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アルテニカ工房繁盛記 ~日々のいろいろ~  作者: 宗像竜子
その6.キツネ色に憧れて
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キツネ色に憧れて(3)

 それは今まで気付いていなかった事が不思議な程に随分と大きな箱だった。

 現在、150セルトマイス(1セルトマイス=1センチメートルに相当)弱のニナの身長よりも少し高い場所に蓋がある。

「お兄ちゃん、あの箱は何?」

「ん……? ああ、あれか」

 今度は一体どんな味だったのか、眉間に皺を刻んで複雑そうな顔でクッキー(仮)を処理していたユータスは、ニナの視線を追いかけて何の事を言っているのか気付くと軽く頷いた。

「ベルベルに貰った」

「えっ、ベルベルちゃんに?」

 もちろんニナもユータスを慕うメリーベルベルとはすでに顔見知りだ。この兄の一体何処を気に入ったのか謎だが、年も一つしか違わないので、顔を合わせれば親しく話す仲である。

 兄の言葉にはっと閃く。そのメリーベルベルが贈ったというなら、目的は一つしかないだろう。

「もしかして、ライラ・ディに貰ったの?」

「ん? ……ああ、そうか。そういや昨日はライラ・ディだったな」

 ニナの指摘でようやくその事実に気付いたと言わんばかりの一言に、ニナの眉が一気に急角度に持ちあがった。

 この口調だと昨日がライラ・ディであった事とメリーベルベルに貰った箱との関連性まで考えが及んでいるようには思えないし、今食べているクッキーも何の為の菓子かわかって食べているのか怪しい。

「そういや、じゃないでしょ!?」

 あれほどお説教したと言うのに、この兄にはほとんど通じていなかったらしい。呆れを通り越して情けない。どうやらニナの逆鱗に触れたらしいと察したユータスが、そのまま丁度口にしたクッキーをごくりと飲み込んで軽く咳き込むが心配してやる必要性を感じなかった。

(こんなに大きい箱……きっと力作に違いないわ! やるわね、ベルベルちゃん……!!)

 メリーベルベルの料理の腕前がどれほどの物なのかは不明だが、自分がクッキー一つであれほど苦労した事を考えれば相応の労力がかかった事は明らかだ。

「なんでそんな大事なものを部屋の隅に置いてるの? 置物じゃないんでしょ?」

「けほっ、ああ……、確かチョコレートだった」

「やっぱり……! って、もう食べたの!?」

「え? いや……。まだ、だけど」

 勿体ないから、というユータスの言い訳はすでにニナには聞こえていない。

「チョコなのに!? 溶けちゃうじゃない!!」

 ニナが湯煎で苦労しただけあって、結構デリケートな食材である。

 何よりティル・ナ・ノーグは冬に位置付けられる季節も暖かいのだ。冷暗所ならともかく、普通の部屋の隅に置いておくなど、保存環境としては劣悪と言えるだろう。

 ニナの言葉でその可能性にユータスもようやく気付いたらしい。幾分神妙な顔になると、抱えていた袋をカウンターに置き、箱の方へと向かう。中身の無事を確認しようと思ったのだろう。

(まったく、本当に食べ物の事に無関心過ぎるんだから!)

 ユータスが無関心なのは食事の事だけに限った事ではないのだが、食べ物に関しては度し難い基準に達していると思う。確かに食べろと言ったのはこちらだが、妹からの義理のクッキーより、本来のライラ・ディの意味で贈られた物を優先すべきだろう。

 これで溶けて食べられないような状態になっていたら、頑張って作ったであろうメリーベルベルに合わせる顔がないではないか。

(……ん? ベルベルちゃんに貰ってこの反応って事は、イオリちゃんからは貰ってないの?)

 家族以外で身近な女性と言えば、メリーベルベルよりイオリの方が距離は近い。何しろ、この工房の共同経営者である。

 まだ完全にこちらの行事のすべてに精通しているとは言えないようだし、知らないでいる可能性もない訳ではないが、仮に渡していれば一言もなしに渡すとは思えない。

 ニナやウィルドには『優しいお姉ちゃん』だが、ユータスにはその限りではない。イオリの性格的に『これは付き合いだから』とか何とか聞いてもいないのに言い訳しそうだなあ、とニナはぼんやり考えた。

 何にせよ、メリーベルベルだけでなくイオリからも渡されていれば、流石にユータスもいつもと違う事くらいは察していそうなのにそれがないという事は、貰っていないのかもしれない。

 箱の中身が無事かどうかも気になるが、この辺りもどうなのかとても気になる。大変気になる。これは後で要確認である。

「どう? 大丈夫そう?」

「……ちょっと溶けてはいる。けど、これはなかなか面白い事に……」

「へ? 何?」

 蓋を開けて中を確認するユータスに近付き、深く考えずに横から中を覗きこむ。よくよく考えれば、そんな大きな箱が必要なほどの『何』を作ったのか、疑問を感じるべきだったのだ。

