Ⅹ. What Alice Saw into the Rabbit Hole
第10話 「アリスがウサギの穴の下で見たモノとは」
《ストーリー上、R15の暴力・流血、エロティックな表現、好ましくない言葉遣い、宗教的な描写などが一部含まれることがあります。と言っても、マイの書くものなので大したことはないとは思いますが……念のため。これらが苦手な方はご注意下さいませ》
「ここ、ですか?」
「そう」
イシュライとディシー、そしてジャックの3人がその場所に着いたのは、真昼に差し掛かるか掛からないかの時刻であった。
南西エリアの、車道に面するとある通り上のとある店。太陽の下では更々働く気などないとでも言わんばかりに電飾がオフになっているネオンライトの看板には、こう記されてあった。
The Akashic Records
“アカシック・レコード店”、と。
見たところ、目当ての“暗い部屋”ではないように見える。ディシーは首を傾げた。ジャックはイシュライから借り受けた金貨に魅入られていて一向にお構いなしのようであったが。
連れて来た当人であるイシュライはと言えば、缶コーヒーを啜りながら先程から右手の腕時計をチラと気にしてウロウロとするばかりで、何やら入りがてな様子である。
「あの……イシュライさん?」
「んー?」
イシュライは飲み終わったコーヒー缶を、店前から少し離れた所にわざわざ横に寝かせた状態で置きながら返答する。随分と丁寧なポイ捨てだ。
「中に入らないんですか?」
「勿論入るさ――」
再びチラリと腕時計に目を遣る。
「――あと8秒後に」
「……?」
僅かな間。
ディシーが問いかけようと口を開きかけた――その時。
突如、ガラス張りのドアが叩き壊されそうな程の乱暴さで、店内から飛び出してきた人影一つ。
「……!?」
驚きに身をすくませるディシー。依然コインに釘付けのジャック。両腕を組んで静観するイシュライ。
その人物は全速力で駆け出し――踏む。
路上にイシュライが置きっぱなしにしていた、コーヒー缶を。
スニーカーの踵が乗っかったアルミ缶は転がり、あ、という間もなくそのまま引きずられて派手に転倒する。美しいと形容すべき半円上の軌跡を描いて。
ジャックがそれに巻き込まれる形になっていたが、コインを両手でしっかりホールドしているのは流石と言うべきなのだろうか。
目の前の道路を、大型のトラックが猛スピードで通り過ぎて行った。
「……だ、大丈夫ですか!?」
ディシーは慌てて二人の元に駆け寄る。
背中をアスファルトに強かに打ち付けて咳き込んでいるのは、薄汚れたキャップとくたびれたパーカーのフードで隠れてはいるものの、よく見ればまだ少年と言っても良い年齢の男性であった。しかし、ディシーが声をかける暇もなしに、少年は慌てふためきながら身を起こすや否や、脱兎の勢いで走り去って行ってしまう。
「……?」
転倒した拍子に落としたのだろうか。何かを路上に置き去りにしたままで。
「あの! これ忘れも………………きゃあっ?!」
慌ててそれを手に取ったディシーは、それが何なのかやっと分かり、目を瞑って悲鳴を上げていた――モザイクで隠される事もない豊満な肉体を、あられもないポーズで露わにした裸体の女性が表紙の――アダルトDVDだったのだ。
「あー、キミにはちょっと刺激的過ぎるよな」
すぐにイシュライが飛んできて真っ赤になっているディシーから問題の物を取り去る。そしてそれを、近くにあったダストボックスに放り込んだ。「我らを悪より救い給え、アーメン」と冗談で聖句を唱えてみせながら。ディシーもつられて胸元で十字を切る。
「Hey(おい)、知ってると思うがそれも店の商品なんだぜ」
突然、低い男の声が投げかけられた――ドアが開けっ放しになったままの、“アカシック・レコード店”の中から。
†
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そこは、日褪せのした表紙ケースがぎっしり敷き詰められた背の高い棚が整然と並ぶ、DVDレンタルショップであった。壁には何年か前に公開された映画のポスターが破れかけのままで貼られてある。“アカシック・レコード店”という名の割には、レコードは入口近くにあるワゴンセールの物しか置いていないようだ。
そんな店内を進むイシュライとジャックの後をついて行けば、店の奥に簡素なレジ台があった。
台上には、護身にしては随分とデコラティブな彫り模様が施された、白銀に光るリボルバーの大型拳銃。
銃に吊るされた銀の十字チェーンと、些か不釣り合いな兵士の認識票のプレートがユラユラと揺れている。
「よう。Ishlai、Jack」
王座の上の君臨者にも似て儼乎たる雰囲気でチャーチチェアに腰を下ろすのは、褐色の肌の、屈強な体躯の大男。
「……あ!」
ディシーは思わず声を上げていた。
それは――
