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金時計顛末記(3)

 やれやれ、手のかかる男だ。私は迫る男を前に心の内で苦笑した。

 迫りくる刃はさほど刃渡りは大きくない。少し大ぶりのナイフと言った所だ。余程場所が悪くない限り、致命傷を負う事はないだろう。

 この程度の挑発で丸腰相手の人間に刃物を向けて来る辺り、それだけヴィオラに惚れこんでいるとも言えるだろうが、単に短絡的なだけだろう。

 いくら治安が良い界隈とは言え、一応は一角の商人である私が護衛をつけずに帰路に着いていた事を疑問にすら思っていないようでは。

 護衛がいない理由は一つしかない──必要ないからである。

 彼にとっては不運なのかもしれないが、私のみならず私の兄姉は全員、こうした襲撃に対しての護身術の類を徹底的に叩き込まれている。

 というのも、父絡みで幼い頃から誘拐未遂やら傷害未遂など日常茶飯事だったからである。私達にとって父が『地雷』たる理由の一つだ。

 自分の身くらいは自分で守れるようにという母の考えで、私達は物心つくか否かの頃から密かに身体を鍛えている。

 特に私の上の姉二人は美容と健康の為に今も修練を怠っておらず、今ではどちらも師範級の腕前だ。その下に生まれてしまった男児たる私が、一体どのように鍛えられたかは各人の御想像にお任せしよう。

 ──正直思い出したくない。

 いつも仕事に出かける時はヴィオラが心配するので行きはそれらしい人物を雇って側につけるが、彼等には目的地についた時点で帰って貰っている。

 こういった事態が起きた時、下手に騒ぎが大きくなっても困るからだ。いくら腕が立つとは言っても、あくまでも自分の身を守る為の物に過ぎない。

 私はこういう風体なので、不逞の輩は私を直接狙って来る。それを返り討ちにした所で、私にしてやられたと言うのはプライドが許さないのか、大抵『護衛にやられた』という事になり、真実は闇に葬られる。

 私が狙われるのは子供の頃からなので構わないが、その矛先が万が一にも妻や──将来授かるかもしれない子供に向かう事だけは絶対に避けたい。

 私が妻への愛を表に出さないようにしている理由の一つでもある。本体が叩けない場合、まず狙われるのはそうした一番弱い所なのだから。

 ……時折溢れんばかりの愛を隠す事に疑問を感じないではないが、妻が平穏無事に暮らせるのなら大した事ではない。

 男は一直線に懐に向かって走り込んで来る。私は慌てる事無く一歩前に踏み出し、動きやすい間合いを取った。

 じゃり、と足元の小石が音を立てる。

 そのまま刺して来るかと思いきや、寸でで理性を取り戻したのか、それとも元々刺すつもりはなかったのか、少し不自然なタイミングでナイフが振りあげられる。

 そのまま強い苛立ちが浮かぶ歪んだ表情で、男は力任せにナイフを横に薙ぎ払った。


 ブン!!


 空気を切り裂いて、ナイフがそんな音を立てる。

 威嚇的なものだったのか、その刃は私の身体には至っていない。避ける素振りも見せず、一歩も動かない私に、再びナイフを構えながら男が怒りの籠った声で問う。

「貴様……! これをなまくらと思ってやがるのか!?」

「いいえ。あまり見くびらないで下さい。それが本物のナイフである事は見ればわかりますよ」

 あまり取り扱いはないが、武器の類も商品の内に入っている。

 こちらでは珍しいシラハナの刀剣などは装飾品の類のように珍重されているからだ。流石に武器専門の商人ほどではないが、それなりに偽物か本物かどうかの目利き位は出来る。

 ……が、こんな夕闇の上に遠目でそれがわかるほど人離れした目は持っていない。冷静に考えればその言葉がはったりのようなものだとわかっただろうが、冷静さを欠いている男は気付かなかったようだ。

 決して男の心を逆撫でにするつもりはなかったのだが、そのように取れる言い方をしたのは事実だ。この事については後に思い返して我ながら修行不足だったと思う。

 だが、仕方がないだろう。

 この男のせいで、家に帰るのが更に遅くなっているのだ。この先にある我が家では、愛しの妻が私の帰りを一人(羽の生えた猫モドキもいるが)待っているというのに……!

 この頃、季節の変わり目もあり何かと会合続きだった。四季の入れ替わり時期は物の流通が一転する為、物量の調整や取り扱い商品の変更など話合う事は多い。

 私のような職業は取引先との繋がりが重要であり、そうした会合は無視出来ない。お陰でここ十日ほど妻とはすれ違い気味の生活だ。

 特に何も言わず、笑顔で送り出してくれるが、留守中淋しい思いをしているのではないかと思うと気が気でなかった。

 ヴィオラはサフィールでは未だ名前と顔を広く知られており、気晴らしに一人で出かけるというのもなかなかに難しい。

 国外に私が出る際は前もって姉やら兄嫁などにヴィオラの事を頼むが、流石に普段から甘える訳にも行かない。とっとと片付けて家に帰りたい。それがその時の私の偽りない心情だった。

 私の挑発的な物言いは、男からさらに冷静さを失わせるのに十分だったようだ。


「どうせお前も薄汚い商人なんだろう! あの子にはふさわしくない……!!」


 思わずと言った様子で男が口走ったその一言に、ふと違和感を感じた。

(……『も』?)

