世を知るスミレと世間知らずのカエル(4)
「善い人間は時として早くニーヴの御許に招かれるって言われているからね。……本当に、残念な事だけどさ」
いつもは何事にも斜に構えるアーリーも、シルヴィアに対してはそうではないのか、生真面目な口調でそんな事を言う。
その言葉を受けてジンも頷くと、何かを思い出したように口を開いた。
「そういや、あの日は朝から晴れていたのに昼下がりに虹が出ていたぞ。珍しいからよく覚えている」
「へえ、そうだったんだ」
「……虹? そんなもの出ていたのか」
滅多に耳にしない単語と早世する事が繋がらずユータスが首を傾げていると、どうやらゴルディもその事実を知らなかったのか怪訝そうに尋ねて来る。その疑問を受けてアーリーは補足するように続けた。
「僕とジンの生まれ故郷だと善い行いをした者や夭折──若くして亡くなった者は、虹の橋を渡り死後の世界へ行くと言われているんですよ。そういう人が亡くなった時には、雨の気配もないのに虹が出るって言われてます。この街にも似たような伝承があるんじゃないかな?」
「あ、あれですね。『リイフィのリボン』──虹の妖精が特別に虹を架けて、リールの審判を受けずにニーヴの元へ橋渡ししてくれるとかいう」
「うん、それそれ」
古美術関係に詳しいリークが話に加わり、話が広がる。
「それをモチーフにした絵画作品は結構ありますね。虹の妖精のリイフィは幼い子供の姿をしていると言われていますし、虹の橋って絵的にも綺麗ですもんね。サン・クール寺院にもいくつかあるんじゃないかな。伝承的にはもっとあってもおかしくはないんですけど、対象が虹だからか、あまりモチーフに取り上げられてはいないみたいですね」
「それは仕方ないんじゃないの? ちなみにユータス、虹を見た事あるかい?」
「一度か、二度くらいなら」
記憶を軽く遡って、ユータスは答えた。
確かにティル・ナ・ノーグは雨は滅多に降らない。降ってもせいぜい半日。三日以上降れば十分長雨である。
虹に関してもそういうものがあるという事は知識としては知っているし、晴れた日に水を撒いている時にうっすら見える事はあるものの、空にかかった物を見た覚えは数度しかない。
──虹の色をした違う物なら、見た事があるけれども。
けれどその事は虹自体とはおそらく無関係だろうし、誰かに話すつもりもないので、そのまま黙っている事にした。
「ティル・ナ・ノーグ生まれのユータスですらこれだし、この街は元々滅多に雨が降らない。仮に降っても必ず虹が出るとは限らないからねえ」
「……じゃあ、おかみさんはニーヴの所に行ったんですね」
それほどに珍しい虹が、出るはずのない条件で出たというのなら、おそらくそういう事なのだろう。単純に『良かったなあ』と思いつつそう言うと、しんみりしていた空気が元の和やかなものに戻った。
「ああ……、そうだな。きっとそうに決まってる」
葬儀の時でも思い出していたのか、心なしか暗かったゴルディの表情が明るくなる。
「うんうん。何しろ、『あの』おかみさんだもんなあ」
ブルードが苦笑混じりにそう言うと、ゴルディとユータスを除く人間が全員頷いた。
「それにしても……。生きてたら今頃、ユータスは『可愛いわー、この子ー!』とか言って圧搾の刑になってたに違いないね。子供好きだったし」
「ですよね。おれもここに弟子入りが決まった来た時に『よく来たわねー!』ってやられましたし。十五であれは結構辛かった……。子供じゃないのに」
しみじみとしたカルファーの言葉にリークが乗ると、ジンが疑わしそうな表情で茶々を入れた。
「あれは単に子供だからってやってた訳じゃないだろう」
「だよねえ、僕達の時はされなかったよ? あの頃は十四くらいだったっけ? リークが弟子入りした年より若かったと思うけど」
「リークなら今でもされてたんじゃないか? 三年経っても変わってないからな……色々と」
