XIII. Get Stoned
第13話 「Get Stoned(=ドラッグによる欝状態)」
脈絡のない会話。
《ストーリー上、R15の暴力・流血、エロティックな表現、好ましくない言葉遣い、宗教的な描写などが一部含まれることがあります。と言っても、マイの書くものなので大したことはないとは思いますが……念のため。これらが苦手な方はご注意下さいませ》
「ま、まま、まだ、ででで出てってから30分も、たたたたってないんだぞ?」
「そうなんですけども……」
「かか仮にちょっと帰りが、おおお遅かったとしても……ほら! ゆゆ夕飯何するかももモメてるのかもしれない! はははハンバーガーとかピザとか、中華料理とか、めめタコスとか……。ち! ちち、ちなみに今のボクの気分は、スシ、なんだけどね」
「なら良いんですけど……」
「あー! で、でででも、イシュライは生魚食わないから、ききき却下されてるかな?」
「けど、さっきから変な胸騒ぎがして――」
「いや、かかカリフォルニアロールっていう、てて手がまだあるし……」
「――何だかとっても、心配……」
イシュライからの頼みは結局そっちのけのジャックの話に、熱心に耳を傾けていたディシー。
そんな彼女の胸の内に不意に影をさしたのは、言い表し難い胸騒ぎであった。明確な理由も無く、心の底に募っていく不安感。
それが余りに気がかりで、ディシーは地下の“暗い部屋”から、“アカシック・レコード店”へと上がってきていた。
先程から、ほんの数十分前に夕食を買いに出たばかりのイシュライとザイオンを、落ち着かない様子で待っている。ディシーの後を追って来たジャックの言葉にも珍しく生返事だ。
止められているので店の外にも不容易に出れず、ディシーは店内を行ったり来たりするより他なかった。
何やら、両の掌が無性に痛む。両手を祈るように胸元で組んで紛らわしている間に、今度は切ったかのように頬が疼いてきた。一体どうしたというのだろうか。
「だだだ大丈夫。そそ、その内戻ってくる、さ」
「……はい」
丁度その時。
ガラスドアが乱暴に開く。
帰還者を知らせるメロディチャイムが、ディシーの心境を茶化すように軽快に流れている。
「ほ、ほ、ほら! かか帰って来――」
「っ!? イシュライさん、ザイオンさん!?」
ディシーは思わず声を上げていた。
束の間の安堵も喜びも何処へやら、ディシーと、続いてジャックも慌ててそちらに駆け寄る。
ジャックの言った通り。イシュライもザイオンも確かに戻って来た――
「どうしたんですか、その怪我!? 」
――ただし、満身創痍の姿で。
これなら、夕食のメニューでモメていてくれた方がどんなに良かったことか!
ザイオンに半ば担がれる形になっているイシュライは、真っ黒な血液を浴びた身体の其処此処の傷口から、凝固しかけた当人の赤い血を滲ませている。幸いどれも致命傷ではないようだが、両手の出血が酷い。ぐったりとしており、灰金褐色の髪に隠れて俯いたその表情は窺い知れない。呼吸は不自然な位に深いものだった。
「Assault of devil.(悪魔だ)」
ザイオンのそのたった一言で、この状況に至った説明は十分である。
「い、いい“イデア界”を張ったのかい、イシュ、イシュライは!?」
一目見て、ジャックはディシーよりも更に多くの事を見て取ったらしい。突然の事態に青褪めるディシーに、とり急いで言葉が足される。
「“イデア界”は、ははは張った本人に、はは反動として、大きな負担が、がが、かかるんだ。こ、こここの程度なら、おおお恐らく限界まで張ってはないみたいだから、じじ直に回復する筈だよ」
「イデア界は予定外だったがな。敵がとんだアバズレだった所為だ」
「…………レディの、前、で……口汚い、言葉……使うんじゃ、な、い……」
イシュライのくぐもった声。ゼイ、と息が漏れる。
「喋れるくらい回復しやがったんなら、ダウンする前にさっさと風呂入って、その血生臭ぇ体洗い流して来い」
ピシャリと言い捨てるザイオン。
「アンタ、は、オレ、の、ママ、か、よ……」
「特別に上で休ませてはやるが、汚して回られるのは勘弁だからな」
そう憎まれ口を叩くザイオン自身も、頭から血を流している。しかし彼は、口の片端を上げてニヤリと不敵に笑うだけ。「舐めときゃ治る」、とでも言わんばかりに。
「マシになったら帰れよ? 野郎は泊めねぇからな。てめぇの家で好きなだけくたばってろ」
「……Fuck you.」
口汚いどうこう言っていたのは誰だったのか、そこだけは妙にクリアに発音して、イシュライは中指を突き立てる。
そして肩を貸りていたザイオンから離れ、フラフラと覚束無い足取りで歩き出した。まるで、墓から這い出して地上を徘徊するゾンビのような有様だ。向かう先は、エレベーターの真横にある階段。今にもグラリと倒れてしまいそうで、見ている側としては気が気ではない。