 蓋がなくなった事もあり、少し背伸びすれば何とか中を見る事は出来た──が。

 そこにあった物を目にした瞬間、ニナは咽喉の奥でヒッと悲鳴を上げると、そのまま固まった。

「……? ニナ? どうした」

 妹の只ならぬ様子にユータスが驚いたように声をかけてくるが、そんな声は届かない。

 箱の中に入っていたのは、ユータスの言う通りチョコレートの色をした物だった。ただ、その形がニナの想像の遥か斜め上過ぎたのだ。

 果たしてそれは、チョコレートで象られたほぼ等身大のグールであった。

 ただし──それは溶けかけていたせいもあるだろうが、元々目の位置から少しずれていた目玉を模したゼリーは顎の辺りまで下がっていたし、中に仕込まれていたジャムもだらりと流れており、表面はまるでドロリと濡れたようになっている。当初よりもさらにリアルなグール状態となっていた。

「おい、ニナ……」

 大丈夫か、と続くはずだったユータスの言葉は


「……っ、キャアアアアアアアアアア!!」


──そんな絹を裂くようなニナの悲鳴によってかき消される事となった。


+ + +


「兄ちゃん! 生きてるー!?」

 さらにその翌日、ユータスの元を訪れたのは、昨日顔を見せなかった弟のウィルドだった。

「生きてる……」

 答えるユータスは返事を返しつつ、ぐったりとカウンターに突っ伏している。仕事明けほどひどくはないが、見るからに消耗している様子にあーあ、とウィルドはため息をついた。

「何やらかしたのさ、兄ちゃん。昨日の姉ちゃんの荒れっぷり、半端なかったんだけど」

「……それはオレが聞きたい」

 悲鳴を上げたと思うとすごい勢いで入口まで退避したニナは、自分で勝手に見ておいて『なんで先に言わないの!』と逆ギレした挙句に、何故メリーベルベルがグールの形のチョコレートなどを作る事になったのか理由を聞いてきた。

 聞かれたので事と次第を説明した所、それを理解したニナに『女の子になんて物を作らせてるの!』とさらに延々と小言を貰ったのだ。そんな事を言われても、まさかあの質問からチョコレートでグールを作ってくるとは思ってなかったので非常に困るのだが。

 普段は一通り説教をすると沈静化するのに、結局怒ったまま帰ってしまったので、理由も聞けずにユータスは一体何がいけなかったのかわからずに終わったのだった。

「そういや姉ちゃん、失敗作持ってきたんだよね? もしかして文句とかつけた?」

 言いながらも、それはないだろうとウィルドは自分で結論した。ユータスは味覚が雑だからか、それとも単に面倒臭いのか、多少不味いと思われるものでも黙って完食する人である。

「別にそんな事は言った覚えはないんだけどな……」

「そうかー。他に何か切っ掛けなかったの?」

「ん……。なんか、ベルベルが作った物を見たら怒りだしたんだ」

「ベルベル?」

 やはりすでに顔見知りのウィルドはユータスの言葉に首を傾げた。メリーベルベルとニナは性格が合うのか仲が良いし、作った物を見ただけで怒るという事は考えづらい。

「ああ、あれなんだけどな」

 ユータスが指さす方向を見たウィルドは、そこに鎮座した箱の大きさにまず驚きの声を上げた。

「うわ、でっか! 何これ!」

 ニナは背伸びしてぎりぎり中を見る事が出来たが、ウィルドではまだ難しい。ニナの件で学習したユータスは、いきなり見せない方がいいだろうと判断して中身が何か先に伝える事にした。

「ベルベルに貰ったチョコレート製のグールなんだが……見るか?」

「へ?」

 ウィルドは一瞬耳を疑った。兄と違ってチョコレートという時点で、『ああ、ライラ・ディか』という連想くらいは働いたが、その後に続いた単語が解せない。

「……なんでグール?」

 普通の恋する乙女が作る題材にしては、随分と特殊である。確かに、渡す相手がユータスなら引かれる事はまずないだろうが。

 ウィルドの疑問に、ユータスはまた事と次第を説明する羽目になり、それを聞いたウィルドはやっとニナが何に怒ったのか薄々察する事が出来た。

「兄ちゃん、中見てもいい?」

「ん。どうせ、そろそろ食べないといけないしな……」

 勿体ないが、と少し切なそうに呟く辺り、メリーベルベルの贈り物はユータス的にはかなりポイントが高かったようだが、残念ながら材質が悪すぎたようだ。

 椅子を借りて中を見たウィルドは、一目見るなりその壮絶な作品に『うわ』と一言漏らしたものの、すでに心の準備をしていた事もあって悲鳴を上げるような事はなかった。

 代わりに何故かその顔に、にやにやと企むような笑みを浮かべる。

「姉ちゃんの弱点発見~♪……」

 基本的にしっかり者で勝気なニナは、虫やら雷といった年頃の少女が苦手にするものに関しては平然としているのだが、どうやらこの手の物が苦手らしい。

 同じ年頃の子供同士で怪談で盛り上がっている時は平気そうだったのだが、単に話を聞くのと実物を見るのとでは違うという事かもしれない。

「……?」

 ウィルドが何故そんな黒い笑顔を浮かべるのかわからず、ユータスは首を傾げながら目の前のチョコレートグールを何処から食べるべきなのか悩み始めていた。

 順番からすると頭からだろうか──あるいは末端、指先辺りからか。ニナのクッキーもまだ半分残っているので、当分食事はその二つになりそうだ。

 ──悪乗りしたウィルド達が原因でグール絡みの様々な噂が広がり、特に明言していないというのに彼がグール好きという事になってしまうのはしばらく後の事である。

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