銀のお仕事(1)
夫婦の日合わせで、ユータスさんの師匠、ゴルディさんとその奥様の慣れ染め一歩手前話。ユータスさんは出てきませんので興味のある方だけどうぞ。
ティル・ナ・ノーグの片隅で暮らすシルヴィア・リハインは、毎日朝から晩まで忙しい。
と言うのも、彼女は家のあらゆる家事を一手に引き受けているだけでなく、家業の手伝い(小さな八百屋である)もやり、さらには隣家の足の悪い老婆の使い走りをし、合間の空き時間にはギルドで請け負った内職をやるし、ついでに三日に一度の頻度で少し離れた場所に暮らす幼馴染の生存確認にも行っているからである。
言葉にすると実に目まぐるしい限りだが、本人が特にそれを苦にした様子もなく、くるくると楽しそうに働いているので、周囲の人間はその事実に気付いていなかったりする。
今日もシルヴィアは老婆のお使いで王都の付近で暮らす彼女の娘宛の書簡をメッセンジャーに託し、その足で幼馴染の元へ向かうべく、のんびり歩きながら鼻歌混じりに今日の夕食の献立を考えていた。
(お昼はこれだったから──夜は煮込み料理とかどうかしら。父さんが好きだし、多めに作っておけば明日の朝も食べられるわよね)
そんな事を思いつつ、手に提げたバスケットに視線を向ける。
その中身は売れ残った野菜と近所の魚屋に貰ったエクエスサーモンの切り身(やはり売れ残り)で作ったパテを挟んだ栄養満点のサンドイッチに、同じく売れ残った野菜の切れ端で作ったピクルス各種。
歩く度に瓶が微かにカチャカチャ鳴り、まるで伴奏のようだとシルヴィアの表情が綻ぶ。
シルヴィアの信条は『何事も楽しむこと』。家事も、家の手伝いも使い走りも──そして、幼馴染の元に様子を見に行くのも、彼女なりの楽しさを見出している。
もちろん最初からここまで前向きだった訳ではない。それなりに理由あっての事だが、お陰で毎日が楽しく過ごせている。
カチカチ、カチン。
硬質な硝子の触れ合う音に耳を傾けつつ、シルヴィアのダークグレーの瞳は周囲の様子に向けられる。
(あ、あそこの庭の花が咲いてる。帰りに近くで見させて貰おう)
その時、通りの角にある家の垣根の隙間から見覚えのある柄の犬が顔を出し、シルヴィアが片手を軽く振ると嬉しそうに尻尾をぶんぶんと振ってくれた。
「ポーラ、元気そうね」
いつも幼馴染の家に行く時はこの道を通るので、彼女──名前からもわかるが、メスなのだ──には最初は吠えられたりもしたのだが、今ではすっかり顔馴染みだ。
「今日もお留守番? 早く御主人様が帰って来るといいわねえ」
話しかければ、キューン、と少し寂しげな鳴き声が返る。ポーラの飼い主は漁師で、朝早く漁に出て夕刻まで戻って来ない。奥方は奥方で港の方で働いているらしく、いつもポーラは一匹で留守宅を守っている。
慰めるように頭を軽く撫でてから別れを告げると、ポーラはじっと見送ってくれる。
(さてと、今日はちゃんと起きてるかしら)
ポーラの家を過ぎれば、目的地はすぐそこだ。
今日は元々様子を見に行く日ではなかったのだが、昼食に作ったサンドイッチが我ながら美味しく出来たし栄養もあるので、是非とも幼馴染に食べさせたいと思ったのだ。
どちらかと言うと口下手な彼は、基本的に褒めるという事が苦手なので、言葉に出して『美味い』とは滅多に言わないけれど、実に美味しそうに食べてくれる。やはり手をかけて作る以上は喜んで貰える人に作りたいし、食べて貰いたい。
そんな二つ年下の幼馴染――名をゴルディ・アルテニカという――は、最近一人立ちしたばかりの駆けだしの細工師で、ついでにいろいろな理由から売れっ子とは言い難く常に懐具合が寒い。
以前は職人ギルドに住み込んでいたので衣食住の内、住に関しては最低限の保障はあったのだが、そこで何やら問題があったらしく、住んでいられないと飛び出してしまったらしい。
一応、彼には両親を含めてティル・ナ・ノーグに何人か親族がいるものの、子供の頃から偏屈な所のある彼は何処とも少々折り合いが悪い。
彼等の世話にはなれないと実家にも帰らず、最終的にシルヴィアの家から(つまり彼の実家からも)少し離れた場所にある空き家に転がり込んだのは、今からおよそ半年ほど前の事だった。
彼も一応は独り立ちした職人なのだし、年齢的にも子供ではない。最初の内は時折様子を見に来ていた彼の家族も、すでに説得を諦めているようだ。
にもかかわらず、シルヴィアがゴルディの元に様子を見に行くのは、彼が放っておくと数日食事を抜いたり、何日も徹夜して仕事をしていたり、かと思えば酔ってそのまま床で転がって寝ていたりと自己管理能力が欠如しているからに他ならない。