「イシュライさん、大丈夫――」
「平気だ」
イシュライに手を差し伸べようとするディシー。
だが、彼女を制する手が、そこにはあった。
力無くも阻むように突きつけられた、イシュライ本人の手。
「……汚れるから」
「そんな、こと……」
戸惑うディシーをその場に置いて、イシュライはそのまま上の階へと姿を消した。
†
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ドカリと、硬いアーミーブーツの足がレジ台の上に投げ出される。
それからボソリ、と一言。
「遅ぇ」
その発言者であるザイオンは、こちらが心配になる程に簡単な血止めだけを済ませると、後は彼の指定席のチャーチチェアに腰を下ろしていた。多少行儀悪くも黙々と行なっているのは、今夜の狩りの役目を果たした白銀の大型拳銃の手入れ。
これといった会話はない。
気まずい沈黙と、時折聞こえる銃を弄る作業の音だけ。
何故か礼儀正しく背筋を伸ばして横一列に並んでいたディシーとジャックは、その声に大袈裟なまでにビクリと反応した。
ザイオンは足を組み直し、顎で階上を指す。
「いつまで入ってやがんだ」
――イシュライの事を、言っていたらしい。
「水道代とガス代請求すんぞ!!」と叫べども、ザイオンの怒鳴り声に対しての上からの応答は…………皆無。
確かに、遅すぎるかもしれない……。
何かあったのだろうかと、不安気にディシーが思っていると。
「嬢ちゃん、上の様子見てきてくれねぇか?」
下されるザイオンからの指令。行ってこいと。
「はい!――」
反射的に生徒のお手本のような返事をして階段を駆け上がったディシーだったが、その中間辺りでおかしな取っ掛りを覚えて、ふと立ち止まる。
「――…………はい?」
「風呂場。ちょっくら覗いてきてくれ」
「………………わ、私がですかっ!?」
「Of course.(当たり前だ)ジャックが行くのは奴が嫌がるし、俺はご覧の通り負傷者だからな」
ザイオンは急遽「怪我人」のカテゴリーに入ったらしい。
何と悠々とした怪我人であろうか。
まるで犬をシッシッと追い払うように手で促すザイオンの有無を言わさぬ圧力と、イシュライを心配する気持ちとが後押しをして、ディシーは首を捻りながらも上へと向かうのであった。
アカシック・レコード店の上階はそのまま、ザイオンの自宅に繋がっているようだ。
ライトは点けられていない。そんな暗闇の中、暖かなオレンジ色の明かりが一つの扉から漏れ出ていた。ドアが微かに開いている。どうやらここが、浴室らしい。
その前で声を掛けてみる。返事は無い。
もう少し声を張ってみても、やはり同じ。
どうしようか、暫くの間、かなり真剣に悩む。
結局、シャワーカーテンがあるから大丈夫だろう、ドアを後ちょっとだけ開けて視線をそらしながらもう一度呼んでみようと半ば思い込ませるように決心する。意を決して、ディシーは扉をノックした。
ほんの少し押された事で生じたドアの隙間から覗くユニットバスの一室は、正面の鏡がぼんやりと曇っていた。シャワーの音はしない。蛇口から垂れる水滴の音だけ。ザイオンの言った事を律儀に聞いて、湯船に浸かっているのだろうか?
「……イシュライさん?」
視線を出来るだけ下に、濡れた床の一点を見つめながら恐る恐る呼びかけるも、答えは返ってこない。静寂のみ。
「ザイオンさん達も心配して――」
もしかして、悪魔との戦いで何かあったのだろうか?その何かの所為で、彼は酷く悩んだり思い詰めたりしていて、今は一人になりたいのだろ――
その時、目の端に映った光景。
それが視界に入った瞬間、遠慮も恥じらいも気遣いも、イシュライの裸身でさえも、ディシーの頭の中から吹き飛んでいた。
オープンにされたカーテンシャワー。
清潔な浴槽。
冷めてしまった湯船。
その底に沈む――完全に気を失った男。
溺れていた。
「………………ザ、ザイオンさああああんっ!! ジャックさああああんっ!! 早く、早く来てイシュライさんが――!!」
ディシーがちょっとしたパニックを起こしたのは言うまでもない。
†
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ディシーと、犬笛を吹かれたブルテリアのように駆けつけて来たジャックによって、溺死一歩手前のこの騒動は何とか事なきを得た。
それを尻目にザイオンは傍らでずっと爆笑しており、「き、君たち、そそそれでも友人かいっ!?」と、ジャックからいたく真っ当な指摘を受けていたりもした。
それもやっと一段落つき。
適当な借り物を着てひとまずディシーも直視出来る姿になったイシュライは、未だ立ち上がるレベルにまでも回復しておらず、リビングの寝椅子に横たわっている状態である。「風呂で溺れるなんて2才以来の醜態だ……」と、意識を取り戻して開口一番にぼやいてはいたが。
