表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/26

金時計顛末記(1)

第一話で登場した金時計にまつわる、ステイシス氏視点の外伝です。

挿絵(By みてみん)


 二月ライリィに入る少し前から、妻の様子が少しおかしい事には気付いていた。

 おかしい、と表現すると語弊があるだろうか。表面上はいつもと変わりなく振る舞っていたし、私以外の人間ならきっと気付かなかっただろう。

 正確に言うなら『何か隠している』様子を見せていた、と表現すべきだろうか。

 二十年近く夫婦として過ごしていれば、そうした事は何となくわかる。そしてそれが、特に夫婦関係を脅かす類の事ではない事も。

 問い詰める事は簡単だが、相手は演じる事を極めた元女優だ。こちらも本気でかからないとシラを切り通される。

 私は自分で言うのもなんだが愛妻家を自負しているので、非常に非常にひっじょうに気になったが、彼女を信じて様子を見る事にした。

 ──正直、仕事相手でもなければ妻に害のある人間相手でもないのに、『本気』を出す気はさらさらないけれども。

 私達夫婦は月の半分をティル・ナ・ノーグという都市で過ごす。

 一年を通じて温暖で、南に海を抱き、周囲をのどかな農村や森に囲まれた自然豊かな場所である。私は独り立ちした頃から仕事で時折訪れていたのだが、妻を伴うようになったのは十年近く前からだ。

 とある事情から笑顔を無くした妻を何とか元気づけたいと思い、環境の良いその街へと連れて行ったのだ。

 その選択は正しかったらしく、妻はこの南の土地をひどく気に入ったようで、それ以来必ず同行するようになり、滞在期間も数日から半月に伸びていった。今では以前と同じ、いやそれ以上に明るい表情を見せてくれている。

 いつか私が一線を退いて隠居する際は、ここで暮らしたいそうだ。私も何かと面倒な王都より、自由で様々な人種と文化が入り混じるこの都市を気に入っているのでその考えに異存はない。

 そして今回も仕事半分、気晴らし半分で訪れたティル・ナ・ノーグで、妻の隠し事が明らかになった。単身出かけた彼女が懇意にする細工師の元に持ち込んだのは、私が大昔に父に貰った金時計だった。

 ──何故それを知っているかだって?

 いくら平和な都市だからと言って、最愛の妻を護衛もなしに一人歩きさせられると思っているのかね?

 彼女にはステラという名のアルフェリスが付き従ってはいるが、アルフェリス自体、密猟者に狙われている生き物だ。しかもステラは体毛が黒の希少種である。

 戦闘能力は確かに高いが、武器や道具を駆使されればいくらアルフェリスも無敵ではない。実際、王都では何度か捕まりかけている。

 ──何故知っているのかだって?

 捕獲されて連れ去られそうになった所を、私が何度か助けたからだが?

 知能の高い事で知られるアルフェリスは恩義を忘れないのか、他の男には容赦のないステラも私には一目を置いてくれており、結構友好的な関係を築けている。

 そうでなければ、御主人様命のアルフェリスだ。おそらく毎日のように血を見ていたに違いないし、そもそも結婚出来ていたかも怪しい。

 それはさておき、金時計だ。

 どうやら妻はカバーに大きな傷が出来てしまい、持ち歩くには不都合だとそのままにしていたのを気にしていたようだ。

 隠し事をしている素振りが見えたのは、おそらく私がその金時計(正しくはそれを贈って来た父)によい印象を持っていない事を知っているからだろう。

 父の事は私や私の兄姉にとっては地雷だ。妻はよく出来た女なので、表立って修復を持ちかけても、拒絶されると思ったのだろう。

 そして、訪れたライラ・ディ。彼女にとって(私にとってもだが)特別な日でもあるその日に、時計は私の手に帰って来た。


「──はい、タヌキさん」


 それは王都に帰る前日、その為の荷造りをやり終えた後の事だった。ふと何処かへ姿を消した妻が戻って来たかと思うと、それを手渡された。

 掌に乗るほどの布張りのケースは見た目に寄らずずしりと重い。

「……ヴィオラ、これは何かな」

 おそらく中身は妻が持ち出した金時計であるはずだ。ケースの大きさから考えても間違いはない。だがしかし、時計にしては妙に重い。

 妻は小さく笑う。答える気はないらしい。

 まるで悪戯の成功を期待する、無邪気な子供のような表情だ。全くこんなに可愛い四十女がいていいのか? いや、よくない、けしからん!

