世を知るスミレと世間知らずのカエル(6)
ヴィオラはそれから三日後に再び姿を現した。明日、王都に帰るのだという。
先日の依頼は来月またティル・ナ・ノーグへ来た時に受け取りに来るそうだ。期間としては半月ほど。制作期間としては十分だろう。
ユータスが制作を受けた事を知ると、ヴィオラは嬉しそうに笑った。
「来月受け取るのが楽しみね。どんな物が出来るのかしら」
心から楽しみにしている様子のヴィオラの笑顔に、ユータスは何となく落ち着かない気持ちになり思わず口を開いていた。
「……あの、マダム。本当にいいんですか?」
「え?」
「オレ……、まだ弟子の内にも入ってないのに」
カルファーが難色を示したのもそれなりに理由があっての事だ。ユータス自身もやってみたいと言ったものの、ヴィオラの嬉しそうな様子を前にして少し不安が過った。
──本当に、素人とさして変わらない自分の手が入った物で良いのだろうか、と。
ユータスの問いかけに対し、ヴィオラは軽く驚いたように数度瞬きすると、はっきり頷いた。
「もちろんよ。ユータスが作ったあの林檎を見て、手元に置きたいと思ったのだもの」
「あんなの……。誰にでも作れます」
何しろ題材が林檎である。このティル・ナ・ノーグでは何よりありふれた果物だし、毎日のように目にする物だ。
粘土遊びが好きな妹のニナも、実家に帰るといつも手製の林檎(仮)を作って見せに来るし、絵を描いたり何かを試しに作る場合、それが選ばれる頻度はとても高い。
そんな一般的で素人でも特徴を捉えやすく単純な形の物だからこそ、ゴルディも初心者同然のユータスに作らせたに違いなかった。
「確かにそうかもしれないわ。でも……、少なくともわたくしには作る事は出来ないし、『ユータスが作ったもの』とまったく同じ物は誰にも作れないでしょう?」
ユータスの言葉を受け止めながらも、ヴィオラはそんな事を言う。
「同じ、物……?」
「ええ。わたくしにとっては出来映えそのものよりも、ユータスの手が入っている事が重要なの。たとえばあれがゴルディさんや他のお弟子さんが作った物だったなら、出来映えが何倍も良くてもわざわざ頼んでまで手元に置こうとはしなかったでしょう」
「なんで……」
熱心な言葉に心からヴィオラがそう思っている事は伝わってくるものの、益々ユータスは困惑した。
そこまで思ってもらえる程、己に技量があるとは思えなかったし、職人としての経験を積んだ師や兄弟子の作品より優れている部分など一つも思いつけなかったからだ。
「何故かですって? とても簡単な事よ」
するとヴィオラは楽しげに微笑んだ。
「まだ職人ではない──これから職人になるであろう、まだ未知数のあなたが手掛けた最初の作品を欲しいと思ったからよ。あなたがこの先、いくつもの作品を手掛けても、最初の物──処女作はこの世でたった一つしか存在しない。それだけで十分手元に置く価値はあってよ」
いろいろと初めて耳にする単語が多くて仔細はわからなかったものの、何だか随分と自分の事を買ってくれているらしい事はわかった。
それでも何処か戸惑いが消えない様子のユータスに、別に何か理由でもあるのかと思い、ヴィオラは方向を変えて尋ねて来る。
「ユータスは細工師の仕事が好きではないの?」
知り合ってから間もなく半年になるが、ユータスについて知っている事はさして多くはない。
明確にわかっている事と言えば、名前と年齢を除けば工房の主であるゴルディの血縁である事と、家族仲がとても良いらしい事、それに動物──正確には動植物全般──が好きという事くらいかもしれない。
ヴィオラの問いかけに対し、ユータスはまったく予想外の事を尋ねられたのか、ぽかんとした表情を浮かべた後、軽く首を傾げた。
「まだ、よくわからないです。先生達の仕事を横で見ていると面白いし、手伝うのも好きだけど、自分が同じ事をやりたいかと言うとそうじゃないし……」
その返事に、ユータス自身の意志でここにいる訳ではない可能性を考える。
作業自体は好きでやっているだろうとは思うが、親戚という事もあるし、何かの際に才能を見出してゴルディが弟子にしたという事もあるだろう。
実際、先日見た林檎は熟練者の作品と比べれば荒削りと言えるだろうが、十歳の子供が作ったにしては細部までよく出来ていた。逆に荒削りな部分が、本職の職人にない面白さを感じさせていたように思う。
だからこそ、ヴィオラは記念としてユータスの最初の作品を手元に置きたいと思ったのだ。
