Ⅱ. How Are You Doing, Young Lady?
第2話 「調子はどうだい、お嬢ちゃん?」
《ストーリー上、R15の暴力・流血、エロティックな表現、好ましくない言葉遣い、宗教的な描写などが一部含まれることがあります。と言っても、m+yの書くものなので大したことはないとは思いますが……念のため。これらが苦手な方はご注意下さいませ》
闇を閉じ込めたかのようなこの黒い空間に、役者は、二人。
狩る者と、狩られる者。
無残にも体が焼け爛れた半狂乱の暴漢と、哀れな生贄の子羊にも似た絶体絶命下の少女。
追い詰め、追い詰められ、差し向かう両者。
「来な。冴えねぇテメェとのデートなら俺が付き合ってやる。楽しもうぜ――」
そこに突如として登場した男――悪趣味な脚本家が書き下ろした当初の台本にはいない筈の、新たな役者が一人。
この謎の役回りの男は、サングラスのレンズに敵を捉え、口の片端を挑発的にニヤリと持ち上げながら、白銀の大型拳銃を敵に翳す。
「――you, fucking demon(悪魔野郎)」
紳士淑女の皆々様。
第二幕の幕開けを、さあ、どうぞ御覧じあれ。
† How Are You Doing, Young Lady?
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何かの間違いはあるかもしれないが、別に気は狂っちゃいないさ。
シェイクスピア――「リア王」より
その時が初めてであった。
黒焦げの表皮から火脹れしたグロテスクな肉を剥き出しにしながらも尚、不気味な頬笑を貼り付けたままであった暴漢の顔から、笑みがはがれ落ちたのは。
そこに浮かぶのは、殺意、憎悪、怨嗟、苦痛……。最早人の表情と呼ぶことすら躊躇われるような悪相。ドロドロとした深沼のような負の感情の集合体。その何と醜いことか!
黒漆喰を塗り固めたかの如き眼球には、血紅色の虹彩がギラついている。
獲物との距離を測るかのように、首を左右に歪に捻りながら、銃の男を睨めつける。
『――Huuuunteeeer――――Ooooooraclllleeee――』
ねっとりと絡みつくように母音を伸ばし、肉食獣を彷彿とさせる低い唸り声をこもらせて、暴漢は声帯から人ならざる声を囁き出した。
「Hunter」と「Oracle」という単語を、ディシーも辛うじて聞き取ることは出来た。だが、今の混乱した頭では音と意味を繋ぎ合わせることまでは出来ない。
「…………っ?!」
悲鳴を上げる暇もない。
刹那。
ディシーの視界一杯に広がる、大きく裂けた、真っ赤な口。
隙間なく生え揃ったノコギリ歯のような牙。
その奥にもさらに、歯牙の段層が螺旋状に幾重にも生えているのが見える。口蓋の奥深くまで。奈落の底へ誘うように。
――暴漢が、突然ディシーに襲いかかって来たのだ。
新たな敵よりも、本来の標的を仕留めることを選んだ。
針地獄のように一面びっしりと牙で埋め尽くされた口腔が、ディシーの眼前に迫る。
さながら刃の連なった破砕機だ。飲み込まれ、ズタズタに切り刻まれ、肉片すら残さずすり潰される。
それを阻む――乾いた重低音――銃声。
ディシーの眼界から掻き消える、暴漢の姿。
両腕で身を庇うどころかまばたき一つすら出来なかったディシーの瞳は、その光景の一部始終を映していた。
硬いアーミーブーツの音が近づいてくる。
「デートは俺とだって言っただろうが。殺る相手を間違うんじゃねぇ」
例の男が銃口から、葉巻の煙のように棚引く発砲煙を引き連れて、こちらへとやって来ていた。銃を撃ったのは、この男か。
アレは――?
視線を走らせる。
獣のような唸り声。
――――いた。
男の銃撃から逃れ――狭い車道を挟んだ向かいの歩道――街灯の天辺へと。
オールドイングリッシュのアンティークな街路灯のポールにへばり付き威嚇するその姿は、どこか灯具を覆う不気味なガーゴイルのオブジェを連想させた。
こちらからあそこまで、その距離ざっと10メートル。
それにあの高さ。
これらを物ともせず、暴漢は一足飛びに移動してみせた。人間の為せる業ではない。
しかし、謎の男は、「案外すばしっこいな」と全く動じず、むしろ面倒そうに一言漏らしただけ。
間髪入れず、リボルバーを放つ。
立て続けに二発。
クロスと兵士の認識票という、崇高さと無骨さが同期した銃のアクセサリーチェーンが鈍い銀光の流線を描く。
だが、それよりも一瞬早く、敵はそこから飛び退いていた。
大きく跳躍し、ディシーのいる側へ――ギフトショップに隣接する、レンガ造りの小体の雑居ビルへ――大ヤモリのように、壁に貼り付く。
速い!
