Ⅳ. Six Black Roses (side: Decy)
第4話 「ブラック・ローズ6本」(side:ディシー)
《ストーリー上、R15の暴力・流血、エロティックな表現、好ましくない言葉遣い、宗教的な描写などが一部含まれることがあります。と言っても、m+yの書くものなので大したことはないとは思いますが……念のため。これらが苦手な方はご注意下さいませ》
あの後……どうやって家にまで戻ったのか。ディシーはほとんど覚えていなかった。
自分は、恐ろしい幻覚か、それか悪い夢でも見ていたのか。さもなれば、急に気が触れてしまったとでもいうのだろうか。
しかし、両肩にくっきりと残ったあの暴漢の手形の痣と鈍い痛みが、現実逃避という名の逃げ道を見出すことすら許してはくれなかった。
祖母の十字架のペンダントと聖書を、雷に怯える幼子が抱きしめるテディベアのようにぎゅっと胸に抱いて、ベッドの中で震えながらただただ夜の闇にディシーは耐えた。
もしかすると、またあの暴漢が、あの黒い空間がこの部屋に押し入って来て、そして今度こそ殺されてしまうのではないかとひたすらに怯えながら。
そんな半醒半睡の状態のまま――「明けない夜はない」と言ったどこかの誰かの言葉の通りに、待ち焦がれた救いの朝をようやく迎えたのであった。
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どうしよう。
何時も通り、学校に向かうべきか。
それとも昨夜の男が言っていた――もしかするとあの男も自分の幻覚の産物だったのかもしれないが――場所へ行ってみるべきか。
自宅を出てからずっと頭の中に浮かんでいる二つの選択肢の間を延々と行ったり来たりしながら、けれど日頃の習慣というものは恐ろしいもので、ディシーの足は無意識の内に学校の方向へと向いていた。
そうしてあの石畳の坂の通りに――昨夜のあの場所に差し掛かると、知らずディシーの身に静かな緊張が走った。胸元のペンダントを、神の加護を祈る信者のロザリオのように指で包んで、例のギフトショップの前を、俯き加減で出来るだけ足早に通り過ぎようとする。
すると、耳に入ってくる会話。
「酷いことするもんだねぇ」
「まったくだ。まあ、うちには大した物は置いてないから何も盗られなかったんだがね」
「かえって不気味じゃないかい」
店先で話し合う店主と思わしき老人と、真向かいのパン屋の店員だ。
「……? …………あ!」
どうしたのだろうか。つられてディシーが顔を上げると、無残にも割られたあのウィンドウガラスが目に飛び込んできた。
クリスマスツリーは土台から引っこ抜かれ、幹や枝の方々が折れている。
通り行く人々に心ばかりの目の楽しみを与えていたであろうカラフルなオーナメントや、キリストの置物や天使の飾りは、ツリーが倒された拍子に地面に落ち、さながら床にばらまいた食べかけのオートミールのように辺りに散乱している。
『コ゛ノ゛、小娘ガ、小賢シ゛イ゛真似ヲ゛……ッ』
『俺は気が長くないんだ。三秒やる。答えろ』
『悪魔に憑かれてんな、young lady(お嬢ちゃん)』
その暴力的な行いの痕跡にディシーは足を止め、思わず後退さっていた。
必死で記憶から排除しようとしていた昨夜の出来事が、否応なく脳裏に蘇る。
『忘れるなよ――ブラック・ローズ6本、だ』
気がつけばディシーは、まるで目には見えぬ運命の糸に手繰り寄せられるかのように、来た道を急いで引き返していた。
† Six Black Roses (side: Decy)
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人間は常に迷っている。迷っている間は常に何かを求めている。
ゲーテ――「ファウスト」より
サウスストリート22番地の、“ヴァレンチア”の店へ。
途中で止めたタクシーに乗り込みそう告げると、運転手はあけすけに怪訝の表情を浮かべた。
ここ北エリアと比べ、“ゲートエンド”の南エリアはあまり治安が良くない。その所為だろうか。それとも、ディシーの青褪めた相貌や酷く思い詰めた表情を目にした為だろうか。
それでも運転手は追及はせず己の職務を忠実に全うして彼女を目的地まで送り届け、そして己の職務を忠実に全うした後は、黒灰色の排気ガスを残して立ち所に走り去っていった。
大通りより奥まった位置にある通りの一つ。
そこがディシーの降り立った場所であった。
「サウス」と言えどノースエリアからそう離れていないことも幸いし、ディシーが想像しているような殺伐とした町並みではない。しかし、そこからたった一本裏の通りを覗けば、空気は一変して薄暗く淀み、どこか危険めいた不浄な雰囲気を放つのであった。
周囲を見渡す。だが、彼女が探している店らしきものは、ない。
あの銀の銃の男いわく、悪魔専門で引き受ける店だと言っていたが、そのような怪しい魔術的な店など、一向に見当たらない。くすんだ赤レンガのアパート、煙草のカートンケースが粗雑に積まれた雑貨店、小さな中華料理店……どれもありふれた店だ。
…………否、もしかすると、あれではないだろうか?
