世を知るスミレと世間知らずのカエル(5)
「確かに作ろうと思えば、簡単な物ならまだ作れるとは思うよ」
カルファーはそう言うと、軽く肩を竦めた。
「でも、もう作らないって決めたんだ。──けじめって奴かな」
「けじめ……?」
「自分には職人と先生の仕事の管理の両立は無理だと思ったんだ。半端な仕事は誰にとっても良い結果にならないからね」
カルファーのその言葉に、ゴルディが横から不機嫌そうに口を挟んだ。
「……だから俺の事はいいって言っただろうが」
見た目こそ無愛想だが、滅多に怒る事のないゴルディにしては珍しく、随分と感情的な言葉だった。だが、カルファーは慣れたように受け流す。
「はいはい。先生の言い分はわかってますよ。もうこの件は散々話し合ったじゃないですか。──これでいいんです」
「いいわけあるか! 俺が納得してねえんだよ!」
「まったくもう……、本当に変な所で頑固なんですから。私がいいって言ってるんだからいいんです。それに、ほら」
そこでカルファーは横でやり取りを聞いていたユータスの肩を不意にぽんと叩いた。
「ん?」
何だろうと思いながらカルファーに目を向けると、何故かにっこりと不自然なまでの笑顔が返って来た。そしてその口が思いもしなかった事を言い始める。
「先生の技術を継げる人間は私でなくたって、ここにもいるじゃないですか」
「へっ?」
虚を突かれたように、ゴルディが間抜けな声を上げた。
そのやり取りに驚いたのは彼だけではない。一方的に巻き込まれた形のユータスも目を丸くしたし、他の弟子達も同様に呆気に取られた顔をしてカルファーに目を向ける。
そんな外野を気にした様子もなく、有無を言わさない笑顔でカルファーは言葉を重ねる。
「私もそれなりに考えはしたんですよ? 何だかんだとずっと学んできた事をなかった事にするのは惜しいとも思いましたし、先生が滅多に弟子を取らない事を考えると勿体ない事ではないかってね。でも、他でもない先生のお陰でその悩みも解消しました」
「ぐっ、いや、俺はそんなつもりはだな」
「そんなつもりは? ……まさか忘れたとは言わせませんからね」
「うう……っ」
何故かゴルディは見事にその言葉で沈黙した。心なしか顔色が悪いような気がするのは気のせいだろうか。
ユータスは自分の状況も忘れて、まるで蛇に睨まれた蛙のように、ダラダラと脂汗を流し始めたゴルディを密かに心配した。
「先生には私の事に気を回すよりも先に、やらないとならない事があるでしょう。私がいる限りはまだまだ引退なんてさせませんよ?」
カルファーは楽しそうに言うと思い出したように盃に口をつけた。この話はここで終わりのようだ。
どうやら二人の間で(自分絡みで)何かしらあった事は確かだが、さっぱり話が読めない。それはユータスに限った事ではないようで、ブルード達も不思議そうな顔をしている。
困惑しているユータス達に気付いてか、カルファーは表情を普段の穏やかなものに戻し、軽く首を傾げた。
「どうしたんだい? 今日は皆、随分酒が進んでないみたいだけど」
「どうしたって、なあ……」
「今のやり取りを横に飲んでられる訳がないじゃないですかあ」
「……先生、カールさんと何を約束したんですか」
「また売り言葉に買い言葉ですか? 口ではまず勝てないのに凝りないですね」
「う、うるさい!」
弟子達の追求に臍を曲げたらしいゴルディは、今まで以上のペースで酒を飲み始め、話す気がない事を暗に示す。こうなると余程でなければ話す事はないと、弟子達は諦め、再び酒宴が再開される──かに見えた。
「……カールさん」
「うん? 何かな、ユータス」
「さっきの、先生の技術がどうとかって……?」
兄弟子達は特に疑問に感じなかったようだが、ユータス自身はその一言に引っかかっていた。
何しろ、今はまだ弟子とも言えない状態である。さらに言うと細工師の仕事を手伝ったり見たりするのは好きだが、決して細工師になりたいという確固たる意志がある訳でもない。
なのに、今のやり取りだとまるでユータスがカルファーの代わりであるかのようにも受け取れた。カルファーとゴルディの間でどんな話があったのかは不明だが、ゴルディが全く否定しなかった事も疑問である。
ユータスの疑問にカルファーはああ、というように眉を持ち上げた。
「言葉の通りの意味だよ。でも、ユータスは気にしなくていいからね」
「え? でも……」
気にするなと言われても、自分の事なので無視出来るはずもない。
「何もかも全部、無責任な先生が悪いんだからね。まあ、それとは別に私自身、ユータスがどんな風に育つのか楽しみにしてるんだ」
何だかとても楽しげに言われ、ユータスはそれ以上追及する事は出来なかった。その代わりのようにゴルディがとても言いづらそうに口を挟む。
「あー……、それ、なんだが」
「何ですか、先生。……まさか今更、やっぱり無理と投げだす気じゃないでしょうね」
「い、いや、そうじゃない! そうじゃなくてだな、さっきの話に戻るんだが」
酒のせいか、別に理由があるのか、いつもより何だかやけに迫力のあるカルファーにじろりと睨まれ、ゴルディが慌てて首を振る。
「……さっきの話?」
「ほら、お前が聞いてきただろ。依頼の話だよ」
「依頼って、マダム・ステイシスのですか?」
「そう、それだ。……ユータス、前に黄金林檎を造らせたの覚えているか?」
「林檎……? あ、はい」
それは先々月の事だった。
