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銀のお仕事(2)

「まあ、ゴルディ! 大丈夫!?」

 慌てて駆け寄り顔を覗きこむ。顔色は悪くないし、目の下に隈が出来ていないから、寝ずに作業してそのまま倒れた訳ではないようだ。という事は──。

「……またお酒を飲み過ぎたのね」

 視線を室内に向け、薄暗い中に浮かび上がる酒瓶と思われる影と、家主以外からも漂う酒臭さでそう判断する。

 こうした事は初めてではないが、こんな心臓に悪い寝落ちの仕方は初めてだ。それだけ深酒をしたのだろうが、一体酔ったまま何処へ行こうとしたのだろう。

 取りあえず寝ているだけだと判断し、ほっとない胸を撫で下ろす。

 バスケットを放り出さなかった自分を褒めてから、シルヴィアは地面に転がるゴルディをそのままに(彼は飛びぬけて長身でも太ってもいないが、全体的にがっしりとした体型をしており、シルヴィアの腕力では床を引きずらずに中に運ぶ事は出来そうになかったからだ)、勝手知ったる古い小屋の中に入る。

 ぷん、とより強まる酸化した酒の匂いに顔を顰めつつ、まずはバスケットを机の上に置き、片っぱしから部屋の窓を全開にして行く。

 明るい光が射し込む事で室内の惨状が明らかになる。

 ゴルディは深酒しても暴れたり悪酔いして吐いたりする事はないが、ワインの一本では済まない上に飲み干したそれを適当に転がすので床やテーブル、果ては奥の寝台の下まで酒瓶が無秩序に転がる事になるのだ。

 やれやれ、と小さく肩を竦めると目の前に転がった瓶に手を伸ばす。

 ──どうやら今日の最初の仕事は、遅めの昼食を差し入れる事ではなく、彼の酒盛りの後片付けらしい。


+ + +


 ゴルディが目を覚ましたのは、シルヴィアが床に転がっていた酒瓶を部屋の隅に片付け、テーブルの上に零れたワインの跡をふき取って綺麗にした後、その内目覚めるであろう彼の為に常備している黄金林檎を摩り下ろして酔い覚ましの林檎水を作っている時だった。

 前触れもなくむくりと身体を起こしたゴルディは、寝惚け眼で周囲を見回し──下ろし金片手に林檎と格闘しているシルヴィアに気付くとその目をかっと見開いた。

「──ルヴィ?」

 ゴルディは昔から、シルヴィアの事を『ルヴィ』という愛称で呼ぶ。他の家族は皆『ヴィア』と呼ぶので彼だけの特別な呼び名だ。

「おはよう、ゴルディ。身体痛くない? もうちょっと待ってて、林檎水作ってるから」

 怒りもせずそれが当たり前のように返すシルヴィアに、ゴルディは何故か途方に暮れたような顔をした。そしてもごもごと何か言いたげに口を動かし、やがて注意しないと聞き取れないような声がそこから漏れる。

「あー、その……、すまん」

「……お酒はほどほどに、ね?」

 小さな謝罪の言葉にシルヴィアは曖昧に微笑んだ。

(本当に、何で謝るのかしら)

 一方的に押しかけて勝手をしている自覚があるシルヴィアにしてみると、度々彼が口にする謝罪の言葉は受け入れづらい。何に対しての謝罪なのかわからないというのも理由の一つだろう。

 幼馴染と言っても一応は客人であるシルヴィアに、何から何まで片付けさせた事を申し訳なく思っているのか、酔い潰れた醜態をさらしてしまった事を恥じているのか、それとも何度言っても酒量が減らない事に対してだろうか。

 その全てに対してかもしれないし、それ以外かもしれないが、ただの条件反射的なものである可能性もあるので判断がつかない。

 シルヴィアの手によって、ゴルディの小屋には昨夜の酒の名残りはほとんど残っていない。綺麗に片づけられたそれらを居心地の悪そうな表情で見回し、ゴルディはゆっくりと立ち上がった。

「なあ、──今日は、何で」

 聞きづらそうにそんな事を聞いてくる。今日は来る予定ではなかったのに、という事だろう。寝起きのぼさぼさ頭が鳥の巣のようだと思いつつ、シルヴィアは出来あがった林檎水を差しだした。

