夏の海辺に黒い猫(2)
「──ステラ」
ステラの動向を見守っていると、工房の方から聞き覚えのある声がした。どうやらヴィオラが姿の見えないステラを探しに出てきたらしい。
すると、ヴィオラの声が聞こえた途端にステラの身に劇的な変化が起こった。
「ステラ? 何処に……あら、ユータス」
さっきまでの毛玉状態は何処へやら、シャキーンと姿勢を正し、ヴィオラの声に応えるようにミャウと鳴き声を上げる。その余りの変わりっぷりに、ユータスも呆気に取られた。
「ごきげんよう、ユータス。ステラったら、こんな所にいたの」
目に涼やかな白いレースのドレスを着こなし、ヴィオラは暑さなど感じさせずに優雅に微笑む。強い日差しの下、その姿は何処か現実離れした雰囲気が漂う。
「……こんにちは」
「ふふ、また背が伸びたんじゃなくて? 成長期の男の子は会う度に大きくなっているから驚くわ」
楽しげにそう言いながら歩み寄って来たヴィオラは、少し眩しげにユータスを見上げた。
一番背が伸びた去年よりは伸び方が落ち着いてきたので自分だとよくわからないのだが、一月に一度会うかどうかのヴィオラから見るとそう見えるらしい。
確かに言われてみれば前に顔を合わせた時より、ヴィオラの目線が下にあるような気がしないでもない。
「ステラは暑さが苦手なはずなんだけど珍しく平気そうね。今日は特に暑いから留守番かと思ったのに、何故かすごく着いてきたがったの。もしかして、ユータスに会いたかったのかしら」
(いや、それは違うと思う)
先程までの猫ですらなかった状態を思い返し、ユータスは心の内で即座に否定した。
大体、今までステラとそこまで友好的な関係であった覚えがない。ちらりと視線をステラに向ければ、まるで応えるように金の瞳が持ち上がる。
──殺気のようなものを感じた、その刹那。
ドスッ
「……ッ」
来ると思った瞬間に、頭上にずっしりと重い物体が飛び乗って来た。心の準備が間に合ったお陰で、何とか声は出さずに済んだものの、重いものは重い。
まるでいい気になるなと言わんばかりにいつも以上に激しく尻尾でピシピシと顔を叩かれつつ、ユータスはプライドの高いステラに心の内でため息をついた。
確かにいつもより自分に対して気を許してくれているような雰囲気はあったものの、単に暑くて何もしたくないだけなのは何となくわかったし、別に優位に立ったつもりはなかったのだけれども。
「まあ、いきなりどうしたのステラ。ユータス、大丈夫? この子、重いでしょう?」
突然のステラの行動に目を丸くしつつ、ヴィオラが心配そうに尋ねて来る。
「……大丈夫、です」
「そう……? いつも言っているけれど、無理しなくてもいいのよ? ……そうだわ、丁度ステラを中に入れようと思っていたの。お茶菓子もあるから、ユータスもいらっしゃい」
ぴしり、と顔を叩く尻尾が動きを止めた。
頭上にいるのでステラの様子は見えないものの、何となくユータスは頭上のステラが動きを止めた理由を察した。
「商店街に”アフェール”という名前の林檎菓子専門店があるの。知っているかしら」
「アフェール……、名前だけなら」
この工房は見事なまでの男所帯なので、基本的に『菓子』の類とは縁遠い。
ヴィオラを除けば、たまに様子を見に訪れる母や、超甘党の兄弟子の一人が仕事で来る際に持って来る位だが、その二人のどちらかからその店の名を聞いた覚えがあった。
「そこにクレイアさんという名前のユータスと同じくらいのお嬢さんがいるのだけど、その子が最近自分でも販売用のお菓子を作るようになったの」
ステラの変化に気付いた様子もなく、ヴィオラはまるで自分の子供の成長を話すように、慈しみに満ちた表情で今日持参した菓子について語る。
「今日持ってきたのは黄金林檎を使ったゼリーでね。ちょっと面白い造りをしているからあなたにも食べてもらいたくて、まだ試行錯誤中だって言っていたのだけど無理を言って頂いてきたのよ」
自分と同じくらい、という部分で食べる事に執着がないユータスも少し心が動く。
──ユータスは今、少しだけ迷っている事があった。
身近に同世代の人間がおらず、参考に話を聞くにしても兄弟子達は皆、十は上の大人ばかり。しかも今はそれぞれ独立しており、ちょくちょくゴルディと共同で仕事をする為にやって来るが、普段はそれぞれ仕事で忙しい。
何より誰かに相談出来たとしても、最終的には自分でどうにかしないとならないとわかっているので、ユータスなりにぐるぐると考え続けているのだけれども。
元々面倒臭がりなだけに滅多に悩むという事がなく、そのせいで一度思考にはまり込むとどうすればいいのかわからず、なかなかこれという出口に辿りつけないでいた。