「それと、How are you doing, young lady(調子はどうだい、お嬢ちゃん)?」
(――悪魔に憑かれてんな、young lady)
――一昨日の晩に悪魔からディシーを救った、あの謎の男だったのである。
「わざわざ来る時間を指定までしたのは、真昼間からAVを万引きするエロガキ止める為か?」
イシュライが腕を組んで男を問い詰める。
「あのまま道路に飛び出して……あの餓鬼がはねられるのが視えた。でけぇトラックにな。そんな未来が店先で起こって欲しいか? これも人助けってやつだ」
「人助け、ねぇ……」
イシュライはまたこれかと溜息を一つ吐いてから、ディシーの方に向き直った。
「紹介が遅れてごめん、ディシー。こいつはZionだ」
「『その時に紹介してもらえ』たな」
男――ザイオンは口の片端を上げてにやりと笑った。
「そ……その節は本当にありがとうございました!!」
あの時は混乱していてお礼を言い忘れていたと、ディシーは深々と頭を下げる。
何といっても彼女の命の恩人なのだから。あの場に彼が現れなかったら、否、後少しでも現れるのが遅かったら……そう思うだけで未だに血の気が引く。
「か、かかか彼は――」
何やら先程からずっとウズウズと堪え切れない様子だったジャックが、イシュライの紹介では物足りないとばかりに割って入ってきた。
「――“予言者”なんだ! ししし“白の一族”、のね」
「Oracle……?」
「ジャック流の紹介では、そうとも言えるのかもしれねぇが」
ザイオンは変わらず不敵な笑みをたたえたままで、椅子の背に悠然ともたれ掛かる。
「単純に、しがないDVD屋の店主か、ただのイシュライの同業者と思っといてくれ」
「あの――」
「よし。雑談の続きは“暗い部屋”に降りてからにしようか」
イシュライが会話を中断させるように口を開く。その口調には何処か、“一族”の話題には余り触れられたくないのだという心象が滲み出ているようにも感じられた。
ふっと笑いを零して徐に立ち上がったザイオンに、一行も続く。
誘われた先は、店の片隅にある錆びたフェンス扉のエレベーターだった。古びたプレートが貼り付けられている――「Staff Only(関係者以外立ち入り禁止)」。エレベーターがあるにも関わらず、その真横には上の階へと続く階段が伸びている。
中に入れば、そこは予想よりずっと広い。
エレベーターは地下にしか行かないようで、ジャックが胸ポケットから取り出した鍵を差し込んでオンになったボタンを押せば、鉄の箱はゆっくりと下降を始めた。まるで、木の根にぽっかりと空いた、不思議の国に続く白ウサギの穴に落っこちていく気分だ。
機械音の唸り声を聞きながら、ディシーは見るともなしに見る――室内にも関わらずかけられたサングラス。それをザイオンが外して、ずれていたのかテンプルの部分を調整し、直ぐにまたかけ直す。
「……!」
その両眼は、白く濁っていた。
見間違いではない。
彼は……盲目なのだ。
目が、見えていないのである。
一昨日出遭った時も、そして今も、彼にはそんな素振りなどまるで……。
驚愕の合間に、カクンと小さく振動して、エレベーターは目的の場所に辿り着いた。
「……」
特に言及する事も出来ず、僅かな戸惑いを覚えながらもディシーはイシュライの後について下りる。
サングラスをかけ直す瞬間垣間見えた、ザイオンの閉じた両瞼に連なるように彫られた刺青。その聖句が、何故か強烈にディシーの頭の中に残っていた。
For we walk by faith, not by sight.
我等は信仰に依って歩む。目に見える物に依ってでは無い――。
† What Alice Saw into the Rabbit Hole
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
人生はすこぶる短く、静穏な時間はごく少ないから、
我々は価値無き本を読んで時間を浪費すべきではない。
ラスキン
「よ、よよよ、ようこそ、ボクの“暗い部屋”へ……!」
ジャックが電源を入れ、一斉にライトが灯る。
あのレンタルショップの地下に、こんな空間があるなんて……。
ディシーは目を見張った。
コレクション部屋と表現するには、きっと相応しくない規模であろう。
声が響く位の広々としたスペースには、さながら小さな図書館か異国の博物館のように、年代物の重厚なデザインの本棚や展示ケースが、其処此処に調えられていた。魔導具も霊具も聖具も、ハンターやエクソシストの武器も、専門書も資料も絵画も何もかも、ジャック自慢の蒐集品がずらりと飾られている。壁にも、だ。百、千……否、千の桁どころの数ではないだろう。
コンクリート剥き出しの冷たい空間であるにも関わらず、不思議な事にそこには、キリスト教徒の地下墓地――カタコンベにも似た静かな荘厳さが感じられた。
ディシーは、「わあ……」と小さな感嘆の声を漏らす。
その姿を見て、ジャックが横で自慢気に鼻の頭を掻いていた。
