Ⅳ. Six Black Roses (side: Ishlai)
第4話 「ブラック・ローズ6本」(side:イシュライ)
《ストーリー上、R15の暴力・流血、エロティックな表現、好ましくない言葉遣い、宗教的な描写などが一部含まれることがあります。と言っても、m+yの書くものなので大したことはないとは思いますが……念のため。これらが苦手な方はご注意下さいませ》
例えば、悪魔を線引きしたとしよう。
すると自ずから下位と高位に――細かく位分けすると一線じゃ収まらないが――分かれてくる。そして、その両者の「違い」。
魔力の強さ、結界の構築、擬態能力、知性、従属する者か、従属される者か……。
今回の相手は、間違いなく後者に入る。
あの後魔法陣と祭壇、ついでに加減を間違えて店のガラスをも破壊し、一応の結界の始末は終えたのだが……そこに僅かに残った魔力の残滓から構築者の気配を辿ろうとした矢先に、それは消失した。勘付かれた。
敵も馬鹿ではない。ある意味用心深く、計画的。何とも小賢しい。
イシュライもエクソシストではない。現時点でそれ以上の追跡は難しく、ひとまず打ち切らざるを得なかった。
そんな夜霧のように靄がかった苛立ちと、若干の二日酔い――チャンポンはあまりオススメ出来るものじゃない――を、うんと濃いブラックコーヒーと一緒に喉に流し込み、外側からは決して見えない体の内の、胃の腑の底に押し隠す。
そうしてまた、紙面に視線を戻した。
ちらと視界に映ったドアガラス越しの空は、呆れるくらいに澄み渡った、冬晴れの青天であった。
† Six Black Roses (side:Ishlai)
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怪物と戦う者は、その際自分が怪物にならぬように気をつけるがいい。
長い間、深淵をのぞきこんでいると、深淵もまた、君をのぞきこむ。
ニーチェ
他州や他国の新聞は、さながら戦場で功績を上げた軍人の胸元に輝く勲章にも似て、思わず嘆息を零したくなるような暗い記事でずらりと埋め尽くされている。
嘆かわしいことに、ゲートエンド紙の内容もそれと似たり寄ったりだ。「情報求む。行方不明者一覧」、「失踪中の白人男性の遺体発見。未だ頭部見つからず」、「連続殺人鬼――またしても女性の惨殺死体」……。
そんな暗澹とした文字の羅列を、凍った湖面の上を滑らかにすべるかの如く、イシュライは目を通していく。
元々“ゲートエンド”の町は、天使と悪魔の戦いの傷跡が残る地の一つでもある。まだこの世が3つの世界――天界、人間界、地獄――に隔てられる以前の、天地創造の時の話だ。
やがて紀元を重ね、大航海時代を経た19世紀になると、海を越えやって来た異国人により、原住民に取って代わる形で現在の南エリアにあたる地が開拓された。
その後、カトリック系のヨーロッパ移民も移り住むようになり、最終的に今の北エリアが構成された。それが今日の“ゲートエンド”の姿だ。
勿論、天使と悪魔の戦争やらの件は、表向きのゲートエンドの町史には一切記されてはいない。
そんな遥か昔の創世記の戦いの話など、歴史書ではなく神話の片隅に追いやられるのが関の山だろう。
兎にも角にも、そんな曰くつきの地だけあって、今尚この町は空間的に少々不安定で“歪み”も起こりやすい。
だが……それを差し引きしても、ここのところ悪魔の侵入が多い。何やらざわついている。
記事を見る限り、随分と物騒な事件も増えている。
これももしかすると、今回の敵と何らかの関係があるのだろうか。
イシュライは思慮を巡らせながら――ドアベルの音。来客とみたがつい後回しにしてしまう――指の間でペンダントの金貨をクルクルと転がす。
そうしながら、空いた方の手で次の新聞を引き寄せた。国は、ハンガリー。見出しは、「古城で猟奇殺人――女性の観光客グループ惨殺される」。
その時だ。
コツン、と。
ガラス質なその音が戒めるかのように、没頭するイシュライの思考を中断させた。
レジ台の真横に置いてある、ガリレオ温度計を模した“魔力計”。それが反応した音であった。
空間中の魔力を示す赤いガラス球と、霊力を示す青いガラス球。その2つが著しく浮き沈みをみせている。霊力の比重が、俄かに大きくなっているようなのだ。
