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銀のお仕事(6)

「こ、ここは……」

 ティル・ナ・ノーグの中心部に建てられた歴史ある荘厳な寺院を前に、シルヴィアは呆然と立ち尽くした。姉二人もここまで連れて来る事が目的だったのか、ようやく腕を離してくれたが、その事にも気付かず目の前の建物を凝視する。

(寺院……。なんでこんな所……はっ、ま、まさか!?)

 遠くから子供達の楽しげな声が聞こえてきた。おそらく寺院に併設された孤児院の子供達だろう。

 気持ちの良い快晴、明るく響く子供達の声に閑静な寺院──この組み合わせに和む者も当然いる訳で、前庭の木陰に腰かけ、世間話を楽しむ老人達の姿も見て取れた。実に長閑な光景である。

 だが、それとは対照的にシルヴィアの顔はみるみる青ざめていった。

「後はあの男を引きずって来ればいいか。本当に何処をほっつき歩いてるんだか」

「まったく、本当に世話が焼け──」

「……っ、待って、姉さん達早まらないで!?」

 一仕事終えたとばかりに溜息をつく姉達のぼやきを、シルヴィアの悲鳴じみた声がかき消した。

「は?」

「どうしたってのよ、ヴィア」

 訳がわからず目を丸くする姉達に対し、シルヴィアは拳を握り、激しく首を横に振った。

「駄目……っ、それは犯罪よ、ニーヴ様もお許しにならないわ! 駄目、絶対に駄目……っ!!」

 ぷるぷると涙目で必死に言い募る様子は、元々シルヴィアには甘い二人には非常に可愛く映った。思わずその手を取り、ぎゅっと抱きしめてよしよしと頭を撫でてやりたくなる。

(何言ってるのかしら、この子。この年でこんなに可愛いなんて、よっぽど犯罪じゃないの)

(あー、もう、ヴィアったら本当に愛らしいんだから)

 うちの妹は世界一可愛い、と姉ばかをこじらせる一方、姉二人はまだ冷静さを残していた。


(──で、何でうちの可愛い妹はこんなに必死なのかしら)


 詳細を説明せずに強引に連れ出したので困惑はするだろうとは思っていた。

 だが、基本的に察しの良いシルヴィアの事だ。自分達の意図に気付いて、驚きながらも喜んでくれるに違いないと思っていたのに──何故、感動の涙でなく哀願の涙で早まるなと引きとめられねばならないのだろう。

 心底疑問に感じて首を傾げる姉二人に対し、シルヴィアはシルヴィアでひどく動揺していた。

(どうしよう、どうしよう……そんなに姉さん達を怒らせるなんて……!)

 敬虔とは言い難いシルヴィアにとって、寺院は日常的に訪れる場所ではない。二十年とちょっとの人生の中で、寺院に対する印象は『冠婚葬祭』に関わる場所、である。

 実際、姉二人もここで式を挙げた──が、本来新婦の母が行うべき花嫁の支度の世話を一手に引き受けた事もあり、一応参列はしたのだが服装も普段とさほど変わらないものだったし(着飾った状態で豪華なドレスの着付けなど至難の技だった為)、めでたいと言うよりもやっと肩の荷が下りた感覚の方が強かった。そのせいもあって、あまりめでたい場所としてのイメージがないのだ。

