人達……何となく嫌な予感がするのだけれど。
それにしても秋葉先輩の化けの皮が剥がれつつあるような気がする。最初は生徒会長モードだったのに。
まあ、生徒会長と言う役職から解放されたからそこまで気にしなくていいのだろうか。
『その辺はまだ言えませんが、今後に期待とだけ言っておきますね』
『それは楽しみね』
『さて、せっかくのクリスマス企画と言う事で千海先輩には今年のクリスマスについて聞いてみようと思います』
こうやって秋葉会長と赤井さんが話している所悪いのだけれど、さっきの嫌な予感が現実になりそうな気がしてきたので、今いる軽音楽部のメンバーの方を向く。
その視線に気が付いたのか、皆こちらを向いてはくれた。向いてはくれたが明らかに二人楽しそうな顔をしているのはどういうわけか。
「聞きたいことがあったんだが、聞かなくても分かった気がするな」
「あたしも何となく遊馬先輩が聞きたかったことと、その答えが分かった気がします」
やはり鼓ちゃんはこちら側だったかと安心したところで、訝しげに残りの二人を見た。
もう隠す気はありませんとばかりにニコニコしているので全く無意味な気はするのだけれど、一応聞いておくかと口を開く。
「もしかしなくても、これってそういう事だよな?」
「その辺りについては部活の時にちゃんとお話ししますよ」
そう言う桜ちゃんの言葉に溜息で返して再度放送に耳を傾けた。