通りの角に佇む、小さな店。
庇部に取り付けられたデザインテントに、掠れて非常に読み辛くはなっているが、確かに「Valentia」と記されている。
だが、その隣に見える文字は――
「フラワー、ショップ……?」
――花屋。
ディシーは思わず、昨晩あの男から渡されたタロットカードを取り出していた。コートのポケットの奥底に封じ込めるかのように入れ込んでいたそれは、しかしどう見ても「サウスストリート22番地」「ヴァレンチア」と書かれてある。
これは、何かの間違いなのだろうか……。
破れた古地図を手に暗い森の中出口を探し求める旅人のように、手元のカードとその花屋を交互にじっと見つめながら、ディシーは店の前で逡巡する。どうしたらいいのだろう。
『今の嬢ちゃんにお誂え向きの所だ。悪魔専門の仕事を引き受けるヤツがいる』
『嬢ちゃんは明日にでもそこに行きな。早ければ早い程良い』
「…………よし」
ここでずっと迷っていても仕方がない。
ディシーは大きく深呼吸をし、暫し、否、かなりの時間を要して覚悟を決め、扉に手を伸ばした。
引けば鋳鉄のドアベルが清澄な音を奏でる。まるで、地上の人間たちに語りかける、天の御使いの声のように。
†
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白を基調とした小奇麗な店内の、瑞々しい芳香と鮮やかな色彩が織り成す小さな花園の様に、やはりここは花屋なのだと、改めてディシーは認識させられた。
そんな中をふわりと漂うコーヒーの匂いに鼻孔をくすぐられ、誘われるように縦長の店の奥を見遣る。
フラワーショーケースに半分隠れるようにして、レジ台がある。真後ろのリボン台から垂れるサテンリボンやラッピング紙に、半ば覆われてはいるが。
台上を所狭しと占領しているのは、各国の新聞やニュース雑誌の山。
そして、レジの真横を何故か陣取っている、赤と青のガラス球が浮かぶガリレオ温度計。それから、古めかしい天体運行儀のような物体。
花屋にしては些かな奇妙に感じられるそんな一空間に、店員と思しき人物が座っていた。
ディシーの存在に気づいていないのか、新聞を両面に広げて熱心に目を通している真っ最中で、顔は見えない。
その代わりに見えるもの。紙面に踊る、ゲートエンドの凄惨な事件の記事と、おどろおどろしい言葉の羅列――「情報求む。行方不明者一覧」、「失踪中の白人男性の遺体発見。未だ頭部見つからず」、「連続殺人鬼――またしても女性の惨殺死体」……。
顔を背けるように、ディシーはショーケースの方へと目線を移した。
ポインセチアの鉢、大輪の百合にクロッカス、青いカスミ草。それから、燃えるような赤、ロゼ、白、黄色……色とりどりの薔薇。まるで、思い思いに身を着飾らせた舞踏会の貴婦人たちのようだ。
しかし、そこにディシーの望むものはない。
昨夜ざっと調べただけの知識ではあるが、「黒い薔薇」という代物は厳密に言えば存在しない。薔薇に黒の色素は無いからだ。故に、「ブラックローズ」というのは、実際には極めて暗い濃赤色の薔薇のことを指している。
だが、そのような色の薔薇は、6本どころか1本たりとも見つけられなかった。
ここでは取り扱っていないのだろうか、でも昨夜の男は確かに――と、戸惑いからディシーは柳眉を下げる。胸元のクロスを指先でなぞる。
「May I help you?(いらっしゃい)」
と、若い男の声が降ってきた。
振り向けば、レジの奥にいた店の者が、いつの間にやらディシーの真隣にまでやって来ていた。ハンガリーの新聞を小脇に抱えて。見出しは、「古城で猟奇殺人――女性の観光客グループ惨殺される」。
「ごめん、気付かなくて」
友人がよく見ている、ファッション雑誌を華やかに飾るモデルが、表紙から抜け出してきたかのようであった。
長身に、高い鼻梁。