そんな状況なので、菓子に細工と方向性は違うが、『何かを作る』という点は共通しているからか何となく親近感を抱く。方向性で思い悩むのは、当たり前の事だが自分だけではないのだ。
食べてもきっと『甘い』以外の感想は出てこないに違いないのだが、その試行錯誤中の菓子を見てみたいと思った。味ではまったく協力は期待出来そうにないが、見た目なら少しは意見が言えるかもしれない。
けれども頭上の重みが無言で動きたくないと訴えているので、ユータスは結局辞退する言葉を口にした。
「……ありがとうございます。でもオレ、まだ作業が残ってるんです。ちょっと休憩していただけなので、後で頂きます」
「まあ、作業? 今度は何を作っているの?」
ユータスの言葉に、興味津々の様子でヴィオラが尋ねて来る。
口実のように口にしたものの、実際に作業中である事は本当の事だった。とは言っても、特に提出期日が決まっていないので、お茶に付き合うくらいは出来るのだが。
「先生からの課題なんです。──ニーヴ像を造れって言われていて」
”妖精の女王”の異称を持つニーヴは空を司る妖精で、海と大地を生み出した創造主として王国内で広く信仰されている。
その為、古くから各地でニーヴをモチーフにした物は数限りなく造られており、ここティル・ナ・ノーグの中心部に建つ歴史ある寺院、サン・クール寺院にはニーヴの有名な絵画や著名な彫刻家が作成した彫像が納められている。
そういう意味では像という物は決して目新しい物ではない。しかし、ユータスの言葉にヴィオラは少し意外そうな顔をした。
「ニーヴの像……?」
「はい」
それはこの工房に属する弟子達が必ず通る課題で、一種の卒業試験のようなものである。
本来はニーヴがモチーフであれば何でも良いらしいのだが(ユータス以外の弟子達が同じ師につきながら見事に専門職に特化してしまった為)、ユータスには『像』と指定があった。
ニーヴをモチーフにしたアクセサリーでも、細工品でもなく。
それが塑造であれ、鋳造であれ、またあるいは彫像であっても、『細工師』の仕事としては一般的なものではない。
造れと言われれば造るしかないが(幸い、どうやればいいのか技術的な事はわかる)、けれど何故わざわざ師がそんな指定をしてきたのかわからない。聞いても教えてはくれなかった。
──お陰で様々な意味で悩む羽目になっており、制作は絶賛難航中だ。
「……。そういう事」
しかしヴィオラはたったそれだけで何かを理解したらしい。納得したようにぽつりと呟くと、小さく頷いた。
「マダム?」
「丁度ゴルディさんに、あなたの事を少し伺っていた所だったのよ」
「オレの事……? ──何か言ってたんですか」
ゴルディは基本的に口が悪いので、おそらく褒められたりはしていないに違いないのだが。
そう思っている事を見透かしたのか、ヴィオラのオレンジ色の瞳が楽しげに細められた。
「特に今作っているものとは言ってはいなかったけれど、『その内、面白い物が見れるかもしれない』って仰っていたわ。一体何の事だろうって思っていたのだけれど、きっとあなたの作るニーヴ像の事を言っていたのでしょうね」
「……面白い物……」
ニーヴの像に面白いも何もないと思うのだが、師は一体何を期待しているのだろう。
「そういう事ならそちらに集中したいわね。ステラ、いらっしゃい。ユータスの邪魔をしちゃいけないわ」
ヴィオラの声にステラが少し困ったようにミャオと鳴き、少し落ち着かない様子で尻尾をパタパタ動かす。おそらく今日は護衛のつもりでいるので、『持ち場』を離れたくはないのだろう。
「……。ステラは降りたくないみたいですね。もうしばらくここにいるので、別に構いませんよ」
「まあ、でも……」
「大丈夫です。まだ考えもまとまっていないし、本当に重くなったら降りてもらいますから」
ユータスに自力でステラを頭から降ろす事が可能かは甚だ怪しいが、ステラが降りる素振りがない事でここにいたがっているという事はヴィオラに伝わったようだ。
──別にステラの味方をする必要性など何処にもなかったけれど。
ついでにこれを期に親密度を上げようとかそういう下心もないが、苦手な暑さの中でも『主人を守る』という使命感に燃えるステラを少し応援したくなったのだ。
心配そうな表情でユータスとその頭上にいるステラを交互に見つめ、しばらく考え込むように沈黙した後、ヴィオラはステラを無理に引き離す事はせずに無理はしないのよと繰り返し、再び室内へ帰っていった。
※今回お借りしたキャラクターと関連作品はこちら※
・クレイア(キャラ設定:桐谷瑞香さん) ⇒ ティル・ナ・ノーグの林檎の唄シリーズ http://ncode.syosetu.com/s9632a/ 作:桐谷瑞香さん




