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金時計顛末記(4)

「……タヌキさん?」

 ふと過去に思考を囚われていた私に、ヴィオラが怪訝そうに声をかけてくる。

 何でもないように表情を取り繕い、私は受け取ったばかりの時計を眺めつつ、明日の出立前にティル・ナ・ノーグでの関係者に挨拶へ行く旨を伝えた。

 挨拶回りはいつもの事なので、ヴィオラも疑問は感じなかったようだ。わたくしも馴染みの所に挨拶をしてくるわ、と少し寂しげに答える。

 どうせ一月後にはまた訪れるのだが、こういう小さな根回しは大事である。何処で何がどう繋がるかわからないのだから。

 そう、『どう繋がるか』が大事だ。先を読む事は私のような商売では基本である。

(これくらいの意趣返しは可愛いものだろう?)

 それなりに気恥ずかしい思いをする事になる訳なのだから、この時計を持ち歩く以上、取れる益は残らず取らねば。私は心の内でほくそ笑む。

 私の予想通りに話が転がった所で『彼』にとっては悪い話ではないはずだから、ヴィオラも文句は言えないだろう。さらにその流れをどう受け止めるかは本人次第、私はただそう仕向けるだけだ。

 ──こういう部分を妻は『タヌキ』と評するのだろうが。

 妻もそうだったように、そして私も乗り越えたように、どんな事でも試練は付き物だ。単にそこに意図的なものが入るか、そうでないかの差である。

(ああ、そうだ)

 ふと名案が浮かんだ。

 一月後にはリ・ライラ・ディがやって来る。

 ヴィオラに何を返すか──いつもなら少し悩む所なのだが(何しろ、ヴィオラは欲のない割に変わった物が好きな女なので、喜ぶポイントが難しいのだ)、今回は悩まずに済みそうだ。


 ──目には、目を。


 そう、ユータス=アルテニカ。彼に作ってもらうのだ。

 もちろん、ある程度こちらから指示は出すつもりだが、意匠などは任せる予定だ。

 おそらくこうした物の好みに関しては、私よりもずっと詳しいだろう──少々悔しくはあるが、他の、たとえば王都の細工師にはきっと彼女が驚くものは作れはしまい。

 そして、それにはあれを使ってもらおう。

 あの時男から預かり、未だヴィオラに渡せずにいる──『贖罪』を。


+ + +


 リュシオルヴィル、という街がある。

 アーガトラム王国に属し、大陸の西岸に位置する海と湖水に恵まれた土地で、真珠の名産地として知られている。

 そこの住民の多くが真珠関係の職に従事し、女は真珠を採り、男はそれを大陸各地へ売りに出る。

 水質の良い田舎ほどその傾向は高いが、反面出稼ぎに出た男がそのまま戻らない事も多々起こっており問題となっているという。

 稼ぎ手を失った一家がどんな末路を辿るのか──想像は難しくない。

 男はそうした田舎からやって来たのだと言った。

「あの子が故郷に帰る事はないだろうが、もし、あの子が帰る事があっても、今回の事はその……」

「もちろん、秘密にしますよ。私は自分と彼女が守れればそれでいいので」

「──……お前、顔に似合わず意外と黒いな……」

 男は何故か引きつった表情で呟くと、そのまま頭を下げた。

「悪かった」

「はい? 何がですか」

 こんな夜道で襲って来た事に関してかと尋ねると、男は首を横に振った。

「いや、その……さっき、あんたを『こんな男』なんて言っちまった事だ。あの子は……ちゃんと自分でまともな、いい男を捕まえたんだな」

 しみじみと紡がれた言葉は少し私の意表を突くものだった。

「そう、思いますか」

 どうなんだろう。本当に私は彼女にとって必要な存在かぞくで在れているだろうか。

 正直、自信などない。すると、男は小さく笑った。

「十年後もその先も、ヴィオラがお前の隣にいればそういう事さ。……きっとそうなると俺は確信してるがな」

 外見的には全く似ていないのに、その笑顔は何故か最愛の妻のそれと重なった。

「これを、あの子に渡してくれないだろうか」

 やがて少し躊躇った様子で男は懐から大事そうに小さな布袋を取り出し、私に差し出してきた。

「……中を見ても?」

「ああ。構わない」

 何となく中身の想像はついたが、確認の為に受け取った布袋の中を見ると、そこには夕闇に仄かに光る真珠の粒があった。

 ほんのわずかに歪な小粒のそれは、その産地に付けられた名前──『蛍』を想起させる。リュシオルヴィルでも、湖沼地帯の特定な場所だけで採れるという、非常に希少な真珠だという事はすぐにわかった。