 代わりに──強く残っているのは思いがけず早くに亡くなった母の葬儀の事だった。

 最後まで先々シルヴィアに苦労をかける事を気に病んで亡くなった母を、家族で見送った場所。人は呆気ないものなのだと思ったものだ。

 あの日、哀しみの中でシルヴィアは母に誓った──亡くなった母に代わり、立派に家を守ってみせるのだと。

 姉二人が嫁ぎ、その誓いは半ば果たされたと言えるだろう。だから、だからこそ──シルヴィアも自分の幸せというものをようやく見つめ始めたと言うのに。

「一体何をそんなに怒らせてしまったのかわからないけれど──ゴルディはこれからの人なの! せめて半殺しで許してあげて……!」

 半泣きで引き留めるシルヴィアの言葉で、ようやく姉達は可愛い妹がまたしても自分達の行動を斜め上に受け止めている事を理解した。同時にこめかみや額を押さえる。

 つまりシルヴィアは某ろくでなしを粛清する場所に同席させる為に、はるばる寺院まで連れてきたと思っているのだ。

「……ヴィーアー、あのね……」

「あいつが気に食わないのは認めるけど、流石にそこまではやらないわよ……」

「え……、ち、違うの……?」

 寺院は空の妖精であるニーヴの他、審判を司る海の妖精リールも祭っている。てっきりリールの面前での公開処刑だとばかり思っていたシルヴィアは姉達の返事に目を見開いた。

「なんであたし達があいつの墓穴まで用意してやらないとならないのよ」

「大体、ヤるならヴィアを泣かせない方法を全力で考えるに決まってるでしょ?」

 確かに姉達が犬猿の仲のゴルディに対してそこまで親切だとは思えない。その言葉に一理あると、シルヴィアはようやくほっとしたように表情を緩めた。

「良かった……」

「もう、ヴィアは早とちり過ぎるんだから」

「あたし達はヴィアの幸せの方が大事なのよ?」

 そう、これで姉達もシルヴィアの幸せを第一に考えているのだ。ただ姉達は『お金があれば取りあえず困らない』と思っており、シルヴィアは『たとえ貧乏でも楽しく日々を暮らせればいい』と、お互いの価値観が果てしなく違うだけで。

 姉達が幼馴染であるゴルディと仲が険悪になったのも、ろくでなしで甲斐性なしでおまけにへたれなあの男が、可愛い妹に不届きにも懸想していると知ったからである。

 ──ちなみに彼等はシルヴィアが知らない場所ですでに器物破損を伴う喧嘩を何戦も交えており、その結果ゴルディが何度か施療院送りになっているのだが、シルヴィアの心情をおもんぱかり互いに黙秘していたりする。その部分に関してだけ、意見の一致を見る三人だった。

「じゃあ、どうして寺院なんかに?」

 一方的な誤解が解けた所で、シルヴィアは最初の疑問に戻った。

 姉達の口振りだとゴルディも連れてくるつもりのようだが、この面々で寺院に来る用件をまったく思いつかなかった。

 すると姉達はそろって深々とため息をつくと、再び両脇からその腕を捕獲した。

「え? 何?」

「いいからついて来なさい。多分そろそろ父さんも来る頃よ」

「父さん?」

 さらに仕事熱心で朴訥な父が出て来るに辺り、益々困惑は深まる。

 ──まったく、と言っても一つだけ思い当たる事柄がなくもなかったのだが、シルヴィアの中でその可能性は非常に低かった為、候補の内には入っていなかったのだ。

 しかし、姉達二人に連れて行かれた部屋で、さあこれを着ろと示された衣服とその他付属品を見て、シルヴィアはそのまさかが現実になった事を知った。

「……姉さん、これって」

「ふふ、どうよ? 旦那の取引先から融通してもらった最高級品よー!」

「あたしからはこれね。こういう時くらいは豪華にしなきゃ!」

 確かにそれは長姉が言うだけあって見事な光沢を持つ布で仕立てられたドレスだったし、次姉の示す先にあったのはまずゴルディが作りそうにない、煌びやかな石の嵌ったネックレスだった。

 詰まる所、どうみても婚礼衣装一式だった訳なのだが。

「ちょっと待って。なんでこれをあたしが……?」

 状況に追いつけないでいるシルヴィアに対し、姉達は当然とばかりに胸を張った。

「あんたの式だからに決まってるじゃない」

「半年前から準備してたんだから。ふふ、驚いた?」

「そりゃ驚いたけど……って、あたしの式?」

 予想外の流れに、シルヴィアは目を白黒させた。

(お式って事は当然、……結婚式って事よね?)