鋳造のやり方を説明する際に、どうせだからとゴルディがユータスに原型になる物としてティル・ナ・ノーグの名産である黄金林檎を元に、原寸のおよそ十六分の一──掌に乗る程度──の大きさで作らせたのだ。
「あれ、ヴィオラ・ステイシスに見せなかったか?」
「……、見せたというか、見られたというか……」
その時の事を思い返してみる。
先月、この工房を訪れたヴィオラはいつものようにユータスの所にも顔を見せ、その時に原型として使わなかったものに目を止められ、話の流れ的に出来あがった真鍮製の林檎を見せた。
しかし、あくまでも結果的にそうなった訳で、決して自分から見せた訳ではない。
その時もよく出来ていると褒めて貰ったが、それが一体今回のゴルディへの依頼にどう繋がるというのか。
「どうもそれを随分と気に入ったらしくてなー。あれと同じ物を何か使えるものに加工して欲しいんだとよ。めでたい初依頼だな」
「……え?」
「ちょっと待って下さい、先生。まさかそれ、受けたんですか!?」
思いがけない流れにぽかんとした顔になるユータスの代わりのように、事と次第を飲み込んだカルファーが、心なしか引き攣った表情で追及する。
「だってよ、断る理由がねえし」
「何言ってるんですか! ユータスはまだギルドにも登録してないし、多少仕事をわかっていても、一般的には素人と変わらないんですよ!? 依頼なんて受けられる訳が……!!」
「そんな風に怒ると思ったんだよな……、この石頭め。まあ、待てって。取りあえずこれでも飲んで、話を最後まで聞け」
食ってかかるカルファーに、ゴルディが宥めるように酒を勧める。
「石頭なのは遺伝です。何でこの状況で飲めると思ってるんですか! 一歩間違ったら先生の信用問題にも関わるんですよ!?」
「わかってるって。あっちもその辺りの事は承知してるから、俺に言って来たんだろ。基本的な加工は当然俺がやる。ユータスはこの間の要領で原型作りとそれを何に加工するかを考えて貰う。いわゆる共同作業みてえなもんだが、実際の作業はほとんど俺がやるから問題ねえよ。それにもう『おう、いいぜ』って言っちまったし」
「……先生……。あなたって人は……」
完全に呆れた顔で呟くと、カルファーは深々とため息をついた。
「──ついこの間も『ユータスは預かっているだけで弟子になるかどうかは本人が決めること』とか何とかそれらしい事を言っておいて、何なんですか」
「……。うん、まあ、その辺りは臨機応変ってやつだ。気にすんな」
「気にします、気にして下さい……!」
このまま再び親子喧嘩に突入かと思いきや、今まで見守るばかりだった外野が口を挟んだ。
「まあ、待てよカール」
「ブルード……」
二人の間に割って入ったのは、それまで黙っていたブルードだった。
カルファーとは兄弟弟子というだけでなく、長年付き合った親友のような間柄だからか、親子が二人して熱くなった際、仲裁役になるのは大抵、第三者でありまた『身内』である彼だ。
その分、親子喧嘩に巻き込まれてとばっちりを食う事も多いが、これもまたこの工房でいつの間にか出来あがっていた役割分担だった。
「おやっさんに後先考えない行動は今に始まった事じゃねえんだし、この年で学習出来なかったんだからもう手遅れだろ? もっと前向きに考えようぜ」
ブルードの意見にカルファーもぐっと言葉を飲み込む。事実、こうしたやり取りはカルファーがゴルディの仕事の管理をするようになってから、幾度となく行われてきた事だったからだ。
亡きシルヴィアが管理していた時代は文句一つなく従っていたのに、息子だと何か一言言わないと済まないらしい。
「……ブルード、お前、本人を前にしていい度胸だな……」
歯に衣を着せぬ発言にゴルディが低く唸るが、ブルードは慣れたように受け流した。
「本当の事でしょうが。親子仲が良いのはいいけどよ、周りを巻き込むなって。カールもだ。普通の依頼でも素人がデザインして造る事だってあるだろ? 今回もそれと似たようなもんじゃねえか」
その言葉にそれぞれ思う所があったのか、それぞれ複雑そうな表情で沈黙する。
毒舌なアーリーを除けば、弟子達の中ではもっとも正論による弁が立つというのに、何故初対面の人間相手だと会話するのもやっとになるのか。しかもその場合も物影からか、仮面越しである事が前提である。
本当にいろいろと気の毒で残念な人だと見守る人々は思い、心の内でそっと涙を拭った。
外野がそんな事を考えている事に気付く様子もなく、やれやれと言うようにため息をつくと、ブルードは状況に今一つついて行けていないユータスに目を向けた。
「大体な、おやっさんも引き受ける前に本人に聞けよ。……おい、ひよっこ」
「はい」
「お前はどうなんだ。やってみたいか?」
どうだと聞かれて、ユータスは考えてみた。
原型を造る事自体は楽しかったし、ヴィオラがそれを褒めてくれた事も純粋に嬉しかった。彼女が気にかけてくれている事も子供心なりに理解している。
限られた人間で構成されているユータスの狭い世界の中では、いろんな意味で特別の位置を占める人である。そんなヴィオラが自分の手が入ったものを望んでくれているというのなら、断る理由などあるはずもない。
「やってみたいです」
はっきりと答えると、ブルードはにやりと満足そうに笑い、ゴルディとカルファーに目を戻す。
「だってよ。決まりだな」
その言葉にゴルディは仕事を取られた事に不満そうな表情ながらも頷き、カルファーも諦めたように肩を落とす。
──こうして、共同制作の形ながらもユータスの職人としての初仕事が決定したのだった。




