サクラ色の空、散歩道
※ティルノグの春イラスト企画に描いたイラストを元に書いた小話です。イラストのフルカラー版はこちら(http://1458.mitemin.net/i47289/) 移行に辺り、少し修正を入れました。
──春、うらら。
久し振りに師の工房を訪れた帰り道。
少し市街地からは外れた場所だが、道沿いに植えられた桜は午後のやわらかな陽射しを受けて、まさに満開の様相を呈していた。
元々桜はキルシュブリューテと呼ばれる街にしかなかった植物なのだそうだが、そこから移住してきた人が植えたのか、それとも何処かから種が飛んできて根付いたのか、ティル・ナ・ノーグでも方々で見られる植物である。
ここよりも北に位置するキルシュブリューテではもう少し春が深まった時期に咲くらしいが、一年を通じて温暖なティル・ナ・ノーグでは春の初めには咲き始める。
可憐な薄紅の花はこの土地でも人気で、花が咲く頃にこの道を歩く事を楽しみにする程度にはユータスも好きな花の一つだ。
昔はよく歩いていたこの道を辿っているのは他でもない。出無精というよりは、引きこもりと表現した方が正しい師匠──名を、ゴルディ=アルテニカという──から『酒買ってこい』と手紙が来たからである。
すでに師の元を離れた今、師の私用を代行する必要も義理もないはずなのだが(何しろ、弟子は他にまだいる)、あまりの師の様子の変わり無さに思わず応じてしまった。
独立して間もない細工師ながらも、ありがたい事にそこそこ途切れずに仕事が入っている身である。
決して暇ではないし、そもそも手紙をメッセンジャーにわざわざ託すくらいなら、その労力を使って近くの酒場に行けばいいと思うのだが。
ゴルディから頼まれた酒はシラハナ産のコメで造られた酒で、はるばる海を越えてきたものだった。受け取った師のほくほくした顔を思い出す。
夕刻に出かけている兄弟子達が戻ってきたら酒盛りをするという話だった。いずれもすでに一応は独立しているはずなのだが、数名は何故かそのまま離れに住みついているのである。
おそらくこの桜を肴にするつもりなのだろう。
いつもならそのまま宴会に引きずり込まれている所だが、そうならなかったのは決してゴルディが自重した訳ではなく、元・一番弟子で現在経理担当のカルファーがその場にいたからである。
ちなみにカルファーはゴルディの実の息子であり、しかも財布を握られている為、ゴルディにとっては一種の天敵で工房的には唯一の常識人である。
(……、まあ、たまにはいいか)
一仕事を終えた解放感と吹きつけてきた気持ち良い風に足を止め、重なり合った枝を彩る桜色を楽しむ。エクエス海から風が吹く度に、はらはらと小さな花弁が舞い落ちる様は儚くも美しい。
百年に一度降るか降らないかと言われ、今まで実際に見た事のない雪(奇跡)もこんな感じなのだろうかとぼんやり考えていると、何処からか声が飛んできた。
「ユータスさま~!!」
聞き覚えのある声に、桜に向けていた目を声の方に向ける。
「……ん?」
子供特有の少し甲高く澄んだ声。ひらひらの青い服に、特徴的なツインテール。
よもやこんな所で遭遇するとは思ってもみなかった人物──メリーベルベルが、手を振りながらこちらに駆け寄って来る姿が見えた。
「ベルベル」
「こんな所で会うなんて奇遇ですわっ! これはきっと運命に違いありませんの!!」
駆け寄った勢いで前から飛びつかれる。
ユータスは一見当たれば飛ぶようなひょろさだが(実際、イオリにはよく星にされている)、流石に十一歳の子供に押し負ける事はない。来るとわかっていればなおさらだ。
難なく受け止めつつ、はてと首を傾げる。
奇遇と片付けるにはこの道はあまり一般人、それも年の端もゆかない子供が一人で通るような場所ではない。民家もありはするがどちらかというと疎らで、日中でも人通りは多いとは言い難い。
このままひたすら真っ直ぐ進めば、ティル・ナ・ノーグを取り囲む農村群に至る。──すなわち、思いっきり田舎道なのだ。
他に連れでもいるのかとメリーベルベルが来た方へ目を向けてみるが、それらしい人影はない。
「ベルベル、一人なのか?」
「ええ、そうですわよ?」
確認すれば不思議そうに返事が返る。
だが、メリーベルベルはティル・ナ・ノーグ領主と血縁があり、実際に城に住んでいる身だ。おそらく目につかないだけで何処かに護衛はいるのだろう。
──何処かで撒いて来た可能性もなきにしもあらずだが(そこに意図があるかはさておき)。
