夏の海辺に黒い猫~おまけ~
閑話「夏の海辺に黒い猫」の舞台裏。ユータスがステラと団扇でパタパタしながら海を見ている頃、マダムとユータスの師匠・ゴルディはこんな会話をしておりました。間接的にですが、本篇第二話にリンクしておりますので未読の方はそちらを先にご覧下さい。
「猫はいなかったのか?」
ステラを中に入れる為に外に出て行ったはずのヴィオラが結局連れずに戻って来たのを見て、ゴルディが怪訝そうな顔になった。
毎回のようについて来るので、ゴルディもステラが主人であるヴィオラ命である事はわかっている。いつもべったり付き従っているのに、今日に限って側にいないので疑問に思っていたのだ。
「いいえ、いましたわ。けれど、今日は外にいたいみたいで……ユータスの頭の上ってそんなに居心地が良いのかしら」
「なんだ、また乗られてるのかあいつ」
ヴィオラの苦笑混じりの言葉に、ゴルディは呆れたように片眉を持ち上げた。
ちなみにゴルディは今の所、『頭』には乗られた事はない(他はあるという事だが、彼にとって不名誉な事なのでなかった事になっている)。
ステラが乗るのは基本的にある程度背が高く、さらに力ずくで振り落とすような事が出来ない人間に限られている。
この工房の関係者で縦方向に一番育ってしまったユータスは、最初に乗られた時から『重い』と文句を言いつつも自分から下ろそうとしなかったせいか、今では毎回のように乗られている。
「あいつは隙だらけだからな。なーんであんなに緩くなっちまったんだか」
まるで理解不能と言わんばかりだ。だが、元々の性格ももちろん大きいだろうが、半分は育った環境も影響しているはずである。
実際、傍目で見る限りでは、ゴルディの弟子への接し方は完全な放任主義だ。仕事に関係する事なら必要であれば教えるが、それ以外の事は自主性に任せられている。
ある程度の年齢で弟子入りしてきた上の弟子ならともかく、子供の頃からここにいて外部とあまり接点らしい接点のなかったユータスは、ある意味純粋培養されているようなものである。
「まあ、あれはあの猫に限らず、鳥に突かれようが鶏に蹴られようが、牛に体当たりされようが、ガートに噛みつかれようが無抵抗だがな」
「……。昔から動物好きでしたものね」
果たしてそれを『動物好き』でまとめて良いかわからないままに取りあえずそう答えると、ゴルディは首を振る。
「だからって攻撃まで受け止める奴があるかよ。しかも何故かわからんが、モンスターまで射程範囲だからな。……あいつ、何かでかいのが襲ってきたら真っ先に死ぬぜ」
やれやれとため息をつくゴルディにヴィオラは苦笑するしかない。
好きな事を好きなようにやっていれば、他者に対して寛容にもなるだろう。年が離れているせいか、兄弟子達とも関係は良好のようだし(一人だけ、例外がいるようだが)、人の悪意を受けずに育った人間は素直で警戒心も薄くなるに違いない。
しかもステラの場合は子供の頃から知っている。ステラもステラで、ユータスに対しては懐くというのとは少々違うが、友好的な感情を持っているようだ。
相応に重いのでユータスが首を痛めないかと心配こそすれ、ヴィオラもあれが他に対する嫌がらせ的なものとは違う事は理解している。
(多分、ステラからするとじゃれ合いみたいなものなのよね。ユータスがどう受け止めているかはわからないけれど……)
何にせよ、別の意味でユータスが自由に伸び伸びと育ってしまったのにはゴルディにも責任の一端はあるはずだ。
まるで他人事というか、自分の事を棚上げにしているような様子だが、結局の所ゴルディも環境に原因があるとは思っていないからこそこの態度なのに違いなかった。
実際、訪れる度にユータスと話すが良くも悪くも世間知らずという印象は強い。
幸いと言うべきか、カルファーに礼儀作法は言うに及ばず、言葉遣いや一般常識などに関しては同じ年頃の少年よりはみっちり仕込まれているので、将来独り立ちして人前に出るような事があっても困るような事はなさそうではあるのだが。
だが、残念な事に日常生活に関してはやはり放任だったので、作業に没頭すると数日寝なかったり食事を取らなかったりという有様である。職人にこそならなかったが、カルファーも結局は職人畑の人間だからだろう。