銃弾は、標的の無き街灯へと虚しく突き進む。
一発は灯具に命中し、電球の球殻を貫いた。
暴漢が、鑢で削ぎ落としたかのような荒々しい咆吼を上げて、その脚に力を込め――飛び掛かる。
牙を剥く相手は、己に害を成さんとするこの男か。あるいは、己が獲物の少女か。
『ギャアゥッ?!』
が、いずれも不可能であった。
暴漢は、まるでコンクリートに投げつけられた蛙のように、無様にも地に叩きつけられ、冷たく硬い石畳の上に、ディシーの目の前に転がり出てきた。
ディシーはひっ、と咽喉の奥で悲鳴を上げる。
だらりと長く垂れた赤黒い舌が覗く口は、陸に打ち上げられた酸欠の魚のように忙しなく開閉している。眼球の色がそのまま溶け出したのではないかと思えるような、黒い血の涙が目の縁から流れ出る。
その腹は見事なまでに抉られ、肉塊に惨たらしい風穴を空けていた。
だが、奇妙なことに鮮血は吹き出していない。内蔵物も、だ。
代わりに、粘ついた濃い黒染液にも似た、血と呼ぶべきなのかも不明な液体が、撃たれた傷口からジクジクと溢れ出していた。
…………撃たれた?
だってさっき……弾は外れた筈なのに?
ディシーに武器の知識はない。銃など手に取ったことすらない。
けれど、そんな彼女でも分かる。
瞬間的に十何メートルも移動した敵を撃つなんて、絶対不可能だ。追尾式でも何でもない弾丸の直線軌道を発砲後に変えるなんてことは。男が追撃した訳でもない。跳弾した気配もない。
ならば。
銃弾が意志を宿したかの如く、途中で軌道を変え、標的を追って曲がってみせたとでも……?
「正確には曲げたんだがな」
正解を導き出すよりも先に、ディシーの頭の中を覗き見でもしたかのように、男が答えた。「なかなかトリッキーな動きをしてくれやがる」
白銀の大型拳銃を掲げて、一つ肩を竦めてみせてから、男は身悶えている暴漢の元へ――あの状態でまだ生きていること自体がディシーには信じられなかった――歩みを向ける。
「まだくたばってなかったのか。案外タフだな……それとも俺の腕が鈍ったか?」
その姿には、コロシアムの勝者のような、弱者の上に君臨する強者のような、ある種の凄みと余裕があった。
それから、憤怒と激痛に瞳の色を燃え滾らせる暴漢の胸部を片足で踏み付け、厚いブーツの踵に体重を乗せて無遠慮に食い込ませた。ミシミシと骨の軋む音が聞こえてくるのではないかと思える位に。
「この“結界”は、まぁ、悪くねぇ。なかなか上出来だ。……テメェ程度が創れるモンじゃねぇ」
そして、暴漢の顔のど真ん中に銃口を突き付けた。引き金に節くれだった指をかける。
「裏で手引きしてるヤツがいるな」
質問ではない。断言だった。
――どいつだ?
――誰に喚ばれた?
――何企んでやがる?