「こんな物で、あの子に対して俺達がやった事は購えないって事はわかってる。覚えているのかも怪しいし、覚えていても思い出したくない事かもしれない。飢えて死ぬよりマシだろうと思ったとは言え、口車に乗って『売り飛ばした』という事実は変わらないからな」

 苦い悔恨の漂う言葉は、自嘲の笑みで締め括られる。

「俺からという事は言わないで欲しい。ただの一ファンから贈られたという事にして欲しいんだ。……これはすぐ下の妹が長い間かけて貯めてきたものでな。先月、身体を壊して死んだんだ。あいつもずっとヴィオラの事を気に病んでいたらしい。会える可能性なんて一つもないのに、あの子にと遺して逝った」

 何となく、彼が紙切れに過ぎない会員証を手に入れようとした理由がわかったような気がした。

「……会って、行かないのですか」

「どのツラ下げて会えるって言うんだ? それに……、もう、あの子にはお前がいるだろう」

 さらにこれも返して置いて欲しいと、会員番号五番の会員証も渡される。

 決意を秘めた顔にそれ以上何かを言う事も出来ず、私は『必ず渡す』と約束を交わす事しか出来なかった。

 ──まだその時は、彼女もまた『過去』に囚われているという事を知らなかったのだけれども。

 予定より遅くに帰宅した私を迎えたヴィオラは、ふと何かに気付いて顔色を変えた。

 男を取り押さえる際に感じた衝撃は、コートのポケットに入れていた時計に刃が当たったせいだったらしい。

 珍しく落ち着きを忘れておろおろするヴィオラは非常に可愛く、そのまま抱き竦めたい気持ちを必死に抑えて私は言い訳を考えた。流石に事実をそのまま伝える事は無理だ。

 切り裂かれた布と見事に傷付いた時計を前に取り繕う事は難しく、また男の事をどう伝えて良いのかわからず、結局架空の暴漢をでっち上げる事にした。

 金時計は私が独り立ちした際に父から贈られたものだった。昔から、父はなんでも金で済ませる。

 あからさまに金をかけたと言わんばかりのそれを、元々気に入って持ち歩いていた訳ではなかったので、目に見えて傷がついたのは好都合でもあった。

 そしてこの傷を見る度に、私は男の事を思い出すだろう。私がどんなに願っても手に入れる事の出来ない『繋がり』を持つ彼の事を。

 私の説明で落ち着いたらしいヴィオラに目を向ける。


『十年後もヴィオラがお前の隣にいればそういう事さ』


 さて、ヴィオラ。君は十年後もそこにいてくれるのかな?

 それは今後の自分の努力次第だろう。懐の真珠をそっと抑え、私は決意を新たにした。


+ + +

 

 そして、リ・ライラ・ディに先駆ける事十日。私は一人、ティル・ナ・ノーグの地を踏んでいた。

 十年経っても、それ以上の月日が過ぎても、ヴィオラは私と共にいる。

 その間にいろんな事があった。

 ある事を切っ掛けに、『真珠』が彼女にとって一種のトラウマである事も知った。お陰で私は未だに男に渡された真珠をヴィオラに渡せずにいる。

 けれど、そろそろ向き合ってもいいのではないかと思うのだ。彼女自身もきっと、そう思っているのではないかと思う。

 それに前々から思っていたのだ。きっと、ヴィオラはどんな宝石よりも真珠が似合うだろうと。

 ──そう言えば、私が彼に個人的に依頼をするのは初めてだ。彼は私の依頼にどう応えてくれるだろう。

 何が出て来るかわからないのも、なるほど結構楽しいものだ。ヴィオラが彼の作品を気に入っている理由が何となくわかるような気がする。

 私は心なし浮き立つ気分を自覚しつつ、過去に何度か訪れた事のある彼の工房の扉を叩いた。

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