「そう言えば、ニーヴ像を課題に出したんですって?」
つい先程ユータスと交わした会話を思い出して尋ねると、テーブルに片肘をついて顎を載せるというだらけた姿勢だったゴルディがおやというように目を見開いた。
「先程ゴルディさんが仰っていた『面白い物』ってその事かしら」
「本人に聞いたのか」
「ええ。珍しく煮詰まってるみたいでしたわね」
「ああ、そりゃそうだろうな」
にやにやと人の悪い笑みを口元に浮かべ、まるでそうなる事をわかっていたようにゴルディが答える。
「ニーヴって題材もあれには難しいだろうが、その課題が出たって事でまず困ってるだろうからな」
「……? どういう事です?」
「それがなー、この間たまにはと思って『ユグドラシル』に顔を出したんだけどよ」
『ユグドラシル』とは、ティル・ナ・ノーグの職人を統括するギルドの名前である。
扱いこそギルドなのだが、もはや建物であるかもわからない状態の外観と、それを物ともしない奇人変人達の巣窟である事から一般住人が避けて通る為、職人や未来の職人に対する支援はともかく、依頼人と職人を仲介するという役割が果たせなくなくなりつつある場所だ。
ヴィオラもまだ中には入った事はない。興味はあるのだが、普段はヴィオラが何処に行こうと口出しをしない夫から、真面目な顔で『あそこだけはやめておけ』と珍しく止められてしまったので未だに足を踏み入れられていないのだ。
「そしたら、いつの間にかあいつが俺の『秘蔵っ子』って事になっててなあ。古馴染みから『そういや、お前の所の秘蔵っ子は元気か』って言われて、一体誰の事かと思ったぜ」
「違うんですか?」
八歳の子供の頃から十六歳の今までここで修行して、ゴルディ以外の職人に師事を仰いでいないのだから、『秘蔵っ子』と言われても不思議ではない。
そう思いつつ尋ねると、ゴルディは非常に居心地の悪そうな様子で頷く。
「だって俺、あいつを職人にするつもりでここに連れてきた訳じゃねえし」
「──はい?」
まさかの一言に、ヴィオラは思わず耳を疑った。
「あれは俺が自分で連れてきたし、自分から色々教えたからな。それで『秘蔵っ子』って思われたらしい。教えてみたら面白いように吸収しやがるから調子には乗ったが、弟子だなんて一言も言ってねえのによ」
普段、自分から弟子を取らない人間がそこまでしたのなら、逆にそう思わない方がおかしい。流石のヴィオラも呆れてすぐに言葉が出なかった。
ユータス自身はゴルディを師として接しているようだし、この認識のなさはあんまりである。
「あいつも多分、特別細工師になりたいって思ってる訳でもないと思うぜ。だからニーヴ像を作れって言われて困ってるはずだ。うちじゃ卒業試験的な課題だからな」
この工房に足を運ぶようになってすでに五年以上の月日が経っているが、それは初めて耳にする話だった。
「その、卒業試験という事は……独立させるという事ですか?」
弟子とは思っていないのに、独立を意識するのは何か違うような気もするのだが。しかしゴルディは少し表情を改めて頷いた。
「……まあ、あいつ次第だがな。先々はそういう事も考えてはいる。弟子のつもりがなかったとは言え、ずっとこのままって訳にはいかねえだろ」
「そうなんですね。個人的には良い事だと思いますわ」
十代の内に独立するとなると、職人の世界では早すぎるかもしれないが、子供の頃からその成長を見守って来たヴィオラから見ると、むしろそちらの方がユータスには良いように思えた。
(順番的には違うような気もするけれど──あの子は完全に大人になる前に『世界』を知るべきだわ)
だが、当の師匠はいつも以上に饒舌にとんでもない事を口にする。
「うちはどいつもこいつも、認めた訳でもねえのに勝手に居ついて弟子の面して、仕事を覚えたら勝手に独り立ちしてくんだけどな。一応とは言え俺のやり方を覚えている以上、それじゃ格付けの時に困るって言われてよ。仕方なく卒業試験の代わりに『ニーヴ』を造らせてるんだ」
放任主義も極まれりである。
「……。ユータスは細工師に興味がないのですか? そうは見えませんけれど」
少なくとも作る事は好きなはずだ。寝食を忘れるほど没頭するなど、無関心なら出来るはずもない。するとゴルディはひらひらと手を横に振った。
「ねえと思うぜ?」
あっさりと言い切られる。