ちなみに彼の服をひとしきり飲み込んだ洗濯機兼乾燥機は、現在フル稼働中だ。
「イシュライさん、大丈夫ですか?」
おどおどと尋ねるディシーに、「YES」の代用で親指を立てるイシュライ。
悪魔の襲撃のダメージはまだまだ尾を引きそうだが、ひとまずは大事ないようである。
ディシーはほっと胸を撫で下ろす。だって……。
「良かったです、本当に。生きて無事に帰って来てくれて……」
――そう。それだけで、十分なのに。
「生きて、ね……」
イシュライは何を思ったのかポツリと声無く呟き、それ以上何も言わなかった。
ただ、無感情とも称すべき面持ちで、仄かなランプ光と月明かりに照らされた無機質なモルタルの天井をじっと凝視している。
辺りは静かだった。本当に、静かだった。
洗濯機の回る機械音だけが、時折素知らぬ顔でガタゴトと物音を立てる以外には。
気が付けばいつの間にか、ジャックもザイオンも部屋から居なくなっていた。
「温かい飲み物でも、もらってきましょうか……?」
居た堪れなくなって、ディシーは口を開く。
「飲める、まで、回復、してない、よ」
「……なら、毛布か何か借りてき――」
「ディシー」
踵を返そうとするディシーの言葉が、俄に遮られる。
誰に?――この空間に、ディシーを除けばそれは一人しかいない。
振り返ると、真っ直ぐな、けれど何かの感情をその奥底に沈めた瞳で、イシュライがこちらを見つめていた。交わるライトグレーと、サファイアブルーの視線。
「ディシー」
再度、名を呼ばれる。
まるで、祈るように。
悼むように。
贖うように。
「…………キミは――」
掠れた声で紡がれる問いは、たった一つだけ。
「――キミは、此処に、いるよな……?」
彼は今何を考え、何を感じ、何を想っているのだろうか――悲しいけれどディシーは全能でもなければ、ましてや神様でもない――分からなかった。
悪魔との戦いで、一体何があったのだろうか。
聞こうとして……だが結局、ディシーは口を噤んだ。
その代わりに、不可視の透明な壁が間にあるかのように無意識に開いていた、ぎこちない両者の離れた距離を自ら埋めて、ゆっくりとイシュライの側に歩み寄って行く。そうしてカウチの横に辿り着くと、神に祈りを捧げる無垢な信仰者のように、床に両膝をつく。
偽りのない誠の声で紡がれた答えも、たった一つだけ。
「……はい――」
そして、イシュライの傷だらけの手――先刻ディシーを拒絶した手だった。汚れているからと彼女に触れる事を躊躇った手だった――に、己の両手を包み込むようにそっと重ねる。
「――私はちゃんと、此処に居ますよ。そして、イシュライさんも……」
合わせたイシュライの手が、微かに、ほんの微かにディシーの手を握り返す。静かに瞼が伏せられた。
そうしてどれくらい経ったか。時間にすれば、きっと数秒にも満たない間の事なのだろう。
イシュライが瞳を開く。
そこにはもう、常時被っている仮面の下から僅かに露になった、あの憂いの色は消え失せていた。
「悪魔になんか殺させないさ。キミは――」
「――守る。何があっても」
† Get Stoned
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人間こそは笑い、また泣くところの唯一の動物である。
つまり人間こそ、あるがままの事実と、あるべきはずの事実との相違に心を打たれる唯一の動物であるからだ。
ウィリアム=ハズリット
「い!? 痛たたたたっ!? な、ななな何だい急に!?」
「いいから下りるぞ」
「耳! み、耳をひひひ引っ張らないでくれないか!?」
「だったらとっとと歩け。撤退だ」
「いい一体、ななな何だっていうんだい?」
「野暮ってもんだろ。今は二人きりにしてやれ」
「いいイシュライと、でででディシーを? “黒の一族”をかか介抱出来る、ち、ちちち大役が、せせせせっかく回ってきたのに!?」
「てめぇの出る幕はコンマ一秒たりともねぇよ。なんせ――」
「――今のあいつに必要なのは、あの嬢ちゃんみたいだからな」
格言はこちらのサイト様から引用させて頂いております。
《世界傑作格言集》 http://kakugen.aikotoba.jp/human.htm
リゲイアーとの一件(=タチアナが殺されていた)で、ディシーが「生きている」かちょっと不安になってその存在を確かめたかった、彼女の「死」を恐れた主人公。
※「イデア界」……イデア界はその反動も大きく、支配者に肉体面・精神面で莫大な負担がかかってしまう。その度合いは術者のキャパシティや精神力、イデア界の構築時間や規模にもよる。ちなみにイシュライは限界時間ギリギリまでやると、衰弱して何日も意識を失い寝込むことになる。人によっては最悪命に関わる場合も。