「そう。……それなら、別にやりたい事はあって?」
あのゴルディの事だから無理強いという事はないだろうが、師に言われたから引き受けたという事であればそれは本意ではない。
自身が幼少期にそうした自由が与えられなかった事もあるだろうが、子供には出来ればやりたい事を自由にやって欲しいとヴィオラは思っている。
最初の足跡を手元に置きたいと思っている事は変わらないが、別に今でなくても構わないのだ。この先ユータスが職人を自分から志した時に、改めて依頼すればいいだけの話である。
「やりたい事……」
ヴィオラに問われてユータスはしばらくじっと考え込んだ。今までそんな事は考えた事がなかったのか、そのまま黙りこんで何だか難しい問題に直面したような困惑気味の表情になる。
尋ねたヴィオラも何かしらの答えがすぐに出て来ない事にほんの微かに眉を顰めた。
この辺りの年頃なら、出来る出来ないは関係なしに夢の一つ二つはありそうな物だ。それが考えないと出て来ないのだから、少々問題があるのではないだろうか。
それなりに時間が経過し、足元で寝そべっていたステラが待ちくたびれたように欠伸をした事を切っ掛けに、ないのならなくて構わないと伝えようとした矢先、やっとユータスの視線が持ち上がった。
「……何かになりたいというのじゃなくてもいいんですか?」
「ええ、勿論よ」
少しほっとしながら頷くと、ユータスはとんでもない事を口にした。
「だったらドラゴンの実物を見てみたいです」
「……。ドラ、ゴン……?」
淡々と、まるで今晩の夕食に食べたいものを答えるかのようなごく普通の口調で告げられた言葉に、ヴィオラでも一瞬どう答えて良いのか迷った。何というか、予想の斜め上過ぎたのだ。
「それは……、冒険者になりたいって事かしら?」
「? いえ、見たいだけです。この辺に飛んできたりしないかな……」
「飛んで来たら見に行くの?」
「はい」
「そう……」
(本当にそんな事になったら、のんびり見学どころではないと思うのだけど……)
おそらくこの一帯は戦場もかくやという非常事態になるだろうし、一般人が近寄る事など許されはしないだろう。
一体何の為にという疑問は湧いたが、見たいと思うものが数あるモンスターでも頂点に立つであろうドラゴンである辺りは子供らしいとも言えるかもしれない。
答えたユータスは何故そんな事を聞くのだろうと不思議そうだ。
少々予想していた物と違ったものの、答えてくれたのだからヴィオラもその疑問に答えるべきだろう。
「ドラゴンを見に行くのは簡単な事ではないけれど、やりたい事があったら何でもやって御覧なさい。あなたの可能性はまだ未知数なのだから。……わたくしの依頼についてもそう。うまく作ろうとか、いい物を作ろうなんて考える事はないの」
「え……、でも」
「誤解しないでね。決してあなたの腕を未熟と侮っている訳ではなくてよ。『林檎』というありふれた題材でどんな物をあなたが作るのか、それを見たいの。けれど、やりたいと思っていないのなら無理して頑張る必要はないわ。ゴルディさんにもその事はちゃんと伝えたはずなのだけど、……その様子だと聞いていないわね?」
微苦笑を帯びた言葉に、ユータスは昨日のやり取りを思い返す。確かに聞いていない。言及したのは、依頼を受けた事と、ゴルディが実際の加工を手掛ける事位だ。
だが、ゴルディの言葉が足りない事は酒の席に限った事ではないし、本当に重要であれば何かしら言っているはずなので、おそらく言う必要性がないと思ったのだろう。
「──何か、使える物、でしたよね」
ユータスの問いかけはそのまま、彼が自分の意志でこの依頼をやりたいと思っている事を答えているに等しい。その事に気付き、ヴィオラは柔らかく微笑んで頷いた。
「ええ。折角作って貰うのなら、身近な物がいいわ。けれど、難しければ何でも構わなくてよ」
さらに自由度を上げられて、普通なら途方に暮れる所かもしれない。どんな物が好みか把握していない以上、何か指定して貰った方が作りやすい。
「わかりました。頑張ります」
しかしユータスはじっとヴィオラの顔を見上げると、やがてしっかりと頷いた。どうやら何か思いついたようだ。
(さて、どんな物を作ってくるのかしら)
来月の来訪を早くも楽しみにしながら、ヴィオラはユータスに別れを告げ、退屈そうにしていたステラを伴って屋敷への帰路へ着いた。