 頭に血が昇った短気な人間の行動は読みやすい。

 今度こそ一直線に私の懐に向かって突っ込んでくる男の凶刃を、身体半分ほど立ち位置をずらす事で受け流す。

 脇腹を掠るように走った刃から、鈍い衝撃が響いて来る。まさかそのまま刺されるとは思っていなかったのか、男がぎょっと目を見開き、そのまま動きを止めた。

 自分でも紙一重で避けきったつもりだったので少し驚いたが、特に痛みがないので気にせずそのまま引っ込みのつかなくなった男の腕を捕らえると背後に回り込むようにして捩じり上げる。

 そんな事よりもずっと男の言葉の方が気にかかった。

(それに、『あの子』だって……?)

 閃いたのは、とある可能性。

 明らかにこうした手荒な事に慣れていない今の攻撃も、その可能性を僅かながらに裏付けていた。

 苦悶の声を上げる男の手から、呆気なくナイフが転がり落ちる。それを手の届かない範囲に蹴り飛ばし、私は自分の考えを固める為に男へ尋ねかけた。

「冒険者かと思ったのですが──、あなたはもしかして行商人ですか?」

 私の質問に、男が驚いたようにこちらへ目を向けた。

 国の中心である王都には国内各地のみならず、異国からも流れの商人がやって来る。

 多くが長旅になる為、護衛を雇えない者は自分で身を守るしかない。その結果、彼等の多くが一見冒険者と変わらない風貌になる。

 最初にこの可能性を見逃したのは男が只ならぬ様子だったという事が大きいが、商人なら持っているであろう何かしらの商売道具が見当たらなかったからだ。

 もちろん宿などに置いてきている場合もあるだろうが、荷や稼ぎを狙う者がいないとも限らない為、余程の常宿で信頼出来る場所でもなければ身近な場所に置いてあるはずだ。

 ──そう、普通の行商人であれば。

「な、何故……」

 余程驚いたのか、苦しげに疑問を返して来る。その様子で自分の直感が正しかった事を確信する。

 どうやら彼は小さい物を売る事を生業にしているようだ。そう、たとえば──宝石の類とか。

 おそらくもう乱暴な手段に訴えては来ないだろうとみなして拘束を解くと、このまま警吏隊にでも突き出されると思っていたのか、男の顔が驚きを通り越して呆然としたものへ変化した。

「慣れない事はするものじゃありませんよ。説教するつもりはありませんが、そんな事じゃ命がいくつあっても足りない」

「……なっ」

「──そしてあなたが本当にヴィオラのファンであると言うのなら、こんな事で手を汚さないで下さい。公になれば傷付くのは他でもない彼女です」

 私の言葉に、何かを言い返そうとした男が言葉を飲んだ。

「それとついでに言っておきますが、私が彼女の弱みを握って無理矢理妻にしたとか、そういう事実はありません。財産とかそういったものも無関係なはずです。当時は彼女の方が余程稼いでいましたしね。そして、私は彼女に特別親切だった訳でもない」

「……。何が言いたい」

「あなたがご自分で言った事ですよ。『薄汚い商人』と言ったでしょう。まあ、大なり小なり商いというものは利権が絡んできますから、綺麗かと言われると微妙ではありますが。……実はここだけの話、私もずっと謎なんです。彼女がどうして私を選んだのか」

「はあ?」

 男は間抜けな声を上げた。気持ちはわかる。

 普通、特に理由がなければ好きあって結婚しているはずなのだから。さらに今この時に初対面も同然の、しかも一方的に襲ってきた男に話す事でもない。

 しかし、今わざわざそんな事を告白するのにはそれなりに理由があっての事だった。思い違いでなければ、この男は──。

 ヴィオラ自身の口からはきちんと聞いた事はない。

 少しでも彼女の事を知りたくて、私が勝手に調べた事だ。人伝に聞いた話に何処まで信憑性があるかわからない。だから私は次の一言に賭けた。


「一体何が切っ掛けだったのかは彼女自身に聞いてみなければわかりませんが──あの日、ヴィオラは『家族になって下さい』と私に言ったんです」


 それは今から数年前のライラ・ディの時のこと。

 その瞬間、男の目が見開かれ肩が怯えるようにびくりと揺れる。その反応が全てを物語っていた。

 もしやと思ったが、やはりそうなのだ。

 こうして間近で見ても重なる面影などない。暗めの髪の色も、がっしりとした体つきも。男女の差というのもあるかもしれないが、共通点など何処にも見受けられない。

 何より、何故こんな乱暴な手段で小さな紙切れ一枚を手に入れようとしたのかも不明だ。

 ……けれど。


「あなたはもしや、ヴィオラの『家族あに』、ではないのですか?」


 意を決して問いかけると、男は肯定も否定もせず、ただ何かを悔いるように唇をきつく噛み締めた。

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