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アルテニカ工房繁盛記 ~日々のいろいろ~  作者: 宗像竜子
その5.世を知るスミレと世間知らずのカエル
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世を知るスミレと世間知らずのカエル(3)

「おかみさんの五十八回目の誕生日に乾杯ー!」


 日没を見届けるや否や、ブルードのそんな音頭で酒盛りが開始した。

 当然ながら未成年の範疇はんちゅうにいるユータスが持っている杯に入っているのは、ティル・ナ・ノーグ特産である黄金林檎を絞った果汁だ。

 基本的に大人達がこうした酒盛りを事ある毎にする時は、子供にはまだ早いと離れの方で先に寝かされているのだが、今日はユータスも最初から頭数に入れられている。

 いつもは誰よりもそうした事に口うるさいカルファーも、『今日は特別な日だから』とあっさり許してしまった。

 と言うのも、今日は三年ほど前に亡くなったというゴルディの妻・シルヴィアの誕生日なのだ。

 亡くなった日に花を手向けたり寺院へ墓を整えに行ったりするような事は聞いた事があるが、すでに故人である人の誕生を祝うというのは一般的な事ではないだろう。

 しかしゴルディは当の命日には何もせず、こうして誕生日に酒盛りを計画し、弟子達を集めて賑やかに過ごす。ゴルディは元々酒好きで毎日のように晩酌するし、十日に一度はその時いる弟子と酒盛りをするが、全員をわざわざ集めるような事は普段はしない。

 これはシルヴィアが生きていた頃からの恒例行事らしい。


『何度か聞いた事があるんだけれど、教えてくれないんだよ。でもきっと先生──父はまだ、母が死んだ事を認めたくないんだろうね』


 疑問に思い、最初にこの酒盛りに参加した後にカルファーへ理由を聞くと、微苦笑と共にそんな答えが返って来た。

 シルヴィアの死因は外から持ち込まれた一種の流行り病だった。

 早目に治療を受ければ重篤化せずに済んだらしいのだが、それまでは病気などほとんど患った事がなかった事もあり、気付くと手遅れになっていたのだという。

 引きこもりがちのゴルディに代わって納品や事務的な手続きを代行していたシルヴィアは、おそらくそうした用事で出かけた際に何処かで病を貰ってしまったのだろう。

 幸いにもゴルディや身近な人間に伝染る事はなかったが、亡くなる間際まで遺される人々を心配していたのだそうだ。

 普段、我が道を行く弟子達も、シルヴィアの話になると最後には必ず『亡くなるには惜しい人だった』と締め括る。ゴルディや弟子達だけでなく、ゴルディの顧客や周辺の人々からも慕われていたらしく、その葬儀の際はゴルディ達も驚くほどの人が訪れてその死を悼んだという。

 ユータス自身は一度も顔を合わせていないので、ここにいていいのだろうかと疑問に感じなくもないのだが、ゴルディや兄弟子達にお前も身内だと言ってもらえたのは少し嬉しかった。

 実際の所、一応は親戚なので『身内』という言葉に間違いはないが、親戚付き合いすら必要最小限なゴルディにとっての『身内』は家族と弟子達のとても狭い範囲を指す。

 まだ雑用のさらにその雑用程度しか出来ないし、対外的にも実際的にも『弟子』の内には入っているとは言えないが、ここにいてもいいと許されている事自体、その数少ない『身内』の頭数に入っている事の証明と言えるだろう。

 大人達が酒を酌み交わす一方で、これ食えこれも美味いぞと皿の上に兄弟子達が持ち寄った料理が次々に載せられ、ふと気付くとユータスの前には結構な量の食べ物が積み上がっていた。

(……。どうしよう、これ)

 好き嫌いはないし、多少不味くても食べられはするが、子供の胃には明らかに多い。

 供された食べ物は出来るだけ残さず食べるようしつけられているのだが、どう処理をしたものか悩ましい量である。

「お前、細いからなー。どんどん食えよ? 遠慮すんな。職人は体力勝負だからな」

 ユータスが積み上がった料理の山に悩んでいるとも思わずにブルードがそう言い、山にさらに遠慮なく追加した。かと思えば、その通りとばかりにライアンがずいと身を乗り出してくる。

「そうだよ、ユータス! 君はこれから成長期……素晴らしい! これからいくらでも肉体改造の余地があるじゃあないか!」

 そして親しげにユータスの肩を抱くと、輝かんばかりの笑顔で手にした物をユータスの口元に持って来る。そこには、謎の黒焼きが串に刺さっているものがあった。

「……これ、何ですか」

 それからは焦げくさいだけでなく、なんとも言えない異臭が漂っている。食べてはいけないと訴える本能を信じ、あからさまに警戒しているユータスへ、ライアンは自信満々の表情でよくぞ聞いたとばかりに頷く。

「ふっ、こういう時の為に手に入れた秘蔵の一品とっておきだよ! この一本で銀一枚というすごく貴重な物だけど、可愛い弟分の明日の美しい肉体の為になら惜しまないさ。さあ、遠慮なくこれを食べ……げふっ!」

「──子供に得体の知れないものを食わせるな」

 硬派そうな見た目に寄らず、小動物だけでなく子供も好きなジンが容赦なくライアンの後頭部に林檎をヒットさせ、ライアンはそのままずるずると床に崩れ落ちた。

 従兄弟同士だからだろうか、どうやらアーリーとジンの投擲能力は互角らしい。恐るべき命中率である。

 もっとも先程の小さなキャンディと違い、こちらは太陽の妖精ソルナの恵みを受けた立派な黄金林檎だ。相応の重さと大きさがあるせいか、それとも当たり所が悪かったのか、ライアンは白目をむいて伸びている。