 姉達二人の婚礼は嫁いだ先がそれぞれそこそこの商家だったので、それは豪華で華やかな物だった。

 二人はいつも以上に(物理的な意味でも)輝いていたし、参列者も多く、何処となく場違いな思いをしつつ、やはり派手さとは無縁の父と二人で次第を見守ったものだ。

 そう、自分にはこんな世界は無縁だと思っていたのに。

「姉さん達、気持ちは嬉しいわ。嬉しいけど、ちょっと待って」

「何よ。何か問題でもあるの?」

「式自体は昼過ぎの予定だから何か足りない物があるなら──」

「ええと、そうじゃなくて……!」

 姉達の気持ちが嬉しくない訳ではない。自分には不釣り合いなほど派手な気もするが、ドレスや装飾品はとても綺麗だ。だが、しかし。

「その……、結婚式って、とっくに結婚してる人もやっていいの?」

 おろおろと尋ねるシルヴィアの指には小さな石の嵌った、姉達から見ると子供の玩具のようにしか見えない指輪が一つ。

 そう、いろいろ事情があって同居こそしていないが、姉達二人を嫁がせ、ようやく自分の幸せを考えるようになったシルヴィアがゴルディの求愛を受け入れたのは、今から一月ほど前の事だった。

 現在はシルヴィアがゴルディの元に通う日々だが、役所には婚姻の届けも出しているし、式こそ挙げてないが実質的に夫婦なのである。

 そんなシルヴィアの言葉に、姉達二人の顔が再び義兄達に見せられないものへ変化した。

「やっていいに決まってるでしょ!」

「結婚式は女の人生で最大の華よ!! ないがしろにしていい訳がないでしょうが!」

「なのにあの野郎、こっちが何も言わないのを言い事に……! なーにが、『俺に任せろ』よ」

「あたし達はいつ式の知らせが来るかって、本当に楽しみにしてたんだよ!! あいつには到底無理だと思って、ドレスの注文とかもしてさ!」

「そ、そうだったの……」

 姉達の剣幕にシルヴィアは気押されたように後ずさった。

 何となく言い辛い。式はせず、落ち着いた頃に身内だけでひっそりとしたお祝いの席を──そう望んだのが他でもない自分である事を。

 それでも妻として夫を何とか危険から守らねばと、シルヴィアは勇気を振り絞って口を開いた。

「違うのよ。式はしなくていいって言ったの、あたしなの……!」

「はあ? またあんな野郎を庇って……」

「本当になんて健気なんだろう。それに引き換え、あのろくでなしは……っ」

「本当よ、あたしが言ったの! ……だって、その、こんな豪華な格好とかあたしには似合わないし」

 ゴルディはちゃんと式を挙げようと言ってくれたのだ。人嫌いなだけでなく、シルヴィア以上に着飾る事も、かしこまった場も嫌いな癖に。

 しかし、婚礼は規模が大きければそれだけ費用もかかる。

 交流範囲が非常に狭いゴルディはともかく、気さくで顔も広いシルヴィアには式を挙げるなら是非呼んで欲しいと言う友人知人が多く、全員を呼ぶとなると下手すれば姉達の規模を上回る可能性もあった。

 姉達の婚礼は大部分を義兄達が負担したが、ようやく固定客がつきだしたゴルディにそんな資金力はないし、シルヴィアの方も商店街の小さな八百屋に過ぎず、多くの人をもてなすだけの資金を用立てるのはかなり難しかった。

 第一、今ゴルディが住んでいる小屋は工房を兼ねている事もあり、少々手狭な上に老朽化も激しく、二人で住む事を断念したくらいである。

 式などしなくても、夫婦にはなれる。堅実なシルヴィアは現実──まずは二人の新居を手に入れる──を優先したのだった。

 確かに個人的な事だからと、父以外には詳細を伝えなかった。ゴルディとの結婚を『貧乏暮らしでシルヴィアが苦労する』という理由で最後まで反対していた姉達にそんな裏事情を伝えれば、それみた事かと益々ゴルディを責める気がしたからだ。

 どうやら姉達はそれを曲解したらしい。結果的に悪い事は全部ゴルディの責任になってしまっているようだ。何とかゴルディは無実である事を伝えねばと必死に頭を働かせていると、姉達はさらに怒りに任せて言い募る。

「大体、あいつ細工職人なのにろくな物作れないじゃない。あんたに今まで贈ったのって、どれもこれも地味で見映えしない物ばっかりでしょ」

「仮にも妻にこんな子供騙しな指輪を贈るなんて、才能ないんじゃないの?」

 『才能がない』──その一言を聞いた瞬間、シルヴィアの顔から表情が消えた。

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