長めの灰金褐色の髪。日の昇る前の静かな朝空のような、ライトグレーの瞳。
繊細で優しげな目元に、けれどどこか少年のような人懐っこさを残した口元。
少し顔色が悪いように見えるのは、きっとライトの加減のせいだろう。
その姿を一目目にして、ディシーは素直に「綺麗だ」と感じた。それと同時に、何とも言えない気恥かしさが込み上げてくる。
「プレゼントですか?」
「え? あ、いえ……」
「それじゃあ、ご自宅用に?」
「ええ、多分……」
「今の時季なら、ポインセチアが人気かな。あと飾るならブリザードフラワーとかも」
もっとマシな受け答えが出来ただろうに。視線を頼りなく床下に沈ませ、口ごもってしまったディシーが喋りやすいよう、青年が助け舟を出してくれた。
その温容な笑顔と親しみやすい雰囲気に、ディシーは救われる。しかし……その奥に、どこか探るような、警戒めいた色と、薄い膜を張ったような言い知れぬ隔たりを感じるのは、自分の思い過ごしなのであろうか。
「クリスマスローズもありますよ。綺麗なのが入ったばかりで」
そうだ――薔薇。
「薔薇が、欲しいんですけど……」
青年がにっこりと微笑む。
「もちろん。どちらにしましょう」
「ブラックローズ――」
「――――ブラックローズ、6本下さい」
青年の顔から、その友好的な仮面が剥がれ落ちる。
その直後。
「……っ!?」
暗転し、明滅する室内。
突如としてディシーの足下に浮かび上がる、魔法陣のような紋様。
それは黒い影となって、蜘蛛の子のようにざわざわと不快にも体を這い上がる。
そしてディシーの左胸、心臓へと集束し――
しかし。
それを拒むように爆ぜる青白い閃光。
体の中を刹那に電流が走ったかと錯覚する程の衝撃に、小さな悲鳴が上がる。
その間に弾かれた黒影は、粉々にされたガラス片のように跡形もなく霧散し、消えていた。
「いま、の……なに?」
高鳴る胸を手で押さえ、何とか喉から絞り出したか細い声で、ディシーは答えを求めるかのように青年を見上げた。
応答はない。
青年は両眼を見開き、驚いたような、不審がるような表情をただ浮かべるだけ。まるで、残飯を混ぜたライスプディングを口に含んでしまった時のような。
「キミ、一体……」
張り詰めた沈黙の中、青年がようやく口を開く。
「ごめんなさい! やっぱり何でもありません!」
その続きを聞き届けることは出来なかった。
「失礼します!!」
ディシーはその場から逃げるように、一目散に店から飛び出していた。その背中を慌てて呼び止める声すら耳に入らぬままに。
途端に怖くなったのだ。今さっきのは何だったのかと。
居た堪れなくなったのだ。自分はまた変な幻覚でも見たのか、頭のおかしな人間に思われたのではないかと。
羞恥心に襲われたのだ。悪魔退治の店も「ブラックローズ6本」も、そんな信憑性の無いものをすっかり信じ切っていたことに。
そうして、走って。
とにかく走って。
何処に向かっているのかも分からぬまま、ただあの場から少しでも遠ざかりたい一心で走り続けて。
――ディシー
その時、誰かが少女を呼んだ。
†
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ブラックローズ、ブラックローズ。
存在しない黒い薔薇。
花言葉は――
――憎しみ、恨み、束縛。
君を呪う。
永遠の死を。
貴方の全ては、私のもの。
《格言はこちらを参照させて頂きました。
↓
「世界傑作格言集」
http://kakugen.aikotoba.jp/person.htm》
伏線をしくのも、回収するのも忘れそうです(笑)
ちなみに、イシュライは表面的にはフレンドリーでオープンだけど、その実他人に心を開いていないタイプ。
ディシーは内気で臆病な子だけど、その実意外と洞察力が鋭いタイプです。
面倒くせーなーお前ら←