 そんなライアンを放置し、その手から謎の生き物の黒焼きをジンが取り上げると、横からアーリーとリークが興味深そうに覗き込んだ。

「元は何だろうねえ、これ。形的にはトカゲとかそういう爬虫類ぽいかな」

「本当にこういうのを一体何処から仕入れてくるんですかね、この人……」

「確かに長空の辺りでこういうのを滋養強壮薬として使うって聞いた事はあるよ。でもそういうのって、いくら身体に良くっても普通は子供に食べさせる物じゃあないよね」

 やれやれとアーリーが肩を竦めれば、ジンはその眉間にしわを刻みつつ、おもむろにその黒焼きを伸びているライアンの口へねじ込んだ。

「──まったく油断も隙もない。自分で消費するならともかく、これを食べてユータスが腹でも壊したらどうする気だ? こんな物を買う金があるのなら、ブルードさんへのツケとか払えばいいんだ」

 酒気を帯びてほんのり赤く染まった顔で、ジンがいつもとは別人のように辛辣に言い放つ。素面だと無口な彼は、酒が入ると反動のように饒舌になり、感情表現も豊かになるのだ。

 ──その事が時に困った事も引き起こすのだが。

「ユータス、いいか。ライアンは悪い人間じゃないが、ちょっと人と価値観が違うから、何かおかしいなと思ったら断るんだぞ? 断りにくかったら俺に言え、黙らせてやるからな」

「ええと、……はい」

 そんな風にやたらキリっとしたキメ顔で諭され、ユータスは横で床に伸びたままのライアンを気にしつつ頷いた。

 いくら敷き物を敷いているとはいえ、硬い床にあのまま寝ていたら身体が痛くなりそうだが、肉体改造が趣味だけあって日頃から鍛えているし、他の面々も何事もなかったかのように放置しているのでそのままでいいのだろう──多分。

 いつもの事なのか、そんな騒々しいやり取りを他所にカルファーがゴルディの器に酒を注ぎながら、そう言えばと口を開く。

「今日のマダムからの依頼は何だったんですか?」

「うん? ……ああ、あれか」

「先月来られた時は確か──スカーフ留めでしたか。キルシュブリューテにいる義理のお姉さんへの誕生祝いでしたね」

 一月ほど前の事を記録でも見ているかのようにさらりと口にするカルファーに、ゴルディが驚いたように軽く目を見開く。

「よく覚えてるな、お前」

「先生がお客様の事に無関心過ぎるんですよ。……何を造ったかは覚えているくせに、それが誰の依頼だったかはすぐ忘れるんですから」

 呆れたように笑う息子に対し、ゴルディは否定出来なかったのか、反論する代わりに手にした杯の中身を一気にあおった。

「──い、いいじゃねえか。俺が覚えていなくても、代わりに覚えている奴がいるんならよ」

 照れ隠しのようにぼそぼそとした声で続いた言葉に、カルファーは微笑み、そのやり取りを横で見ていたブルードがにやにやと人の悪い笑顔で口を開いた。

「おかみさんもきっと安心してるぜ。良かったなあ、おやっさん。カールがいてさ」

「……俺はまだ認めちゃいねえよ」

 ぎろりと睨みつけ、ゴルディがそう言えば、ブルードは何を言うとばかりに言葉を重ねる。

「まーだそんな事言ってんの? 現にカールがいないと、おやっさんの仕事が回らないじゃないっすか」

「う……」

 その言葉に間違いはなく、人嫌いが何かしら影響しているのかそれとも元々無頓着なのか、放っておくと依頼を受けた順番や納期を無視して目に着いたものから手を出してしまう為、優先順位がめちゃくちゃになるのだ。

「──まあまあ。ブルードもあまり先生を苛めないでやってくれよ。ほら、ユータスが話が見えないって顔をしてるじゃないか」

「ん? ああ、そっか」

「……何ですか?」

「そういやひよっこは細かい事まで知らないんだっけな。悪ィ」

 自分の名前を引き合いに出されたので尋ねれば、ブルードが苦笑混じりに謝る。

「ひよっこ、カールも前は職人だったって事は知ってるよな?」

「はい」

 それはここにきて割とすぐに聞かされた話だった。

 カルファーはゴルディの『元』一番弟子で、今は職人ではなく父であるゴルディの事務的な仕事を手伝う傍ら、職人ギルドユグドラシルで依頼人と職人を繫ぐ仲介人をやっている。

「カールが職人を辞めたのは、おかみさんの遺言があったからなんだよ」

「……遺言?」

 それは確か、亡くなった人間が残された人間に残す言葉だったはずだ。

 知識では知っているものの、父方の祖父母は生まれる前に亡くなっており、母方の方はまだまだ健在で、『死』は身近なものではない。

 ちなみにティル・ナ・ノーグでは人は死ぬと肉体から魂が離れて海へ行き、そこで海の妖精リールから審判を受けて、善い魂は空の母なるニーヴの元へ、悪しき魂はそのまま海の底に連れて行かれ、『生前の罪を悔いずにはいられないほど恐ろしい目に遭う』と言われている。

 特に理由がなければ残された遺体は火葬されるが、それは焼いた煙が天に昇る事で、亡くなった人間が少しでも早くニーヴの元へ昇る事が出来るようにする為なのだそうだ。

「しっかし、おかみさんが亡くなってもう三年にはなるのか。……早いな」

 ブルードがしみじみ呟くと、その場の空気は不意にしんみりしたものへと変化した。

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