「じゃあ、暫くの間調べさせてもらうぞ」
「く! くくくれぐれも、ててて丁重に扱ってくれよ!!」
「ディシー。結構時間がかかると思うから――」
「き、聞いてるのかいっ!? ほほほ本当に、頼むよ!?」
「――すまないんだが、その辺の物を好きに見といてくれ」
「は、はい……」
「ほほ、ほほほ本当の本当の本当の本当に頼む――」
「それ以上しつこかったら、トゥルエノは今この場でアンタの手の中から消えると思え」
「ひぃっっっっ?!」
ようやく静かになったジャックを尻目に、イシュライは勝手知ったるといった風に本棚の影に消えていく。
少しして、多量の本や資料を抱えて戻って来たかと思えば、部屋の真ん中に両手両足を伸ばすかの如く置かれた巨大な閲覧テーブルにそれらを広げて何やら調べ始めた。
「まあ、せいぜい頑張んな。Honey」
「そりゃあどうも、Darrin」
ザイオンはただ地下まで案内してくれただけなのか、軽口を残して再び地上へと上がっていく。
ジャックは少し離れた閲覧席に座って、虫眼鏡で世界に二匹といない虹色の蝶を観るかのようにコインに魅入られている。ディシーの十字架ペンダントを見せる事になっていた筈だが、この様子ではコインのレンタル時間が終わるまでは後回しになりそうだ。
さて。ディシーはといえば――。
迷路みたく入り組んでいるように見えるが、その実細かく分類されている事に気付く。
そんなジャックの几帳面さに感心しながら、人生で一度訪れられるかどうかの稀代の美術館に足を踏み入れた心地で、ディシーは蒐集品を一点一点、一心に眺めていた。イシュライはああ言ったものの、やはりジャックに遠慮する形で無闇矢鱈と触る事はしなかったが。そのどれもが一般人のディシーにとっては物珍しい代物ばかりで、幸いにも飽きてしまうという点の心配はなさそうであった。
今この場は、イシュライがページを捲る紙の音やジャックの独り言、空調の音のみが周囲を支配している。
そんな中に、モザイク床をコツコツと叩くディシーのローファーの靴音が響く。
そうして観覧を続けていると。
ふと。
「これ……」
ある物がディシーの目を惹きつけた。
それは、天井に程近い無機質な壁の上部を占める、絵画の数々であった。朦々たるダークなタッチで描かれた人物画。シリーズ作品のようだ。一枚一枚の大きさがディシーの身の丈くらいはある。
森厳な造りの金額縁に彫られた画題を視線でなぞる。
隠者、魔女、呪術医、夢織り人、吸血鬼等……。
そして――魔術師。
「こここれは、黒の一族の肖像画だよ。ふ、ふふ複製品では、あるけどね……」
不意にかけられた声に振り向けば、何時から居たのか、ディシーの後ろにジャックが佇んでいた。コイン鑑賞に束の間の小休止を入れているのか、代わりに手には掃除用品一式が握られている。今の内に、コレクションの状態を万全なものにしておくつもりなのだろう。
「そそそそれでもって、あ、あああっちが、白の一族の肖像画」
誇らしげに指差された方に目を向ける。
真反対、黒の一族の肖像画と向かい合う壁の位置に、同じく絵が飾られてあった。
白騎士、聖女、予言者、賢者、廉施者、白召喚士……。
“白の一族”。
こちらは一転して、淡く巧緻な色調で描かれており、その白い光加減の中に神々しさが垣間見える気さえした。
「こここの、ほほ本物は、ヴァチカンのある教会に、ほほほ保管されてるんだ」
ディシーが見蕩れていると、その様子に事の外満足したのか、ジャックが「そ、そそそれで、こっちは――」といつの間にやらガイド役を買って出て、次を案内し始める。
ディシーはその後を歩く。
けれど瞳は、縫い止められたかのようになかなかそらす事は出来なかった――
――“聖女”の肖像画から。
純白のドレスに頭衣の女性。
慈愛と静穏に満ちた、伏せられた目元。
祈るように胸元で組まれた両指。その中に包まれた十字架。
清らかな水面に浸された、裸の足。
それは聖母マリアの聖画に一条の救いの光を見出す信仰者にも似て、ディシーの心の何処かと強く共鳴したのであった。
その理由を、この時の少女はまだ知る由もなかった。
格言はこちらから引用させて頂いております。
『世界傑作格言集』 http://kakugen.aikotoba.jp/book.htm
※『予言者』……白の一族の一つ。まだ起こらぬ未来を視、予言する事が出来る。また、「時」の力を持つ。ザイオンが弾丸の軌道を変えられるのも、その力で時空間を歪めている為。ちなみにザイオンは後天的な“予言者”で、その力を完璧に使いこなせている訳ではないらしい。
ちょびっとずつフラグを回収中。読み返す時にフラグを探すのを楽しめるように心がけているつもりです;
ザイオンはどこまでもミステリアスがモットー! イメージはマトリッ●スのあの人です!(笑)そしてジャックは何故だか書いていて楽しい\(^^)/地味にお気に入りキャラなのかもしれない!