イシュライは不審気に眉をひそめ、そっと紙面から顔を上げて今来た客を盗み見た。
若い女性だ。
否、女性と少女の狭間くらいか。頬の辺りにまだ幼さを残す、17、8くらいの。
一目目にして、「綺麗な子だな」と、イシュライは素直に感じた。普段イシュライが付き合う女性達とは真反対のタイプ、「清純」「可憐」「儚気で臆病」……まるで白鳥の湖の白鳥を思わせる、そんな雰囲気の少女ではあるのだが。
この町では珍しい、赤褐色の髪。
禁欲的な修道女を彷彿とさせるダークカラーの制服が、その艶やかな髪色や白い肌を一際映えさせている。
あの制服は見覚えがある。“聖ノース・パトリック女学校”のものだ。ゲートエンドでも指折りのお嬢様学校として巷では知られている。
お世辞にも治安が良いとは言えず、身元も定かではない者たちの雑多街であるこんな下町に、本来居るべきではない人物の筈なのだが……。
少女はこちらの眼差しには気付かず、所在無さげにクロスのペンダントに指をかけながら、ショーケースの中をじっと見つめていた。さながら、闇夜の中一番星を探そうとする子供のように。
珍しいタイプではあるが、目当ての花を探しに来ただけのただの客だろうか。
(それにしては――)
その横顔に不安と怯えの表情が滲み出ている。人間の感情、殊に恐怖の感情を読み取るのは得意である。
指癖を中断し、新聞を閉じて小脇に抱え直す合間に、ざっと一通りの観察を済ませたイシュライは少女の元へと歩み寄る。多少の警戒心を、完璧な営業スマイルで上書きしてみせてから。
「May I help you?(いらっしゃい)」
はっと少女が振り返り、イシュライと視線が交錯する。
「吸い込まれそうな」とはまさにこのことを言うのだろう、見事なサファイアブルーの瞳だ。
「ごめん、気付かなくて。プレゼントですか?」
「え? あ、いえ……」
「それじゃあ、ご自宅用に?」
「ええ、多分……」
「今の時季なら、ポインセチアが人気かな。あと飾るならブリザードフラワーとかも」
緊張しているのか、引っ込み思案なのか、口ごもって俯き加減になった少女に、イシュライはなるべく喋り易いように選択肢にも似た気さくな言葉を投げかける。
「クリスマスローズもありますよ。綺麗なのが入ったばかりで」
「薔薇が、欲しいんですけど……」
ようやく、少女がまともな自己主張を発した――どうやら、ただ花を買いに来ただけのようである。頭の中でブーケやバスケットタイプやらの花の組み合わせを考えながら、イシュライは微笑んだ。
「もちろん。何色にしましょう」
「ブラックローズ――」
「――――ブラックローズ、6本下さい」
笑顔さえ、忘れた。
予想だにしなかった言葉だったからだ。
『ブラック・ローズ6本』――イシュライのもう一つの顔、裏稼業への依頼の合言葉などが。
この少女の唇から。
それだけではない。
その言葉を発した以上、それは必然であった。
直後。
暗転し、明滅する室内。
呪文に喚び起こされ、少女の足下に三角形魔法陣が浮かび上がる。
それは青黒い影となって、卵から孵ったばかりの蜘蛛の子のようにざわざわと少女の体を這い上がる。
そして左胸、心臓へと集束し――
しかし。
「……っ!?」
青白い閃光。
影を拒むように、否、少女を守らんとするかのように爆ぜる。
刹那の間、眩んだ瞳を覆う瞼の裏で上がる、少女の小さな悲鳴。
次の瞬間見開いたイシュライの目前に在ったのは、粉々に砕かれたガラス片のように跡形もなく消散していく闇影であった。
それから――彼女の胸元のクロスのペンダントが宿した、神々しいまでの青の燐光。
それを覆い隠すように胸の前で指を組み、震えるか細い声で少女はイシュライを見上げた。
「いま、の……なに?」
答えられなかった。
思ってもいないことでもそれが己の利となるなら、相手が求めている言葉――リップサービスでも虚偽でも誰かへの讒言でも――何でも上手く口にしてみせる。
だがこの時ばかりは余りの驚きで、すぐに返答出来なかった。
張り詰めた沈黙の中、イシュライはようやく口を開く。
「キミ、一体……」
「ごめんなさい! やっぱり何でもありません! 失礼します!!」
「はぁ!?」
これは予想外の展開だった。