「突然ごめんなさい。昨日、御近所から美味しいサーモンを頂いたの。それでパテを作ってみたらとっても美味しく出来たものだから、ゴルディにも食べて貰おうって思って」

「……そっか」

 食生活が貧しいゴルディの為に、シルヴィアが何かしら差し入れを持ってくるのはいつもの事だったのでその答えで納得したようだ。

 いつも以上に言動が鈍いのは若干酒が残っているからだろう。受けとった林檎水をそのまま一気に飲み干し、ふうと吐息を一つつくと、彼はそのままテーブルに置かれたバスケットの蓋を開けた。

「じゃあ食う」

「ええ、どうぞ。その為に作ってきたんだから」

 そのままシルヴィアは簡素な厨房に戻り、摩り下ろした残り半分の林檎の皮を剥き、いくつかに切り分けた。ティル・ナ・ノーグ特産の黄金林檎は美味しいだけでなく栄養だって満点だ。サンドイッチのデザートに丁度いいだろう。

 シルヴィアが飲み物代わりの二杯目の林檎水と切った林檎を持ってテーブルに戻ると、サンドイッチはほとんど姿を消しており、ピクルスも一瓶の半分ほどが消えていた。どうやら彼の口にも合ったらしい。

「残りの林檎も食べちゃって。美味しかった?」

 その食べっぷりに満足しながら何気なく尋ねると、いつもなら『美味い』という代わりに一度頷くゴルディが、その質問で動かしている手と口の動きをぴたりと止めた。

(あら?)

 一体どうしたのだろう──そう思っていると、ゴルディはひどく真面目な顔でシルヴィアに呼びかけた。

「……ルヴィ」

「何?」

「前々から言おうと思ってたんだが……、その、いつも、悪いな」

「……何の話?」

「飯とか、掃除とか……いろいろやってくれてるだろ」

 どうやら彼の様子を見に来ている事に対して悪いと思っているらしい。

 様子を見に来るのも、身の回りの世話を焼くのも、自分が好きでやっている事だ。だからこそ、シルヴィアはゴルディが何に罪悪感を抱いているのか理解出来なかった。

「そんな、悪いなんて……。あっ、もしかして──やっぱり迷惑だった?」

「へ?」

「そうよね、ゴルディだって大人の男だもの……」

 年頃の独身男性の一人暮らしに、いくら心配だからと言って、ずかずか入り込むのは流石にどうかとシルヴィアも密かに思っていた。

 彼だって一人前の男なのだし、時には後の事を考えずに飲み潰れたい事もあるだろう。

 それにいくら人嫌いでも人づきあいが全くない訳ではない。今まで遭遇した事はないが、飲み友達くらいはいるようだし、年頃でもあるから(女性に興味があれば)恋人の一人だって欲しいに違いない。もしかするとすでに意中の女性がいるかもしれないのだ。

 なのに『姉』が頻繁に顔を見せるとあっては、彼の性格を考えても、気軽に家に呼ぶ事など出来ないに違いない。

「あまり出しゃばるつもりはなかったの。ただ心配で……、でも、ゴルディが嫌なら当分来な──」

「いやいや! そうじゃなくてだな!」

 しゅんと落ち込んで一人先走るシルヴィアにゴルディが慌てたように口を挟んだ。

 一見のほほんとしているように見えるシルヴィアだが、実際は頭の回転が速く着眼点も鋭いし要領だって良い。

 だからこそ、雑多な仕事を同時進行でこなしていても大変そうに見えないばかりか、その仕事ぶりも完璧なのだが、今のように時に思考が先回りし過ぎてしまい、こちらの思ってもみない結論を出してしまう事があるのが困りものだ。