「な……っ!? なんて事を言うんですか、ジンさん……!」
身長が低い事を殊更気にしているリークが心底ショックを受けたように食ってかかれば、ジンは視線を未だ白目を剥いて転がっているライアンに向ける。
「……あれ、食ってみたらどうだ?」
「あれ……? って、あれですか!?」
視線の先を追いかけ、それが例の謎の黒焼きを示している事を察すると、リークが悲鳴のような声をあげた。
「身体にいいらしいし、今からでも少しは伸びるかもしれないじゃないか」
「ユータスは庇ったのに、おれはいいんですか!?」
「当然だ、ユータスは年端も行かない子供だぞ」
「だからって、得体の知れない物ってジンさんも言ってたでしょう!? 食べたら背が伸びるって確証があるなら百歩譲って食べてもいいですけど、せめてライアンさんの口に入れる前に言って下さい!!」
「え。口に入れる前だったらアレ食べるの? ……必死だねえ」
「う、うるさいです! 平均身長のある人に、おれの気持ちがわかって堪るものですかああああ!!」
同情の目を向けるアーリーにリークは半泣きで反論する。まだ大した量は飲んでいないはずなのだが、酒の影響が出ているのかもしれない。
一見ジンとアーリーがいいようにリークを弄っているようだが、この三人はこれで仲が良いのだ。
そんなすっかり元通りになった場を横に、話が逸れたなとブルードが仕切り直した。
「……まあ、ともかくだ。亡くなったおかみさんがずっとやってた事を引き受けると言いだして、カールの奴が突然細工師を引退したんだよ。で、おやっさんは許さんって怒るし、こいつはこいつで頑固だからな。そりゃもうすごい大喧嘩だったんだぜ。こっちにもとばっちりが来るしよ、散々だったぜ」
当時を思い出してか心底げんなりした顔で肩を落とすブルードに、カルファーは苦笑し、ゴルディは居心地が悪そうに視線を反らした。
「確かに急だったし、『先生を頼む』って言われたのが切っ掛けだったけど、元々才能がなかったんだよ」
ブルードの言葉を受けてカルファーは笑ってそう言うが、本人以外(未だ倒れたままのライアンと職人時代のカルファーを知らないユータスを除く)の人間は揃ってため息をついた。
「──その頃、普通に顧客だっていただろ。お前」
「そうですよ。おれ、カールさんのファンだったんですよ? 勿体ないなあ」
「リーク……。君、どさくさ紛れに何告白してんの。もしかして、なかなか出会いに恵まれないからって趣旨替えかい?」
「そうだったのか……。気付かなくて済まない。だが、カールさんはもう奥さんも子供も」
「え、ちがっ、違うでしょうアーリーさん! ジンさんも本気にしないで下さい!! 俺は単にカールさんの仕事をですね……っ!!」
「はいはい、わかったわかった。……でもね、実際に仲介人をやっているとよくわかるけど、私程度の職人はこのティル・ナ・ノーグにはそれこそごろごろいる。でも、先生の仕事の管理は他の誰にも出来ない。やってみると仲介人の仕事も結構楽しいしね。だからいいんだよ」
そう言って、カルファーは穏やかに微笑む。何処か誇らしげな様子から、本心からそう思っている事は感じられるものの、ユータスは思わず尋ねていた。
「カールさん、もう作らないんですか?」
その問いかけにカルファーが少し驚いたような顔をする。
ユータスがここに来た時にはもう職人ではなくなっていたし、他の弟子のようにゴルディを手伝う事もない(他の仕事で忙しいせいもあるが)。
『引退』と言っても、怪我や病気が理由ではないなら作る事はまだ可能なはずだ。単純にどんな作品を作っていたのか興味を抱いただけで、驚くような事を聞いたつもりはなかったのだが。
カルファーはその問いに即答はせず、ほんの少しだけ苦さの混じった笑みを浮かべると、ゴツゴツと節くれだった──かつては物を生み出していた手でユータスの頭を少し乱暴に撫でた。