「作業が好きかどうかと、それで飯を食っていきたいかというのは別問題だ。演技で生きてきたあんたは違うかもしれねえが、本業とは別に趣味で絵を描いたり彫刻したりしてる人間はいっぱいいるだろ?」
「贔屓目もあるかもしれませんが、ユータスは趣味で終わらせるには惜しい腕だと思いますわ。それに好きなだけなら、八年も修行なんて出来ないのではなくて?」
「普通ならそうなんだろうけどな。……あいつはただ、自分の記憶の中にある物を再現したいだけなんだよ。よっぽど難しいのか、未だにうまく出来ねえみてえだが」
何気ないゴルディの言葉で、ヴィオラはそもそもユータスがここに来た理由を知らずにいた事に気付く。初めて顔を合わせたのはユータスが十歳の時だが、てっきり細工職人になりたくて弟子入りしたのだとばかり思っていたのだ。
「でもなあ、流石に俺もこの半端な状態でいるのはどうかと思ってな。倅にも自分から預かったけじめはつけろって言われてたし」
がしがしと硬めの髪を掻くと、ゴルディはばったりと机の上に伏せた。そのままの姿勢で、煮え切れない口調でぼそぼそと続ける。
「……実際、あれに手伝わせた仕事の反応は上々だし、技術的な事は俺から見ても及第点だ。色々と課題は残っちゃいるがその気になれば今でも普通に食って行けるとは思うんだよな。俺は知らなかったが、あいつの事は関係者の間で噂になってたらしい。問題はあいつに肝心の『その気』がねえって事で」
「……」
なるほど、言われてみれば確かにそんな気もする。
芸術的な話題に対しての食い付きはいいのだが、覚えている限りだとユータスが熱意を持って必死に何かに取り組んでいる姿はほとんど見た事がない。──足りないのは、『情熱』か。
「そう言えば、どうしてニーヴ像を? 細工師なら像じゃない方がいいんじゃなくて?」
ふと思いついて尋ねると、ゴルディはああ、と伏せていた顔を上げた。
「ニーヴにはこれという正確な姿がないだろ? 元々、そいつの理想の女性像がもろに出るから採用したんだが、あいつ全然女っ気ないからよ。像を造らせたらどうなるかと思ってな」
「まあ」
どんな理由がと思えば、単なる下世話な興味からだったらしい。
「まあ、何かの切っ掛けになればと思ってな。あいつ、言われた仕事は完璧にやるんだけど、自分からイメージして作るってのが苦手というか慣れてないんだよな。たまに作らせるとなんか妙な物が出来るし。……それに」
「それに?」
「……倅とリークの奴に言われて気付いたんだが、あいつ、修復だけじゃなくて複製も得意なんだ。すでに形を無くしつつあるものならともかく、名のある作品の贋作をうっかり作ったらやべえ。本人にそのつもりがなくても、何処の誰がその事に気付いて悪用するかわかったもんじゃないだろ。あいつ、隙だらけだからよ」
「ああ……」
「俺はあれを犯罪者にする為に預かった訳じゃねえ。そんな事になる前に、道を選ばせとかねえとな。職人としての自覚があれば、そんなもん作りはしねえだろうし……結果的にあいつが細工師の道を選ばなくても、今ならまだ間に合うだろ」
言いながらも何処か言葉は寂しげで、ヴィオラは素直ではないゴルディに微笑んだ。
弟子ではないとか、勝手に弟子面をして、などと言ってはいるが、ユータスや他の弟子達がなんだかんだとゴルディを師として慕うのは、一度心を許した相手には彼なりの誠意を尽くすからだろう。
彼の仕事に対する熱意と真面目さはその作る物にも表れている。その『物』の本質を見失うことなく、より高める作風に魅せられて、ヴィオラもここまで足を運んだくらいなのだから。
そのゴルディの仕事を間近に見て育ったユータスが、別の道を選ぶとは思えなかった。
「あくまでも第三者から見てですけれど、きっとユータスは細工師になると思いますわ。確かに何かしら切っ掛けは必要でしょうけれど」
何故なら彼はあなたの『弟子』なのだから。
言葉の半分は口にはせずに微笑むヴィオラに、ゴルディは少し驚いたような目を向けて来る。
「どんな像を造って来るのか、楽しみですわね」
「ん? ああ……、そうだな」
それは特に暑い夏の日のこと。
それから半月ばかり、ユータスが造ってくる像に散々駄目出しをする事になるなど夢にも思わずに、ゴルディは珍しく素直に頷いたのだった。