男の端的な、けれど威圧感のある口調に、しかしながら暴漢は邪悪な哄笑を返すだけだった。何やら今まで耳にしたこともないような言葉を吐き出しながら。
男の質問に素直に答えているようには見えない。むしろ罵り、嘲り笑っているかのような。
男はやれやれと言わんばかりに大袈裟に溜息を吐く。
『×××××、×××××!』
「俺は気が長くないんだ。三秒やる。答えろ」
『×××××!』
「One」
『×××××!』
「Two」
『――答エ゛ル゛ト゛思ウ゛カ゛、you, fucking human(人間野郎)!!』
「I know(だろうな)――」
男は、引き金を引いた。
心臓を鷲掴みにするような銃声。
連続3発。
暗闇に発砲炎が鮮やかな火花のように散る。
そして、触れれば切れてしまいそうな程の――――静寂。
魂を吸い取られでもしたかのように、俄かにふっと体中の力が抜けて、ディシーはその場に蹲るようにずるずると崩れ落ちてしまった。体が震えている。
「――Three」
一拍遅れのカウントダウンが、無慈悲にも告げられた。
男の影から僅かに覗いた凄惨な銃殺死体は、熟れすぎて腐った果実のように首から上がグチャグチャに弾け飛び、真っ黒な汚らしい染みを作っていた。
恐怖と驚愕で飽和状態となったディシーを一笑するように、銃手によってシリンダーから排出された空薬莢の音だけが、無人の通りに響く。澄んだ、けれど恐ろしいくらいに冷たい音――血溜まりの広がる中に転がるのは、銀の銃弾だ。
ディシーとは対照的に、返り血を浴びるどころか顔色一つ変えもしない例の男が、その時、ゆっくりとこちらを振り返った。
息が止まる。
恐ろしかった。
あの暴漢も。
人間を何の躊躇いもなく手にかけられる、この男のことも。
男がディシーを見下ろした。大男の2メートル近くある身長と、今のディシーの体勢も相まって、まるで人食いの巨人に覗き込まれているかのような恐怖を覚えた。
不意に、男が口を開く。
「悪魔に憑かれてんな、young lady(お嬢ちゃん)」
心当たりはあるか?と問いかける男の質問に、たっぷり数十秒をかけ、硬直した舌を何とか解して紡がれたのは、結局返答ではなく問いかけであった。
「あ、なたは……だ、れ……?」
「どうせまた会うことになる。その時に紹介してもらえ」
「紹介って……誰に、ですか?」
男は口角を持ち上げてどこか悪戯じみた笑みをたたえると、ディシーにある物を差し出してきた。
訳も分からぬままに反射的に受け取れば、それは古びたタロットカードだった。
絵柄は、“魔術師”。
この男の意味することを察しかねて、ディシーは困惑に瞳の色を深めながら、何気なくカードを裏返す。すると、そこに殴り書きされた文字があることに気付く。
「『サウスストリート22番地』、『Valentia』……?」
「今の嬢ちゃんにお誂え向きの所だ。ああいったの専門の仕事を引き受けるヤツがいる」
そう言って、地面に転がる暴漢の死骸を顎で指し示す。
「……ああいった?」
「悪魔さ」
「あく、ま……?」
「そうだ。この場は後始末しておく。嬢ちゃんは明日にでもそこに行きな。早ければ早い程良い」
そう言って男は白銀の大型拳銃を華麗に回して腰元のホルスターに戻し、くるりと踵を返す。
「あ、あの!」
「忘れるなよ――」
「――『ブラック・ローズ6本』だ」
男は最早こちらを振り返ることもなく、そのまま通りを下っていく。用は一通り済んだというオーラをありありと滲ませて。男の広い背中が、次第に闇の中に遠ざかっていく。
力の入らない足を叱咤させ、気づけばディシーはその背に必死で追い縋ろうとしていた。
その時、世界が歪んだ。
黒の空間にガラスのように亀裂が入り、罅割れ、崩れ始める。
ぐにゃりと黒い空が割れ、インクを垂らしたかのように濃紺と混ざり合う。
街灯や、店先のウィンドウの灯りがチカチカと小さなスパークを上げる。
点いて消えて。
点いては消えて。
明滅。明滅。
暗転。
そしてそれらが完全に正常化した時――
――――世界が戻ってきた。
「………………え?」
先刻までディシーが居た通りだ。
空は夜を手招きするかのような濃紺色。
趣ある閑静な町並みと、石畳の下り坂。
個人経営の店ばかりが軒を連ねる店先はその多くが店仕舞いを始めており、まばらに開いている店からは温かな灯りが投じられている。
そこを足早に通り過ぎる、寒さに身を強ばらせた人々。中には、ギフトショップの店先で蹲っているディシーを、心配半分、不審半分で見遣る者もいる。
街時計の指し示す時刻は、18時丁度。
何もかもが、先程と同じだった。
何一つ“異変”は見当たらない。
慌てて辺りを見渡せど、あの銃の男の姿は何処にもなかった。
あの暴漢の死体も。
その血溜まりも。
一切の戦いの痕跡も。
あるのは、地上の穢れを洗い流そうとするかのように雨気を帯び始めた、みぞれ混じりの雪だけであった。
《格言はこちらを参照させて頂きました。
↓
「世界傑作格言集」
http://kakugen.aikotoba.jp/lie&true.htm》
暴漢、フルボッコ……いいこと一つもないじゃんアイツ!!
そして私なら一生涯トラウマ決定の出来事になりそうです……;;
第2話を読んで下さり、誠にありがとうございました!!また次話でお会いいたしましょう^^ノ