他にも大事なはずの仕事道具とかも適当に管理するし、周囲が埃まみれでも気にしないので、彼の家は当初とんでもなく荒れ果てていた。
いくら彼が若く頑丈でこの街が一年中気候が良いと言っても、清潔とは言えない場所でそんな生活を続けていたらいつかは病気になるか倒れるに違いない。
そんな状況を見るに見かねて、シルヴィアはお節介を承知で彼に『三日に一度、様子を見に来る』事を提案したのだった。
放ってくれていいと嘯く彼を、とても黙って見てはいられなかったのだ。
三日に一度は、これでも譲歩した方である。本当だったら毎日だって様子を見に来たいくらいなのだから。
何しろ、彼は自分以外の事も適当で、仕事も彼がその時に気が向いた物から手をつけてしまう。結果として納品期日に間に合わない事も多く(そのせいで徹夜する羽目によくなっている)、さらに悪い事に大の人嫌いと来ている。一応、客商売というのにそんなこんなで何かとトラブルが多いのだ。
そうでなくても家賃と仕事で使う原材料費、そして彼が三度の食事よりも愛してやまない酒代を優先した結果、普段の食事が割を食ってそれはそれは貧しいと言うのに、そんな事では安定した収入を得るのは至難の技である。
ゴルディは幼い頃からの付き合いであるし、シルヴィアにとっては、大切な家族──『弟』のような存在だ。どうして心配せずにいられるだろう。
出来れば彼には野たれ死ぬような事にはなって欲しくないし、何よりも繊細とはほど遠い無骨な彼の手から生み出される作品を、シルヴィアはとても愛していた。
──ちなみに、シルヴィアには上に二人の姉がいる。
三つ、二つとそれぞれ年の離れた姉達は近所でも評判の大変な美貌と見事な凹凸の持ち主で、十代の頃に行われた美女コンテストで入賞を果たした程だ。
一方シルヴィアはと言えば、至極平凡──と言うよりは、地味──な容姿で、ついでに凹凸も非常にささやかなものだったりする為、並んでいてもまず姉妹とは思って貰えない。
シルヴィアの人柄もあり、表だって比較されるような事は幼い頃から今に至るまで滅多にない。姉達もシルヴィアをとても可愛がってくれている。
けれど毎日顔を合わせれば、姉達と自分の違いはどうしても目についてしまう。
シルヴィアが自分の容姿を自覚するのは早かったし、自分を磨く事を諦めるのも早かった。長じた今もろくに化粧気はないし、服装だってろくに飾り気もない。
──だって、似合わないんだもの。
シルヴィアだって、年頃の若い娘だ。着飾ってみたい、おしゃれをしたいという気持ちは人並み程度にはある。けれど、すぐ側に美しい姉二人がいると、どんなに素敵な服を着ようと、いくら丁寧に化粧をしようと、自分の平凡地味さを思い知るだけだった。
着飾る事を諦めた、その頃からだ。シルヴィアが何事も楽しむ事を信条にしたのは。
自分の容姿の事は誰を責める事も出来ないし、一生付き合って行くものだ。嘆いても仕方がない。そしてそれを理由に、他の出来事まで詰まらなく思うようにはなりたくなかったのだ。
そんなシルヴィアに、何を思ったのかまだ修行中だったゴルディは、毎年誕生日の度に何かしら作ってくれるようになった。
小さな髪止めであったり、小さな石の下がったペンダントだったり──それは一見、素っ気ないくらい地味で特別なものには見えなかったけれど、だからこそシルヴィアも気後れせずに身に着ける事が出来たし、いつも不機嫌そうな顔で人に関わる事が嫌いな彼が、他でもない自分の為に作ってくれたのだと思うと、とても特別な物に感じられたのだ。
そう、ゴルディはとても口と態度が悪いけれど、心根はとても優しい。
そんな彼の作品は見ただけではわからないが、使う人への思いやりが籠っている。だからきっといつか認められるに違いない。
そう思うからこそ、微々たるものでもシルヴィアは今の状況を改善する手伝いがしたかった。
せめて彼が自分で自分の事を管理出来るようになるか──今まで改善されなかったので、とてもそうなるようには思えないけれども──あるいは、代わりに管理してくれる女性が現れるまで。
やがて、白っぽく日焼けした煉瓦を積んだ塀が見えて来る。そこを曲がれば目的地だ。シルヴィアはいつも通り塀を曲がり──入口を一目見るなり立ち止った。
というのも、いつもは人を拒むように閉じられている入口の扉が半開きになっており、さらにその隙間から見覚えのある男の上半身がはみ出していたからである。