 私は心の中で溢れかえる妻への愛情を必死に押しとどめ、いかにも渋々といった様子でケースを開き──一瞬自分の目を疑った。

(何だこれは)

 それは一見、時計には見えなかった。そして同時に、何故これほど重いのかも理解した。父から渡された金時計は、まったく予想外の姿へと変貌を遂げていたのだ。

 動揺は一瞬。一瞬で済んだ事をニーヴに感謝しなければならないだろう。私は故あって妻の前では可能な限り『隙のない男』であるよう心掛けている。妻への愛情を表に出さないのもその為である。

 だが、その一瞬の隙を妻は見逃さなかったようだ。ひどく嬉しそうな笑顔を見せると、私の顔を覗き込んで来る。

「ふふ、驚いたかしら? 面白いでしょう」

「面白い、というかだね……。なんでまたあの時計がこんな事になっているのかな」

「勝手に持ち出してごめんなさい。傷がついたままずっと置いたままだったから、修復してもらうついでに手を入れて貰ってはどうかと思って。以前と全然違うなら、使いやすいでしょう?」

 何故見た目が違うと使いやすいかをぼかして、妻は言う。正直、父の話題は気分が悪いだけなのでその心遣いはありがたい。流石は私の嫁。

 しかしわたしはあえて意地の悪い言い方で返す。

「まあ、確かにそうだが。それにしてもこれは変わり過ぎじゃないかね? 君の趣味をとやかく言うつもりはないが」

「うふふ、今回はユータスに全部任せてみたのよ。この時計を『世界に一つしかないもの』にするようお願いしたら、こんな風に造ってくれたの。日もあまりなかったし、特にそう言ってもいなかったのだけど、間に合うように頑張ってくれて。このデザインになったのはわたくしも驚いたけれど、ライラ・ディにはぴったりでしょう?」

「──ああ、なるほど」

 つまりこの時計は、ライラ・ディの贈り物だという訳だ。通常は菓子の類を贈るのが一般的だが、この方が面白いとでも考えたのだろう。

 その事を念頭に置いてよくよく考えれば、時計がこうなる事は自明の理だった。

 元々、妻は珍しい物や一点物など、一風他と違う物を好み、気に入ったものは手元に置く程だ。

 そう言うと浪費癖でもあるようだが、気に入る基準も金銭的価値からではなく単純な好みなので、王都の奥方達の浪費の仕方に比べれば非常に可愛いものだけれども。

 そもそも、妻には女優時代に少なからずの資産があり、そうしたものを購入する金銭は全部自分で払っているので浪費にすらなっていなかったりする。

 そんな妻が今回修復を頼んだのは、ユータス=アルテニカという名の若い細工師で、私も何度か直接会って話した事もあるが、妻が気に入るだけあって何とも掴みどころのない少年だった。

 各地でいろいろな銘品を見て来た私の目でもその腕前は確かだと思うのだが、よくも悪くも芸術家肌タイプで、造る物は時々こちらの想像を超えている。

 そして今回、私の父から贈られた金時計は彼の手によって目にも鮮やかな菓子の姿となっていた。

 石の違いはよくわからないが、よくもまあ、実物に近い色の石を選んだものである。あまり食べる事に執着のなさそうな痩身を思い浮かべつつそんな事を思う。

 金時計自体をタルト生地に見立てたのか、上に飾られた石はそれぞれ暗赤色のベリー、濃紺のブルーベリー、黄みが強いオレンジはティル・ナ・ノーグ特有の黄金林檎、赤みが強いのはそのままオレンジ、ところどころに散りばめられた黄緑はハーブの類の形をしていた。

 正直、よく出来ていると思う。先はわからないが、元々希少な時計をここまで装飾したものはまだないだろうから、妻の要望した『世界に一つしかない』という条件も満たしている。

 ライラ・ディだけに菓子を模したらしいが、発想は自体はさしておかしくはない。

 ──だが、しかし。

(これを使えと言うのかい)

 菓子仕立ての金時計など、女性が持つならともかく、五十も近い男が普通に持つのはなかなかに難易度が高い。

 使う事を前提に(道具なのだから、使う前提に違いないのだが)狙って造ったのだとすると、あの少年は恐るべき策士である──きっと、そこまで考えてはいないだろうが。

 ちらりと横に視線を向けると、妻の満面の笑み。

 最愛の妻がわざわざ修復してくれた時計、しかもライラ・ディの贈り物として渡された物だ。


 今、妻への愛が試されている……!


 いかに重かろうと、見た目がやたら可愛らしかろうと、ここで使わなかったら男が廃るというものだ。

 それにきっと妻は、私が『恥ずかしいから使わない』と嫌がる姿を期待しているのだろうし、そう言った所で悲しげな顔をしてどうして使ってくれないのだと訴えて是が非でも使う方向へ運ぶに違いない。

 演技なのはわかっていても、出来れば妻の悲しむ顔は見たくないし、私は常に妻の予想を裏切る男でありたい。

「傷も綺麗にしてもらったわ。これでまた使えるでしょう?」

 どれ、と持ち上げてみると、鏡面のように磨き上げられたそこには確かにあの時についた傷は何処にも見当たらない。

 ──ちなみにわたしが時計の傷をそのままにしていたのは、実際はそれがいわゆる『名誉の負傷』的なものだったからなのだが。理由が理由だったので、暴漢に襲われたという事にした事を思い出す。

 実際、暴漢に襲われたようなものなので全てが嘘ではないけれども。

 確かまだ結婚間もない頃だったように思うから、ニ十年近く前の出来事である。

(ふっ、あの頃はまだ青かったな……)

 私は当時を回想し、そう言えばあの男は今頃何処でどうやっているのだろうかとぼんやり思った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