「え、待っ、ちょっと!!」
少女は猛獣に追われた白兎の如く、次の瞬間には踵を返して一目散に店から飛び出していた。その背中に慌てて呼び掛けたイシュライの声すらも、恐らく耳には入っていない。
鋳鉄のドアベルの音だけ。
閉まった扉の上で揺れるその清澄な音だけが、虚しく店内に残響している。
確か、シェイクスピアの、ハムレットの一節だったか。
たった今、そうイシュライの置かれたこの状況をこれ程までに如実に表してくれる言葉は、そうそうないものであろう。
――『そして残るは沈黙のみ』。
†
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
『ブラック・ローズ6本』。
それは、イシュライが裏稼業の依頼を引き受ける際の合言葉であるが、同時に、ある呪術を発動させる引き金となる呪文でもある。
何年か前、悪魔とマフィア絡みの仕事で、客、否、途中まで客だった者がイシュライを殺そうとしたことがあった。
報酬金惜しさか、何らかの口封じか、はたまた単なる心変わりか。
まあ、理由はこの際どうでもいい。
そいつには丁重に対応したし、知り合いの“呪術医”に記憶を綺麗さっぱり消させて、面倒事の芽も摘んでおいた。
もう過ぎた話である。
が、今後そういったことのないように創った呪術ではあった。
『ブラック・ローズ6本』の呪文と同時に、一般の人間には大凡分からないであろう、店内の其処此処に張り巡らされた術式が発動し、その言葉を発した依頼者に呪術がかかる。
その者が万が一、イシュライを裏切り危害を加えようとすれば、それは害悪となって当の本人にはね返る。
術を解けるのはイシュライのみ。
それは一種の保険であり、イシュライが引き受けるかどうかはまた別にして、これによってひとまず請負人と客との間に仮契約が交わされたことになるのだ。
ホントは、こういう陰鬱で姑息な技は好きじゃないんだが……。
けれど――あの子は、呪いを弾いた。
ハンターでもなければエクソシストでもない。ただの人間の少女が。
こんなのは初めてだ。
それに、あのクロスのペンダント。あの光。
一体、あれは……?
やはり、その時だ。
コツン、と。
ガラス質なその音がイシュライの思考を再び中断させる。
後方のレジ台を振り返れば、魔力計の中を水中花のように漂うガラス球が、また著しい傾きをみせていた。今度は、赤いガラス球――魔力の比重が俄かに大きくなっている。
ところがそれは、水面をなびかせた木枯らしの一風にも似て、またすぐに正常値に戻ってしまった。
イシュライは、スっと、冷たく目を細める。
確かに、一瞬ではあったが。
それを見逃すとでも?
すぐ近くを、悪魔の――悪魔と断定は出来ないかもしれないが、何か邪悪な気配が横切った。
これも今さっきの不思議な少女繋がりだろうか……?
イシュライは逡巡の後に、手早く身支度を整えて――足下に何かが落ちている。古めかしい聖書だ。さっきの子が落としていったのだろう。拾い上げる――店のドアを開けた。
施錠し、ドアプレートを些か手荒く“CLOSE”にひっくり返す。どこも店仕舞いには早すぎる時間帯と言えよう。
文句を言うようにプレートが揺り動くのを見届けることもなく、イシュライは足早にその場を後にしていた。
二日酔いなど端から無かったかのように、頭はすっかり冴えていた。
†
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ブラックローズ、ブラックローズ。
存在しない黒い薔薇。
花言葉は――
――憎しみ、恨み、束縛。
君を呪う。
永遠の死を。
貴方の全ては、私のもの。
格言はこちらのサイトから引用させて頂きました。
↓
『世界傑作格言集』
http://kakugen.aikotoba.jp/person.htm
こちらは「Six Black Roses」のイシュライ視点のお話です。やっとこさ主人公とヒロインに接点が出来ましたね;;おっそーーーい(笑)
そして、次話投稿に随分と間が空いてしまいすみませんでした。でも、次もまた結構間が空いてしまうかもしれません(;_;)が、温かくm+y、そしてこの物語を見守っていっていただければ幸いと存じますです。