「そのな、来てくれるのはありがたいんだ。本当だ! 今日の飯も、う、美味かったぜ。でもあの、……みっともねえ、だろ」

 しどろもどろに言葉を続ければ、シルヴィアは不思議そうに首を傾げる。

「みっともない? 何が?」

「だから……っ、俺が、だよ。酔い潰れて床に寝てるとかよくあるし、満足に仕事も取れないし……金も、ねえ、し」

 言いながら気恥ずかしそうにうつむく様子は、何となく子供の頃に叱られた時の彼の姿を思い出させる。

 二十歳も過ぎた男でガタイもいいのに、そういう子供っぽい仕草をされると妙に可愛く見えるから困る。ほとんど反射的にシルヴィアは彼を庇うような言葉を紡いでいた。

「いいのよ、ゴルディ! 誰かが飲み過ぎないように見張っている訳じゃないんだもの。仕方ないわ」

「仕方がねえって、だがよ……」

「だって、ゴルディは本当にお酒が好きなんだもの。止めたくても止められないって普通だと思うわ。ええ、火の元に気をつけて、風邪をひいたりしなければいいの。仕事だって人が苦手なんだから──……あ、そう言えば、ゴルディ。今更だけど、本当に一人立ちしちゃって良かったの? お師匠さんの所の手伝いでいた方が楽だったんじゃ」

「お、おう。気遣いありがとよ……」

 怒涛のような励ましの言葉を、ゴルディは気押されたように頷く事で何とか押しとどめた。

 実際、一人立ちすれば仕事を取るのも営業も自分でやらねばならず、人嫌いだろうと自動的に人と関わりを持つ機会は増える訳で、苦手な事をやっている反動で酒量も増える──という悪循環に陥っている事は事実だ。

 だがしかし、ゴルディが伝えたいのはそういう事ではなかった。

 がしがしと寝乱れたままの頭を掻き、何とかうまい伝え方はないものかと思ったのだが、普段の口下手が邪魔をして、思うような言葉は出てくれない。

 再び途方に暮れたような顔をするゴルディに、シルヴィアは益々誤解を募らせた。

(あっ! 駄目じゃない、シルヴィア! 折角ゴルディが自分で考えて独立の道を選んだのに、水を差すような事を言って!)

 第一、ゴルディは自分を過小評価している。

 今でこそ寝起きで、服だって昨日のままでよれよれだし、うっすら無精ひげすら見える有様だが、顔立ち自体は悪くない。いわゆる美形ではないが、男らしい──そう、『男前』だ。

 身体つきだってがっしりとして頼りがいを感じさせるし、あのシルヴィアの姉達もゴルディ(の見た目)を気に入ってる位だ。細工師という職業だって、女性受けの良い仕事の一つに違いない。

(あら……? 今まで考えた事なかったけど、もしかしてゴルディって人嫌いさえなければ女の子にモテるんじゃないかしら?)

 そのまままじまじとゴルディの顔を見つめる。その視線をどう受け止めたのか、珍しくゴルディもじっと見返してきた。

 そう言えば、彼が職人の道を志してから今まで、こんな風にじっくりと彼の顔を見た事はなかったかもしれない。

(あらまあ、いつの間にか一人前の顔になっちゃって)

 シルヴィアの中では彼が弟子入りする前の『危なっかしくて放っておけない弟分』という印象が未だ色濃くあるのだが、十年近くの年月で彼の外見は随分と変わった事を再認識する。

 十代の中頃からあまり変わり映えのない自分と比べ、縦にも横にも成長したゴルディの変化は明らかで、その事にしみじみ感じ入っていると不意に手を掴まれた。

「……え?」

 一体何だろうと思っている内に、気付くとそのまま引き寄せられて距離が縮まっている。

 抵抗する必要性も感じられず、かと言って彼がどうしてそんな行動を取ったのかも理解出来ないまま、幼馴染という間柄にしては距離が近過ぎるんじゃないかしら──などと頭の何処かで考えていると、よれよれの姿のままでゴルディは真剣そのものの表情で口を開いた。

「……ルヴィ、聞きたい事がある」

「聞きたいこと? 何かしら」

「……仕事も甲斐性もねえし、苦労させるとも思う。それでも、その……」

 確かに今のゴルディは日々の食事にも困る状態だが、それは彼に自分の腕や作品を売り込もうという意志が薄いせいだろう。だからその部分を補える人間がいれば、おそらくその問題は解決するに違いない。

 ゴルディの腕前は素人目でも十分だと思える程だ。一気に名が知られるような事はないだろうが、彼の作品の良さは実際に使ってさえくれればきっと伝わるはず──。

 けれど何となくそう助言出来る雰囲気ではなく、近過ぎる距離もそのままだ。

 対応に困って黙って言葉の続きを待てば、やがてゴルディはシルヴィアがまったく思いもしない事を言いだしたのだった。


「──俺の、嫁になってくれないか?」

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