「なんでまたこんな所に……」
「工房の方へ遊びに行ったら、イオリがいてユータス様がこっちの方へ行ったと聞きましたのっ」
「ああ、そういう……ん?」
丁度届け物をしに行こうとした時にイオリがやって来たので、出かける先を伝えてあったのだ。一瞬納得しかけたものの、それだと先程の『奇遇』という言葉が誤りになる。
(……。まあ、いいか)
気にはなるが、面倒だったのでユータスは深く考える事を諦めた。
それにメリーベルベルに近々遭遇しないだろうかと思っていたので好都合だ。重要性が低いとこちらから会いに行くという選択肢がない辺りがユータスである。
「ベルベル、この先に用はないよな」
念のために聞くと、メリーベルベルはきょとんと目を見開くと、ぶんぶんと首を横に振った。
「もちろん、ありませんわ!」
「──じゃあ、オレに用?」
何か理由があってこんな所に来たのだろうと思って尋ねると、予想に反してメリーベルベルは再びふるふると首を振った。綺麗に撒かれたツインテールがその動きに合わせて動く。
「特に用事なんてありませんわ? ユータス様に会いに来ただけですの!」
それ以外に目的などまったくないと言わんばかりに不思議そうに答えられ、ユータスは困惑した。
好意を持たれている事自体は悪い気はしないし、ユータス自身、下に少し年の離れた妹と弟がいる事もあって子供は嫌いではない。
だが、己に子供に限らず人に気に入られる要素があるとは思えず、常々どうしてこんなに懐かれたのか疑問に思っているのだ。
思い当たる節が全くないので、メリーベルベルの話に度々出て来る『お兄様』に、背格好でも似てるのだろうと勝手に推測しているのだが。
「ユータス様は用事は終わりましたの?」
「ん」
「じゃあ一緒に帰りましょう! 桜の下を二人きりで歩くなんて、なんだかデートみたいですの!!」
言った後できゃっと恥じらうお年頃一歩手前の乙女を前に、ユータスは軽く首を傾げた。
「……”デート”?」
単語は知っているが、今まで無縁の言葉だったので一瞬何かと思った。実際に単語を口にして、ああ、と納得する。
そう言えば妹のニナも、先日父と出かける時に同じような事を言っていた。
ニナは結構なファザコンなのだが、仕事で多忙な父は休日でも職場に行く事が多く、たまの丸一日休みの時は家族揃って過ごす事が多いので二人で出かける事など滅多にない。
その為か、たまたま一緒に出かける事になった際にそれは嬉しそうにそんな風に言ったのだ。
おそらくそれと同じような感覚なのだろう──と、ユータスは思ったが、当然ながらメリーベルベルの中ではそうではない。
それぞれの意図や解釈は完全にすれ違っているものの、ここから街へ戻るという目的は一致する為、二人は連れ立って歩き始めた。
再び海の方から風が吹いてくる。はらはらと舞う花びらに、メリーベルベルが歓声を上げた。
「ここ、桜が綺麗ですのね!」
「他には何もないけどな」
季節の移ろいが曖昧な土地柄のせいか、季節を感じさせる植物はそれだけで特別に感じる。
身長差があるので、桜に心を奪われて普通に歩くとコンパスの差でメリーベルベルが小走りで追い掛ける形になってしまう。
途中で我に返っては歩調を落とすという事を繰り返している間に、メリーベルベルに会う事があれば尋ねておこうと思った事を思い出した。
「……ああ、そうだ」
「ユータス様?」
「ベルベル、何か好きな色ってあるか?」
「色ですの?」
「ん」
ユータスの言葉に、メリーベルベルは少し思案した後に小首を傾げた。
「今まで特に考えた事もありませんでしたわ! だってお兄様は『メリーベはどの色も似合う』って言ってましたもの」
「……なるほど」
まさかそう来るとは思わなかった。これはまたしばらく悩む事になりそうである。
「一体何ですの?」
「──……まだ秘密」
「えー!? 何ですの、気になりますわっ!!」
何となく色を聞いてから具体的に考えようと思っていたなどとは答えられずに返答を避ければ、メリーベルベルが頬を膨らませて食い下がる。
ちょっとした押し問答を繰り返す二人の頭上で、我関せずとばかりに桜の花が揺れていた。
※今回お借りしたキャラクターと関連作品はこちら※
メリーベルベル(キャラ設定:加藤ほろさん) ⇒ ニーヴは見た!~ティル・ナ・ノーグサスペンス劇場~ http://ncode.syosetu.com/n4584bc/ 作:加藤ほろさん